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第壱章 循環多幸 壱之怪
第21話 ヤクザの方がもっと怖い
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ずるずると灰玄に、片足を掴まれて床を引きずられながら、僕は外に放り出された。
外には真っ赤なスポーツカーが駐まっている。
灰玄のものだろうか。
しかし、冷房がガンガンに効いた店から、一気に灼熱の陽射しが襲って来る外に出ると、余計に暑さを感じる。
体から汗が滝のように流れる。
これは暑いと言うよりも、溶けるような感じだ。
スライムのように溶けてしまいそう……。
例えるなら──そう。
鍋の中でずっとラーメンの麺を煮込み続けて、かろうじて原形を留めている、ふやけきった麺のように、今にも溶けてしまいそう。
グチェっと、締まりが無くなり、きっと口の中に入れたら歯ごたえどころか、入れた瞬間に、どろどろに溶けて何を口に入れたのかも分からないぐらい、ふやけた麺。
今の僕の体がまさにそれだ。
体中が脱力して、立っているのがやっとなほどである。
本当に、冗談抜きに、体が溶けて地面に吸収されそうな、殺人級の暑さだ。
「ほら! さっさと乗りなさい」
無理矢理──灰玄に真っ赤なスポーツカーに乗せられた。
乗せられたと言うか……押し込まれた。
どうやら、この車は灰玄のものらしい。
しかし派手な車だな──しかも値段も高そう……それに、車のボンネットには跳ね馬のエンブレムが付いていて、派手さをより強調しているし。
あれ?
確か跳ね馬のエンブレムって──もしかして、これフェラーリなのか!?
フェラーリと言えば超高級車じゃん!
車に詳しく無い僕だって、それぐらい知ってるほど有名なエンブレムだ。
間違えるはずが無い。
これは本物のフェラーリだぞ──だが、灰玄の奴、どうしてこんな超高級車なんて持ってるんだ?
「鏡佑。ちゃんとシートベルト締めなさいよ」
「あ、ああ。分かってるよ」
「それと、あの地図の場所だけど──ここからどれぐらいなの?」
僕が自転車で自宅から、六国山に行った時は一時間ぐらいかかった。
多分、車ならその半分の三十分ぐらいだろう。
「そうだな──三十分もあれば、六国山には行けると思うけど」
「ふうん。そんな名前なんだ、今から行く場所は。まあいいわ、三十分ね」
そんな名前も何も……地図に思いっきり名前が書いてあっただろ。
灰玄の頭の中は、もう仕返しすることしか考えて無いみたいだ。
「でも意外だな」
「意外って、何がよ?」
「いや、まさか灰玄が運転免許を持ってるなんて思ってなかったから」
「失礼ね。運転免許ぐらい持ってるわよ」
教習所の人は、こいつが人間では無い、化け物や怪物だと知っていたら、絶対に運転免許は取らせなかっただろうな……。
「ところでさあ。この車ってスポーツカーだけど、運転には自信があるのか?」
「大丈夫よ。車なんてエンジンかけて走らせるだけでしょ」
「それは……そうなんだけど。スポーツカーって普通の車よりも、運転が難しいって聞いたことがあるから」
「へー。そうなんだ」
軽い返事の灰玄。
本当に大丈夫なのか?
