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第1章 常春の星
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「リィン! リィン!」
舌っ足らずの可愛らしい声が誰かを呼んでいる。
荘厳だが、暗く重苦しい雰囲気の漂う神殿とは対照的な、裏手の森の日だまり。
神殿を囲む広大な森の一角で、周囲の若葉より鮮やかな、ライトグリーンの髪の若者が振り返った。
「エレイン! どうしてここに―――」
驚く声は、抱きつくというより飛びつくようにぶつかってきた子どものせいで途切れた。
「ひどいっ、どうしてここまで来て、わたしに会いに来てくれないの!?」
エレインと呼ばれた幼い少女は彼女を受け止めた相手に向かって、本気で怒っているのだという証拠に、そのリウ・アラームの民にしてはひどく色素の薄いエメラルドの瞳で相手を睨みつけた。
もっともそんな仕草も幼女がすれば愛くるしさが増すだけだ。
品のいい、二十才前後の若者、リーンも自然に浮かぶ微笑を自ら戒め、
「エレイン………」
困り果てた、という風に呟いてから長身を屈めて少女と同じ目の高さになった。
そして、
「エレイン。あなたはもうじき六つになるんですよ」
言い聞かせる口調になった。
すると幼い女の子───エレインは、
「そんなの知ってる」
『なんでそんな分かりきったことを言うの?』とでも言いだけな口調で答えた。
そんな仕草もいちいち可愛らしくて、リーンはもう一度、慌てて表情を引き締めなければならなかった。
「いいえ、分かってませんね。あなたはファラ・リュード───この惑星の生ける神なんですよ」
途端に少女は、何とも嫌そうな顔でそっぽを向いた。
リーンは彼女の両脇に手を回して抱き上げ、大木が横たわった天然の椅子に座らせた。すると彼が緩やかに少女を見下ろす高さになる。
「―――いくら私が皇族のメラントゥールといってもこんな風に会ってはいけないんですよ」
「………去年までは会ってくれたのに」
少女は果敢に言い返した。それにはリーンは微笑んで、
「私はあなたの父君、祭司長様の補佐をしていましたからね」
と答えた。
「あなたは父君の所で育てられていた」
「ラサーヌ!」
エレインはいきなり叫んだ。
「ラサーヌなんて大っ嫌いっ!」
こめられる限りの嫌悪をこめて。
リーンは理知的な頬を一瞬小さく歪めたあと、
「父君のことをそんな風におっしゃるものではありません」
と、軽く窘めたが、そこには同情がこもっていた。
少女は敏感にそれを察し、
「ねぇ、どうしてあんまり来ないの?」
並んで腰を下ろしたリーンの長衣の袖を引っ張った。
そんな甘えた仕草は子どもに縁のない、若い独身者のリーンをしばしば戸惑わせ、次の瞬間微笑ませた。
しかしそれはエレインが時折垣間見せる子ども離れした顔───すなわち『ファラ・リュード』としての人間離れした力───と同時に彼女の中には自然に存在し、その落差はリーンをしばしば驚かせた。
今は───幼い、子ども独特の純真な瞳がまっすぐに彼を見上げている。
「補佐役を代わったからですよ。最近の仕事はもっぱら王宮にあるのです」
その言葉のどこに不満を感じたのか、エレインはふっくらとした子どもらしい頬を膨らませると、本人には関係なく大人びた輝きを宿す瞳を険しくした。
「パムールに用がないからわたしと会うことなんかないってゆーの! いーもんっ、もうリィンになんか絶対会わないから! もう二度とここにきちゃだめっ! 足を一歩でも入れちゃだめよ!」
「エレイン………」
言い募るほど顔を赤くしていく少女をリーンは思わず腕の中に納め、そのまま軽く抱き締めた。
触れることはおろか会うことすら禁じられているまだ幼い神に、いけない行為だと分かっていても、リーンにはこの孤独な子どもを突き放すことはできなかった。
「いつも心配していたよ、きみのことは」
「うそっ」
もう半ば泣きべそをかきながら、少女はそれでも言い返した。
