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2 森良幸平 高校二年
11 体育祭
しおりを挟む幸平は二年B組だが、陽太はH組で、何をするにも離れている。
2クラス合同で行う体育の時間や演劇祭も、H組は関与しないし、校舎のクラスだって廊下の端にあるH組は遠く、滅多なことがないと幸平はそちらに向かわない。
修学旅行では2クラス合同で行動する時間もあったが、当然その際にもH組とは関わらなかった。
だから陽太とはあの夜以降、会話だけでなく顔を見ることすらできない。
——修学旅行から、家族への土産と共に東京に帰ってきてから、もう三週間近くが経っている。
また、いつもの毎日がやってきた。
陽太と関わりのない生活だ。
幸平としては気の抜けた日々だった。陽太とすれ違う機会すらないので、緊張も高揚もない。
しかし皆は違う。
修学旅行を終えたというのに、二年生徒たちは、帰ってきて早々次なる行事へと励み、活力にみなぎっていた。
「応援団キラッキラしてんなぁ」
我が校の体育祭は十月末に開催されている。
その日、秋晴れの晴天が学校の上空を覆っていた。
陽光に照らされたグラウンドには、生徒たちが溢れかえっている。
「うん、そうだね」
谷田につられて、男女混合の応援団たちを眺めながら幸平も呟いた。
体育祭はまだ始まっていない。朝の準備時間中で、あと数十分で学校長の挨拶が始まる。
特別やることのない幸平は先に校庭へやってきていた。追いかけてきた谷田が世間話を始める。
「女子団長、知ってる?」
「知らない」
「芹澤さんって言うんだけど、超美人。G組の子。ポニーテールしてる人。学ラン超似合う」
この学校の応援団は女子も男子も学ランを着ている。なぜかは分からないが、格好いいとは思う。
ポニーテールの女子は一人しか居なかった。確かに美人だ。
ぼんやりしていると、突然、背後にいたクラスメイトの女子たちがワァッと歓声をあげた。
彼女らは声を潜めて、嬉しそうに高い声で囁き合う。
「溝口さんたち来てる来てる……っ!」
「やっば、めっちゃカッコいい」
「関くん、髪青くない? いいなぁガチ好き」
「レベル違いすぎるよ、久しぶりに見たっ!」
「写真撮って、バレないように」
A組やB組など、H組から普段かけ離れているクラスの女子たちが騒ぎ出す。男子たちは「溝口軍団怖すぎる」「ララちゃん可愛すぎっだろ!」「太陽の下の溝口さん久しぶりに見た。服着てんのな」「カッコ良すぎて笑えてきた」とひっそりと噂していた。
「なぁ幸平。溝口さんってさ、肩んとことかタトゥー入ってるんだぜ」
谷田が耳打ちしてくる。
幸平は、例の集団から目を背けた。
「らしいね」
「今日はインナー着てんのな。先生から何か言われたんかな? 流石に体育祭では隠してくれ的なさ」
普段だって、服に隠れていてそこまで見えていない。
何にせよ内情は分からないから「だろうね」と幸平は小さく返した。
ポーチから日焼け止めを取り出す。朝に塗ったが、一応もう少し重ねておこうと蓋を外すと、谷田がいきなり腕を掴んできた。
「な、何?」
「それ塗る前にさ、幸平も顔書こうぜ」
「え……」
谷田が日焼け止めを奪ってくる。谷田の顔には、クラスカラーである緑色のペンで星のマークが描かれていたり、緑のシールやストーンがついている。
朝早くに生徒たちが集まるのは、こうした準備があるためだ。女子などはもっと凝っていて、髪を結ったりと、時間がかかる。
強制ではなく自主的なものではあるが、ほぼクラス全員が思い思いに化粧を施していた。強制でないので顔への装飾を避けている生徒もいる。そのうちの一人が幸平だった。
だがB組はクラス全体で仲が良い。ほぼ全員が、クラスカラーを纏う装飾を施していた。
幸平はしかし、これと言って参加していない。それも自由であるが、谷田としては不服らしい。
「ペン貸してやるからさ」
「俺はいいよ」
「えー」
谷田は頬を膨らませて、「みんなやってんだぞ」と言った。
幸平は軽く笑って答えた。
「うん、みんなしてるね」
「だから幸平もやろうぜ」
「でも……」
「谷田、いい加減にしろよ」
そこで言ったのは、クラスメイトの一人だった。
彼は割って入ると、強い口調で谷田を諌める。
「森良くんが書きたくないならそれでいいじゃん」
谷田が、あっ、といったような顔をした。
クラスメイトが参加してくるとは思わなかった幸平は、何の反応もできない。
続け様に、他の女子のクラスメイトが言った。
「森良くん、そしたら髪結わない?」
「え」
「森良くん髪綺麗だし、似合うと思うよ」
校庭にやってきた別のクラスメイトが「いいじゃん」と加担する。女子生徒は明るく笑った。
「少しだけ。だめかな?」
僅かに申し訳なさそうにしていた谷田も言った。
「そうだぜ幸平、髪とかやってもらえよ!」
「あ……えっと」
と断る間を与えられずにあれよあれよとクラスメイトに髪を弄られる。
彼女らの手つきは巧みで、幸平の黒髪はあっという間に装飾を施された。
鏡を見ていないので分からないが、彼女ら的には満足のいく出来に仕上がったらしい。
「はい。できた! 可愛い可愛い」
幸平の髪を弄った女子二人は、満足そうに告げる。