「ちなみに──ちょっと訊きたいんだけど……」
「なに?」
「運転歴はどれぐらいなの?」
「免許を取ってからは、一度も乗って無いわね」
「…………」
「なに黙ってるのよ」
「い、いや。別に──ところで、免許っていつ取ったの?」
「うーん。十年ぐらい前かな? 詳しい年月日までは覚えて無いけど」
「やっぱりお家に帰るうううううう!」
「大丈夫って言ってるでしょ! 心配いらないわよ」
「心配しか無いんだけど……」
うう……、こいつペーパードライバーかよ。
しかも、よりにもよってスポーツカー。
ペーパードライバーが運転するスポーツカーで、そのドライバーは殺人鬼。
これは心霊スポットに行く前から恐ろしい──例によって二重の意味で。
「そうそう、さっきも行ったけど、アタシは土地勘無いからちゃんと道案内しなさいよ」
「それは分かってるけど──頼むから安全運転で行ってくれ」
「分かってるわよ。アタシに任せなさい」
任せられないから頼んだんだけどなあ……。
「よし! それじゃあ出発」
はあ……、死のドライブの出発か。
しかしまあ、僕の隣に殺人鬼か──隣の殺人鬼。
なんだか映画のタイトルみたいだ。
それに──この近距離で見ると──もの凄い迫力だな。
「何さっきからチラチラ見てるのよ。あのエロ学者小僧もそうだけど。男ってみんな、オッパイが好きなの?」
「…………」
女性との会話でオッパイと言う単語を聞くのは始めてだ。
しかも平然と言っている。
だがまあ、灰玄は僕よりも大人だし、子供扱いされているのかもしれないな。
と言うか……本当に大きな胸である。
しかも、わざと胸を強調するような服装だから。自分で分かっていて、あえて見せつけて相手を挑発している風な、そんな作為的な悪意すら感じる。
「何か言いたそうね鏡佑。アタシは別に何を言われようと怒ったりしないから、言ってみなさい」
「いや……別に」
「別にってことは無いでしょ。さっきからチラチラと見てるじゃない。アタシのオッパイを。感想ぐらいは聞きたいものね」
見せつけてるのはそっちだろうに。
しかも感想って……。
いったいこいつは、僕に何を求めてるのかは分からないが──ここは正直に話した方が無難かもしれない。
「ま、まあ大きな胸だとは思う」
「それだけ? もっとはっきり言っていいのよ」
「えっと……何て言うか、はっきり言うと。自己主張が強いと言うか……凄く自分勝手そうな、大きなオッパイだと思う」
「…………」
沈黙が怖い……!
ていうか、急に車のスピードが上がったぞ!
あきらかに無言で怒ってる証拠だ──制限速度の二倍以上は出てると思うし、運転の仕方も荒っぽくなっている。
か……帰りてえ……。
さっき、はっきり言っていいって言ったのに……言われてから怒るんじゃねえよ!
「冗談冗談! ただの冗談だから、そんなにスピードを出すな!」
「はあ……。何が自分勝手なオッパイよ。失礼ね」
スピードは、制限速度に戻った。
と言うか、本当に自分勝手じゃねえか。
怒らないって言っておきながら怒るなんて最悪だぞ。
「やれやれ。冗談でも言って良い事と悪い事ぐらいあるのよ。本当に男って言うのは、いくら歳を取っても学生気分が抜けない馬鹿のまんまね。あのエロ学者小僧しかり。鏡佑、アンタもよ」
どうやら僕は、臥龍と同じだと思われているようだ。
なんだか凄く嫌だぞ……僕と臥龍だけは、絶対同じ人種だと思われたくない。
「なんだかアンタと話してると、虚しくなって来るわよ。島も沈んで消えちゃうし、すべて空なりって感じね」
僕は灰玄と話してると逆に疲れる。
「それに──世上も世情も世常も、己の生きて来た風儀で言うは易く、行うは難しって言ったところかしら」
「──え? なにそれ言葉遊び?」
「違うわよ。世間一般の決められたルールの中で、自分ルールを貫くのは大変ってことよ。現世でもこれだけ大変だって言うのに、常世や常夜に行ったら、どうなっちゃうのかしら? まあ、アタシは死後の世界なんて否定派なんだけどね。死んだこと無いし」
無神論者を殺していた奴が死後の世界を否定とは、おかしな話しだ。
しかも、こいつは所々でよく分からない単語を使うから、何を言わんとしているのか上手く伝わって来ない。
ていうか……そんなことよりも──
「お前のその自分ルールの所為で、殺されかけた人間が、ここに一人居るんだけど」
「あれは成り行きよ。生きていれば色んなことがあるんだから、たまには死ぬことだってあるのよ」
「死んじゃったら色んなって言わないだろ! もう人生の終着迎えて、色が消えて色褪せちゃってるじゃねえか!」
「男なんだからグチグチ言うんじゃ無いわよ」
「命が懸かってるのに男も女もあるか! それに成り行きで殺されたらたまったものじゃねえぞ! ちょっとスーパーで買い物するみたいな感覚で人の命を奪おうとするんじゃねえよ!」
「本当にアンタって細かいことに対して五月蝿いわね。生きてたんだからそれでいいじゃない。そんなんじゃ、出世なんて出来ないわよ」
「そう言うことじゃねえだろ! 死んだら全部お終いだろって言ってんの!」
「はいはい分かった分かった」
絶対分かって無いと思う。
と言うか、こいつは人の命をなんだと思っていやがるんだ。
臥龍とは別の意味で腹が立つ!