「パウレーに行って、きれいな姫君たちとおしゃべりばかりしてるんでしょ」
「こら、誰がそんなことをあなたに吹き込んだんです?」
リーンは少女を胸から離してその顔を覗き込んだ。
「誰がって………?」
エレインは不思議そうに彼を見つめ返した。
「あなたとラサーヌのほかに、誰がわたしに会うの?」
「!───」
誰も『ファラ・リュード』―――“神”に直接会うことは出来ない。それは許されないこと。
リーンは咄嗟に答えられなかった。
「そう………ですね。すみません、エレイン」
「ねぇ、明日も来て」
希望にキラキラと輝く瞳で覗き込まれて、リーンは咄嗟に返事に窮した。
すると鋭くその意味を察したエレインは急に表情を無くした。
「うそつき………。ラサーヌと同じ。わたしの言うことは一つも聞いてくれないで、みんなダメって言うの」
「嘘なんかついたことありませんよ」
「うそ」
それが嘘だと言わんばかりの口調で少女はきっぱりと言い切った。
「わたしのこと、心配なんかしてないじゃない。いっつも難しいことばっかり考えてるんでしょ。みんなわたしのことなんかどうだっていいの」
「そんなこと………」
人々の認識―――そして、この星の存在そのものに関わる根源からあまりにもかけ離れた言葉に、リーンは思わず息を飲んだ。
「―――そんなことあるわけないでしょう。あなたはこの星で一番尊い存在なんですよ」
「関係ないっ!!」
今度こそ思いっきり、リーンが思わず耳を塞ぎたくなるほどの金切り声を上げてエレインは丸太から飛び下りた。
「みんな大っ嫌い! とくにあなたはっ!」
リーンは駆け出しかけた少女をすぐに捕まえた。
「なに駄々をこねているんです? 機嫌を直して」
リーンは再び彼女が逃げ出さないよう、その肩を抱いて歩きだした。
そのゆったりとした歩調にエレインも気を変えたのか、黙っていつものようにリーンの手を探り当て、繋いでおとなしく歩きだした。
仲の良い、若い親子のような二人を森独特の静寂が包み込む。
気候のよいリウ・アラームの森林地帯は危険な大型獣は生息せず、散策にぴったりの穏やかな風景が広がっている。だが、この森の中心には神殿があるため近づく村人は滅多におらず、まして神殿のすぐ裏手になるこの辺りは、皆無といっていいほど人の姿はなかった。
遠くで甲高い鳥の鳴き声がする。
「みんな………ラサーヌはファラ・リュードが大事なの。わたしなんかどうでもいいの」
「………エレイン」
リーンはそれがずっと少女を悩まし続けてきた想いだと知っていた。
そのため彼は慎重に言葉を選び、
「あなたは………エレインとファラ・リュードは同じ人………同じものなんですよ」
と心を込めて答えた。
「―――今はまだ実感が湧かないかもしれませんが」
「でも大事なのはファラ・リュードの方」
少女は言い張る。
「違いますよ。皆………いえ、あなたを身近に知る者は、みんなあなたを大切に思うでしょう」
「身近な人ってだれ? あなたくらいよ」
「もちろん」
見上げてくる少女に彼は微笑んだ。
「私にとってきみは大切な子だよ。エレイン」
リーンは親しみと同情をできるだけ正確に伝えるために、再びくだけた口調を使った。
そうでなくても彼は定められた禁忌をとっくに犯している。今さら言葉くらい───と思った訳ではなかったが。
この星の生きた守り神に接することは───赤子の時に乳母がつく以外───世話をする侍女さえ拝顔することは許されなかった。ただ一人、実の父親であり、皇族を統べる祭司長だけが公の接見を認められている。
王族の実母は彼女が物心つかぬうちに亡くなっていた。
「―――本当?」
不意に、エレインが強く念を押した。
「え―――?」
「大切って本当?」
「………ああ」
リーンは慌てて強く頷いた。
しかしエレインはまだどこか不信を捨てきれない顔をしている。
だから、
「もちろん。いつもそう思っているよ」
彼はもう一度力強く頷いた。
「―――」
幼い女の子は束の間、一生懸命に考え込んだようだったが、彼がそれを問う間もなく顔を上げ、
