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終章 大団円
しおりを挟む美しい緑青色の都のほぼ中心に位置する『第一庭園』は、この都で最も神聖な場所だ。
手入れの行き届いた青々とした木立ち。
小川のせせらぎと清らかな水の匂い……。
心安らぐ景観を求め、訪れる人は後を絶たない。それでいてこの場所が人々の喧噪に侵されないのは───浄化作業も行われてはいるが───人々の、庭園を大切に思う気持ちが古より連綿と続いているからだろう。
この世界では全ての在り様の根本が、“気”───リーレンティアールによって成り立っているのだから。
そんな庭園の中で、若草色の周囲とはほんの少しだけ趣を異にしたエリアがある。
淡い紅や赤、黄、薄紫……。様々な種類の花々が咲き誇り、空気までもが色づく一隅に───突如、女の子が現れた。
ガックリと片膝をついた女の子はそのまま動かず―――というより、その顔に浮かぶ苦しそうな───まるで長距離を走り終えた時のように激しい息遣いからしばらく回復できずにいた。
丸襟・長袖の白色のワイシャツと紺色のリボン、チェック柄のスカート、黒のハイソックスと同色の靴。
身に纏うそれらはやがてその形を変える。
襟元をきつく閉じるリボンは消え、カチッとしたワイシャツからチュニックへ、スカートから黒のズボンへ……。
肩を覆う長さの髪は、限りなく黒に近い―――しかし決して同種ではない───艶やかな栗色。
息が整い、ゆっくりと見開いた瞳は、いつも新鮮な驚きを湛えているかのような黄玉色。
険を含まぬごく平凡な顔立ちには意志の強さと、まだ残る幼さがどこかアンバランスに同居していて、それが彼女の特徴にもなっている。
「!───」
不意に彼女は顔を上げた。
足音……は、あとから。人が駆けてくる───空気が震える波動を感じて、彼女はその方向に目を凝らすと、それを待った。
「アストレア!!」
性格も容姿も全然違う。なのによく似た声質、ほんの少しだけ高いトーン。聞き慣れた……。
「───ディー」
息急き切って現れた、憎らしくも大好きな幼馴染み―――に、彼女は思わずあやふやな笑みを浮かべていた。
「……レア、か……」
その明るく、利かん気な性格と見事に対照している暗青色の───この麗しの都・サルファディアザールの基調色の一つ、セルリアンブルーとは全く違う───瞳を、逸る想いで鮮やかに煌めかせたディーは、同じく幼馴染みの気の置けない女の子、レアをどこかいつもとは違った感じでしみじみと見つめた。
「ディー……フェルディ?」
首を傾げる、今まで一度も異性だなんて意識したこともない、ケンカ友だち。
―――そう遠くはない未来の、……。
「なによ……どっか変?」
レアはどこか戸惑っているらしいディーに逆に困惑して、わざとトボケけた口調で尋ねた。
「……いや。べつにそーゆー意味じゃ……」
「じゃどーゆー意味よ?」
「……あのなぁ」
彼は呆れたようにレアを見つめ───それから息を吸って、一気に捲し立てた。
「おまえ、行方不明だったんたぜ? すっげぇ大騒ぎして、やぁっとのことで見つけたと思ったら記憶失くしてて……一時はどうなることかと思ったりしてよー。それがやっと元に戻って……オレだって、ああよかったなとかホッとするとか……───いろいろあんだよっ!」
「あ……」
レアはポリポリと栗色の頭を掻いた。
「まっ、すっとぼけてたおまえにゃ分かんねーだろーけどよっ」
「すっ……って、なによっ、それ!」
謝ろうなんて思った意識もすぐに消え、レアは大声で言い返した。
それにはディーがすかさず言い返す―――彼の、伝家の宝刀を。
「兄貴なんか見てらんなかったんだぜ! あの人がさ、顔色失うトコ、オレ初めて見た」
「―――」
デュア、とレアは胸の内で呟いた。
「……ま、オレが言うコトじゃないけどな」
効果が覿面すぎたことを悟ったディーは思わず語尾を小さくした。
「ううん」
レアは真摯な表情になって首を振った。
「悪いと思ってる。デュアにも───……その、あんたにも」
「……まー……その辺は……」
案外気の強い幼馴染みに珍しく素直に謝られて、ディーはバツが悪そうに天を仰いだ。
彼には後ろめたいことがあり、あまりこの話題を広げたくないのだ。