「あ、そうそう。暫くこの街に住むことにしたから」
「いや、住まないでくれ……」
「なんで住んじゃいけないのよ」
「なんでって……僕を殺そうとした殺人鬼がこの街に居ると思うと、怖くて夜も眠れないから」
また車のスピードが上がった。
しかも、さっきよりも速い!
「噓だから! 冗談だから! スピードを落としてくれ!」
「まったく……誰が殺人鬼よ。アタシは無駄な殺生はしない主義なんだから変なこと言うんじゃ無いわよ」
「よく言うよ。僕のことを島で殺そうとしたくせに」
「だから、あれは成り行きだって言ってるでしょうが」
「どこに成り行きで人殺しする奴がいるんだよ! 十分無駄な殺生してるじゃねえか!」
「そんな事よりも鏡佑。道は合ってるの?」
「え? ああ。この街羽街道を真っすぐ行けば、そのうち大きな山が見えて来て、山の入り口までの看板も出てるから、その看板に従って進めば目的地には着くけど──それよりも、『そんな事』の一言で僕の命を軽く流すんじゃねえよ」
「ふうん、ここを真っすぐね。分かったわ」
「会話も流された!?」
こいつ……僕の話しを無視しやがって。
しかし、凄いスピードだった。死ぬかと思ったぞ。
流石はスポーツカーだ──でも、灰玄はこの街に来たばかりなのに、よくこんな高い車を買えたな。
僕はどうやってこんな高い車を買えたのか不思議に思っていたが、それよりも、値段の方が気になっていた。
だから、訊いてみた。
「ところで──この車って凄く高いんだけど、いくらぐらいで買ったんだ?」
「買った? アタシは買って無いわよ」
「もしかして持ち主から盗んだのか!?」
「アタシがそんな山賊みたいなことするわけ無いでしょ。この車は貰ったのよ」
「持ち主を殺してから貰ったのか!?」
「それ丸っきり山賊じゃない。その前に殺してから貰うって、日本語として間違ってるから」
「じゃあ、普通に貰ったのか?」
「アンタの言う、その普通がなんなのか分からないけど、店の客で来てる小僧に車が無いって言ったらプレゼントしてくれたのよ」
なんだプレゼントか──ってちょっと待て!
こんな馬鹿みたいに高い車をプレゼントする奴がどこにいるんだ。
しかも、この車はあきらかに中古では無く、新車だぞ。
ピカピカの新車だ。
いったい誰がこんな高価な車を……。
「ちなみに──その店ってどんな店?」
「うーん。なんて言ったらいいのかしら。タダでお酒飲んで、小僧達と下らない会話する店だけど」
「それって、もしかして、キャバクラとか?」
「ああ、そうそう。確かそんな名前だった。一昔前は遊郭しか無かったのに、随分と変わるものよね」
遊郭?
遊郭って──あの時代劇映画とかに出て来る遊郭か?