「ねぇ、ずぅーっとそばにいてね」
とリーンに言った。
二人はいつの間にか立ち止まっていた。
「エレイン………」
リーンは困ったように顔を傾げた。
森の上からは淡い日の光が差し込んで、リーンの若い顔を美しく照らし出していた。
それはエレインの最も好きなリーンのうちの一つだ。
皇族の若者であるリーンは若々しく整った顔立ちをしているが、それは美しさより先に、聡明で理知的な印象を人に与えるものだった。
もっとも五つの子どもがそこまで考えるはずもなく、彼女はただうっとりと(リーンの目にはじっと)彼を見つめ続けていて、彼はとうとう根負けしたように両手を軽く挙げた。
「―――しようのない子だね。そばに、とは言えないけど近くにはいるよ」
「絶対?」
「ああ………。あなたが私を必要としなくなるまでね」
「そんなこと絶対ない!!」
エレインは勢いよく叫んだ。
「ずぅーっと永久にそばにいてねっ、約束よ!」
「はいはい。約束します。いつもあなたのことを思ってます」
リーンは左手を軽く胸に当てて宣言をするように答えた。そうした仕草や言葉はエレインを大いに満足させた。
「絶対ねっ。リィンっ、絶対っ!」
エレインはリーンが下ろした手を掴んで振り回しながら、
「わたしっ、早く大人になるの! そしてリィンといろんなとこに行くの!」
はしゃいで言った。
「いろんなとこってどこです?」
苦笑しつつもリーンはふと興味を引かれて、彼女の言葉を訂正するより先に尋ねていた。
「えっとね………」
少女はリーンの手を放すと一歩先にピョンと飛び出し、それから頭を巡らせて無邪気に叫んだ。
「南の方とか北の方っ! それからそら!」
「そら?」
リーンは思わず聞き返した。
少女の『そら』の意味は、『上空』と『宇宙』が混じり合っていた。
「うんっ。いつか行くの!」
エレインは無邪気に頷いた。
彼女の中では二つの言葉に境目がないらしい───と察したリーンは、
「ソラ、ね………」
と改めて呟いた。
彼はこの時、エレイン―――『ファラ・リュード』の無限の力をまざまざと感じていた。
この歳でどうして宇宙に出ることなど思いつくのだろう………。
この国―――リウ・アラームにはまだそんな概念すらないというのに。
この星のレベルは宇宙どころか科学という言葉すらまだ存在しない。
まして宇宙をいく船など想像できるはずもなく、過去に来訪の事実もない。
それなのにエレインはこの星の指導層―――王侯貴族が民にはひた隠しにしている、遠いテラからの使者を察知しているのだ。
神―――『ファラ・リュード』は何を思うのか。
創造の女神に見守られ、緩やかで優しい眠りをむさぼるこの星に、好意的とも侵略的ともまだ分からぬ未知の手が差し伸べられたのだ。
今こそ、その人知を超えた叡知を、無知なるリウ・アラームの民に示して欲しかったが、故意か偶然か分からぬまま、エレインは未だ幼生の言動を繰り返している。
そこまで考えて、リーンはラサーヌのエレインに対する態度―――未だ彼女を国政に参加させぬやり方に疑問を持った。
いっとき彼はラサーヌが親心から我が子エレインを、人とはかけ離れた生活を送ることになる『ファラ・リュード』として認めぬのかとも思っていたが、どうやらそうではないらしい。
おそらくエレインが敏感に感じている方が正しいのだろう。
ラサーヌは自分が神殿の奥深くに閉じこめている己の娘を、まだ『ファラ・リュード』とは認めていない。平凡な………国を導く存在にはほど遠い、取るに足らぬ子どもだと思っている。
そしてエレインは、ラサーヌが『ファラ・リュード』の発現を一日千秋の思いで待っていると感じているからこそ、彼の前ではかえって子どもじみた行動に出ていることも───リーンには分かっていた。
せめて実の父親が、もう少し我が子に人として慈愛深く接していたら………。
―――リーンにはどうにもならぬことだったが。
「………リィン?」
黙ってしまった彼を見上げて、エレインが不安そうに小さく呼びかけた。