「―――このあとさ、フツーの顔して家戻れよ。おまえ、六日間こっちいなかったんだけど、おまえの親、ちょうど家空けてたろ。デュアが知り合いの力も借りて動いてたから、言って心配かける必要もないかと思って黙ってたんだ。二日前、戻ってきたけど、もうそん時は向こうでおまえ見つけてなんとかなりそうだったから、おまえはユテルナの市場までデュアと行ってることにして、親には何も言ってない」
「え!?……え? あ、そうなんだ……。え? 六日間……?」
レアは呆然と呟いた。
別世界での礼亜としての数カ月間が、彼女の頭の中を───いや体全体を一瞬にして走り抜け、そして消えていった。
それだけレアにとって、あの数カ月間はある意味夢まぼろしのような───現実味の薄い出来事だったのだ。
「───ホント冷や冷やだったんだぜ。おまえの親にいつホントのこと言おうかと……」
「いや……うん。何も知られない方が、ありがたいかも」
「だろー? 時空の狭間に落っこっちて、違う世界に行ったかもなんて言えねーよ」
「うん……かなり大ごとになるよね」
「だから、今日はおまえはユテルナから帰ってきたって体で親に会えよ」
「市場の様子とか聞かれるんだろうなぁ……。どうしよ」
「市場なんて前行った時とそう変わってねーだろ。適当に答えとけよ」
「うーん……」
会話は続く―――当面は実務的なことを。
それ以外にもいろいろお喋りの種が尽きない二人は───それでなくとも長い間喋ってなかったので───夢中で話しながら、神聖なる───心安らぐ『第一庭園』を後にした。
* * * *
両親の離婚でずっと離れて育ったデュアとディーは、三年前、両親が和解したのを機に兄が弟の住む街までやってきて、二人は隣同士になった。
一人っ子のレアは、そんな兄弟の絆というか心遣いを羨ましがったが、へそ曲がり……というよりそんな年頃だったディーは、
「―――この街の方が今度デュアが配属された占師の館に近いからだろ」
と憎まれ口を叩いていた。もちろん、内心は嬉しいのだ。
身近にいたレアは───言葉にしなくても───それがよく感じられた。
ディーと兄弟の母キャロ、そしてデュアの住む家は、二階建ての二軒が繋がったテラスハウスで、当然、二世帯は玄関も内部も独立している。だが、建物の前にある庭の仕切りを取り除き、兄弟はわざわざ玄関を迂回せずに互いの部屋の行き来に使っていた。
元々ディーは外との出入りも玄関からではなく庭からしていて(そしてキャロも気にする人ではなかったので)、レアも彼を訪れるときはよくそこを使っていた。しかし三年前、デュアが引っ越してきて、ある時いつも通り飛び込んだ庭でデュアと鉢合わせてからは玄関を使うようになった。
デュアが何か意思表示した───わけではなかったが、彼に憧れていたレアはなるべくディーみたいに雑で乱暴だと思われたくなかったのだ。
とはいえ一年前、晴れて両想いになれてからは、あまり普段の自分とはかけ離れた行動はかえってしないよう努めていたが……。
* * * *
レアがこの世界に戻って一週間後、その兄弟のテラスハウス、デュアの家の方で彼女は“ウワサの恋人”フローレに紹介された。
六日間この世界にいなかったせいで───というより、多分二回も時空の狭間を行き来して世界を越える力を使ってしまったせいで───レアは家に帰った途端、寝込んでしまった。
幸い、両親は旅行に出かけたせいだと思ってくれたようだ。
マーセイと呼ばれる精神個体を構成する三つのエネルギー―――トリージ、スィン(特化)、レーラズ。
そのスィンの中でも特に扱いが難しい、距離を越える力や時を越える力よりさらに───そもそも生まれつきの所有者が極端に少ないといわれる世界を越える力。
全てが精神エネルギーで成り立つこの世界は、いくつもの物質世界と密接に隣り合っている───ことは学問上、証明されている。
とはいえ世界と世界が触れ合うこと───重なり合うことはまずない。
時空が一時的に混乱し、その可能性が高まる“時空嵐”が都の外のある場所で局地的に発生することは知られていたが、実際には百年に一度あるかないかと言われていて、気にする者はほとんどいなかった。
だからレアもその場所へ気軽に(あるいは迂闊に)足を踏み入れたのだ。
学者でもない限り、この世界の住人にとって他の世界の存在は限りなく無縁に近く、知識として自分たちの世界が唯一ではないことが頭に入っている程度───に過ぎなかった。
世界の存在が揺らぐ百年に一度の時空嵐と、持つ人の稀な世界を移動する力。この二つに加えてもう一つの不確定的な要素が合わさり、レアのあちらの世界への移動が実現した。
