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第零章 深海巨構 零之怪
第15話 哀傷の懺悔
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深更は半宵を過ぎ、下界は嵐が去り──静まりかえった月が、深く黒に包まれた夜の衣を照らしている。
妖しくも人心を魅了してしまいそうな程に皓皓とした月の光は、教会の扉から差し込んでいた。
本来なら、それは神々しい光景であったのだろう──
しかし、清らかに不浄を洗い、穢れを落とすはずであろう場は、その意を反転させ、幻熱に魘されそうな真夏の盛りだと言うのに──
教会内に冷気さえ覚える虚ろな墓地のように、中空に死の光を集め漂わせていた。
その凝るような死の光は、押しつぶされそうな闇の奥深くにあった。
人間とも獣とも無い呻き声と呼吸に混じり、無数の死と血に溺る色褪せた眼光が、月光の代わりに深淵に広がる燭が如く、沈黙に教会の聖を侵蝕していた。
血臭と赤紫色に腐食した肉を纏いし亡霊と──
腐臭をまき散らし、幽暗さえ鎖す海溝よりも深い底から現れたかのような青鱗を纏い、陸の猛獣さえ血の気を失う程の、異形の荒くれし爪と牙を持つ怪物が対峙する。
──そして、その亡霊と怪物が対峙する中央には、神子蛇灰玄とローザの姿があった。
お互いにもう会話は無い。
二人もまた──対峙していたのだ。
獣を喰らい尽くさんとするような、鋭く殺意に満ちた瞳の睨み合いは──
雨が地に落ち──
やがては片隅に広がる水溜まりとなり──
留まることが出来なくなった水たちは川へと流れ──
最後には海に還るように──
──ごく自然と静寂は叫喚となった。
先に堰を切ったのはローザだった。
ローザの左腕に巻かれた鎖が、幾数本の鋭利で紙のように薄く平たい刃物に変形する。
まるでローザの意思で操られているかのように、ぐねぐねと動く生き物と化し──前後左右に散開する生きた刃物は、およそ常人の眼では追えぬ速度で灰玄をすり抜け、その後方にいる怪物たちの鱗を削ぎ落とし、肉を殺ぎ落としていく。
ローザの先制に呼応して、扉の前で待機していた【パープル】達も、人でも獣でも無い亡霊の咆哮と共に教会内に押し寄せた。
【パープル】達が攻めて来ると同時に、灰玄の後方に待機していた青鱗の怪物達も、一度でも鼓膜に絡みついたら離れないような、全身の毛が逆立つ程の悍ましい恐声をあげた。
それはまるで、己らを鼓舞し、士気を高め合うようにも見える。
「螺蛇羅の落とし子たちよ、その牙、その爪を以てして──暴血鬼どもを根切りにし、腐れた肉を肉塊にして擂り潰せ!」
灰玄の言葉に対し、ローザが眉を顰めて怒鳴り散らす。
「だから暴血鬼じゃねえ【パープル】だっつってんだろ! おいオメーら、マグソ蛇女と変異生物のモンスターどもを骨も残さず喰らい尽くせ! 今日はフルコースの食い放題だ、遠慮はいらねえ──ハイに踊ってドープに暴れろ!」
灰玄とローザ。
二人の大号令と共に、教会内は地響きをあげ、飢えた亡霊と青鱗の怪物達が怒濤の如く相見え撃突する、烈しい戦場と化した。
その光景はまるで──
阿鼻獄で軀を焦がす汚穢の罪人が、嗄れ焼けた喉笛から吐き出す病的で狂おしく──果ての見えぬ悲鳴にも似た雄叫びの衝突り合いを、戦場に轟かせている。
──血潮を噴き出しながら翔び駆ける音──
──皮をひき挘り剥ぎ落とす音──
──屍を貪り噛み千切る音──
──骨を砕き破り踏み潰す音──
それらはまさに──狂騒の四重奏に咲く、黷宴の交響そのものだった。
荒れ狂う二足歩行の死獣となりし屍の亡霊と、青鱗の怪物達が──互いの五体に股がり、端端を一心に喰い散らす。
忌まわしい快楽に熟むようにして、流れ滴る血や、痣る臓腑の隅隅まで群がる鴉の嘴が、屍肉を啄み尽くすように血を啜り肉を蝕む──
四肢を失ったモノは、それでも死を許されず地を這いずりまわり──
──飢えしモノは、破竹に奔り、不乱に相手の腐乱たる血屍を蹂躙した。
