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第二章
28 やってるな
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荒屋を去る時、ライハルトは野良猫たちがどうなっているか確認しようともしなかった。それにきっと、餌を放り投げる幼いライハルトがいなくなったことで猫たちもまた、どこか別の場所へ去っていたのだろう。
孤独だった期間だけ猫たちを相手して再会しようとも思わなかったライハルトと、餌を得られる場所へと流離う猫たち。どちらも無情だが、それぞれが生き抜く術を探していた。
ミカは今までどうやって生きてきたのか。
ミカもまた、生きるために冷酷な一面を見せたのだろうか。
この子のことが気になって仕方がない。
フォルカーから回収した手鏡は、ミカの部屋に置いてある。改めて彼の部屋を眺めてみるとミカの私物がかなり少ないことに気付いた。
ヒルトマン家から着の身着のままやってきたのだから物がなくても無理はない。だが、あの部屋を見ているとミカがこの邸宅からも知らぬ間に去っていくような気がした。
「……ダメだな」
それはダメだ。
思わず呟いて、ライハルトは眠る黒猫の小さな頭を撫でた。
暖かい。手のひらに、小さな熱が伝わってくる。
ライハルトは囁いた。
「早く戻れ、ミカ」
「あの……」
「なんだ」
「俺、どうしてこんなところに」
「飯の時間だろ」
「……」
ミカは目の前のステーキを眺めて、やはり不思議そうな顔をしていた。
形の良い眉の尻が下がっている。混乱も無理もないが、解放はしない。身なりをきちんと整えたミカは、じーっとステーキを見下ろしている。
昨日はあれから眠り続け、ミカが目を覚ましたのは今日の朝だった。
しかし姿は黒猫のまま。ミカは申し訳なさそうに、ライハルトの足元でニャアニャア鳴いていた。
メイド長に当分ミカに仕事を休ませるよう伝え、仕事へ向かった。夕方に一度切り上げて邸へ帰ってくると、ミカは人間の姿に戻っていた。
仕事へ向かったが休養を言い渡されて途方に暮れていたのだ。そんなミカを馬車へ押し込み、洋服店へ連れて行った。
ミカは仕事着以外の服を殆ど持っていない。
なので、彼に合わせて幾つか洋服を購入した。
当然ではあるがミカは困惑する。そんなミカに新しい服を着せて、今、レストランにいる。
「食え」
「え、はい」
言われた通りに動く性格でよかった。これを素直と言うのか従順と言うのか、無抵抗と呼ぶかは分からないが。
ミカは恐る恐るフォークとナイフを手にする。だが固まって、上目遣いをこちらに寄越した。
「あの、ライハルト様」
「テーブルマナーは気にしなくていい」
「あっ、はい」
ミカは驚いて目を丸くする。心に浮かべたであろう問いかけに対する答えを先に寄越したライハルトにびっくりしたのか、大きな目を更に大きくした。
緊張していたらしく、「気にしなくていい」の言葉に若干の安堵を浮かべたミカは、ゆっくりとステーキを食べ始める。
「美味いか?」
問いかけるが、ミカは口の中に物が詰まっているせいでじっとライハルトを見つめるだけだった。
数秒の沈黙。人払いをしているので室内には二人だけで、静寂が際立つ。
やがて、彼が小さな口を開いた。
「美味しいです」
「猫には肉だな」
「今は人間です……」
「食え」
「はい」
またステーキを口に運ぶ。咀嚼するミカに訊ねる。
「昼飯は食べたのか?」
「……」
「何食べた?」
ゴクン。飲み込んだミカが「リゾットをいただきました」と答える。「もっと食え」と指示すると、ミカは頷く。
口を動かし始めるミカに、ライハルトはすぐさま聞く。
「たらふく食えよ。一応は病み上がりなんだから」
「……」
「病み上がりっつうのか分かんねぇけど。お前は猫になるとすぐ傷が治るから厄介だ。そうだろ?」
「……」
「猫になると傷が治るんだろ? なぁ、ミカ」
「……あの、わざとやってます?」
「何が?」
「俺が食べ始めてから質問攻め始まってませんか?」