今回のことで、図らずもレアがアニティスを備えていることが判明したわけだが、リレンティ(リーレンティアール)の生来の総量が人並み外れて大きく、さらに長い修練を重ねて発現させたのならともかく、“ただ持っているだけ”のレアがそれを無意識に使ってしまったことは無謀でしかないと───デュアは珍しく彼女に説教した。
それは期せずしてレアに“上総先生”を思い出させた。
この世界に生きてきて、今まで意識したこともなかった“違う世界”。
実際に体験したレアにとって、“礼亜”としての世界があまりにも親和性が高いことに驚かされた。
と同時に、もちろんあまりにも異質ではあったのだが……。
辛かった違和感。
“ココデハナイ”感覚。
それでも、甘酸っぱくもじれったい───なんともこそばゆい思いとともに目に焼き付いている───デュアの教師姿。
それは苦肉の策───レアに不審がられずに近づくための───だったらしい。
大変な心配をかけただけではなく、そんな迷惑や手間までかけさせてしまって───レアはもう二度と同じようなことはしないと、真剣に彼に対して誓った。
“上総先生”───。皮肉なことにもう本人には言えない、あの淡くて甘い感傷を心の奥底へと押し込め……。
意外だったのはディーだ。
彼は寝込んでしまったレアにひどく気を遣い、毎日家に顔を出して用事を請け負ってくれたり、商売をしている両親を手伝ってくれたりして、普段の彼を知っているレアをかなり驚かせた。
そこまで気を遣ってくれなくても…、と逆に案じてしまったレアは、いつの間にか憧れの君だったデュアより、遠慮のいらない幼馴染みだったディーの方をより“友だち”として気を遣うようになっていた―――ことに本人は気づいていなかった。
* * * *
「っ……!」
もうほとんど気がついてはいた―――とはいえ、再び世にも麗しい人の姿を目の前にして、レアは絶句した。
この誇り高い都そのものを具現化したようなエメラルドグリーンの瞳で見つめられ、親しげに手を取られてはすでに硬直の域だ。
しかし、緩やかに波打つ長い髪はあの鮮やかな金色ではなく、人の踏み入らぬ山奥の湧き水ような銀色―――プラチナブロンドであることは見過ごせず───、
「……髪……あの時とは……」
思わず口にしかけ、慌てて口を噤んだ少女に、
「───ああ。きみはこの色の方が気に入ってくれていたんだっけ?」
と、いかにもなんでもない口調で言っている最中にも、白く輝く銀が、光がしたたり落ちるような金に変わった。
「!!!!」
目を見張るしかない、眩しいくらいの急激な変化に、
「……変えられるんですね……」
端正な白いおもてを縁取る波打つ金髪に呆然としながら、レアは感嘆の声を漏らした。
爪先から指の先まで精神エネルギーでできているこの世界の住人は、一個体の姿形もまた基本的に不定形なエネルギーが形作っているにすぎないが、大抵はスィン(この場合は『個々が持つエネルギーの特色』)に大きく左右され、自ずからその定型は決まっていた。
それを目に見える形というのだが、希に己自身で完璧にコントロールできる者がいる。
この麗人もその一人なのだろう。
初めて近しい距離で目にしたレアはひとしきり驚いてから合点した。
これで“ウワサの恋人”は、確かに“絶世の美人”だったことが証明された。
「レア、フローレは……」
「ああ。正式にはね、私の名前はアルラインフローレっていうんだ。アルとかアルラインとか普通呼ばれるはずなんだけどね。ちなみにこの兄弟の父親の知り合いでね。だから二人のことは小さい頃から知っているんだ」
麗人―――フローレ―――は、魅惑的な声音でデュアの言葉を奪い、にこやかに説明した。
「―――」
その笑みがあまりに美しくて、レアは言葉もなく目を奪われた。
これがいかにも儚げな女性だったり、反対にきつそうなところがあれば───自分だって凡人だから───やはり反感を抱かずにはいられなかっただろう。
「つまりイイ年なんだよ、こいつは」
同席していたディーがいつもの調子で口を挟んだ。すると、
「おや? 年長者に『こいつ』呼ばわりかい?」
フローレはデュアに対する慣れた様子、また、レアに見せる優しげな表情とはガラリと態度を変えてディーを見返した。
途端、グッと詰まったディー。
これはレアには珍しかった。
昔から腕白で気が強いガキ大将タイプの幼馴染みは、何をそんなにこの美人に主導権を握られているのか───いや、美人だからか。