教会内は真っ赤な血潮に染められし海となり、腐れ果てた屍衣なる肉片と暗い淵で青く鈍い輝きを放つ鱗達の肉片が、引き裂かれ捻伏せられ──無惨に山のように積み重なり散乱していく。
だが、お互いに一歩も引かない戦況は、次第にローザ側が有利となって行った。
力では灰玄に従う青鱗の怪物が上回っていたが──ローザが引き連れた【パープル】の軍勢は、永遠に続くとも思える数で、血潮の海に崩れ堕ちても尚──教会の扉から無数に突き進み雪崩れ込んで来る。
血に溺る屍の亡霊達は、やがて肉情に満たされし歓喜にも似た音で吠え──青鱗の怪物達を圧倒した。
「面白れえ──やっぱ面白れえよ戦場ってやつはよお! さあもっとだオメーら! 踊れ踊れ踊れ踊れ、最高にドープなパーティーだぜ!」
悦に浸り高慢に高嗤いするローザに対し、灰玄は冷水を浴びせるような口調で嘲弄する──
「いくら束になって来ようが、アンタは勝てないわよ。理の足枷を失った魑魅魍魎どもを従えた所で、魍魎は所詮──吠え唸るだけの魍魎に過ぎん」
その言葉は決して負け惜しみでも無ければ、時間稼ぎでも無かった──
なぜなら、言葉の端が終わると同時に、灰玄はローザの眼前に迫り、灰玄の掌打がローザの心臓を捉えようとしていたからだ。
その動きは一分の隙も見せない──
人速とは思えない迅速を超越した、神速だった。
しかしローザも咄嗟に両の掌を灰玄に向けて広げた──
「────ッ! 『レッド・ボックス』!」
瞬間──ローザの体は半透明の赤い壁に包まれ、灰玄の掌打からその身を守った。
「危ねえ危ねえ。オメーとは間合いを取って闘わねえとな……! 同じ轍を二度も踏むかってんだ」
そしてローザは、灰玄から距離を取るように後方に翔んだ。
だがローザは自らの体を使ってはいない──
その腕に巻かれた鎖が、刃で出来た両手両足のようになり、無数に散開していた刃は絡み合い──まるで己が四肢を操るが如く、四つの太い刃を床に突き刺し、その反動で後方に逃れた。
「なるほど。犬とも言え畜生とも言え、少しは学習能力があるみたいね──ならばっ!」
言うなり──灰玄は攻撃の的を変えて、ローザから【パープル】に絞った。
当然、ローザも絡ませた太い刃を無数の薄く平たい刃に戻し灰玄を狙う。
だが──その刃の切っ先は悉く灰玄には届かない。
否。刃の長さは十分に足りていた──速度でさえ常人の動体視力では追えない早さである。
しかし灰玄の神速に、それら全ては凌駕され、残像さえも視えない動きは【パープル】達の腹部に触れて行く。
灰玄の掌打が触れた瞬間、余りの早さに鞭が空を引き裂き鳴らすような音が響く──しかし触れただけであって、それは打撃による損傷が目的では無かった。
触れられた腹部は、その箇所だけ最初から切り込みが入っていたと思わんばかりに、大きなトンネルのような穴が空いた。
貫通され肉塊となった腹部の肉は、床に落ちる前に灰となり、物体としての面影さえ残さずに空を彷徨い消える。
腹部に大きな穴を空けられた【パープル】は、どしゃりと床に倒れこみ──陸に打ち上げられた魚のように、弓なりに体を反らせ痙攣し床を這いずり──やがて硬直し動かなくなった。
その一連の所作は的確で──瞬く間に何十、何百本もの、小さな針の穴に一本の糸を通すかのようにして【パープル】達の腹部を狙い──たちまちにして教会内にいた【パープル】の軍勢は、がくがくと両足を戦慄かせるように床に突っ伏して崩れていった。
美しさすら感じる程の動きで、灰玄は汗一つ掻くこと無く、まるで幽玄に舞うように、造作も無く──実に淡々と軽く片付けていく。
その様子は、逆に【パープル】達が、夜の帳に照らされた街灯に群がる蟲達の如く、灰玄に吸い寄せられるようであった。
ローザは、そんな灰玄を見て嘲笑混じりに語りかける──
「やっぱオメーもアタイと同じで、戦場の中でしか生きられねえ。その証拠に今のオメーの面は──最高にドープだぜ!」
その挑発に灰玄は尖った口調で異を呈した。
「一緒にするんじゃないわよ、この雌犬が。アタシとアンタじゃ闘争の本質が、根底から違う」
だがローザは嗤いながら、反駁する。
