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第零章  深海巨構  零之怪

第7話 モテない男ほど、思い込みが激しい

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 *7


 はるばる来たぜ沖縄!
 めんそ~れ!

 ――まあ、沖縄に到着する前にも色々あったのだが。
 その色々は全て臥龍の自慢話である。

 と言うか、誇大妄想こうだいもうそうである。
 タクシーの中で……空港の中で……飛行機の中で……。

 自分は若くして三十代で教授になったが、俺は一年後、つまり今の四十代で名誉教授になる選ばれし男だ。
 だとか──

 自分はソクラテスの生まれ変わり。
 だとか――

 自分がエジソンよりも早く産まれていたら、先に電球を発明していたのは自分だった。
 だとか――

 自分が百年前に産まれていたら、とっくに自動車は空を飛んでいた。
 だとか――

 自分の成人式は、地下闘技場で地上最強の男を決める壮絶な大会だった。
 だとか――

 他にも数々のツッコミも入れたく無い、呆れる発言のオンパレードで溜め息しか出なかった。
 耳栓みみせんを持参して来ればよかった……。

 だが、灰玄は、そんな臥龍の幼稚な自慢話を、笑顔でずっと聞いていた。
 と言うか、その笑顔はまるで、小学生の子供が学校から帰ってきた時に、その子供に見せる、母親のような笑顔だった。

 自分の子供の自慢話を、嫌な顔一つ見せず、優しく聞いてくれる笑顔そのものだった。

 つまり、臥龍は灰玄から、子供のように思われているのだろう。

 よかったな臥龍、お前の幼稚な、誇大妄想にも近い――というか、誰が聞いても誇大妄想だと思う自慢話を聞いてくれる、優しい人が世界に一人だけいたぞ。


 「九条君、俺を褒めろ……」

 突然だった。
 唐突だった。
 沖縄の空港ロビーを三人で歩いている時に、小声で、灰玄には聞こえないように、臥龍は僕に、そう言ってきた。

 「え?」

 「だから……。俺がいかに優れた人物か分かってもらうために、君の口から直接、灰玄さんに俺のことを褒めろと言ったんだ……」

 もちろん、意味不明な発言だったので僕は臥龍にきかえす。

 「……なんで?」

 「君は俺の助手なんだから、助手らしく、俺のことを褒めるのは当たり前だろ」

 なるほど、つまり臥龍は灰玄の前で、格好をつけたいわけか――
 そして、僕の答えは決まっていた。

 「嫌だ」

 「そうか……残念だな。もし言ったら、君におこづかいで、一万円をあげようと思ったのだが……」

 「もちろん言いますとも」

 僕は即答した。
 自分でも驚くほどの、安い性格である。
 と言うよりも、この場合、驚くべきはお金の魔力である。
 お金の魔力は恐ろしい。
 人間が人の皮をかぶった悪魔なら、お金は、その人間と言う悪魔を食らう悪魔である。
 悪魔の中の悪魔だ。
 そして僕は、その悪魔に食べられた。
 まあ、この場合は自分から食べられにいったわけなのだが……。

 「あの、ところで、何て褒めればいいんですか?」

 「そうだな――『臥龍さんはいつも道を歩いていると、たくさんの人たちから、臥龍さんが執筆された本に、サインを書いて欲しいと、お願いされるほどの超有名人なんです』と、言え」

 こいつ正気か?
 小学生以下の恥ずかしい台詞せりふじゃないか。
 しかし、ここは我慢だ。
 お金のために我慢だ。

 「あの……灰玄さん……ちょっとお話があるんですが……」

 「どうされましたか?」

 はあ……恥ずかしくて、言いたく無いな……。


 「が、臥龍さんはですね。あの……道を歩いていると、たくさんの……人たちから、臥龍さんがですね……えっと、執筆された本に、サインを……書いて欲しいと、お願いされるほどの、ちょ、超……有名人なんです……」

 「そうなんですか。それなら私も是非サインを書いてもらいたいです。臥龍先生、もし宜しければ、私が購入させてもらった臥龍先生の本に、サインをお願い出来ますでしょうか?」

 い……良い人だった。
 灰玄は手持ちのバッグの中から、臥龍の本を取り出して、臥龍にサインをお願いした。

 「ええ! もちろんですよ。サインぐらい、お安い御用ですよ」

 臥龍はとても上機嫌だ。
 そして僕は、なにか人として、大事なものを失ってしまったような気分になった。
 自分のプライドを一万円で売ってしまった。
 我ながら、臥龍に負けず劣らず、実に安いプライドである。

