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コウちゃん
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コウちゃんは、かなりの美人だった。下半身はちょっと太いけど。
でもそれは、中学生という発達途上の肉体にとって許容される範囲の太さであり、なにより顔の美しさがその欠点をおぎなって余りあった。
それほどの美人と、僕は仲がよかった。仲がいいといっても、恋愛感情には至らないレベルの仲のよさである。
仲がよかったのは、子供の頃から近所だったからだ。
コウちゃんは中学では陸上部に所属していた。中距離と長距離の選手だった。毎日走っていた。ひたすら走っていた。
ある日のことだった。夕暮れのグラウンドで一人ひたすら走っているコウちゃんを僕は見かけた。そのひたむきな姿になんだか感動してしまい、僕は立ち止まった。そして彼女が練習を終えるのを何となく待っていた。
やがて、彼女も僕に気がついたようだった。スピードを緩め、僕の方に走ってきた。
「どうしたの」
「いや。ちょっと居残りで練習してたら遅くなって」
特に理由があったわけではないので、僕はそれ以上の答えに詰まった。そして自分でも思いがけないことを口走っていた。
「コウちゃんは、なぜ走るの」
コウちゃんは小首を傾げ、僕を見上げるとにっこりと笑った。パーフェクトな笑顔があるとすればこういう笑顔だろうと思わせるような、完璧な笑顔だった。そしていった。
「いざという時、逃げるためよ」
額に汗の粒が浮き出ていた。それが夕日を受けてきらきらとオレンジ色に輝いて、とてもきれいだった。「それから、この町からいつか出て行くため。かな」
僕たちが暮らすのは人口が1万人と少しのとても小さな町だ。たいていの人が顔見知りで、それで安心という人もいるが僕にとっては息苦しい町だった。コウちゃんもまた同じことを考えていたのかもしれない。
「逃げ出す時に、誰にも追いつかれないように」
僕はちょっぴり感動してしまった。僕も自分が暮らす環境に対しては息苦しさを感じていたが、そこまで考えをまとめていなかった。それにまさかそういう理由で陸上の部活に汗を流している女の子がいるとは思いもよらなかったからである。
その日、僕たちは一緒に帰った。すごく久しぶりのことだった。たしか、小学校の集団登校以来の経験である。
「それにしてもみんな、なんで部活なんかやってるんだろうねえ」
夕暮れの道を、ぶらぶらと歩きながらコウちゃんはつぶやいた。「ねえどう思う?」
コウちゃんは僕の顔を見上げた。僕はバレーボールの選手なのでいちおう背は高いのだ。
「そんなこと、考えたこともなかった」
僕は正直に答えた。「中学に入ったら、何か適当な部活を選ぶのが当たり前だと思っていたから」
「なんでそんな風に考えたわけ」
「だってみんなそうしてるから」
「みんなそうしてるから。みんなそうしてれば、そうするの?」
「いや。そんなことは」
正直いって僕は困った。そういうことで問い詰められたことはなかったから。深く考えたこともなかったし。
「じゃ、みんなが戦争に行けば、戦争に行くわけか」
「そりゃ極端な」
「でも、きっとそうだよ。きっとそうなる」
確信に満ちた口ぶりで、コウちゃんがいった。「原発再稼働にも賛成するんだ」
「なんでそこまで話が飛ぶわけ」
「こんなことを考えている私って変?」
「いや。そんなことはない。かな。むしろすごいんじゃない。中学生で、そんなこと考えてるなんて」
「とって付けたようなこといって」
コウちゃんはにやにやと笑いながらいった。「ばっかみたい」
僕には何ひとつ反論ができなかった。それからしばらく僕たちは何も話さないままただ歩いた。
「部活のことなんだけど。話は戻って」
「うん」
「私なんか、走り続けたところでオリンピックなんか出られるわけじゃないし」
「そりゃ、そうかもしれないね」
「君だってそうでしょ。バレーボール、どんなに一生懸命打ち込んだって将来どうなるものでもなし」
「そ、そうかな」
「日本代表にでもなるつもり?」
「まさか。そんなの無理だ」
「じゃどうするのよ」
身も蓋もないコウちゃんの言葉に僕はすこし慌てた。僕がバレーボールを始めたのは、実は女の子にもてたいがためだった。極めて不純な動機である。バレーボール部はそこそこに強く、僕の通う中学では女の子に人気があった。所属しているだけで女の子にもてる要因になったのである。もちろん入部の時はそんな本音はおくびにも出さなかったけど。
「なんでバレーボールなんかやってるの」
「ジャ、ジャンプするのが好きなんだ」
僕は苦しまぎれにいった。事実、走ることよりは飛ぶことの方が好きだったのだが。
「そうなんだ。私は走ることの方が好きよ」
「そう。そりゃ、よかった」
再び、それ以上なにを話していいのかわからなくなった。僕は困ってしまった。
「北村くんはどうする? 中学出てからもバレーボール続けるの」
ふいにコウちゃんがいった。
「そうだなあ」
そのことは真剣に考えたことはなかった。僕はあんまり将来のことを考えるのは得意ではない。「続けてもいいし、続けなくてもいいかな」
「そっか。そんなもんか」
コウちゃんは空を見上げた。
どうでもいいみたいだった。僕のことなど。
「私はね」
コウちゃんがいった。「走り続けるよ。だから、北村くんも飛び続けて」