「でもアタシは別に働くつもりなんて無かったのよ。丁度、夜に繁華街を歩いてたら、その店の前で小僧達が喧嘩してて邪魔だったから黙らせただけよ。そしたら店主になぜか気に入られて、どういうわけか店で働くことになったわけ」
「黙らせたって……まさか殺したんじゃ……」
「違うわよ。ちょっとビンタしただけ。そしたらすぐに逃げて行ったわよ。最近の男はだらしないわよね。見た目だけ派手で中身が無いっていうか」
こいつのビンタならきっと、一発で数十メートルは吹っ飛ぶだろう。
相手が逃げるのも当然である。
それよりも車だ。
いくらキャバクラで働いているとは言え、こんな高い車をプレゼント出来る人間なんて僕は知らない。
どこかの金持ちの社長でも、買わないだろう。
「ちなみに、店の客から貰ったって言うのは信じるけど。いったいどんな人から貰ったんだ?」
「どんなって言われてもねー。いつもあだ名でしか呼んでないし、そもそも、何をしてる小僧なのかも知らないし」
「じゃあ、あだ名だけでもいいから教えて」
「ツルちゃんだけど」
ツルちゃん……。
それだけの情報じゃ分からない。
「あっ。確かここに──」
灰玄が何かを思い出したように、車の中にあった小さなバッグを取り出し、その中をごそごそと漁り始めた。
「やっぱりあった。ほら、これがツルちゃん」
灰玄から一枚の名刺を渡された。
名刺には錦花鶴祇と書かれていた。
そして──横には、朱拳会会長と書かれていた。
噓……だろ……。
これ……本物の錦花鶴祇なのか?
いや、本物だろう。
万が一にも偽物で、そんな名刺を作って灰玄に渡していたら、本物に殺されるからだ。
そもそも偽物だったら、こんな高級車を軽くプレゼントなんて出来ないのは明白だ。
だが、はっきり言って、僕はヤクザなんて全く詳しく無い。
しかし、この名前だけは知っている。
コンビニで漫画を立ち読みする時に、いつもゴシップ誌のコーナーを通り過ぎるが、よくこの名前がでかでかと表紙を飾っているからだ。
もちろん本人の顔写真付きで。
だから、嫌でも覚えてしまう。
それに僕がまだ、小学生の頃にヤクザの大抗争が勃発して、テレビでは、どのチャンネルもそのニュースで持ち切りだった。
僕はいつも楽しみにしていた夕方からのアニメがニュースに変更され、その都度腹を立てていたから、よく覚えている。
だが、なぜか弟の鏡侍郎は、そのニュースをかぶりつくように見ていた。
しかし、鏡侍郎がヤクザに興味があるようには見えないし、僕はそのことについて、鏡侍郎に訊くことは無かった。
ちなみに、その時は、『東の朱拳会、西の黒英会』なる、いかにもチープなタイトルで、よくニュースや週刊誌を賑わせていた。
だが、その大抗争は朱拳会が勝利して、黒英会の噂はその後、全く聞かなくなった。
朱拳会の拠点は、東京で一番の大繁華街と言われる華舞伎町なのだが、大抗争に勝利して、日本で最大勢力の極道組織になり、朱拳会が日本のアウトロー界の頂点に君臨している。
つまり日本中に拠点があるようなものなのだ。
錦花鶴祇は、よく喧嘩最強の極道などとしても、マスコミに取り上げられている。
そこまでのアウトロー界の超有名人ともなると、異名や通り名ぐらいあるのだが、よくある『生きる華舞伎町の伝説』などと言う名では無い。
その名は、『隻腕の拳赫』と呼ばれ恐れられている。
そう、つまり、彼は片方の腕が無いのだ。
確か、僕の記憶が正しいなら、左腕が無かったと思う。
拳赫についての意味は、余りの腕力で相手を殴るので、殴られた部分が赤々と燃える火傷の痕のように見えるからだと聞いたこともあるし。
相手を殴った時の返り血が拳に染み込み、何度手を洗おうが、真っ赤な返り血が拳から消えず、いつも拳が赤々としているからだと聞いたこともある。
つまり、およそ常人が想像出来る、並大抵の強さでは無いのである。
まあ……雑誌に書いてあったことなのだが……だから、聞いたことでは無く、見たことだ。
それも雑誌の文字を見ただけだ。
やれやれ、実にしょうもない噓を付く学生がいたものである。
と言うか──それは自分なんだけれども……。
だから、本人に会ったことも話したこともないので、憶測の域を出ないのだ。
なので──拳赫についての本当の意味は知らない。