手鏡を向けられるが無意識に目を逸らした。一連の流れを眺めていた他のクラスメイトたちが口々に言う。
「森良って地味にイケメンだよな」
「髪、似合う似合う」
「なー」
「森良くん、似合ってるよ! 嫌だったら解くから言ってね」
女子たちはにこやかに気遣ってくれる。彼女らの優しさをしみじみ感じながら、幸平は「ありがとう」と心からの御礼を言った。
鏡を見なかったので実際にどうなっているかは確認はしていない。が、感触的に頭部の右上ら辺を纏められたらしい。手を伸ばしてみると、ピンが指先に当たった。皆が揃って髪を飾り付けている、緑のヘアピンなのだろう。
彼彼女らが幸平の元を去ると、谷田がまたしても後ろめたさを漂わせながら告げた。
「ごめんな、幸平」
「平気だよ」
幸平としては、本当に気にしていなかった。
笑って告げると、谷田も安堵を見せてくれる。
それから間も無く開会式が始まった。
スポーツは全く得意ではないが、大縄跳びなどクラス対抗の種目もあるので参加しないわけにはいかない。
幸平はクラスの足を引っ張らないようにと各種目に励んだ。運動は総じて不得意だが、クラスの皆が互いに励まし合って応援してくれるので精一杯頑張った。
汗と砂埃塗れになりながらも最善を尽くした。二学年の、クラスで団結する類の種目は午前で終わる。そのおかげで昼休憩は、どこか気の抜けた心地で迎えた。
昼食時には校庭か体育館かで食事を摂るように推奨されている。基本的に校舎への立ち入りは認められていない。
ただ、厳しく警戒しているわけではないので、こっそり教室で昼食をとる生徒たちもいるようだ。
幸平の場合は、担任教師から積極的に「クラスで食事を摂ってもいいし、空いた時間は休んでいてもいい」と推奨されていた。
確かに直射日光に晒されているのも辛さを感じる。お言葉に甘えて、昼食は教室で取ることにした。
谷田らと昼ごはんを食べようということになったが、係の関係で遅れるらしい。先に校舎へ入った幸平は、H組の方の廊下から自分のクラスへ向かう。
……ずっと、陽太がどこにいるのか気にしてはいた。
つまりは、陽太の近くにいる集団への意識だ。
校庭から消えたと思ったが、どうやら教室に戻ってきていたらしい。
H組から話し声が聞こえて、幸平は身を隠した。
H組の隣には、階段がある。踊り場に身を隠してしまえば、教室の中の人たちにも廊下の向こうから来た人物にもバレない。
話し声は総じて大きくて、その内容がくっきりと聞こえた。
「芹澤ってさ、絶対陽太狙いじゃね?」
やはり、教室にいるのは陽太の周りにいつもいる男女たちだった。
彼らは陽太を呼び捨てにしている。友達なのだ。
「お似合いじゃん。芹澤みたいなのが陽太に似合う」
「芹澤ってでも、男すぐ作んない?」
芹澤……応援団で目立っていた綺麗な女の人の名前だ。
彼女も、陽太を好きなのか。
胸が苦しくなって、幸平は階段に座り込んだ。B組へ向かうには、H組の前を通らなければならない。
でも、足が動かない。
『陽太』の名前を耳にしてしまったから。
「陽太って処女とか面倒くさいって思ってそうだから、丁度良いだろ」
「芹澤さん? あー、あの人、結構やばい人だけどね……」
「つーかさ、陽太、あの子と話してなかった?」
「あの子?」
男子の声が聞こえた。彼は記憶を掘り起こすような間で告げる。
「何だっけな……あのおとなしい子」
「俺も見た。お花係のやつだろ?」
幸平は目を見開く。
自然と息を止める。
「ほら、顔がちょっとさ」
心臓が嫌な音を立てた。でも呼吸は止まっている。時が止まったような幸平の世界に、「ああ!」と他が反応を示した声が響く。
「森良くん?」
息ができない。
幸平は目を見開いている。
「だれ?」
「A組の子だよ。花壇によく居るじゃん。いつも制服着てる子。優等生くん」
「え……、あの子と? 陽太が? マジで?」
「見間違いでしょ」
「いや、俺見たって」
体も思考も滞っているのに、なぜか直ぐ気付いた。
修学旅行での夜を見られていたのだ――……。
「なになに? 森良くんの話?」
「森良だ、そうそう。そいつと陽太が話してた。京都でさ」
「嘘でしょ。陽太と? 全然合ってなくて逆に笑える」
「釣り合ってなさすぎるよな」
「森良くんか弱そうだし」
「陽太と話したらビビっちゃうだろ。つか何話してたんだろ?」
「森良くん可愛いよねぇ」
幸平は両手で唇を塞いでいる。
耳を封じるよりも、声を出してはいけないと思ったからだ。
そこで、新しい声が混じった。
「何話してんの」
――陽太くんだ……。
短い言葉だったが、すぐに分かった。
「あ、陽太!」
幸平は気付けなかったが、陽太は廊下の反対側からやってきたらしかった。
男子の声のあと、女子の声が続く。
「森良くんの話」
「は? 何で?」
陽太が素っ気なく返す。
女子生徒が興味津々に問いかけた。
「陽太、実は仲良いの? 森良くんと」
「……」
「あの子可愛いよね」
心臓が激しく音を立てている。
幸平は、指先一つ動かせなかった。
耳を手で覆うこともできなくて、無防備な鼓膜にその言葉が響く。
「仲良いとかじゃない」
陽太は苛立った口調で続けた。
「可愛いとかじゃねぇから」
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