彼女のそのひと言のおかげで、僕は今もパイロットとして空を飛び続けている。
でもそれは、中学生という発達途上の肉体にとって許容される範囲の太さであり、なにより顔の美しさがその欠点をおぎなって余りあった。
それほどの美人と、僕は仲がよかった。仲がいいといっても、恋愛感情には至らないレベルの仲のよさである。
仲がよかったのは、子供の頃から近所だったからだ。
コウちゃんは中学では陸上部に所属していた。中距離と長距離の選手だった。毎日走っていた。ひたすら走っていた。
ある日のことだった。夕暮れのグラウンドで一人ひたすら走っているコウちゃんを僕は見かけた。そのひたむきな姿になんだか感動してしまい、僕は立ち止まった。そして彼女が練習を終えるのを何となく待っていた。
やがて、彼女も僕に気がついたようだった。スピードを緩め、僕の方に走ってきた。
「どうしたの」
「いや。ちょっと居残りで練習してたら遅くなって」
特に理由があったわけではないので、僕はそれ以上の答えに詰まった。そして自分でも思いがけないことを口走っていた。
「コウちゃんは、なぜ走るの」
コウちゃんは小首を傾げ、僕を見上げるとにっこりと笑った。パーフェクトな笑顔があるとすればこういう笑顔だろうと思わせるような、完璧な笑顔だった。そしていった。
「いざという時、逃げるためよ」
額に汗の粒が浮き出ていた。それが夕日を受けてきらきらとオレンジ色に輝いて、とてもきれいだった。「それから、この町からいつか出て行くため。かな」
僕たちが暮らすのは人口が1万人と少しのとても小さな町だ。たいていの人が顔見知りで、それで安心という人もいるが僕にとっては息苦しい町だった。コウちゃんもまた同じことを考えていたのかもしれない。
「逃げ出す時に、誰にも追いつかれないように」
僕はちょっぴり感動してしまった。僕も自分が暮らす環境に対しては息苦しさを感じていたが、そこまで考えをまとめていなかった。それにまさかそういう理由で陸上の部活に汗を流している女の子がいるとは思いもよらなかったからである。
その日、僕たちは一緒に帰った。すごく久しぶりのことだった。たしか、小学校の集団登校以来の経験である。
「それにしてもみんな、なんで部活なんかやってるんだろうねえ」
夕暮れの道を、ぶらぶらと歩きながらコウちゃんはつぶやいた。「ねえどう思う?」
コウちゃんは僕の顔を見上げた。僕はバレーボールの選手なのでいちおう背は高いのだ。
「そんなこと、考えたこともなかった」
僕は正直に答えた。「中学に入ったら、何か適当な部活を選ぶのが当たり前だと思っていたから」
「なんでそんな風に考えたわけ」
「だってみんなそうしてるから」
「みんなそうしてるから。みんなそうしてれば、そうするの?」
「いや。そんなことは」
正直いって僕は困った。そういうことで問い詰められたことはなかったから。深く考えたこともなかったし。
「じゃ、みんなが戦争に行けば、戦争に行くわけか」
「そりゃ極端な」
「でも、きっとそうだよ。きっとそうなる」
確信に満ちた口ぶりで、コウちゃんがいった。「原発再稼働にも賛成するんだ」
「なんでそこまで話が飛ぶわけ」
「こんなことを考えている私って変?」
「いや。そんなことはない。かな。むしろすごいんじゃない。中学生で、そんなこと考えてるなんて」
「とって付けたようなこといって」
コウちゃんはにやにやと笑いながらいった。「ばっかみたい」
僕には何ひとつ反論ができなかった。それからしばらく僕たちは何も話さないままただ歩いた。
「部活のことなんだけど。話は戻って」
「うん」
「私なんか、走り続けたところでオリンピックなんか出られるわけじゃないし」
「そりゃ、そうかもしれないね」
「君だってそうでしょ。バレーボール、どんなに一生懸命打ち込んだって将来どうなるものでもなし」
「そ、そうかな」
「日本代表にでもなるつもり?」
「まさか。そんなの無理だ」
「じゃどうするのよ」
身も蓋もないコウちゃんの言葉に僕はすこし慌てた。僕がバレーボールを始めたのは、実は女の子にもてたいがためだった。極めて不純な動機である。バレーボール部はそこそこに強く、僕の通う中学では女の子に人気があった。所属しているだけで女の子にもてる要因になったのである。もちろん入部の時はそんな本音はおくびにも出さなかったけど。
「なんでバレーボールなんかやってるの」
「ジャ、ジャンプするのが好きなんだ」
僕は苦しまぎれにいった。事実、走ることよりは飛ぶことの方が好きだったのだが。
「そうなんだ。私は走ることの方が好きよ」
「そう。そりゃ、よかった」
再び、それ以上なにを話していいのかわからなくなった。僕は困ってしまった。
「北村くんはどうする? 中学出てからもバレーボール続けるの」
ふいにコウちゃんがいった。
「そうだなあ」
そのことは真剣に考えたことはなかった。僕はあんまり将来のことを考えるのは得意ではない。「続けてもいいし、続けなくてもいいかな」
「そっか。そんなもんか」
コウちゃんは空を見上げた。
どうでもいいみたいだった。僕のことなど。
「私はね」
コウちゃんがいった。「走り続けるよ。だから、北村くんも飛び続けて」
彼女のそのひと言のおかげで、僕は今もパイロットとして空を飛び続けている。
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