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3 溝口陽太18歳

17 悪い男

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 途中からワイヤレスイヤホンでの通話に変えている。
 陽太は携帯を操作し、一年前に撮った写真を眺めた。
『あの人不思議な感じだよな。ずっと勉強してるイメージ。お前を好きになるとか思わなかった』
「だよなぁ……」
『陽太のお前の魅力って言ったら、なんか悪い雰囲気? でも優しいからギャップ萌え的な。あとはセックスうまそう、的な。それで女の子たちも寄ってくるじゃん。その二択じゃん』
 修学旅行の夜に撮った写真だ。後から盗撮だと気付いたが、どうしても消せない。
 画面には、幸平の横顔が映っている。
 何度も眺めた写真だった。
『俺にも幼馴染くらいいるけど、好きとかは完全無い。しかも男相手だろ? 絶対ありえねぇ』
 そう。
 男同士だ。
 なのに、なぜ、幸平は……。
『何でだろうな』
「……」
『……ま、今は浮かれようぜ』
「おう」
 真相は不明だが、緊張せず話せるようになったら理由を聞きたい。
 陽太はもう一度「おう」と頷き、幾らか声を明るくした。
「そうする」
『今日、この後の飯で詳しいこと教えろよ。いつ会うとかはまだ決まってねぇんだ?』
「俺も一人暮らしするし、引っ越したら会いたい」
『そしたら俺からもお祝いのプレゼントやるよ』
「何?」
『コンドーム』
「死ね」
 謙人の爆笑する声に、陽太は再度「死ね」と混ぜる。
「要らねぇから」
『なぁこれって、陽太はどっちなんだ? 挿れる方と挿れられる方。遂に童貞卒業だけど、処女卒業の可能性もあるよな。お前の可能性は無限大だ。未来ある若者あははは』
「笑うな」
 笑い声は尽きない。あまりにも煩いのでイヤホンのボリュームを下げる。
 未来ある若者、か。
 そこに幸平がいることが嬉しくて叫び出しそうだ。
 しかし同時に、胸にじわと暗い気配が滲むのを、自覚している。
 それは靄みたいなもので、どれだけ息をしても取れない。
 陽太は目を閉じて、謙人の明るい笑い声に心を委ねた。





























 その日。
 昼の天気は曇天で、今にも雨が降り落ちそうな空だった。
 重たい雲は雑巾みたいに絞れば、大量の水が滴りそうで、しかし雨は降らなかった。それが昼。まだ二人で部屋にいた時。
 一人になった今、陽太は携帯を手に取る。
 画面が真っ暗な部屋に白く浮かんだ。毒じみた刺激的な光だった。気付けば陽が落ちていた。時刻は九時近くとなっている。
 微かな雨音が鼓膜を擽る。知らぬ間に雨が降り出していたらしい。
 幸平が帰ってから、三時間近くが経っている。
『……陽太? どうだった?』
 通話は3コールほどで通じた。陽太はカーペットにあぐらをかいて、項垂れた。
 身体の力が入らない。唇だけが辛うじて動いた。
「謙人……」
 呆然とした心地で呟く。
「俺ら、付き合ってなかったっぽい」
『はぁ!?』
「せ、」
 声がうまく出てこない。口から出た瞬間に蒸発したみたいだった。
「セフレだって」
 自分で発していて、意味が分からなかった。
 つい先程までの光景が頭の中にまた浮かび上がる。すると心は暴風雨で荒らされたようにぐちゃぐちゃに乱れる。
 手のつけようがない。耳に傾れ込んだ雨音がさらに陽太を追い詰める。
「セフレってことに……なって……」
 ハンズフリーで通話していたから、陽太は目を見開いて携帯の画面を見つめていた。
 フラッシュバックしたのは、幸平の携帯だ。
 あの画面に書かれていた。
『セフレ?』
 謙人がはっきりと繰り返す。
 陽太は「え?」と呟いた。
『……陽太? 今、何つった? ごめん聞こえないわ』
「……」
『なんか……、お前泣いてる?』
「……うわ」
 陽太は息をドバッと吐き出した。燃えるような吐息だった。
「きつ」
『は?』
 謙人は混乱していたが、口調を変えて『今どこいる? 家? そっち行くよ』と告げる。
 陽太は片手で顔を覆った。
「あ、やべぇかも」
『何が?』
「吐きそう」
 力の入らない足で立ち上がると強い目眩に襲われた。激しい呼吸を伴いながらもトイレへ向かう。背中に謙人の『陽太? そっち行くからな』と大声が追いついてくる。
 ――知らなかった。
 混乱が許容範囲を超えると身体に影響が出る。何も分からなくなって、吐き気がして、昼に食べた物を嘔吐した。
 身体の内側に嵐が巻き起こっている。腹の中にも、脳にも心にも、指先ですら震えている。
 つい三時間前までの情景が、嵐を掻き分けて頭に蘇った。
 幸平と……。
 関係をもった。
 どうして、そうなったんだっけ。なぜか幸平がセックスに関してを口にして……いや、それは大事なことだ。でも。
 経験があると言っていた。
 誰かとしていたのだ。
 誰と?