「ああ、ごめん」
我に返ってリーンは笑顔を作った。意識して人に笑顔を見せようなどと、彼はエレインの前以外で考えたことはなかった。
「んーん………疲れてるの?」
「そうじゃないよ。大丈夫」
リーンはパステルグリーンの瞳を和ませた。
彼は傍らの少女が自分のことを心から慕ってくれているのを知っていた。だからこそ、余計憐れみを感じるのだ。
「エレイン」
不意に彼は足を止めて手を放し、膝をついて少女と向かい合った。
少女の肩にかかる淡いエメラルドグリーンの髪ごとリーンは華奢な両肩を強く掴んだが、エレインは嫌とは言わなかった。
「五つのあなたにこんなことを言うのは酷とは分かっているんだが………。あなたは普通の人とは全く違った存在として生まれてきたんだ。人とはかけ離れた能力を持っている。だから………リウ・アラーム―――この星のために、どうかリウ・アラームの守り神となることを拒まないで欲しい。―――結局、どこまでいってもあなたはあなた………エレインもファラ・リュードもあなたでしかあり得ないんだから。それだけは変えようのない真実だから。そんなあなたのために、私にできることがあるならなんでもするから」
―――何もできないかもしれないが、と続く言葉は、
「なんでもっ? なんでもしてくれるの?」
エレインに遮られた。
「ああ」
「じゃそばにいて! 一生そばにいて! してほしいのはそれだけ。それだけ叶えてくれたら、わたしはわたしの役目をちゃんとするから」
エレインは子どもらしい一途さでキッパリと言い切った。
リーンは目を細めて少女を見つめた。
「いい子だね。エレイン」
「約束よ」
重ねられた言葉に、リーンは笑みを消さぬまま頷いた。
「ああ」
「約束よ」
「ああ、エレイン………」
リーンはエレインの気が済むまで何度も頷いた。
「約束―――…」
森のざわめきが、木霊を静かに消し去っていく。
梢を揺らす優しい風。
穏やかに降り注ぐ明るい日の光。
それは永遠の森の風景───。
このときのリーンに、子どもとの約束を破る気などあろうはずもなく―――そして、もしこの約束が破られた時、二人がどうなっていくのかなどは想像しようもないことで………。
この時、リーンは二十才。
助祭を経て、その有能さから王族とのパイプ役―――王の補佐を務めるようになったばかりの頃だった。
エレインは五才―――あとひと月で六才。
すでに現人神としての自覚が芽生えているのか、いないのか………。
余人には窺い知れない領域だった。
───彼女自身以外には………。
舌っ足らずの可愛らしい声が誰かを呼んでいる。
荘厳だが、暗く重苦しい雰囲気の漂う神殿とは対照的な、裏手の森の日だまり。
神殿を囲む広大な森の一角で、周囲の若葉より鮮やかな、ライトグリーンの髪の若者が振り返った。
「エレイン! どうしてここに―――」
驚く声は、抱きつくというより飛びつくようにぶつかってきた子どものせいで途切れた。
「ひどいっ、どうしてここまで来て、わたしに会いに来てくれないの!?」
エレインと呼ばれた幼い少女は彼女を受け止めた相手に向かって、本気で怒っているのだという証拠に、そのリウ・アラームの民にしてはひどく色素の薄いエメラルドの瞳で相手を睨みつけた。
もっともそんな仕草も幼女がすれば愛くるしさが増すだけだ。
品のいい、二十才前後の若者、リーンも自然に浮かぶ微笑を自ら戒め、
「エレイン………」
困り果てた、という風に呟いてから長身を屈めて少女と同じ目の高さになった。
そして、
「エレイン。あなたはもうじき六つになるんですよ」
言い聞かせる口調になった。
すると幼い女の子───エレインは、
「そんなの知ってる」
『なんでそんな分かりきったことを言うの?』とでも言いだけな口調で答えた。
そんな仕草もいちいち可愛らしくて、リーンはもう一度、慌てて表情を引き締めなければならなかった。
「いいえ、分かってませんね。あなたはファラ・リュード───この惑星の生ける神なんですよ」
途端に少女は、何とも嫌そうな顔でそっぽを向いた。
