【完結】愛する人にはいつだって捨てられる運命だから

SKYTRICK

文字の大きさ
上 下
20 / 50
第一章

20 疲れ切っている

しおりを挟む
「も、申し訳ありません!」
「こうしてみると」
 慌ててライハルトから離れる。が、手首をすぐさま掴まれて逃げられない。
 ミカは困惑で溢れかえっていた。主人を押し倒した上に、体に乗っかってしまった!
 大変だ。何てことしたんだ。真っ青なミカの一方、落ち着いた様子のライハルトが、
「お前は人間になっても細っこいな」
「わっ」
 ブランケットを頭から被せてくる。
 ミカはそれでひとまず体を覆った。サッと自らの肌を確認するが、昨日与えられた傷は消えている。傷に目敏いライハルトもこれなら気付くことはないだろう。
「す、すみません。人間に戻るのが遅れました。すぐ仕事へ向かいますので」
「戻ろうと思ったのに戻れなかったってことか?」
「えっ」
 ライハルトは手首を離す気が一切ないようだ。
 ミカはベッドの上で動けずに、言葉を探した。
「えっと……あの……そ、そうです」
「自分のタイミングで猫になることはできないと言っていたな。なら、人間に戻るタイミングもはかれないのか?」
「そう、です」
「トリガーは何だ?」
「……」
「何か、猫になるきっかけがあるんじゃないか?」
「……」
 ミカは必死に脳を働かせる。ライハルトが納得できる説明をしなければ。
 焦れば焦るほど頭が回らなくなる。どこか意識すら乖離する感覚に、なった。
 どれほど無言に支配されていただろう。
 いきなり、
「まぁ、いい。仕事に行きたいなら行け」
 とライハルトが腕を解放してくれた。
「あ、ありがとうございます……」
「早よ行け」
 ライハルトは右手をだらりと上げて、軽く振った。怒ったのだろうか? いやむしろこの無礼な状況で怒らないはずがない、と思ったが、意外にもライハルトは「あ、テーブルに土産のクッキーがあるから持ってけ。無理すんなよ」と怒りはない様子だった。
 ミカは頭を下げて、寝室を後にする。仕事用の衣服に着替えて部屋を出ると、ちょうどロミーがライハルトの朝食を運んできたところだった。
「あれ? ミカさん」
 ロミーは目を丸くし、心から心配そうに気遣ってくる。
「具合が悪いんですよね? 休んでもいいんですよ?」
「あ、えっと、大丈夫です」
「本当に? 旦那様がミカさんの体調が悪いと仰っていたって聞きましたけど」
「その、大したことはなかったので」
「えー。それじゃあ、旦那様がミカさんに関して心配症みたいじゃないですかぁ」
「……」
「何ですかもう。ふふふふ」
「あの、俺は大丈夫なので」
「いえいえ朝食は私がお届けするので、ミカさんも先に朝食を召し上がってきてください! ふふふ」
「本当に……大丈夫なんです……」
 微笑みながらロミーは歩き去ってしまう。残されたミカは暫く立ち尽くしたが、言われた通り厨房へ向かった。
 大丈夫、なのに。
 もう人間に戻れた。体調も悪くないし、傷は治っている。少し黒猫が溶けるのが遅れただけだ。
 大丈夫……だよな?
 ——しかしそれから三日間、ミカは毎晩猫になり、そして毎朝戻ることができなかった。
 しかも日に日に解けるのが遅くなっている。二日目の朝なんかは、ライハルトが仕事へ向かうまで人間に戻れなかった。
(どうしよう)
 四日目。ミカは猫の姿で朝を迎えた。
 ここ最近は、出張の多いライハルトも邸宅へ毎日帰ってきている。そのせいで、ミカが朝になっても人間に戻れない姿を全て見られてしまった。
 夜だって、以前までなら、人間の姿でライハルトの帰宅をお迎えしてから猫になることが多かったのに、もう夕方になるとすぐに猫化してしまう。
 異常だ。しかしどうにもできない。
 人間に戻れない……。
「近頃、人間のお前を見てないな……」
「にゃ?(え?)」
 ベッドの上で呆然としていると、いつの間に目を覚ましていたのか。
 隣に寝転がっていたライハルトが呟いた。
「帰ってきても朝になっても、お前は猫だろ」
「……」
「人間のお前に会ってないな」
「……ニャア(はい……)」
 そうは言っても、ライハルトが求めているのは猫のはずだ。
 なのに今の彼の口調は、まるで人間のミカを恋しがっているようだった。
 何だろう? 胸がむずむず……する。ミカは何とも言えない気持ちになって、鳴き声さえも出せなかった。
 ライハルトが立ち上がった。
「今日は、休め」
