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6 とある施設にて
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カウンセリングルームの椅子に女が座っている。女は深く椅子に座り、足を組んでいる。ついでに腕も組んでいる。その表情は険しいもので、今の体勢と相まって、ものすごく高圧的な印象を受ける。
「データベースから情報は得ていると思うけど、私は空間大戦を経験したわ。兵士としてね。」
と、女はカウンセラーに言った。
空間大戦とは、人が死を克服するはるか昔に発生した大戦争である。この戦争は気が遠くなるほど続き、人間が死を克服しようと努力するきっかけにもなった。
今は、宇宙統一政府によって情報が封印、規制されている。むやみやたらに話すべきことではない。死を克服した人々の幸せな生活に、戦争の凄惨な記憶など必要ないのである。
「ええ、存じております。この部屋で話した内容は、外部に漏れることはありません。私とあなたとの間でしか、共有されません。カウンセリングルームはすべてから独立した空間です。もちろん、政府が介入することもありません。御安心を。」
「分かっています。さあ、カウンセリングを始めましょう。」
その高圧的な態度にひるむことなく、カウンセラーはカウンセリングを始める。
「では、カルテにあるトラウマの内容について詳しくお聞かせ願いますか。」
沈黙。
沈黙の後、女は足を組んだまま語り始めた。
「私は、前線で工作員として活動していたわ。破壊工作、諜報。暗殺はすでに無駄なことになっていたから、殆どしなかったわ。」
この時代、暗殺を行ってもそれは無意味なことになっていた。特定の誰かを殺しても、その思想はクローンが受け継ぐし、一人二人と殺したところで、戦争は止まらなかった。
「聞くだけだと地味で平和そうだけど、全然違う。敵の目と鼻の先で、息をひそめて爆弾を仕掛けたり、見つかって銃撃戦になったり。援軍が来ない状況で四方八方敵に囲まれて、補給が断たれて、拘束されて、拷問をうけて。まあ、覚悟の上だったから、ちっとも辛くは、なかったけど。」
少し言葉を詰まらせた女。顔色が悪い。
カウンセラーの手元の端末に、患者の体調の一時的な悪化を知らせる通知が出ている。セントラルコンピュータも注意を促している。
女は続ける。
「本題はここじゃないの。トラウマを負った出来事は、泥の中を這いつくばりながら敵から逃げたことでも、自分たちが仕掛けた爆薬が炸裂して、戦艦が真っ二つになって、そこから乗組員が宇宙に放り出された光景を見た時でも、銃撃戦で私の腕が吹き飛ばされた時でも、あの、拷問をうけた時でも、ないの。」
女は顔に手を当て、うなだれる。
すかさず、カウンセラーは水を差しだす。この水には、安心作用のある薬品や、天然由来の成分が含まれている。ほとんどの患者はただの水だと思って飲んでいる。
女はそれを知ってか知らずか、無言で受け取り飲み干す。
飲み干すと、再び前を向き話始める。その表情は少しリラックスしているようだ。
「私がトラウマを負ったのは、ある施設に情報を盗みに行った時よ。難なく侵入して、目的の部屋に向かっているとき、敵に見つかったの。見つかったというか、ばったり出会ってしまったの。相手が声を発するよりも先に、殺したわ。ハンドガンで三発。無抵抗の男を。」
身体の欠損やそれに伴う出血等の問題は、発達した医療により瞬時に解決できるレベルにあったのだが、それでも人を殺すことはできた。内部炸裂系の弾丸を使用したり、爆弾で木端微塵にしたりすれば、この時代の人は死んでいた。
女はおそらく特殊な弾丸を使用したのだろう。
少しの沈黙。
沈黙の中で、女は何度か深呼吸をしていた。
「あいつを殺したあと、データを盗んで、ミッションを終えた。終えてすぐ、本部に部隊の異動を志願したわ。ふふ、ショックだったんでしょうね、人を殺したのが。異動先はとある前線の戦闘部隊。汚れた手を洗おうと思ったの。血で。」
女は両手を上にあげ、照明に照らし始めた。汚れているところを確認するように。あるいは、汚れた手をまじまじと見つめるように。
手を光にかざしながら、女は続ける。
「何百人も何千人も、何万人も殺したわ。殺しすぎてその宙域の悪魔なんて言われたわ。悪魔と呼ばれる頃には、味方からも恐れられていたわね。あはは。」
照れ隠しのつもりで女は笑う。目は笑っていない。
「血で血を洗いきれないまま、戦争は終わったわ。あの時の苦しみが無くなっていると思ったから、私は不死手術を受けたんだけど、間違っていたみたい。死のない世界で、楽しく生きようって決めたのに、あいつはそれを許さなかった。」
女は椅子の上で膝を抱えうずくまっている。
突然、カウンセラーの手元の端末に警告が届く。
《警告。患者の脳内に軽度異常。視覚野に汚染確認。》