リーンは彼女の両脇に手を回して抱き上げ、大木が横たわった天然の椅子に座らせた。すると彼が緩やかに少女を見下ろす高さになる。
「―――いくら私が皇族のメラントゥールといってもこんな風に会ってはいけないんですよ」
「………去年までは会ってくれたのに」
少女は果敢に言い返した。それにはリーンは微笑んで、
「私はあなたの父君、祭司長様の補佐をしていましたからね」
と答えた。
「あなたは父君の所で育てられていた」
「ラサーヌ!」
エレインはいきなり叫んだ。
「ラサーヌなんて大っ嫌いっ!」
こめられる限りの嫌悪をこめて。
リーンは理知的な頬を一瞬小さく歪めたあと、
「父君のことをそんな風におっしゃるものではありません」
と、軽く窘めたが、そこには同情がこもっていた。
少女は敏感にそれを察し、
「ねぇ、どうしてあんまり来ないの?」
並んで腰を下ろしたリーンの長衣の袖を引っ張った。
そんな甘えた仕草は子どもに縁のない、若い独身者のリーンをしばしば戸惑わせ、次の瞬間微笑ませた。
しかしそれはエレインが時折垣間見せる子ども離れした顔───すなわち『ファラ・リュード』としての人間離れした力───と同時に彼女の中には自然に存在し、その落差はリーンをしばしば驚かせた。
今は───幼い、子ども独特の純真な瞳がまっすぐに彼を見上げている。
「補佐役を代わったからですよ。最近の仕事はもっぱら王宮にあるのです」
その言葉のどこに不満を感じたのか、エレインはふっくらとした子どもらしい頬を膨らませると、本人には関係なく大人びた輝きを宿す瞳を険しくした。
「パムールに用がないからわたしと会うことなんかないってゆーの! いーもんっ、もうリィンになんか絶対会わないから! もう二度とここにきちゃだめっ! 足を一歩でも入れちゃだめよ!」
「エレイン………」
言い募るほど顔を赤くしていく少女をリーンは思わず腕の中に納め、そのまま軽く抱き締めた。
触れることはおろか会うことすら禁じられているまだ幼い神に、いけない行為だと分かっていても、リーンにはこの孤独な子どもを突き放すことはできなかった。
「いつも心配していたよ、きみのことは」
「うそっ」
もう半ば泣きべそをかきながら、少女はそれでも言い返した。
「パウレーに行って、きれいな姫君たちとおしゃべりばかりしてるんでしょ」
「こら、誰がそんなことをあなたに吹き込んだんです?」
リーンは少女を胸から離してその顔を覗き込んだ。
「誰がって………?」
エレインは不思議そうに彼を見つめ返した。
「あなたとラサーヌのほかに、誰がわたしに会うの?」
「!───」
誰も『ファラ・リュード』―――“神”に直接会うことは出来ない。それは許されないこと。
リーンは咄嗟に答えられなかった。
「そう………ですね。すみません、エレイン」
「ねぇ、明日も来て」
希望にキラキラと輝く瞳で覗き込まれて、リーンは咄嗟に返事に窮した。
すると鋭くその意味を察したエレインは急に表情を無くした。
「うそつき………。ラサーヌと同じ。わたしの言うことは一つも聞いてくれないで、みんなダメって言うの」
「嘘なんかついたことありませんよ」
「うそ」
それが嘘だと言わんばかりの口調で少女はきっぱりと言い切った。
「わたしのこと、心配なんかしてないじゃない。いっつも難しいことばっかり考えてるんでしょ。みんなわたしのことなんかどうだっていいの」
「そんなこと………」
人々の認識―――そして、この星の存在そのものに関わる根源からあまりにもかけ離れた言葉に、リーンは思わず息を飲んだ。
「―――そんなことあるわけないでしょう。あなたはこの星で一番尊い存在なんですよ」
「関係ないっ!!」
今度こそ思いっきり、リーンが思わず耳を塞ぎたくなるほどの金切り声を上げてエレインは丸太から飛び下りた。
「みんな大っ嫌い! とくにあなたはっ!」
リーンは駆け出しかけた少女をすぐに捕まえた。
「なに駄々をこねているんです? 機嫌を直して」
