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第零章  深海巨構  零之怪

第17話 売れ残った商品ほど悲しいものはない

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 *17


 異様な光景だった。

 それは本当に異様としか思えない光景であった。


 島から全速力で逃げるように、クルーザーは荒波の中を突き進んだ。

 ────はずだった。

 しかし、島から離れれば離れるほど、波は穏やかになり嵐も去った。


 僕は不思議に思い、どんどん離れて行く島をクルーザーから見た時に、その異様な光景をの当たりにしたのである。


 島を囲むように、島全体だけを覆うように、嵐が巻き起こっていたのだ。

 そして、島の上を飛んでいる大怪獣は、まるで泣いているような悲しい鳴き声をあげて、液状に溶け出していた。


 その液状に溶けた大怪獣の液体が、ぼたぼたと島全体にこぼれ落ちて、島がその重みに耐えられなくなったかのように、ゆっくりとゆっくりと島が沈んで行く光景を僕は見た。


 嵐もまた、その液状に溶け出して行く大怪獣と共に、ゆっくりと去って行くのが見える。



 僕の途轍もない嫌な予感は的中したみたいだ。

 しかし──本当に島が沈んでしまうなんて。


 もし臥龍が、大きな扉をスノーボードのようにして一気に坂を下らずに、のんびりと坂を降りていたら、今頃はあの島と一緒に僕も臥龍も海の底に沈んでいただろう。


 そう考えると──何だか背筋がゾッとする気持ちになった。


 だが、とにかく助かったわけだ。

 ここは素直に喜ぶべきだろう。

 それに、薄らと東の空が明るい。

 今までずっと暗い夜の中を行動していた所為せいもあり、太陽の明かりがやたら神々しく見える。


 生きていると言う実感を肌身で感じた。


 よし。後はこのままクルーザーで沖縄本島まで行き、飛行機で東京まで帰るだけだ。

 ──って、あれ?


 クルーザーが突然止まった。



 「ちょっと。何でいきなりクルーザーを止めるんだよ」

 「…………九条君、落ち着いて聞け。クルーザーの燃料が切れた」

 「おい! 燃料が切れたじゃねえよ! ここ海のど真ん中だぞ、どうするんだ!」

 「だから落ち着けって! 俺だって想定外だったんだよ! だが心配することは無い。ちょっとそこで待っていろ」


 自信たっぷりな口調で、臥龍はクルーザーのキャビンに向かった。


 数分すると、臥龍は両手でビニールボートを抱えながらキャビンから出て来た。



 「ほら見ろ九条君。やっぱりあったぞ!」


 今だけ臥龍が少し役に立つおっさんに見えた。

 まあ時間は掛かるが、こんな海のど真ん中でじっとしているよりも、ビニールボートで沖縄本島に向かう方が遥かに懸命ではあるな。


 嵐も去って波も落ち着いてるし。



 「あっ。ところで九条君。君は泳げるか?」

 「え? まあ人並み程度には」



 臥龍の奴──いったい何を言っているのだろう。

 もしかして、救命胴衣きゅうめいどういが無いから、それを心配して言っているのか?