「違わねえさ。オメーは血腥いデッドラインの上でしか踊れねえ、クソの棺桶に片足突っ込んだ生きる亡霊だ。オメーもアタイも互いに──闘いの中でしか自分を見付けられねえんだよマグソ蛇女!」
ローザとの会話の中でも、歩みを止めること無く灰玄は【パープル】達を葬って行く。
──だが、先のローザの言に苛立ちを感じたのか──
──もしくは、ここで何も言わなければ、それを自分で認めてしまうと感じたのか──
──それとも、唾棄すべき事と感じたのか──
灰玄は自分でも分からない無意識の内に、ローザに対し挑発するかのようにして、揶揄った。
「全く──口の減らない雌犬ね。それに、そのマグソ蛇女って言うのは止めなさい。どうやらアンタの飼い主は、随分と言葉遣いの躾には甘いみたいね。飼い犬は飼い主に似るって言うけれど──アンタの飼い主も躾が必要なんじゃない? アタシがアンタの飼い主を一から教育してあげてもいいわよ」
灰玄の挑発は思った以上に効果があったのか、ローザは表情を紅潮させ怒りを露にした。
「うっせえんだよビッグマウスが! アタイをディスるのは勝手だが、アネゴだけはディスるんじゃねえぞマグソ蛇女!」
しかし、ローザの怒りはすぐに静まった──それはローザの中にある疑問の方が大きかった所為もあるが、『彼女』もまた、こと闘争において我を忘れる程の怒りが、そのまま死に直結することを本能で知っていたからなのだろう。
戦闘中にローザは、敵の観察を欠かすことはしなかった。
そして、今のローザの敵は灰玄に他ならない──そんな灰玄を観察する中で、ローザの中の疑問に答えを導き出す手だては一切無かった。
冷静に灰玄との間合いを取り、ローザはその疑問を投げかける。
「一つだけ分からねえ。オメーの能力──そいつは【ピース能力】と似てるが、何か違えんだよ。下手なマジックショーにしちゃあ、度が過ぎる破壊力だ。そのワックな【ピース能力】モドキは──いったい何なんだ?」
「下手なマジックショーなら、アンタだって使ってんでしょうが。それにこれは【呪詛思念】って言うのよ」
ローザの問いかけに、灰玄は首を傾げながら、あっさり答えた──だが、ローザはその返答に対して、理解に苦しむようにもう一度問いかける。
「だから──その『ジュソシネン』とかっつう能力は、どっから手に入れたんだって訊いてんだよ」
「手に入れたんじゃなくて、体得したのよ。まあ【波動思念】と違って、【呪詛思念】に関してなら──会得したとも言うけれど」
「体得? 会得? 訳の分からねえこと言いやがって。どんな手段で手に入れた能力か知らねえが──生まれ持っての【ピース能力者】なんていねえんだよ。つうか、このまま話してても埒が明かねえ。詳しいことはオメーを取っ捕まえた後に、全部洗いざらい訊き出してやる。そんで最後はオメーを拷問して、ぶっ殺してやっからよお──『Nox・Fang』の名の下にな!」
灰玄の言葉の意が分からず、増々疑問が脳内で膨らみ混乱したローザは、一旦自分を落ち着かせるように深呼吸をして──再び戦闘態勢に入った。
ローザは両の掌を灰玄に向けて広げる。
「オメーはちょこまかと素速っこいが──逃げらんねえように、押し潰しちまえば簡単なんだよ! 『クリアー・ボックス』!」
ローザが叫ぶと同時に、半透明の硝子のような檻が出現し、形を変えて巨大な壁となった。
それは、九条鏡佑と臥龍リンを閉じ込めている檻と酷似しているどころか、全く同じだった。
ローザは半透明の檻の形状を変え、巨大な壁にしたのだ。
その大きさは、教会の天上に届きそうな程で、横も左右に広がり教会の端まで伸びている。
そしてローザは、その壁を灰玄に向けて飛ばした。
灰玄が教会内で殲滅した【パープル】の軍勢も、また新たに外から、教会内に押し寄せて無数に入って来る。
「これでオメーは袋のネズミだ。まあ最後って訳じゃあねえが、オメーの能力──いや、オメーの【黒石名】を教えろ! 隠してるみてえだが、本当は【ピース能力者】なんだろ?」
「は? 前も言ったでしょ? アタシの国籍は日本人。それに何も隠してなんかいないわよ」
「ま~た『ニホンジン』かよ。そんな【黒石名】なんてありゃしねえって言ってんだろ! 真面目に答えやがれマグソ蛇女!」