これは患者が幻覚を見ているときの警告である。
女は何を見ているというのか。
幻覚を見ているそぶりを見せぬまま、女は発言を続ける。
「あいつは私の目の前に現れるの。あいつが現れると、私は戦場に戻される。
あいつの頭には、穴が三つ空いているの。私が撃ったの。名前も知らない、声も聴かずに。私は、この人を…」
女はカウンセラーの後ろをちらちらと見ている。何もいない虚空を。
しばらくすると、女は嘔吐した。
嘔吐を予知していたカウンセラーは、すかさず袋の広げ吐しゃ物を受け止める。
嘔吐しながら、女は発言を続ける。
「この世界は二度と戦争をしない。人も絶対に死なない。私も例外なく死ぬことはない。だから永遠に罪を償い続けられる。」
女は泣きながら言った。
「よくわかりました。よくわかりましたよ。」
カウンセラーは背中をさすりながら言葉を繰り返した。
女が落ち着くまで、カウンセラーはずっと寄り添い続けた。
女が落ち着くと、今日のカウンセリングは終了した。
後日、女はカウンセラーに呼び出された。女は車に乗せられ、どこかに連れていかれる。
「どこに行くの。」
女は問う。
カウンセラーは答える。
「これから、治療を行うためにある場所に行きます。」
「新しい施設かしら。」
「いえ。これから向かうのはあなたがトラウマを負った場所です。」
驚愕する女。
「そんな。あの施設に行くの?というか、残っているの?」
「残っていました。データベースと照合した結果、一致するところがあったんです。トラウマを克服するにはトラウマと向き合うことが必要なんです。」
「私は、正気を保っていられる自信がないわ。」
「大丈夫です。専門の医師団も同行いたしますから。今日克服できなくてもいいんです。何度も何度も行きましょう。」
女は、施設のあった惑星に着くまで無言だった。
惑星に着くと、女は嘔吐した。
今日は施設に近づくことはできなかった。
顔色が悪いままの女にカウンセラーは問う。
「どうでしたか。」
「最高よ。あの男、笑っていたわ。ああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
「大丈夫、大丈夫です。少しずつですよ。」
カウンセラーが女にひどい仕打ちをしているように感じるかもしれないが、こうしなければ、トラウマは克服できないのである。トラウマと向き合うために、こういったステップを踏んでいかなければならないのである。
ゆがんだ信念を正さなければ、この病は治らないのである。
過去は消えない。故に過去を忘れることはできない。だから目指すのは、過去との決別ではなく、過去を認め、克服することなのである。
「データベースから情報は得ていると思うけど、私は空間大戦を経験したわ。兵士としてね。」
と、女はカウンセラーに言った。
空間大戦とは、人が死を克服するはるか昔に発生した大戦争である。この戦争は気が遠くなるほど続き、人間が死を克服しようと努力するきっかけにもなった。
今は、宇宙統一政府によって情報が封印、規制されている。むやみやたらに話すべきことではない。死を克服した人々の幸せな生活に、戦争の凄惨な記憶など必要ないのである。
「ええ、存じております。この部屋で話した内容は、外部に漏れることはありません。私とあなたとの間でしか、共有されません。カウンセリングルームはすべてから独立した空間です。もちろん、政府が介入することもありません。御安心を。」
「分かっています。さあ、カウンセリングを始めましょう。」
その高圧的な態度にひるむことなく、カウンセラーはカウンセリングを始める。
「では、カルテにあるトラウマの内容について詳しくお聞かせ願いますか。」
沈黙。
沈黙の後、女は足を組んだまま語り始めた。
「私は、前線で工作員として活動していたわ。破壊工作、諜報。暗殺はすでに無駄なことになっていたから、殆どしなかったわ。」
この時代、暗殺を行ってもそれは無意味なことになっていた。特定の誰かを殺しても、その思想はクローンが受け継ぐし、一人二人と殺したところで、戦争は止まらなかった。
「聞くだけだと地味で平和そうだけど、全然違う。敵の目と鼻の先で、息をひそめて爆弾を仕掛けたり、見つかって銃撃戦になったり。援軍が来ない状況で四方八方敵に囲まれて、補給が断たれて、拘束されて、拷問をうけて。まあ、覚悟の上だったから、ちっとも辛くは、なかったけど。」
少し言葉を詰まらせた女。顔色が悪い。
カウンセラーの手元の端末に、患者の体調の一時的な悪化を知らせる通知が出ている。セントラルコンピュータも注意を促している。
女は続ける。
「本題はここじゃないの。トラウマを負った出来事は、泥の中を這いつくばりながら敵から逃げたことでも、自分たちが仕掛けた爆薬が炸裂して、戦艦が真っ二つになって、そこから乗組員が宇宙に放り出された光景を見た時でも、銃撃戦で私の腕が吹き飛ばされた時でも、あの、拷問をうけた時でも、ないの。」