リーンは再び彼女が逃げ出さないよう、その肩を抱いて歩きだした。
そのゆったりとした歩調にエレインも気を変えたのか、黙っていつものようにリーンの手を探り当て、繋いでおとなしく歩きだした。
仲の良い、若い親子のような二人を森独特の静寂が包み込む。
気候のよいリウ・アラームの森林地帯は危険な大型獣は生息せず、散策にぴったりの穏やかな風景が広がっている。だが、この森の中心には神殿があるため近づく村人は滅多におらず、まして神殿のすぐ裏手になるこの辺りは、皆無といっていいほど人の姿はなかった。
遠くで甲高い鳥の鳴き声がする。
「みんな………ラサーヌはファラ・リュードが大事なの。わたしなんかどうでもいいの」
「………エレイン」
リーンはそれがずっと少女を悩まし続けてきた想いだと知っていた。
そのため彼は慎重に言葉を選び、
「あなたは………エレインとファラ・リュードは同じ人………同じものなんですよ」
と心を込めて答えた。
「―――今はまだ実感が湧かないかもしれませんが」
「でも大事なのはファラ・リュードの方」
少女は言い張る。
「違いますよ。皆………いえ、あなたを身近に知る者は、みんなあなたを大切に思うでしょう」
「身近な人ってだれ? あなたくらいよ」
「もちろん」
見上げてくる少女に彼は微笑んだ。
「私にとってきみは大切な子だよ。エレイン」
リーンは親しみと同情をできるだけ正確に伝えるために、再びくだけた口調を使った。
そうでなくても彼は定められた禁忌をとっくに犯している。今さら言葉くらい───と思った訳ではなかったが。
この星の生きた守り神に接することは───赤子の時に乳母がつく以外───世話をする侍女さえ拝顔することは許されなかった。ただ一人、実の父親であり、皇族を統べる祭司長だけが公の接見を認められている。
王族の実母は彼女が物心つかぬうちに亡くなっていた。
「―――本当?」
不意に、エレインが強く念を押した。
「え―――?」
「大切って本当?」
「………ああ」
リーンは慌てて強く頷いた。
しかしエレインはまだどこか不信を捨てきれない顔をしている。
だから、
「もちろん。いつもそう思っているよ」
彼はもう一度力強く頷いた。
「―――」
幼い女の子は束の間、一生懸命に考え込んだようだったが、彼がそれを問う間もなく顔を上げ、
「ねぇ、ずぅーっとそばにいてね」
とリーンに言った。
二人はいつの間にか立ち止まっていた。
「エレイン………」
リーンは困ったように顔を傾げた。
森の上からは淡い日の光が差し込んで、リーンの若い顔を美しく照らし出していた。
それはエレインの最も好きなリーンのうちの一つだ。
皇族の若者であるリーンは若々しく整った顔立ちをしているが、それは美しさより先に、聡明で理知的な印象を人に与えるものだった。
もっとも五つの子どもがそこまで考えるはずもなく、彼女はただうっとりと(リーンの目にはじっと)彼を見つめ続けていて、彼はとうとう根負けしたように両手を軽く挙げた。
「―――しようのない子だね。そばに、とは言えないけど近くにはいるよ」
「絶対?」
「ああ………。あなたが私を必要としなくなるまでね」
「そんなこと絶対ない!!」
エレインは勢いよく叫んだ。
「ずぅーっと永久にそばにいてねっ、約束よ!」
「はいはい。約束します。いつもあなたのことを思ってます」
リーンは左手を軽く胸に当てて宣言をするように答えた。そうした仕草や言葉はエレインを大いに満足させた。
「絶対ねっ。リィンっ、絶対っ!」
エレインはリーンが下ろした手を掴んで振り回しながら、
「わたしっ、早く大人になるの! そしてリィンといろんなとこに行くの!」
はしゃいで言った。
「いろんなとこってどこです?」
苦笑しつつもリーンはふと興味を引かれて、彼女の言葉を訂正するより先に尋ねていた。
「えっとね………」
少女はリーンの手を放すと一歩先にピョンと飛び出し、それから頭を巡らせて無邪気に叫んだ。
「南の方とか北の方っ! それからそら!」
「そら?」
リーンは思わず聞き返した。