 ――――そして僕は、臥龍からこっそり一万円を貰ったのだが、そんな事よりも、何か……。
 そう、何か不自然な気持ちが、胸の中をざわめかせた。
 沖縄と言えば、僕の中でとてもフレンドリーな場所だとばかり思っていたのだが、僕たちの周りをすれ違う人達は、一様に目線を下げて――――僕たちから避けるように歩いていたのだ。

 「ふっ――ふふふふふふ」

 臥龍が不気味に笑っている。

 「……どうしたんですか? とうとう気でも狂ったんですか?」

 「違う! これだからアベレージな学生は困るんだ。周りの人達は皆、俺の溢れ出るロッゴースのオーラに圧倒されて、目も合わせられないんだよ」

 どこまでもポジティブな――というか、どこまでも自分の都合の良いようにしか解釈が出来ない、可哀想なおっさんである。
 しかし、まあ。何と言うか――
 随分と無愛想な所である。
 てっきり、空港に付くと同時に、陽気な人達から歓迎されると思っていたのだが。

 これでは、東京とたいして変わりがない。
 行き交う人達は、僕たちと目も合わせようとしないし、よそ者を嫌う風習でもあるのだろうか……。
 空港のロビーから出て、沖縄の街を歩いていても、それは変わらなかった。
 この無愛想な感じは、何だか東京と似ているな。

 大都会東京。

 日本の中心であり、哀心ちゅうしんでもある冷たい大都会東京。

 人の数だけ街はうるおうが、心の数だけ情は渇いていく大都会東京。

 「うおーう! うおーう! うおーう!」

 臥龍が吠えた。

 「どうしたんですか? また気でも狂ったんですか?」

 「違う! 今、ロッゴースが俺の中に舞い降りて来たんだ」

 「――さっきから、ロッゴースって言ってるけど、ロッゴースってなんですか?」

  「ロッゴースは、俺の中に内在している、全知全能の言葉だ。その言葉が頭の中から舞い降りて来たんだ。そして、俺はいつもロッゴースを忘れないために、メモ帳とペンを常に持参している。常に思考を絶やさない俺は、常にメモ帳とペンも絶やさない。それに、このペンは象牙ぞうげで作られた万年筆だ。凄く高い。羨ましいだろ?」

 臥龍は僕に、万年筆を自慢して見せて来た。
 正直、その万年筆を折ってやりたくなった。
 臥龍は得意げに、万年筆をくるくると手で回していると、万年筆が勢い余って、どこか遠くに吹っ飛んだ。

 「うおーう! 俺の大事な万年筆が!」

 ざまあ見ろ臥龍、これが天罰だ。
 臥龍が万年筆を探していると、小さな、小学生になったばかりぐらいの、男の子が臥龍に話しかけて来た。

 「おじちゃん。これ、もしかして、おじちゃんの?」

 それは、まぎれも無く、今さっき臥龍が僕に自慢げに見せびらかしていた、万年筆だった。

 「おお! ありがとう坊や! それは俺のだ。お礼にお菓子でも――」

 「すいません! 本当にすいません!」

 僕たちの目の前に、男の子の、お母さんらしき人が走って来て、何度も頭を下げて謝っている。

 「あ、いや。違うんですよ。この子は、私の万年筆をわざわざ渡してくれた、心優しい男の子でして――」

 「すみませんすみません! 申し訳ありませんでした! ほら! 行くよ!」

 臥龍の話しも聞かずに、男の子のお母さんは、男の子の手を強く掴みどこかに去って行った。
 ――――いったい何だろうか、この違和感は……?
 謝っていると言うよりも、男の子のお母さんは、何かに怯えているような表情だった――

 「ふっ――ふふふふふふふふ」

 「……今度はなんですか? やっぱり気でも狂っ――」

 「だから違う! あの女性、つまり、男の子のお母さんだが。俺にサインをして欲しかったんだ」

 「は?」

 「だからサインだ。しかし、俺の溢れ出るロッゴースのオーラが強過ぎて萎縮いしゅくさせてしまい、サインが欲しいと言えなかったんだ。サインぐらい、いつでも書いてやるのに。俺も罪な男だ」

 ……呆れて物も言えないとは、まさに、このことである。
 僕はすぐに、この馬鹿と離れたかったので、一足早くホテルで待機していようと思い、ホテルの場所を聞いてみた。

 「あの、ところで。ホテルの場所を教えてもらえませんか? 僕は先にホテルで待機してるので」

 「ん? ああ、ホテルか。ちなみにだが、君がこれから行くホテルだがな、アベレージな学生の君には逆立ちしても泊まれない、超高級ホテルだ。つまり九条君……俺に感謝しろ!」