 セフレ……。
 強い光が爆発したみたいに頭に起こる。それは携帯の画面だ。幸平はロックをかけていないらしく、携帯の画面が開きっ放しになっていた。
 そこ書かれていた文字は、《セフレの作法》なるもので。
 強烈な文字列に思考が停止したことまでは覚えている。でも、一瞬で辻褄が合った。
 幸平がすぐに性行為を持ち掛けたこと。好きに連絡して、と言ったこと。
 でも……。
 好きって……言ってたよな?
 あれは、幻聴だったのか?
 あの画面を見た瞬間、パニックに陥った。不意に脳裏をよぎった言葉は、いつであったか言われた『ヨウ。お前は感情を隠すのがうますぎる』の言葉だ。
 死ぬ気で動揺を隠して、幸平に接した。求められていると察したから応えた。幸平を繋ぎ止めたくて必死だった。パニックは全ての感情を底上げし、陽太は暴発した心に追いつけなくなり、無我夢中で行為に至った。
 ……何が起きたのだろう。
 記憶が分からない。
 たった三時間前のことも、卒業式の後のことも。
 好きと言われたのは、妄想だったのか?
 セフレって……。
「……セフレって」
 何。
 それってどうやんの。
 部屋に明かりがついている。謙人がやってきたからだ。
 陽太の部屋は、2LDKのアパートで、まだ物も少ないシンプルな部屋だった。そのただでさえ物が無い部屋から消えた唯一は、謙人から貰ったコンドームだ。
 陽太はソファに座り、テーブル越しに謙人がカーペットの上であぐらをかいている。
 言葉が続かなくなる陽太を、謙人は深刻な顔つきで見上げている。
 謙人は独り言のように呟いた。
「まじか……」
「俺、何したらいいんだろ」
「……」
「セフレって何? どうやんの?」
「あー」
「遊園地とか行くの、無理かな」
 陽太は口内に溜まった唾液を飲み込んで、言葉を重ねた。
「そういうの、駄目な関係ってことだよな」
「あー……どうだろうな」
 謙人は苦悩の表情を浮かべ、やがて言った。
「恋人なら行くけどさ。セフレは……うーん」
「……」
「……セフレ……森良くんは、陽太とセックスしたくて告白してきたってことか?」
 陽太は答えない。
 謙人は続けて、「まぁ」と一度頷き、
「普通の男なら、セックスしたくなるの分かるけど。あの人は男としたかったのか?」
「けど、好きって言われた」
 しかし記憶が曖昧だ。
 曖昧というより、自信がない。幸平からもらった告白の言葉は忘れてなんかいなくて、はっきりと覚えているが、信ぴょう性が失せてきている。
 あれは幻聴?
「もっかい、確かめれば?」
 謙人は言った。しかしすぐに自分で退ける。
「無理か。お前死んじゃいそう」
「多分俺が、余計なこと言ったんだ」
 卒業式の日の告白で、自分が何と返したかに関しては、覚えていない。
 そして自分の発言は信用できない。いつもそうだからだ。
 思い出すのは、修学旅行の夜だった。
 あの日も余計なことを言いかけて、己に慄いたのだ。
「……まぁ、でも、セフレ作るってなったら陽太なのは分かるけど。しっかし、俺、全然あの人が何考えてるか分かんねぇな。そもそも、陽太に告白したってのも謎だった」
「何でそんなイメージなんだろ」
「え?」
「俺が遊んでるとか。違うっつってんのに、何でそうなんだろ。怖いってのは、分かるけど」
 なぜ、大奥が展開されるのか。
 怖がられているのは理解できる。この見た目なのだから仕方ない。確かにピアスがあいていようと刺青が見え隠れしていようと、明るい雰囲気を放ち親しまれる人間はいるが、陽太はそのタイプではない。
 だから、怯えられるのはまだ分かるが、なぜ遊び人などと。
「人当たりいいからじゃね? お前無理して良い人やってたじゃん」
 謙人は「余裕そうにニコニコしてっからだろ」と付け足した。
 陽太はぼやくように呟いた。
「じゃねぇと怖がられるから」
「ん。せっかく森良くんと同じ高校行けたのに、高校を変な空気にしたくなかったんだもんな」
「……」
「遊び人的な……イメージに関してはさ、森良くんが勘違いしてんのも正直無理ないと思う。無理なさすぎ。逆に陽太をそうじゃないと見破る方が怖い。超能力者っつうか……盗聴器仕掛けてる犯罪者レベルだと思う」
 謙人は頭をかいた。眉を下げて、気まずそうな目をする。
「まぁそんくらい、お前の見た目は将軍なんだよ。そういうモテる男に、森良くんも告白したんだから凄ぇけどな」
「……セフレって、普通いるものか?」