「食べるの遅いんだよ」
「一応、急いでいたんですけど……」
「それは伝わった」
食べ始めたタイミングで質問を投げるたび、ミカはライハルトを見つめて必死に咀嚼を始める。すぐに答えようと頑張っているのが伝わり、こちらも面白くなってしまったのだ。
「伝わってるんですか」
「必死に食べてるなぁと思った」
「……猫になると傷は治るみたいです」
「俺の射った矢の傷も治ってたよな」
「はい」
「あの時は悪かったな」
ミカはポカンと口を開いて、数秒固まる。
それから唖然と「いえ……」と呟いた。
「大丈夫です……」
「何驚いてんだよ」
「だって、そんな昔のこと」
「さほど昔じゃねぇだろ」
「もう忘れていると思っていたので」
ライハルトは答えずに、「とりあえず食え」と顎先を引いて促した。ミカは小さく首を上下させ、食事を再開する。
前々から気付いていたのだが、ミカはかなり肝が据わっている。
いきなり連れて来られたにも関わらず割と平然と食事をしていることもそうだが、何より、ちょくちょくライハルトに言い返してくるのだ。
猫の時には確かに、ニャアニャア喚いている。ライハルトがちょっかいをかけるから。だが思い返せば人間の時でも、怯えているように見せかけてよくよく吟味すればかなり言うことを言っている。
猫の際にニャアニャア鳴いているのも実は、かなり暴言を吐いているんじゃないか?
「ミカ、お前猫の時さ」
「……」
「あ」
「……だから何で、俺が食べ始めると質問するんですか」
今のは無意識だった。思わず「悪い」と言うと、ミカは許すように頷いた。
許されてしまった。
「……」
「猫の時?」
「お前よく、俺に『馬鹿』とか『アホ』とか言ってるだろ」
「えっ!」
「……本当に言ってたのか?」
驚いた。まさか図星とは。
ミカは薄い唇を噛み締めて、視線を彷徨わせている。やはりこいつ、結構やってるな。
「いえ……そんな恐れ多い……」
「はぁー。まぁ、いいや」
「えっと……ライハルト様は俺の声が聞こえてるんですか?」
「聞こえてはねぇよ」
「でも、たまに会話してるよなぁって思ってて……」
「表情で何となく分かる」
「猫の俺、表情あります?」
「あるよ。物凄くな」
孤独だった期間だけ猫たちを相手して再会しようとも思わなかったライハルトと、餌を得られる場所へと流離う猫たち。どちらも無情だが、それぞれが生き抜く術を探していた。
ミカは今までどうやって生きてきたのか。
ミカもまた、生きるために冷酷な一面を見せたのだろうか。
この子のことが気になって仕方がない。
フォルカーから回収した手鏡は、ミカの部屋に置いてある。改めて彼の部屋を眺めてみるとミカの私物がかなり少ないことに気付いた。
ヒルトマン家から着の身着のままやってきたのだから物がなくても無理はない。だが、あの部屋を見ているとミカがこの邸宅からも知らぬ間に去っていくような気がした。
「……ダメだな」
それはダメだ。
思わず呟いて、ライハルトは眠る黒猫の小さな頭を撫でた。
暖かい。手のひらに、小さな熱が伝わってくる。
ライハルトは囁いた。
「早く戻れ、ミカ」
「あの……」
「なんだ」
「俺、どうしてこんなところに」
「飯の時間だろ」
「……」
ミカは目の前のステーキを眺めて、やはり不思議そうな顔をしていた。
形の良い眉の尻が下がっている。混乱も無理もないが、解放はしない。身なりをきちんと整えたミカは、じーっとステーキを見下ろしている。
昨日はあれから眠り続け、ミカが目を覚ましたのは今日の朝だった。
しかし姿は黒猫のまま。ミカは申し訳なさそうに、ライハルトの足元でニャアニャア鳴いていた。
メイド長に当分ミカに仕事を休ませるよう伝え、仕事へ向かった。夕方に一度切り上げて邸へ帰ってくると、ミカは人間の姿に戻っていた。
仕事へ向かったが休養を言い渡されて途方に暮れていたのだ。そんなミカを馬車へ押し込み、洋服店へ連れて行った。
ミカは仕事着以外の服を殆ど持っていない。
なので、彼に合わせて幾つか洋服を購入した。
