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6 溝口陽太 二十歳

47 ない。

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 幸平の部屋を訪れたはずなのに、現れたのは谷田、時川、そして室井の三人だった。
 「どうして溝口さんが」と驚愕に満ちた表情の谷田の後ろで、やけに目を赤くした室井が「陽太さん?」と顔を出す。
 様々な疑問が胸に溢れ返った。
 こんな朝っぱらからなぜ友人が集まっているのか、それと肝心の幸平がいないのは何故なのか。時川は友人枠なのか?
 言いたいことは多かったが、陽太はまず一番に、
「コウちゃんと会いたいんだけど」
 と口にした。
 すると三人は目を見合わせる。やけに深刻な表情をしていた。
 ひとまずと、室内へ迎え入れられて、彼らが語ることには。
「お湯が止まってなかったんだよ」
 なぜかこちらに怯えた様子の谷田の代わりに、時川という幸平の友人が説明した。
 曰く、今日は朝から四人で会っていて、幸平が風呂に入っている間に他の三人は朝食を買いに出掛けた。
 そして不可解な出来事が連続した。
 この部屋に戻ってきて一つ目の違和感は、チャイムを押しても幸平が出てこなかったこと。
 風呂に入っている最中なのだろうとドアノブを回すと、開いた。鍵が掛かっていなかった。しかし室内には幸平の姿がない。
 不思議に思ったが、それが不穏な疑念に変わったのは、浴槽からお湯が溢れていたのを見てからだったらしい。
「それいつの話?」
「私たちが帰ってきたのは、五分前くらいだな。幸平くんが出ていった時間は分からない」
 謙人が「……何これ?」と首を傾げる。
 こちらも意味が分からない。
 ……ただ何か、嫌な感じがする。
 陽太は室内を見渡しながら、
「コウちゃんの家をアンタらが出たのって、いつ?」
 と訊ねた。
 先ほどもそうだったがまたしても谷田が、「こ、コウちゃん……?」と信じられないものを見るような目をした。動揺のない時川は「二、三十分前だな」と答え、室井も「そのくらいすね」と頷く。
 陽太は立ち上がり、玄関を確認した。幸平がいつも履いている靴がない。しかし傘はある。外へ出たのは確かだが、蛇口を閉めるのを忘れるくらい焦っていたのか。
 それとも誰かがやってきた?
 陽太はもう一度部屋を見渡した。十一月の朝で、雨が降っている。外は充分寒いのに上着が置いていかれている。
 いつもと何か違ったところはないか。慎重に隅々を見つめながら、謙人へ言った。
「携帯貸して」
「え? うん」
 幸平の電話番号を入力し、発信ボタンを押す。謙人に「森良くん?」と訊ねられ、頷くだけして返した。
 すかさず時川が、
「なぜ自分の携帯を使わないんだ?」
 と聞いてきた。
 陽太は発信に集中しているので、代わりに謙人が「こいつ、携帯今ぶっ壊れてるから」と答えてくれた。
 すると何故なのか。また三人組が視線を交わし合っている。
 谷田は「ま、じか……」と呟き、時川は「なるほど」と頷いた。
 何が、なるほど? 心の中で首を傾げるが、それよりも幸平が電話に出ないことの方が気になる。
 これ以上呼び出してもかからない。陽太は携帯を謙人へ返した。
 室井が言った。
「陽太さん、今まで何してたんですか?」
「は?」
「昨日とか今朝とか、今までずっと何してたんですか」
 室井の声には妙に棘があった。陽太からすると、谷田や時川はまだしもどうして室井が此処にいるのかそちらの方が訳が分からない。
 謙人も同じくらい気になっていたのだろう。「ムロお前、俺と会うの久しぶりなのに挨拶も無しかよ」と前置きし、陽太に親指を向けた。
「何してたっつうか、俺らすげぇ大変だったんだぜ。陽太、こいつ、芹澤にストーカー受けててさ」
 「……はい?」室井が目を見開く。謙人は思い出して苛立ったのか、渋い顔で続けた。
「写真送られてきたり、盗聴されたり。そう、陽太の部屋に盗聴器仕掛けられててさ、それどころか携帯にも何か仕込みやがったんだよあいつ。そのせいで陽太、ストレスでぶっ倒れたんだからな。俺も吐いたし。昨日の夜なんか、陽太の部屋に母ちゃんが向かって、そしたら芹澤が陽太ん家に来てさ……危うく鉢合わせるとこだったのを、秋田さんが捕獲したわけ。芹澤あいつ頭おかしいわ」
「芹澤って、あの芹澤?」
 元同級生の谷田も存在は知っているらしい。啞然と呟く谷田に、誰にでもフラットな謙人が「そうそう、あの芹澤」と頷いた。
「解決したから、ここ来たんだけど……俺らからすると、お前らが此処にいて、森良くんがいない方が意味わかんねぇ」
「幸平くんに会いに来たのか?」
 時川が食い気味に訊ねてくる。陽太は少し遅れて、「……そうだけど」と頷いた。