「にゃ?(えっ)」
「働くな。こっから人間に戻ったとしても部屋にいろ」
「にゃにゃにゃ(そんな)」
「命令だ」
 ライハルトが鋭く言い放つ。そのオーラに気圧されて、ミカは「……ニャー」と頷いた。
 久しぶりに、ライハルトに冷たく言い放たれた。そう、……久しぶりだ。あれ、いつからこの人の、雰囲気が和らいだのだろう?
 考えているうちに、ライハルトは颯爽と寝室を去ってしまう。ミカは寝室に取り残されて、自分の黒い手先を見つめる。
 今日は、フォルカーがやってくる日だ。
 だからじっとしてなどいられない。
 ライハルトはミカの仕事を休ませるようメイド長に命令したはずだから、今日は仕事に出られない。けれど、フォルカーの元へは向かわなければ……。
 それから。
 ミカが人間に戻ったのは、ライハルトが仕事へ向かってから六時間後だった。
 昼頃に猫の姿が溶けたミカは、ライハルトの言いつけ通り部屋に留まった。フォルカーとの待ち合わせは夕方で、街の路地だ。それまで時間が経つのを待つことにした。食事を取りに厨房へ行こうか迷ったが、申し訳ない気持ちでいっぱいになって、ミカは部屋の隅で時が過ぎるのを待っていた。
 人間に戻ったのに尚、倦怠感が胸にこびりついていて、心がとてつもなく重い。お腹が空いた。
「疲れる……」
 ずっとずっと、疲れている。
 膝を抱えたまま動けない。
 一体自分はどうしたのだろう。
 どうしてこんなに、動けないんだろう。
 ……しかし、フォルカーに金を渡さないと。
 もしもミカが向かわなかったら、あの男ならこの邸宅にやってきて全てを明かすはずだ。そうしたらライハルトの元には居られない。
 また捨てられる。屋敷を追い出される。
 それだけは嫌だ……。
 膝を抱えたままじっとしていると、いつの間にか日が傾いていた。
 約束の時間だ。
 行かなければ。
「——金は持ってきたか」
 第一声でフォルカーは言った。
 路地にはフォルカーが先に待っていた。ミカは一昨日いただいた給料袋を持っている。
 給料は月に十万リルだ。前借りの分を抜いて八万リルを持ってきた。フォルカーに求められていたのは八万リルで、そのうち二万リルはすでに渡したから……。
「六万リルです」
「やけに死にそうな顔してんな」
 ここに来るまでの道のりは長く、ミカは道中で一度蹲り、動けなくなっていた。それくらい今日は疲れている。フォルカーはミカの顔の白さを指摘したが、大して興味なさそうに金を数え始めた。
「……これで、黙っていてくれるんですよね」
しおりを挟む
感想 104

あなたにおすすめの小説

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる

風見鶏ーKazamidoriー
BL
 秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。  ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。 ※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。

そばかす糸目はのんびりしたい

楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。 母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。 ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。 ユージンは、のんびりするのが好きだった。 いつでも、のんびりしたいと思っている。 でも何故か忙しい。 ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。 いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。 果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。 懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。 全17話、約6万文字。

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

処理中です...