「俺はいないし、俺の周りにそういうのいる奴もいない」
 彼は即答する。
 陽太は淡々と訊ねた。
「セフレとかいて、女遊びしてて、モテる男って、どんな振る舞いすんだろ」
「普段のお前で良いんじゃね? 悪い男風なのに、女に絡まれても余裕そうに笑ってる感じ。やけに落ち着いてて、女に性欲あからさまにしないのが良いんじゃん?」
 それが、俺なのか。
 幸平が告白した俺は、余裕な男だと。
 陽太は途端に胸が重くなるのを感じた。これより先の未来が一瞬にして濁る。その濁りは不安の色をしていた。
 余裕なんかではないのに。
 謙人は憐れむように言った。
「余裕っつうか、単に本命がいたから他に興味がないだけで、本命に少しでも良く見られるために愛想良くしてただけなのにな。中学の不良イメージを挽回するために」
「……」
「とにかくさ。タトゥーとかピアスとか入ってて……悪い感じなのに優しいのがいいんじゃん?」
「……」
「そう言えば、お前がタトゥーとか入れたのってコウちゃんの影響って言ってなかった?」
「……温泉に……」
「え?」
 思わず呟くが、謙人は聞き取れなかったのか怪訝そうに訊き返す。
 話しているうちに、随分と心も落ち着いてきて、遠い過去を思い出す余地すら生まれていたらしい。
 謙人は「温泉?」と呟き、閃いた顔をした。
「あぁそういやお前、修旅で温泉入らなかったよな」
「……前にさ」
 陽太は軽く首を横に振り、複合的な理由に内在する別の回答を口にした。
「ガキの頃、スミレさんを見たコウちゃんが、「あの人強そうで、かっこいいね」って」
 あれはまだ小学生の時だった。
 公園にいた陽太と幸平の元に、『おお。ヨウじゃねぇか』と彼がやって来たのだ。
 幸平は彼の腕に彫られた龍のタトゥーや、耳を飾るピアスをキラキラした目で見つめいていた。軽く言葉を交わして男は去って行ったが、幸平は見惚れるように彼の後ろ姿を眺めていた。
 その横顔を見て、ドッと焦りを抱いたのを覚えている。
「スミレさんって秋田さんのこと?」
「ん」
 謙人は驚いた顔をして、更に追求した。
「は? 何で会ったの?」
「バッティングした。スミレさんが母さんに会いに来てて」
「あー、なるほど。あの人、刺青もピアスも舌ピもやべぇよな。やっぱコウちゃんって、怖い男好きなのかも」
「……」
 コウちゃんって呼ぶな……。
「でも結果出てんじゃん。スミレさんみたいに悪い男風になったから、森良くんも……ほら、告白? してくれた? んだし?」
 謙人は無理やり声色を明るくした。硬い笑顔に隠してボソッと「告白なのか分かんねぇけど」と言う。
 途端に陽太は押し黙る。
 謙人は慌てて「いや、でもさ」と取り繕うように言った。
 変えようぜ、と。
「仮にセックスがしたくて体の関係をもったとしても、関係なんて変えられるだろ」
「そうなのか?」
「多分」
「……」
「あー……悪い。俺もセフレとか居ないし分かんねぇ。普通に付き合うし……。どうするかな。んー、質問小袋で聞いてみるか? はは……」
 陽太は二十秒ほど微動だにせず、口を噤む。
 やがて、徐に携帯を取り出した。
 陽太の動きに遅れて気付いた謙人が、不思議そうに目を見開く。
「何してんの?」
「聞いてみる」
「はぁ?」
 謙人はすぐさま立ち上がり、隣に座ってきた。陽太の携帯を覗き込むと、「おい」と焦りを孕んだ声で言う。
「やめとけよ。こんなサイトろくな回答よこさねぇんだから」
「お前から言っただろ」
「冗談だって」
「でも俺らじゃ何もわかんねぇし」
「……まぁそうだけど。いやいや。でもさぁ。うわ、お前文章書くの早っ」
 陽太は直ぐ様投稿して、携帯を放る。文にすると一層、頭の中を整理できた。謙人が携帯を拾い、文章を黙読し始める。
 そこに書かれた質問文はシンプルだ。
《【ID 非公開さん】
恋愛に関して質問があります。アドバイスをご教示いただければ幸いです。

ずっと昔から幼馴染に恋をしています。
その人は自分からすればとても輝かしくて、憧れの存在で、自分とは不釣り合いの、子供の頃から好きな相手でした。
幸いにもその人と体の関係を結ぶことができました。
しかしセックスが終わると、すぐに解散です。いわゆるセフレという関係らしいです。
どうしたら自然に、恋人になれるでしょうか?》
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