 「だから! そんなことじゃなくて、ホテルの場所を聞いてるんだよ」

 「あのう、もし宜しければ。講演会まで時間がありますので、せっかく沖縄に来たのですから、これから海にでも行きませんか?」

 灰玄の提案だった。
 僕にとっては、最悪な提案だ。
 早く、ホテルに行って汗を流した後に、冷房の効いた涼しい部屋で、昼寝でもしていたいのに……。

 「いいですね! 沖縄と言えば海ですからね!」

 臥龍はノリノリである。

 「それじゃあ、お二人だけで楽しんで来て下さい。僕はホテルで待っていますから」

 「駄目だ。君も一緒に来るんだ」

 「なんで?」

 「九条君。君は俺の助手だ。助手なのだから俺と一緒に来るのは当然だろ」

 「そんなこと言って……また灰玄さんの前で、俺を褒めろとか言うつもりなのか……?」

 「…………」

 「図星かよっ!」

 「ま、まあいいじゃないか。人数は多い方が楽しいぞ」

 こいつは、いったいどこまで見栄を張れば気が済むのだろう。

 「海に行ったらクルーザーもあるので、お二人とも沖縄の海を満喫できますよ」

 「クルーザーですか! いいですね。実は、私は一級船舶免許いっきゅうせんぱくめんきょを持っていますので、クルーザーの操縦でしたら、まかして下さい。大学では学生達から海の男とまで呼ばれるほど、誰よりも海を愛していますから」

 出たよこいつ、また口からでまかせ言っていやがる。

 「それは頼もしいですわ。臥龍先生は学問にとどまらず、アウトドアなご趣味も、お持ちな方なんですね」

 「いやいや、それほどの――者ですよ」

 だから肯定するなよ……。

 灰玄がタクシーを呼び、海辺までたどり着くと、僕が今まで写真でしか見たことの無い沖縄の海とは、まるで違った。
 海と空が、眩しい碧色あおいろに溶け合っているほどの、澄んだ海は、僕が昔、小学校の遠足で行った、ゴミが散乱している海とは真逆だった。

 一日中ずっと見ていても飽きないほどの、吸い込まれそうな空と雲の間から、すり抜けるようにして輝く陽射しに海面が照らされ、静かに流れる潮風と波の音の隙間から反射される宝石のような光は、僕の海にたいするイメージを全て変えるには、十分過ぎるほどの衝撃だった。

 「それでは私は、ちょっとクルーザーを借りて来ますので、お二人は少し待っていて下さい」

 海辺にたくさんあるクルーザーを借りるため、灰玄がクルーザーの貸し出し店に行っている時にまたしても、臥龍の誇大妄想が始まった。

 「ふっ。俺も罪な男だ」

 「……まあ、確かに。自分の本を買わせるために、学生に一冊につき、一単位を上げるのは罪だと思う……」

 「違う! そういう意味じゃない!」

 「じゃあどんな意味なんだ?」

 「灰玄さんは、俺に惚れている」

 「は?」  

 「だから、俺に惚れていると言ったんだ」

 「なんで?」

 「まあ、アベレージな学生の君には分からないと思うが。女性の方から海に行こうなんて言うのは、この俺に気がある証拠に違いないんだよ。ふっ――――ふふふふふふ」

 「…………」

 こいつは絶対に、百歳以上は長生きするだろうな。

 「クルーザーの手配が終わりましたよ。こちらです」

 灰玄が戻って来た。

 そして、灰玄の横には下を向いて、こちらに目を合わせないようにしている、水夫すいふらしき男性もいた。

 「こちらの方が、クルーザーの操縦をして下さるそうです」

 「……」

 灰玄の横にいる男性からは、返事もなにも無かった――
 クルーザーの操縦をしてくれると、灰玄が紹介した男性は無言で下を向きながら、挨拶も交わさずに、クルーザーに乗っていった。
 驚くほど無愛想な人だ……。
 しかし、それよりも。
 その操縦をする男性の風体が、僕には理解出来なかった――
 真夏だと言うのに、ロングのレインコートを着て、頭には深々とフードも被っている。

 おまけに、長靴と黒のゴム手袋まで……。
 クルーザーの操縦をするだけなのに、どうして、ここまでの完全防水の格好なのだろうか。

 そして、なぜ誰も、その異様な風体を気にしないのだろうか――
 もしかして、僕が知らないだけで。クルーザーの操縦をする時は、こんな格好をしなくてはいけないのだろうか――
 臥龍に聞いてみてもいいのだが……もう完全に自分の世界に入っているので、聞いても無駄だろう。

 「それじゃあ、講演会まで暫くの間、一緒に海を満喫しましょう」

 灰玄が笑顔で言うと、臥龍が調子良く合いの手を入れる。

 「ええ! 楽しい海の小旅行に出発ロッゴース! あっははははは!」
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