…男の子だもんねぇ、ディーも───…
なんて暢気に考えていた彼女に、
「無性別―――セクサレス、なんだよ、私は。だからデュアと噂になってもちっとも面白くないし、私的にはあり得ないんだ」
「………」
突然、自分に向けられた(らしい)言葉に、レアは理解不能に陥った。
…え───?…
───“ウワサの恋人”は、噂通りの“絶世の美人”で、“美女”で―――。
「……え? え?」
「あ、やっぱそーゆー反応になるよなぁ」
ディーは同情しているのか、面白がっているのか、どちらともつかぬ口調で言い、
「―――ったく、紛らわしいったらありゃしない」
と、いくぶんわざとらしく溜め息をついた。
まるで度々この“美人”を巡るトラブルに巻き込まれている、とでも言いたいように。
「なに言ってる」
早速―――まるで当然のごとく、フローレが反撃した。
「紛らわしくした張本人はおまえだろ」
ギクンッとディーは肩を揺らした。
「ディー?」
―――彼らの会話の最中、デュアが何をしていたかというと、己の部屋の椅子に優雅に腰かけ、テーブルのカップに口をつけていた。
そして三人を面白そうに───もちろん、優しさも含まれてはいたが───いかにも興味深そうな眼差しで眺め、満足げな笑みを浮かべたまま一切口を挟もうとしなかった。
結局、一番奥が深い(というか不可思議な)人間は彼だろう。
でなければそれぞれに個性的なこの三人を、親友、弟、婚約者にしてはいない(弟は普通選べないが)。
レア───アストレアはいい子だが、実は膨大なリレンティの持ち主で、尚且つそれをまるでコントロールする気がないという無自覚のトラブルメーカーなのだ。
本人はひどく反省し、二度と無茶なことはしないと心から誓っているが、おそらく今回のようなことは、形を変え、これから先も起こり得るだろう。
「まーねぇ───」
「なっ、なんだよっ?」
何を言い出すのかとビクビクするディーに構わず、フローレは魅力たっぷりの流し目でデュアを見、それからレアに視線を移した。
え?とレアが目を丸くする。ついでに頬を赤らめている。
婚約者のこんな反応───。いい気はしないが、フローレ相手には仕方がないと、デュアは達観するしかない。
「―――幼馴染みがいつの間にか未来の義理の姉君ではねぇ……。ま、複雑なものはあるよね。よほど人間ができてりゃべつだけど、このディーじゃねぇ……」
「フローレ!」
「妹だったらまだマシだったかな。ディー」
「―――変わんねぇよ、そんなん」
プクーッと膨れてディーはそっぽを向いた。
「ま、これでこの悪ガキも反省しただろうし、レア、きみにも……」
そこでまたフローレの宝玉のような瞳がこちらを向いたので、レアの胸はまた勝手にドキリと高鳴った。―――この人は本当に心臓に悪い。
「―――デュアを無茶苦茶心配させた、ってのはあるけど無事戻ってこれたんだし、万事うまくいった方……じゃないのかな?」
「は……」
「そうだな。その通りだ」
どう返せばいいのか、言葉に困ったレアの代わりに口を開いたのはコトリとカップを置いたデュアだった。
レアはその時初めてデュアが一人さっさと座っているのに気がついて───四人が一堂に会した最初の挨拶以来、立ったままだった彼女は何となしに彼のそばまで近づいた。しかし、彼のすぐ脇の椅子に座る度胸は───人前だし───まだなかった。
代わりに、離れたところにある壁際のベンチボックスにディーがドスンと、まるで彼の気持ちを代弁するかのような乱暴な動作で腰を下ろした。
「レアは大変な目に合ったし、ディー、我々も苦労したし……でも、こうして彼女は戻ってきたんだから」
傍らからするデュアの声がディーに向けられているのに気づいて、レアは納得しつつも、なんだかおかしくなってしまった。
デュアもそうだが、フローレもからかいつつもディー───意地っぱりで素直に謝れない、またそんなのが似合わない───彼に代わって、レアにあのことを詫びているような、なんだかそんな気がしてしまったのだ。
「案外―――ウワサでもなかったりして」
そんなのはウソと噛みつけば、ディーだって、それ以上レアを惑わすことは言わなかっただろう。軽い気持ちで挑発しただけで、もしかしたら、あっさりと謝るつもりだったのかもしれない。
レアがいなくなったことで、ディーは自分が今回の件の引き金を引いてしまったことに気づき、後悔している。