当然ではあるがミカは困惑する。そんなミカに新しい服を着せて、今、レストランにいる。
「食え」
「え、はい」
言われた通りに動く性格でよかった。これを素直と言うのか従順と言うのか、無抵抗と呼ぶかは分からないが。
ミカは恐る恐るフォークとナイフを手にする。だが固まって、上目遣いをこちらに寄越した。
「あの、ライハルト様」
「テーブルマナーは気にしなくていい」
「あっ、はい」
ミカは驚いて目を丸くする。心に浮かべたであろう問いかけに対する答えを先に寄越したライハルトにびっくりしたのか、大きな目を更に大きくした。
緊張していたらしく、「気にしなくていい」の言葉に若干の安堵を浮かべたミカは、ゆっくりとステーキを食べ始める。
「美味いか?」
問いかけるが、ミカは口の中に物が詰まっているせいでじっとライハルトを見つめるだけだった。
数秒の沈黙。人払いをしているので室内には二人だけで、静寂が際立つ。
やがて、彼が小さな口を開いた。
「美味しいです」
「猫には肉だな」
「今は人間です……」
「食え」
「はい」
またステーキを口に運ぶ。咀嚼するミカに訊ねる。
「昼飯は食べたのか?」
「……」
「何食べた?」
ゴクン。飲み込んだミカが「リゾットをいただきました」と答える。「もっと食え」と指示すると、ミカは頷く。
口を動かし始めるミカに、ライハルトはすぐさま聞く。
「たらふく食えよ。一応は病み上がりなんだから」
「……」
「病み上がりっつうのか分かんねぇけど。お前は猫になるとすぐ傷が治るから厄介だ。そうだろ?」
「……」
「猫になると傷が治るんだろ? なぁ、ミカ」
「……あの、わざとやってます?」
「何が?」
「俺が食べ始めてから質問攻め始まってませんか?」
「食べるの遅いんだよ」
「一応、急いでいたんですけど……」
「それは伝わった」
食べ始めたタイミングで質問を投げるたび、ミカはライハルトを見つめて必死に咀嚼を始める。すぐに答えようと頑張っているのが伝わり、こちらも面白くなってしまったのだ。
「伝わってるんですか」
「必死に食べてるなぁと思った」
「……猫になると傷は治るみたいです」
「俺の射った矢の傷も治ってたよな」
「はい」
「あの時は悪かったな」
ミカはポカンと口を開いて、数秒固まる。
それから唖然と「いえ……」と呟いた。
「大丈夫です……」
「何驚いてんだよ」
「だって、そんな昔のこと」
「さほど昔じゃねぇだろ」
「もう忘れていると思っていたので」
ライハルトは答えずに、「とりあえず食え」と顎先を引いて促した。ミカは小さく首を上下させ、食事を再開する。
前々から気付いていたのだが、ミカはかなり肝が据わっている。
いきなり連れて来られたにも関わらず割と平然と食事をしていることもそうだが、何より、ちょくちょくライハルトに言い返してくるのだ。
猫の時には確かに、ニャアニャア喚いている。ライハルトがちょっかいをかけるから。だが思い返せば人間の時でも、怯えているように見せかけてよくよく吟味すればかなり言うことを言っている。
猫の際にニャアニャア鳴いているのも実は、かなり暴言を吐いているんじゃないか?
「ミカ、お前猫の時さ」
「……」
「あ」
「……だから何で、俺が食べ始めると質問するんですか」
今のは無意識だった。思わず「悪い」と言うと、ミカは許すように頷いた。
許されてしまった。
「……」
「猫の時?」
「お前よく、俺に『馬鹿』とか『アホ』とか言ってるだろ」
「えっ!」
「……本当に言ってたのか?」
驚いた。まさか図星とは。
ミカは薄い唇を噛み締めて、視線を彷徨わせている。やはりこいつ、結構やってるな。
「いえ……そんな恐れ多い……」
「はぁー。まぁ、いいや」
「えっと……ライハルト様は俺の声が聞こえてるんですか?」
「聞こえてはねぇよ」
「でも、たまに会話してるよなぁって思ってて……」
「表情で何となく分かる」
「猫の俺、表情あります?」
「あるよ。物凄くな」
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