そもそも、異名や通り名に、深い意味なんて無いと僕は思っている。
何となく、その人物に当てはまりそうな、それっぽい言葉としか考えていない。
が、しかし。隻腕と言うことは、ハンディキャップを背負っていることに他ならない。
そんなハンディキャップを物ともしない彼の強さは、真の漢として、アウトロー界では憧れのヒーローのように慕われると同時に、恐れられ、そして畏れられている人物なのである。
と言うか──これも雑誌で見た言葉だ。
うーん……、流石にくどいな。
それに、雑誌で見たと言うのは間違っている。
普通は、雑誌で読んだ。と言うのが正しいのだろう。
しかし、僕はそんなアウトロー雑誌なんて興味無いので読むわけが無いのだ。
コンビニの雑誌コーナーや電車の天井に吊るされている広告に、でかでかと書かれている言葉を見て、それが嫌でも目についてしまうので記憶してしまっている。
だから、この場合は読んだと言うよりも、見たと言う方が正しいのである。
だが、どうして灰玄がこんな高級車を持っているのか分かった。
朱拳会の会長さんなら、フェラーリの一台や二台、簡単に買えるだろう。
問題は──こいつが「ツルちゃん」と呼んでいる人物が、日本最大勢力の極道の会長だと言うことだ。
しかも小僧呼ばわりだし……。
相手がどんな人物か知って──いや、灰玄のことだ。相手がどんな人物か知ったところで、驚きもしないし、何も変わらないだろう。
錦花鶴祇は強い。
だがそれは、人間の域での話しだ。
灰玄の場合は──人間の域を超越しているのだから、人間同士の強さを基準にして考えた所で、推し量れるものでは無い。
だから、あの隻腕の拳赫こと錦花鶴祇を、小僧と呼んでも、妙に納得してしまう自分がいる。
「さっきからどうしたの? 急に黙ったと思ったら、名刺と睨めっこなんてして」
一応──教えておくか。
「いや……、この名刺の人なんだけど、凄い有名人なんだよ」
「有名人? へー。ツルちゃんって有名人だったんだ。っで、どう有名なのよ」
やっぱり知らなかったか。
「このツルちゃん──じゃなくて。錦花って人は、日本で一番有名なヤクザなんだ」
「ヤクザ? ヤクザ────ああ、博徒のことか。そっか、ツルちゃんは博徒小僧で有名なのね。今度また店に来たら、ツルちゃんに色々訊いてみよっと。博徒小僧は面白い輩が多いし」
博徒小僧……。
と言うか──やはりと言うべきなのだろう。
驚きもしないし、何も変わらなかった。
しかも色々訊くって……いったい何を訊くんだよ。
「あっ。鏡佑、あの看板──『この先は車で通れません』って書いてあるけど、ここからどうするの?」
「ん、ああ、もうこの先は狭い道になってるから、歩いて山まで行くんだよ。歩くって言っても、山の入り口まで、ここから五分ぐらい歩けば着くんだけど」
「あらそう。つまり目的地まで着いたってことね」
灰玄は道路の隅に車を駐めて、颯爽と車から降りた。
「おっ、おい! まずいんじゃ無いのか?」
「まずいって、何が?」
「だって、道路に勝手に車なんて駐めたら、他の車の迷惑だろ」
「大丈夫よ。ちゃんと隅っこに駐めたから。それに何時間も置いておくわけじゃないし」
そう言う問題じゃねえよ。
「そんなことより、早くアンタも車から降りなさい」
「え? い、いや……僕は車の中で待ってるよ。ほら。誰かが車の中に残って無いと……」
「いいからさっさと降りなさい」
灰玄に車の中から放り出された。
車の中に押し込めたり、車の外に放り出したり、乱暴極まり無い奴だ。
「アタシは山の入り口がどこにあるのかも知らないんだから、ちゃんと道案内しなさい。それがアンタの仕事でしょ」
仕事って何だよ……。
お前が無理矢理、僕を連れて来たんじゃねえか。
まあ──謝礼の十万円は魅力的ではあるが。
「さあ早く行くわよ」
言って、灰玄は意気揚々と歩き出す。
僕はもう二度と六国山には行かないと決めていたのに……。
山の入り口に行くだけでトラウマが蘇りそうだ。
「なにトロトロ歩いてるのよ。背筋伸ばしてシャキっと歩きなさい」
はあ……、マジで早く帰りたい。
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