「だから日本人よ。アンタ頭おかしいんじゃないの?」
「おい、いい加減にしろよ。ここまで言って、まだ白切るつもりか? 【黒石名】って言ったら、“もう一人の自分”の名前に決まってんだろ。つまり【ピースネーム】だよ!」
二人の会話の最中も、ローザが掌から出現させた半透明の巨大な壁は、灰玄を教会内の端へと追い込んで行く。
ローザは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、余裕の構えで壁に追いつめられる灰玄を見ている。
だが、灰玄はローザの壁に押し潰されることは無かった──
灰玄は飛んだのだ──
それは垂直に跳躍しただけだったが、その垂直に蹴った衝撃は教会の床に大きな穴を作り──教会の天上を突き破り──空高く飛んだ。
それは島全体を見渡せる程の高さにまで達し、もはや飛ぶと言う次元を超えて──翔ぶと言う表現の方が適切な程である。
灰玄の跳躍は、一天の空に向かい──まるで翼を得て垂直に飛翔し、駆け昇るような大跳躍であった。
「ったく! ふざけた奴だとは思ってたが──空に逃げるなんて反則だろ! 降りて来いマグソ蛇女!」
ローザの怒声は上空には届かない。
だが声の変わりに、灰玄は視た──
今まで汗一つ掻くことが無かった額から、冷や汗が流れるような感覚を与えるモノを、眼下に視たのだった。
沖縄本島と比べて、芥子粒よりも少し大きい程度の、小さな無人島の空から見下ろした夜色は──まるで、樹液に群がり暗闇を好む毒蟲達が密集し、蠢く姿を灰玄に連想させた。
夥しい数の死せる影が、肌と肌を触れ合わせるようにして、島中に雲合霧集し、その有り様はさながら──島が海中から浮かび上がり、ゆらゆらと揺れ動く黒き水草が島全体にびっしりと生えているようにも見える。
島を覆い尽くす【パープル】の軍勢を上空から視た灰玄は、ゆっくりと、鳥の羽が地に落ちるように音も無く、自分が貫いた天上の穴から降りて着地した。
だが、そんな大軍勢を視たにも関わらず、灰玄は動揺するでも恐怖するでも無く、ただ哀しく思い詰めた表情をしていた……。
「よお、マグソ蛇女。空のお散歩はどうだった? 最高にクールでドープな景色だったろ」
「全く……、これも因果か、背負いし業か。まさかアタシが『呪轟天』を使った後に、頃合い悪くアンタが暢気に来るなんて、夢にも思わなかったわよ。やれやれ──何とか『呪貫孔』で、この場は凌げると思っていたけれど……。いっそのこと一思いに『呪削孔』か『呪爆孔』でアンタも、その魍魎達も全部倒してやりたい所だが──今の消耗した精神じゃ、それも無理そうね。しかしまあ、これ程の数を連れて来るなんて──文字通り切りが無いって感じだわ」
「何言ってんのか分からねえが、この島全体は【パープル】で包囲してんだよ。つまりもうアタイの縄張り──フッドって訳だ! オメーはもう、どこにも逃げられねえ!」
灰玄はゆっくりと、堪え切れなくなった素振りで言葉を零した。
まるでローザの声が聞こえていないかのように──
まるで遠くを見つめ溜め息をつくように──
まるで自分自身に語りかけるように──
「すまない。アタシは結局……皆が残した大切な場所を守りきれなかった。許してくれ……本当に……すまない……」
灰玄は心の底から溢れる憂いを押し殺すように──震える唇を噛み締めて──潤んだ瞳から流れた情が──薄らとその頬を濡らした。
「ああん? オメー何ボソボソ言ってんだ? 自分が死ぬ前に懺悔でもしてんのか?」
ローザの挑発的な台詞は──灰玄には届かない──
もはや誰の声も、どんな音も届かなかった──
──そして、全ての咎と業をその身に背負うように、祈りの言葉を発した。
ゆっくりと──
ただゆっくりと──
深い眠りから解放するように──
深い闇の中から解放するように──
「信ずるものには甘き血を
疑うものには毒の血を
愚かなものには腐る血を
仇なすものには雷を
我は嵐の一腹児
逆らうものに死を浴びせ
逆らう愚者に裁きあれ
滴る血肉を獄卒へ
我は母なる螺蛇羅の信徒なり」
その言葉の奥には、何かを決意したような──重く哀しい響きがあった──