少女の『そら』の意味は、『上空』と『宇宙』が混じり合っていた。
「うんっ。いつか行くの!」
エレインは無邪気に頷いた。
彼女の中では二つの言葉に境目がないらしい───と察したリーンは、
「ソラ、ね………」
と改めて呟いた。
彼はこの時、エレイン―――『ファラ・リュード』の無限の力をまざまざと感じていた。
この歳でどうして宇宙に出ることなど思いつくのだろう………。
この国―――リウ・アラームにはまだそんな概念すらないというのに。
この星のレベルは宇宙どころか科学という言葉すらまだ存在しない。
まして宇宙をいく船など想像できるはずもなく、過去に来訪の事実もない。
それなのにエレインはこの星の指導層―――王侯貴族が民にはひた隠しにしている、遠いテラからの使者を察知しているのだ。
神―――『ファラ・リュード』は何を思うのか。
創造の女神に見守られ、緩やかで優しい眠りをむさぼるこの星に、好意的とも侵略的ともまだ分からぬ未知の手が差し伸べられたのだ。
今こそ、その人知を超えた叡知を、無知なるリウ・アラームの民に示して欲しかったが、故意か偶然か分からぬまま、エレインは未だ幼生の言動を繰り返している。
そこまで考えて、リーンはラサーヌのエレインに対する態度―――未だ彼女を国政に参加させぬやり方に疑問を持った。
いっとき彼はラサーヌが親心から我が子エレインを、人とはかけ離れた生活を送ることになる『ファラ・リュード』として認めぬのかとも思っていたが、どうやらそうではないらしい。
おそらくエレインが敏感に感じている方が正しいのだろう。
ラサーヌは自分が神殿の奥深くに閉じこめている己の娘を、まだ『ファラ・リュード』とは認めていない。平凡な………国を導く存在にはほど遠い、取るに足らぬ子どもだと思っている。
そしてエレインは、ラサーヌが『ファラ・リュード』の発現を一日千秋の思いで待っていると感じているからこそ、彼の前ではかえって子どもじみた行動に出ていることも───リーンには分かっていた。
せめて実の父親が、もう少し我が子に人として慈愛深く接していたら………。
―――リーンにはどうにもならぬことだったが。
「………リィン?」
黙ってしまった彼を見上げて、エレインが不安そうに小さく呼びかけた。
「ああ、ごめん」
我に返ってリーンは笑顔を作った。意識して人に笑顔を見せようなどと、彼はエレインの前以外で考えたことはなかった。
「んーん………疲れてるの?」
「そうじゃないよ。大丈夫」
リーンはパステルグリーンの瞳を和ませた。
彼は傍らの少女が自分のことを心から慕ってくれているのを知っていた。だからこそ、余計憐れみを感じるのだ。
「エレイン」
不意に彼は足を止めて手を放し、膝をついて少女と向かい合った。
少女の肩にかかる淡いエメラルドグリーンの髪ごとリーンは華奢な両肩を強く掴んだが、エレインは嫌とは言わなかった。
「五つのあなたにこんなことを言うのは酷とは分かっているんだが………。あなたは普通の人とは全く違った存在として生まれてきたんだ。人とはかけ離れた能力を持っている。だから………リウ・アラーム―――この星のために、どうかリウ・アラームの守り神となることを拒まないで欲しい。―――結局、どこまでいってもあなたはあなた………エレインもファラ・リュードもあなたでしかあり得ないんだから。それだけは変えようのない真実だから。そんなあなたのために、私にできることがあるならなんでもするから」
―――何もできないかもしれないが、と続く言葉は、
「なんでもっ? なんでもしてくれるの?」
エレインに遮られた。
「ああ」
「じゃそばにいて! 一生そばにいて! してほしいのはそれだけ。それだけ叶えてくれたら、わたしはわたしの役目をちゃんとするから」
エレインは子どもらしい一途さでキッパリと言い切った。
リーンは目を細めて少女を見つめた。
「いい子だね。エレイン」
「約束よ」
重ねられた言葉に、リーンは笑みを消さぬまま頷いた。
「ああ」
「約束よ」
「ああ、エレイン………」