レアにしてみれば、あれは自分や周囲を信じ切れてなかった自身が招いてしまった───作ってしまった───ハードルだったのだ、と今では思えるのだが……。
でもその辺の心境を言葉にして相手に告げることは、自分たち二人には相応しくないだろう…、とも思う。
きっとデュアもフローレも、ディーを責める気持ちはない。
おそらく何事もなくフローレをデュアの友人として紹介されていたら、その美貌にレアは怖じ気づき、決して悪い感情は持たなかったとしても、婚約者の友人あるいは直接の知り合いとして積極的に付き合っていけたかどうかは分からなかった。
だけど今ディーに向けられる、皮肉げで揶揄を含んだ笑みを見ていると───自分に向けられたものなら恐ろしいが───思いがけず親近感を持つことができた。
この人をきっかけに(この人自身の関与はゼロなのに)、自分はとんだ誤解をし、こんな騒動を引き起こしてしまった。
…ディー……それでもあんたにはわだかまりはないよ───うん…
それにレア自身も辛い思いをしたが、誤解は───知ってしまえば拍子抜けしてしまうくらい簡単に解けた。
…まさか“彼女”じゃないなんて───…
「………」
ストンとレアはデュアの隣に腰を下ろした。
「レア?」
「え?……おかわり、いる?」
彼女はデュアのカップが空なのに気づいて立ち上がりかけた。
「いいよ」
「うん……」
レアは、再び他愛のない軽口の応酬を始めた他の二人を見やった。
フローレは上品な笑みを浮かべてディーをからかっている。
その美貌に何も感じないのか、ディーはレアに対するときよりもさらに乱暴な口調で言い返しているが、本当に嫌だったらそもそも口をきかないだろう。
仲がいいのか悪いのか……。
レアから見れば理解しがたい、ラベルをつけにくい関係だったが、それこそ人と人との関係は十人十色。
好きにすればいいのだ。周囲の目や他人の思惑を気にすることなく。
───そう思えた自分は、もしかしたら以前よりほんの少しだけ、肩から力を抜いて、うまくやれるのかもしれない……。
「───」
顔をしかめるような───笑いを噛み殺すような───形容しにくい表情で、異性の親友とその兄で婚約者の友人を見つめているレア。
デュアは黙って微笑んだ。
「!」
何気なく視線を傍らに戻したレアはそれをもろに目にしてしまった。
フローレに見惚れるのとはまた違う───まるで時が止まってしまったかのように───ただ彼の微笑に釘付けになる自分を制しつつ、レアは「なあに?」と目で言ってみせようとし―――見事に失敗した。
無理なものは無理───。
幸せそうに顔を綻ばせ、慌てて頬を抑える彼女を見て、デュアはいっそう笑みを深めた。
「───まあ、多少は同情してやってもいいかねぇ」
「っせーな! フローレ!」
…やっぱり仲いい、のかな?…
「あるかー!」
───え?
「おはよーっ! んーっ、バターいい匂い!」
「れ、礼亜……」
「なあに? 母さん。あたし、顔ヘン?」
「えっ? え、いえ……」
「どうしたの? 母さん。父さーん!」
「だって……なんだか久しぶりじゃない? あなたの、その……」
「そうだな、久しぶりに朝の元気な声、聞いたな」
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「気にしてたのよ、あの事故以来、なんだか大人しくなっちゃったみたいで……」
「なぁに、それ? いーじゃん、おとなしーほうが。前は朝からうるさいってさぁ―――」
「まぁ、そんなこと」
「そうだ、おまえはうるさい方がいい」
「えーっ」
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「なにそれーっ。……まいっか。トーストおいしそう。母さんの焼き加減、サイコー!」
「ちょっと、いつまで食べてるの。時間大丈夫なの?」
「んー……あれ? ちょっとやばい……」
「今日、終業式でしょ。遅刻しないでよ」
「はいはい……。あーっ、うれしいっ! 明日っから冬休み~っ!」
「そうだな、どこか行くか―――」
「ホントーッ!?」
礼亜は腕を突き上げようとして、テーブルの上の皿をひっくり返した。
「きゃーっ!」
「れあ!」
* * * *
あなたに会うために、目を開ける。
夢から覚めたら―――そこは、わたしの世界。
End
(ここまでお読みいただきありがとうございました。麦倉)
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