 「そうか、良かった。じゃあ君は泳いで帰れ」

 「は!? 言ってる意味が分からないぞ」

 「実はこのボート、一人用のボートなんだ。つまり俺しか乗れないんだよ」

 「なに言ってんだ! 僕も乗せろ!」

 「君は、年功序列と言う言葉を知っているか?」

 「知ってるけど、今はそんなの関係ないだろ!」

 「そうか、知っているのか。つまりそう言うことだ。頑張って泳げ、君なら出来る」

 「ふざけんな! 僕も乗せろって言ってんの!」


 とんでも無いおっさんだ。

 自己中心的な奴だとは思っていたが、その底が計り知れない。



 「だからこのボートは一人用のボートなんだよ! 二人も乗ったら沈んでしまう!」

 「だったらお前を殺して僕が乗る! お前はここで死ね!」

 「何を言っているんだ! 俺は君の雇用主だぞ、君が死んで俺がボートに乗るんだ!」



 パンの時の悪夢再来である。

 一人用のボートを奪い合う二人がここに居た。

 実に酷い絵面えずらである。



 「こう言う時は目上の人から順番だと言う常識を、知らないのか? 君は本当に道徳観が無い、アベレージで非常識な学生だな!」

 「一人だけ助かれば良いと思ってる、お前の倫理観の方がよっぽど非常識だろうが! さっさとこのボートをよこせ!」

 「やめろ! 俺のボートをひっぱるな、離せ!」

 「何が俺のボートだ! これは僕のボートだ!」

 「違う俺のだ!」

 「いいや僕のだ!」

 「俺のだ!」

 「僕のだ!」



 余りに強くお互いがボートをひっぱり合った所為で、勢いよくボートが海に吹っ飛び、そのままボートは海に流されて行った。



 「俺のボートが!」
 「僕のボートが!」


 パンの時と同様、また寸分の狂いも無く声がハモってしまった。

 つくづく……嫌なシンクロ率である。



 「なんてことをするんだ君は! 俺のボートが海に流されたじゃないか!」

 「知るか! お前が自分だけ助かろうとしたのが悪いんだろ!」

 「またそうやって、他人に責任をなすりつけるのか君は!」

 「黙れ! お前にだけは言われたくねえよ!」



 本当に酷い絵面である……。



 「くっそ……! 俺のボートも無くなって、こんな海のど真ん中でどうすればいいんだ。はあ……、こんなことになるなら、沖縄に来る前に……最後に一発……」


 ──ん?

