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第二章

26 二度と近寄らせない

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 ミカが何者かに金を渡していることは確認できた。それは調査員が現場を目撃したからではない。
 メイド長がミカに給料を渡したからだ。一ヶ月に一度支給する金を一週間分先にもらえないかと、ミカから相談があったらしい。
 しかしミカがその金を自分のために使った痕跡はなかった。
 ならばなぜ、金を必要とする?
 おそらく他者に渡しているからだ。
 彼が邸宅をこっそりと抜け出す場面を確認できた。だが肝心の接触現場を捉えることができない。理由は判明した。ミカを呼び出している人物が目眩しの呪い(まじない)を発動する魔道具を使っているのだ。
 そうなると相手は中途半端なチンピラではなく、何かしらのプロだ。
 エルマーは『ミカは、間者なのではないでしょうか』と疑った。ミカが、ライハルトらの事業と対峙する企業や侯爵邸から派遣された間諜で、ライハルトの邸宅に潜入し、情報を外部に渡しているのではと疑ったのだ。
 しかしその可能性はないとライハルトは確信している。
 もしそうならばミカが金を持ち出すのはおかしい。むしろ金を得る側だろう。
 それに……ミカがライハルトを裏切っているとは思えなかったのだ。
 ミカはきっと何者かに脅されて金を渡している。相手が誰であるかは掴めないが、ミカに関わる者であることは確かだ。
 ヒルトマン邸の者がまず一番怪しいので邸宅に監視をつけた。しかし、邸宅では馬鹿たちが揉めているぐらいでミカに対する動きはない。
 そうなると、更に過去だ。
 ミカはヒルトマン邸で働く前にディニィ地区にある貧困街の路地で暮らしていた。そこら一帯を占めるのはフォルカーという金貸しだ。
 目眩しの呪いは闇の社会に属する金貸しやマフィアが用いる常套手段だ。侯爵邸程の者が隠密に動くときは魔術師を雇うので痕跡を残さない。所詮、魔道具レベルなのである。
 目眩しの呪いは発動すると、怪しい紫の光を放つ。調査員によると、ミカが何者かに接触する場面で、その光が発動し、相手とミカが現場から消えたのだと言う。
 フォルカーの金融機関に当たりをつけて監視するが、彼らがこの辺りまでやってくることはなかった。ならば元から、この近くにいる彼らの仲間がミカに接触しているのだろうか?
 調べているうちにフォルカーとミカに交流があった記録も明らかになってきた。やはりフォルカーが金を巻き上げている。ライハルトは、フォルカーの監視を強化した。
 肝心のミカだが、彼は頬に怪我を受けてから毎日、ライハルトが帰宅する頃には猫の姿に変わっていた。
 タイミングは掴めないと言っていたのに毎日だ。これはミカにとっての異常事態なのではないか? 考えるが、彼は何も言わない。
 それどころか、朝になっても人間に戻れない日すら出てきた。
 これにはミカ自身も混乱しているようだった。戻るコントロールすらできない獣人……聞いたことがない。
 疑問は深まるが、まずはミカに接触している人物の正体を掴まなければ。
 そしてとうとうその日がやってきた。
 目眩しの呪いを突破する魔道具を取り寄せた日だった。
 フォルカーが動いたと情報が入る。
「エルマー、今すぐ戻るぞ」
「はい?」
 急報を得たとき、ライハルトは、邸宅のある街から離れた王都付近へやってきていた。
 本来ならば王都で一泊する予定だったが、予定変更だ。「か、帰るんですか!? なぜ!?」とエルマーは騒ぐが、それどころではない。
 フォルカーがディニィ地区から出た。ミカの元へ向かっているのだ。
 近付けてはならない。
 ミカに接触する前に、フォルカーを捉えなければ。
 ――だが。
「調子に乗るなよ」
 遅かった。
「金貸し如きが」
 腕の中で黒猫が震えている。
 路地の泥の中でくたりと横たわっていたのは、ミカだった。
 フォルカーはやはり目眩しの呪いを使っていた。だがライハルトには効力を発しない。そうして、彼らを見つけた。
 ――泥の中で埋まるミカを見て、自分でも驚くほどに怒りが湧いた。
 感情を押し込めてミカを抱え上げ、フォルカーと対峙する。奴はミカを脅して金を巻き上げていた。それも、調査から薄々察していた身勝手な理由で。
 金ではなくミカに執着して付き纏っていたのだ。
 フォルカーは歪んだ愛から暴力を働いていた。
 幾らミカとの過去があろうと、それがミカの未来を害するならもう近付けてはならない。
「この場から去れ」
 二度と近付けさせない。
 絶対に。
 足を引きずって立ち去っていくフォルカーを、ミカは引き留めようとしなかった。フォルカーの言い分だと二人には『歴史がある』らしいが、ミカの沈黙が答えだった。ミカはその歴史にピリオドを打ったのだ。
「ミカ」
 それでいい。
「もう寝ろ」
 ミカの時代はもう変わるべきだ。
 虐げられる歴史に身を置き続ける必要はない。終わった歴史を振り返るのも、もっとマシな時代に身を置いてからでいい。
「早く人間に戻れ」
 赤い目がライハルトを見つめた。潤んだ瞳はけれど、涙を流さない。震える小さな体躯は必死に必死に生きている。
 か細い声で「にゃあ」と鳴いて、ミカは目を閉じた。
 すうっと眠ってしまったミカを、ライハルトは腕の中に抱きしめて離さなかった。
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