リーンはエレインの気が済むまで何度も頷いた。
「約束―――…」
森のざわめきが、木霊を静かに消し去っていく。
梢を揺らす優しい風。
穏やかに降り注ぐ明るい日の光。
それは永遠の森の風景───。
このときのリーンに、子どもとの約束を破る気などあろうはずもなく―――そして、もしこの約束が破られた時、二人がどうなっていくのかなどは想像しようもないことで………。
この時、リーンは二十才。
助祭を経て、その有能さから王族とのパイプ役―――王の補佐を務めるようになったばかりの頃だった。
エレインは五才―――あとひと月で六才。
すでに現人神としての自覚が芽生えているのか、いないのか………。
余人には窺い知れない領域だった。
───彼女自身以外には………。
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――キミは夢を捨てて、名声を捨てて、富を捨てて、その輝かしい未来を捨てて、それでも、わたしを選んでくれるかしら?
宇宙打撃空母クリシュナ ――異次元星域の傭兵軍師――
黒鯛の刺身♪
SF
半機械化生命体であるバイオロイド戦闘員のカーヴは、科学の進んだ未来にて作られる。
彼の乗る亜光速戦闘機は撃墜され、とある惑星に不時着。
救助を待つために深い眠りにつく。
しかし、カーヴが目覚めた世界は、地球がある宇宙とは整合性の取れない別次元の宇宙だった。
カーヴを助けた少女の名はセーラ。
戦い慣れたカーヴは日雇いの軍師として彼女に雇われる。
カーヴは少女を助け、侵略国家であるマーダ連邦との戦いに身を投じていく。
――時に宇宙暦880年
銀河は再び熱い戦いの幕を開けた。
◆DATE
艦名◇クリシュナ
兵装◇艦首固定式25cmビーム砲32門。
砲塔型36cm連装レールガン3基。
収納型兵装ハードポイント4基。
電磁カタパルト2基。
搭載◇亜光速戦闘機12機(内、補用4機)
高機動戦車4台他
全長◇300m
全幅◇76m
(以上、10話時点)
表紙画像の原作はこたかん様です。
夜空に瞬く星に向かって
松由 実行
SF
地球人が星間航行を手に入れて数百年。地球は否も応も無く、汎銀河戦争に巻き込まれていた。しかしそれは地球政府とその軍隊の話だ。銀河を股にかけて活躍する民間の船乗り達にはそんなことは関係ない。金を払ってくれるなら、非同盟国にだって荷物を運ぶ。しかし時にはヤバイ仕事が転がり込むこともある。
船を失くした地球人パイロット、マサシに怪しげな依頼が舞い込む。「私たちの星を救って欲しい。」
従軍経験も無ければ、ウデに覚えも無い、誰かから頼られるような英雄的行動をした覚えも無い。そもそも今、自分の船さえ無い。あまりに胡散臭い話だったが、報酬額に釣られてついついその話に乗ってしまった・・・
第一章 危険に見合った報酬
第二章 インターミッション ~ Dancing with Moonlight
第三章 キュメルニア・ローレライ (Cjumelneer Loreley)
第四章 ベイシティ・ブルース (Bay City Blues)
第五章 インターミッション ~ミスラのだいぼうけん
第六章 泥沼のプリンセス
※本作品は「小説家になろう」にも投稿しております。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
我ら新興文明保護艦隊
ビーデシオン
SF
もしも道行く野良猫が、百戦錬磨の獣戦士だったら?
もしも冴えないサラリーマンが、戦争上がりのアンドロイドだったら?
これは、実際にそんな空想めいた素性をもって、陰ながら地球を守っているエージェントたちのお話。
※表紙絵はひのたけきょー(@HinotakeDaYo)様より頂きました!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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