 こいつ何を言ってるんだ。

 分からないから訊いてみた。



 「何が最後に一発なんだ?」

 「え? そ、そんな……事は言ってない」



 こいつ明らかに動揺しているぞ。

 ひょっとして──こいつ。

 もしかして、もしかすると──

 よし。ここはちょっと会話を続けてみるか。



 「いや言ったでしょ。最後に一発って」

 「ち、違うぞ! 俺は……『細胞に一喝いっかつ』って言ったんだ」

 「細胞に一喝して、どうなるんだ?」

 「それは……あれだ! 細胞に一喝して、奮い立たせるんだ」

 「なにを、奮い立たせるんだ?」

 「なにって……だから細胞って言ってるだろ!」

 「どこの細胞?」

 「どこって……細胞は細胞だ!」



 少し愉しくなって来たので会話を続ける僕。



 「奮い立たせるってことは、元気が無いから一喝するってこと?」

 「まあ……そうだな……」

 「それじゃあ。元気が無い細胞ってことは、つまり落ち込んでる細胞ってこと?」

 「意味合い的には……合ってるな」

 「ということは、臥龍さんの細胞は寂しいってことか」

 「それ、おかしくないか? 何で俺の細胞が寂しいんだよ」

 「だって。使ってあげて無い部分の細胞だから、元気が無くて寂しい細胞なんでしょ?」

 「その寂しい細胞って言うのをやめろ! 俺はちゃんと使ってるぞ!」



 反応が面白いから、更に追いうちをかけてみる僕。



 「何に使ってるの?」

 「それは……思考に使ってるんだよ」

 「思考ってことは、臥龍さんは妄想だけで実際に使って無いってことか」

 「君は何か、変な方向に繋げようとしてないか? それに妄想だけじゃなくて、ちゃんと映像付きだからな」

 「そこに感触は?」

 「いや思考に感触は無いだろ」

 「それじゃあイメージトレーニングだけで、まだ試合はして無いってことか。だから細胞が寂しくて泣いているのか」

 「おい! 試合って、君は何の試合を想像してるんだ? その前に細胞が泣いてるって言うのをやめろ! 君は俺の何を知ってるんだ!」

 「臥龍さんのナニなんて、知るわけ無いでしょ。そんな場所の細胞なんて見たくも無いし」

 「それ違うナニだろ! 俺は違うからな! チャンスはこの先たくさんあるからな!」

 「え? つまり、まだ寂しい細胞ってこと?」

 「まだって何だ! 君は何か誤解して無いか?」



 面白いので更に更に追いうちをかけてみる僕。



 「いや誤解じゃなくて。今まで隠してた寂しい細胞を自分で認めて、露解ろかいしたってことですよ~~~」

 「何で馬鹿にしたような口調で言ってるんだ! 俺は違うぞ! 大事にしているだけだ!」

 「でも細胞は寂しい」

 「だから細胞が寂しいって言うな!」

 「じゃあ寂しい部分の細胞」

 「逆にして言っただけだろ! しかも部分って言うな、場所を特定しようとするんじゃない!」

 「大事にはしてるけど、誰にも大事にされない部分の細胞」

 「誰にもって言うな! 俺は自分を安売りしない性格の人間なんだよ、それに部分と言うのはやめろと言っただろ!」

 「使いたくても、誰からも使ってもらえない寂しい部分の細胞」

 「それもう完全に意味分かってて言ってるだろ! いい加減にしろ!」



 言って──臥龍は怒りながらキャビンの中に入ってしまった。

 うーん、少し遊び過ぎてしまったようだ。

 だが分かったことが一つだけある。



 最初は半信半疑だったが、どうやら臥龍は本当に童貞だった。

 四十歳過ぎの童貞か──まさに天然記念物だ。




 「うおーう! うおーう! 有った有った、やっぱり有った! これで助かるぞ!」



 臥龍の嬉しそうな大声がキャビンの奥から聞こえて来た。

 外に居る僕が五月蝿うるさいと思うほどの大声である。
 
 いったい何が有ったのだろう。

 それに「助かる」と言っていたし──

 気になったので、僕は臥龍の居るキャビンに向かった。



 「いったいどうしたんですか? 寂しい細胞の臥龍さん」

 「おい! その寂しい細胞と言うのはやめろと、さっき言ったばかりだろ!」

 「だって寂しい細胞なんだからしょうが無いでしょ」

 「そこまで寂しいと言う単語にこだわるなら、君の言う寂しいの定義を言ってみろ!」

 「定義って言われても……」

 「ふっ。言えないなら、もう二度と俺のことを寂しい細胞と言うのはやめろ」

 「言えないわけじゃないけれど……定義って言うか、何かに例えてなら説明出来るんだけれども……」

 「ほ~う。なら例えでもいいから、俺を納得させるだけの例えを言ってみろ」

 「うーん……。まあなんと言うか。例えるなら──月曜日に発売されたのに、金曜日まで一冊だけコンビニに売れ残って放置された少年ステップみたいな寂しさ」

 「それ寂しいだけじゃ無くて、悲しさもプラスされてるだろうが! しかも俺を売れ残り扱いするな! 人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」

 「いや、例えでもいいからって自分が言ったのに何で怒ってるんだよ……。ていうか、いきなり大声出してどうしたんですか?」

 「あっ、そうそう。忘れてた。有るんじゃないかと思って探したら、やっぱり有ったんだよ」

 「有ったって──エロ本が?」

 「何でエロ本なんだ! 無線機に決まってるだろ!」

 「無線機って──無線でエロい声を傍受ぼうじゅするのか?」

 「そんなの傍受してなんになるんだ! いいか? この無線機を使って、遭難信号を送るんだよ。そうすれば救難艇きゅうなんていが助けに来るんだ」

 「ってことは──つまり」

 「ああ。助かる!」



 地獄で仏とはまさにこのことである。

 これで、本当の本当に東京に帰れるぞ。



 「よし。今から無線機で信号を送るから君は外に出ていろ。アベレージな学生が近くに居ると、俺の気が散る」



 嫌味たっぷりな口調で言われた。

 まあいいか。


 僕は外に出て、太陽の光りを浴びながら青い海をぼうっと眺めていた。


 暫くして、遠くから救難艇がこちらにやって来るのが見えた。

 時間にしておよそ十五分ぐらいだろうか。


 僕は一日は待つと思っていたのだが、驚くほどの早さである。


 そして、臥龍が偉そうな笑い顔でキャビンの中から現れた。



 「ふっ。これで助かったわけだ。九条君──俺に感謝しろ!」



 僕はそんな臥龍の言葉を無視して、さっさと救難艇に乗りこんだ。

 はっきり言って、こんな死ぬ思いをさせられたのは全部こいつの所為せいである。


 感謝なんてするもんか!


 早く東京に帰って、臥龍に冷房を買わせて、僕は夏休み中ずっと家の中でダラけてやる。



 と言うか……もう、海はりだ……。








        第零章・深海巨構しんかいきょこう・了
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