女は顔に手を当て、うなだれる。
すかさず、カウンセラーは水を差しだす。この水には、安心作用のある薬品や、天然由来の成分が含まれている。ほとんどの患者はただの水だと思って飲んでいる。
女はそれを知ってか知らずか、無言で受け取り飲み干す。
飲み干すと、再び前を向き話始める。その表情は少しリラックスしているようだ。
「私がトラウマを負ったのは、ある施設に情報を盗みに行った時よ。難なく侵入して、目的の部屋に向かっているとき、敵に見つかったの。見つかったというか、ばったり出会ってしまったの。相手が声を発するよりも先に、殺したわ。ハンドガンで三発。無抵抗の男を。」
身体の欠損やそれに伴う出血等の問題は、発達した医療により瞬時に解決できるレベルにあったのだが、それでも人を殺すことはできた。内部炸裂系の弾丸を使用したり、爆弾で木端微塵にしたりすれば、この時代の人は死んでいた。
女はおそらく特殊な弾丸を使用したのだろう。
少しの沈黙。
沈黙の中で、女は何度か深呼吸をしていた。
「あいつを殺したあと、データを盗んで、ミッションを終えた。終えてすぐ、本部に部隊の異動を志願したわ。ふふ、ショックだったんでしょうね、人を殺したのが。異動先はとある前線の戦闘部隊。汚れた手を洗おうと思ったの。血で。」
女は両手を上にあげ、照明に照らし始めた。汚れているところを確認するように。あるいは、汚れた手をまじまじと見つめるように。
手を光にかざしながら、女は続ける。
「何百人も何千人も、何万人も殺したわ。殺しすぎてその宙域の悪魔なんて言われたわ。悪魔と呼ばれる頃には、味方からも恐れられていたわね。あはは。」
照れ隠しのつもりで女は笑う。目は笑っていない。
「血で血を洗いきれないまま、戦争は終わったわ。あの時の苦しみが無くなっていると思ったから、私は不死手術を受けたんだけど、間違っていたみたい。死のない世界で、楽しく生きようって決めたのに、あいつはそれを許さなかった。」
女は椅子の上で膝を抱えうずくまっている。
突然、カウンセラーの手元の端末に警告が届く。
《警告。患者の脳内に軽度異常。視覚野に汚染確認。》
これは患者が幻覚を見ているときの警告である。
女は何を見ているというのか。
幻覚を見ているそぶりを見せぬまま、女は発言を続ける。
「あいつは私の目の前に現れるの。あいつが現れると、私は戦場に戻される。
あいつの頭には、穴が三つ空いているの。私が撃ったの。名前も知らない、声も聴かずに。私は、この人を…」
女はカウンセラーの後ろをちらちらと見ている。何もいない虚空を。
しばらくすると、女は嘔吐した。
嘔吐を予知していたカウンセラーは、すかさず袋の広げ吐しゃ物を受け止める。
嘔吐しながら、女は発言を続ける。
「この世界は二度と戦争をしない。人も絶対に死なない。私も例外なく死ぬことはない。だから永遠に罪を償い続けられる。」
女は泣きながら言った。
「よくわかりました。よくわかりましたよ。」
カウンセラーは背中をさすりながら言葉を繰り返した。
女が落ち着くまで、カウンセラーはずっと寄り添い続けた。
女が落ち着くと、今日のカウンセリングは終了した。
後日、女はカウンセラーに呼び出された。女は車に乗せられ、どこかに連れていかれる。
「どこに行くの。」
女は問う。
カウンセラーは答える。
「これから、治療を行うためにある場所に行きます。」
「新しい施設かしら。」
「いえ。これから向かうのはあなたがトラウマを負った場所です。」
驚愕する女。
「そんな。あの施設に行くの?というか、残っているの?」
「残っていました。データベースと照合した結果、一致するところがあったんです。トラウマを克服するにはトラウマと向き合うことが必要なんです。」
「私は、正気を保っていられる自信がないわ。」
「大丈夫です。専門の医師団も同行いたしますから。今日克服できなくてもいいんです。何度も何度も行きましょう。」
女は、施設のあった惑星に着くまで無言だった。
惑星に着くと、女は嘔吐した。
今日は施設に近づくことはできなかった。
顔色が悪いままの女にカウンセラーは問う。
「どうでしたか。」
「最高よ。あの男、笑っていたわ。ああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
「大丈夫、大丈夫です。少しずつですよ。」
カウンセラーが女にひどい仕打ちをしているように感じるかもしれないが、こうしなければ、トラウマは克服できないのである。トラウマと向き合うために、こういったステップを踏んでいかなければならないのである。
ゆがんだ信念を正さなければ、この病は治らないのである。
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