──と、同時に。
灰玄は渾身の力をこめて──床を殴りつけた。
その衝撃は地面のもっと深くにある海にまで届く程だった。
殴りつけた床は、天空から巨大な鉄球が落ちて来たかのような、深い穴を作り──その穴を作る為に飛び散った土は、平たい地面が、まるで怒れる火山の噴火のようになり、土砂が辺り一面に噴出した。
その衝撃に反応したのだろうか──地鳴りが紫電の如く──光の速さで底を奔る。
その地鳴りは異常に長く──臓腑を震わす程に大きく響き渡った。
ローザはすぐに異変に気づき、血相を変えて教会の外に駆け出して行く。
「オメーまさか……!」
「ああ、その『まさか』だ。螺蛇羅よ──醜なる雌犬の獄卒と、その魍魎共共──全ての一切衆生を薙ぎ驀せ!」
教会の外に飛び出したローザの瞳に映った光景は、ローザの想像を遥かに超えるモノだった。
「マジ……かよ……! 笑えねえぜ。前に見た時は、“これの十分の一”にも満たない大きさだったが──ここまで成長していやがったなんて……!」
動揺の表情を隠しきれないローザは、その想像を遥かに超えたモノを静寂の空に視た。
島を丸呑みにしてしまいそうな──地獄の門の奥に沈む、暗く湿った黄泉に続く道を彷彿させる、大きく開かれた巨口と──
それとは真逆に、闇を串刺しにして喰い千切ったように、光亡き空間の中で重重しく輝き連なった、巨大なる牙を剥き出しにして──
異形に輝く翼と躯は──鉄よりも堅い銀鱗に守られ、胴から尾の距離よりも長き腕の先の手は、山脈さえも一振りで裂いてしまう程の、嶮しい爪を生やした六本の指があり──
火柱を宿し、燃えるように燦然と眩しく、ギラつき血走った眼光は──黄金の月のようで、その視線の先だけ夜光が煌めき──
眼光を直視すると目眩で倒れてしまう程の閃光が、闇をかき消して島の輪郭をくっきりと照らし出している──
その瞳は──視界に入るもの全てを爛し滅する、冷たくも熱い──氷ついた太陽のようにも感じられた。
それはまさに、恰も深海の中に眠る──
恐怖と言う名の言葉を、この世に形ある存在として体現化させた──
異形なる巨構の大蛇だった。
静寂に沈む空は──その大蛇に導かれるのを待っていたかのように──忽ちにして、空は雷鳴が轟き黒風に舞う大嵐となった。
震える海原を持ち上げ──天から深海を落としたと思わんばかりの、大粒の真珠と見間違う程に激しい雨粒が地に降り注ぐ──
その雨粒は、もはや豪雨では無く──岩盤をも貫き穿つ、激流となりし水の槍たる瀧そのものであった。
空を震わす雷光は──天と地に亀裂を入れるように迸り──
大地の底から稲妻が噴き出したかの如く、地鳴りは轟震となり──地面を時化の荒波のように大きく揺らした。
灰玄が深海より喚び起こした『螺蛇羅』なる異形の大蛇は──ローザの目の前で、島中に密集していた【パープル】達を掃滅していく。
『螺蛇羅』は山さえ持ち上げてしまいそうな程の巨大な手で、無数の【パープル】達を掴み、柔らかい果実を手の中で絞るように軽く握り潰し──
──尾で叩きつければ、その衝撃で、隕石が落下して地面に大きなクレーターが出来たと思ってしまう程の、巨大な尻尾で圧し潰していく。
『螺蛇羅』の咆哮は大気を震わせ、一瞬だがローザに恐怖さえ感じさせた。
そして、島全体を覆い尽くしていた無数とも思える【パープル】の軍勢は、荒れ狂う『螺蛇羅』の猛攻を抑止出来ずに──
やがて次から次へと、原型が分からない程、無惨な肉片に姿を変えて──島全体に無数の血と肉片の雨を降らせた。
その量たるや、瀧のように降り注ぐ血雨が、暗夜の島一面を刹那のうちに鮮血に染め上げ──空から落ちる大粒の雫は、まるで真紅の宝玉のようであった。
この『螺蛇羅』なる異形の大蛇が現れたことにより、ローザが引き連れて来た【パープル】の大軍勢は一瞬にして壊滅状態となり──
優勢だったローザは瞬く間に劣勢となり──形勢は一変した。
だがその様子は──
戦場と喩えることさえ憚られる程の、余りに酷で残忍な──
殺戮の宴だった。
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