 嫌な予感が胸を巣食っている。室内の違和感を探すのに集中していて、反応に遅れてしまった。確かに謙人の言うとおり、この三人がいる理由は気になるが、それよりも幸平だ。
 と、陽太は気付いた。
「ムロ、退いて」
 「はい」と室井がすぐに身を避けた。陽太は棚の前で膝をつく。
 引き出しが一つ、開いていたからだ。
 中は空っぽだった。陽太は考え、更に全ての引き出しを確認していく。
 どれも中身は埋まっている。この引き出しだけ空白だ。何かがあって、それが無くなっている。幸平が持ち去ったのか、それとも来客した誰かが見つけたのか。
 ……なぜか不意に、過去の幸平の発言が過った。
 ——『盗まれちゃってさ』
 陽太は今一度棚の中を確認し、更にはクローゼットも探った。室内は狭く、探す場所は限られている。
 やはり、無い。どこにもない。
 金がない。
「……それじゃ、君たちはすれ違っていたということか」
 時川が納得した風に呟いた。
 あまりに探し物に夢中で三人の会話を聞いていなかった。陽太はやっと意識を彼らに戻し、「何が?」と言った。
 時川は「幸平くんは」と落ち着いた口調で返す。
「溝口さんに、連絡していたんだよ。昨日の夜、駅で待ってると」
 陽太は思わず息を止めた。時川は額を指で押さえながら言う。
「その待ち合わせに溝口さんが現れなかったから幸平くんはショックを受けたんだ。幸平くんは、溝口さんの最寄り駅で待っていて、その後は君らに由縁のあるらしい地元のアパート付近で一晩中待っていたとも言っていた」
「……一晩中……アパート?」
「そう。幸平くん一家が昔住んでたらしいアパートだ」
 時川は真剣な目つきで陽太を見上げた。
「君たちだけの繋がりがあるんだろ? 幸平くんは雨の中待っていたのに、溝口さんは現れなかった。傷付いた幸平くんを癒すために、私たちはやって来たというわけ」
 一瞬、意識が遠のきそうになる。
 コウちゃんが、俺に連絡してくれていた……。
 そして一晩中……。
 その後、陽太のマンション近くに戻ってくると、陽太と女性が一つの傘を共有して歩いていくを見たらしい。
 謙人が頭を抱えて、「母ちゃんだろ……」と悔しげに言った。散々幸平の話をしていたから、謙人も幸平には詳しい。彼は「森良くん、あの子一生目悪いのか」と嘆き、室井や谷田も反応した。
「陽太さんのお母さん、若いですよね。秋田さんのタトゥースタジオで働いてるあの人ですよね? ……あー、そっか」
「幸平、高校の頃から目悪いけど眼鏡も買わないしな……」
 陽太は深く息を吐いて、再度考える。
 幸平の連絡を無視していた事実は、あまりにも幸平に申し訳がなく、そして自分に腹が立つ。今こそ本気で吐きそうになった。心臓を押さえつけられたように息苦しくなる。コウちゃんが……俺に……。
 陽太は拳を握った。
 とにかくこの異様な状況を解明しなければならない。
 金がないのだ。
 どこにもない。謙人にこき下ろされたあの、幸平に渡し続けた金がない。
 すると、先ほどの単語がまた頭に繰り返された。
 アパート……。
 陽太はジャケットのポケットに手を突っ込み、あの紙切れを取り出す。
 記された携帯番号は中田のモノだ。つい一昨日、中田もその単語を口にしていた。
 ——『アパートが……』
「謙人、携帯貸して」
「おう」
 携帯番号を素早く打ち込み発信ボタンを押す。まさか、そんなはずは……胸の内側に暗い予感がベッタリと張り付いていた。
 先ほどと違って、三コールほどで通じる。電話口から『もしもし』とつい二日前に聞いた声がした。
「溝口だけど」
『え? ああ、溝口? ビビッた。まじで連絡くれたんだな』
「いきなり悪い。聞きたいことあって」
『聞きたいこと?』
「一昨日、中田何か言いかけてたよな」
『は?』
「コンビニで会った時、コウちゃんの住んでたアパートのこと、何か言おうとしてただろ」
 室内は静まり返り、陽太の声だけが響いた。
 きょとんとした声を出した中田だが、『一昨日……あ、そうだ』と声を大きくする。
 中田は、深刻そうな声で説明した。
『黒崎が住んでたアパートが、噂になってんの。変なおっさんが引っ越してきたって、俺らの間で。木村覚えてる? ガキの頃溝口たちと俺らが喧嘩した時もいた奴なんだけど、あいつが、あのアパート付近でそのおっさんに絡まれたんだよ。で、そのおっさんが黒崎のこと探してるっぽくてさ』
「コウちゃんを?」
『そう。気持ち悪いおっさんだったらしいんだけど、俺それ聞いて、黒崎大丈夫かな? って思ったんだよ。俺さ……そのおっさんが黒崎の親父さんなんじゃねぇかって思ったんだ。黒崎、ガキの頃、家が大変だったろ? それって父親のせいだったの、知ってたんだ』
「……今、中田どこにいる?」
『今? 家』
「アパート行ってくんね? 俺も行くから」
『……おう』
「よろしく」
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