人の死なない物語

ざしきあらし

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1 とある施設にて

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   コンコンと、ノックの音が響く。
「どうぞ。」
 カウンセラーが一言声をかけると、扉を開けて男が入ってくる。男はカウンセラーに促され、椅子に座る。
「どうしましたか。」
 カウンセラーが男に問いかける。
「はい。一五四年前に、私は仕事でミスを犯してしまいました。作った書類に誤字があったんです。とても怒られました。それ以来、また同じミスをするんじゃないかと怖くなってしまって、仕事が手につかなくなり、働けなくなってしまったんです。一五四年前のそのミスが原因で、人間関係も何もかもうまくいかなくなって、とても辛く、今にも死んでしまいたいのです。」
「なるほど、そうでしたか。」
 カウンセラーは相槌を打ちながら、男の話を真剣に聞く。死にたいと思っている人間というのは、あまりしゃべりたがらないものだが、真剣に話を聞いてくれる人がいると少し様子が変わる。
「私の頭は電脳化されています。もし、望みが叶うなら、この電脳から辛い記憶を消し去りたいのです。」
「なるほどなるほど。しかし、記憶の操作は【電脳管理法:個人の記憶の不可侵】に抵触してしまいます。ですので、過去の出来事との向き合い方を変えてみましょう。」
「向き合い方を変えたとしても辛いものは辛いままです。この先もずっとこの記憶を抱えていかないといけないなんて、耐えられません。」
 男は頭を抱えうなだれる。それに対してカウンセラーはこう続ける。
「過去の出来事というのは、どんなものであっても貴重なものです。辛い経験は、良い未来を実現させるためになくてはならないものです。あなたは、一五四年前の出来事を踏み台にして羽ばたくことができます。」
「はあ。」
 男は、納得のいかない様子で生温い返事をする。
「ガンクツオウ、という小説をご存知ですか?」
「いえ、知りません。外部記憶端末にあるかもしれません。」
 カウンセラーの突然の問いかけに戸惑う男。記憶端末に接続し、検索をかけるがガンクツオウという本はヒットしない。
「まだ人が当たり前のように死んでいた時代の、とても古いお話ですから、恐らくヒットしないと思いますよ。」
「そんなに古いお話なんですか。どんな話なのでしょう。」
 男は椅子に座り直し、カウンセラーの話に耳を傾ける。
「無実の罪で投獄された主人公が投獄に関与した人間たちに復讐するというのが大まかな内容です。主人公が監獄での過酷で孤独な生活に耐えることができたのも、復讐するためにした努力も、そして復讐を成し遂げることができたのも、全て根底に、言葉にできない程の辛い経験があったからなのです。過去の出来事は次の段階へ進むための原動力なのです。」
「私は、そこまで辛い思いをしたわけではありません。スケールが違いすぎる気がします。」
 男は話の壮大さに呆気にとられたようで、うろたえている。
「問題を解決するためにスケールの違いなんて小さな問題です。あなたはきっと、ガンクツオウが復讐を成し遂げたように、幸せを掴むことができるでしょう。我々はそれを全力で応援しますよ。」
 カウンセラーがそう告げると、男は肩の力を抜いて、リラックスしたようにして、ありがとうございますといった。
「私は、こんなところで立ち止まっている訳にはいきませんでしたね。」
 前を向き軽やかに答える男の様子は、全体的に力が抜けていて、リラックスしている。さながら、過去という呪縛から解放されたようである。
「ところで、ガンクツオウという小説はどのデータベースで見ることができるでしょう。」
「記録物管理局の古代文学データベースで閲覧することができます。なお、今回のカウンセリングは決して、復讐を推奨した訳ではありませんからね。」
「ははは。分かっていますよ。」
 死にたいなどと言っていたのは本当にこの男なのだろうか。笑みを浮かべながら男は席を立つ。カウンセリングは終了の時間を迎えた。カウンセラーも席を立ち、出口の扉を開ける。
男が外へ出ると、カウンセラーは口を開いた。
「『人間の叡智はすべてこの言葉に尽きることお忘れにならずに』」
「何ですか?」
「『待て、しかして希望せよ!』…待つのがお嫌いでしたら、コールドスリープという手段もあります。選択はいくらでもあります。どうか深く考えすぎないように。良い人生を。」
 カウンセラーが微笑みながらそう告げると、男は一礼してその場を去った。長い廊下を歩き、やがて見えなくなると、扉はパタンと閉じられた。
 コンコン、とノックする音が響く。
「どうぞ。」
 カウンセラーの声の後、扉は再び開かれた。
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