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第64話:一方そのころ(ベアルゴン視点)
しおりを挟む「……グルゥ……」
鼻から息が漏れ、喉が僅かに鳴る。
どうやら、長く寝ていたようだ。しかし、どの節々にも違和感はない。
この畳という床は、地べたと違って体が固まらんのがいい。
「起きられましたか、守護者様」
『うむ』
我の隣で、豆粒のような小僧が微笑む。
我の起きるタイミングを計っていたとでもいうのだろうか。その手には盆があり、我専用の湯飲みが乗っている。
今日はヤテン茶か。やはりあ奴がおらんとヤテンの比率が多いな。だが、美味い故に許そう。
『……外は雨、か』
「はい。ですが、ココナ様と守護者様の建てられた住居のおかげで、快適そのものです!」
『ふむ……確かに、な』
ヤテン茶を受け取り、一口すする。
その瞬間、様々な苦みの中に花の甘みが通っていく。素直に、美味い。
しかし、確かにこの家は良いものだ。湿気も適度に逃げ、濡れず、気付けば快適な空間に戻っている。
昔の我ならば、この程度の雨風は無視できたが、今は煩わしいと感じてしまうだろうな。
利便というのは一度知ると、他の不便に耐えられなくなるものだ。
『……ちんくしゃは、今頃エルフの里を混沌の坩堝に変えている頃か』
「あ、あはは……どうでしょうね?」
この我に、不便を一番に感じさせた女。
そして、この我を様々な感情で縛っている女。
この家の利便を感じる度に、そして茶の一杯を飲む度に、あの女が頭に浮かぶ。
(さて、あ奴に会うまで、我はどのように生活しておったか……)
ふと、そんな思案をくゆらせてしまう。記憶の蓋というのは、一度想えば勝手に開いてしまうものだ。
我の思考は、雨を見ながらも過去へ飛ぶ。
あの女が来る、遥か昔の時代まで……
◆ ◆ ◆
我の居城はただの横穴であった。
それで不便もなく、また環境如きで我が弱る事など無かったからだ。
食い物にも困らなんだ。森の中というのは、とかく命に溢れておる。時折穴から出て、獣や魔物を狩って食えば、それでよかった。
唯一不満があるとすれば……茶が飲めぬという一点であった。
かつて、我が人里にて霊獣などとはやされた時代があった。この大陸が戦乱に堕ちる、更に前の時代にだ。
そこで開かれた、大規模な祭り。数多の種族が垣根無く騒いだ、もはやあり得ぬ光景。
そこで祀り上げられた我に差し出されたのが、樽一杯の茶であった。
まず香りに誘われた。あの芳醇な、鼻孔の奥に巣を作るかのように残る甘美。とても我慢のできるものではない。
たまらぬと一口飲んだ瞬間に、我はもうその茶に心を奪われた。
吹き抜ける爽やかな風味。甘みを出すために入れられたハチミツ。全てが我を魅了した。
それからというもの、事あるごとに茶を人間に所望していた我だったが……時が進む度に、種族間の溝が深まっていき、ついには茶を飲めなくなった。
たった一匹の、悪しき獣。あ奴の存在が原因で、人々の結束は離散した。
愚かしい話と思うが、あの獣が相手ではしょうがない。あ奴がいるだけで、この世全ての生命が争いを始めるのだ。
邪獣……我をして封印しか手段を用いる事が出来なかった、唯一の存在。
結局、あ奴を封印した頃には、大陸は5つに分断。内2つの種族は率先して他国を攻めるようになり……世は戦乱に包まれた。
我もまた、いずれ奴を滅するために、邪獣が眠るこの地を見張り、外に出なくなった。
それから……100年か。
人の世は沈静と再燃を繰り返し、今なお終わらぬ戦を続けている。
否、大陸南の3種族はもはや戦などどうでも良さそうなのだが、残り2種族が率先している故に終わらぬのだ。
我が一喝すれば終わる戦火では……とも思うが、人里に姿を現さなくなって100年経つ。そんな我が出張った所で、なんの意味があろう。
それに、人間共の愚かさに辟易していたのもある。邪獣が元の原因とはいえ、100年も続く呪いではなかろうに。
結局遅かれ速かれ、やつらは同じ未来を辿ったのだ。そう思わずにはいられなんだ。
故に我は、あ奴を殺す事のみを考えて、穴倉にいた。
年々弱まっている封印を感じながら、牙を磨いた。
……そんな折、オベロンめから連絡があったのだ。
管理者をそこに送る、と。
何を今更、と思った。上位精霊に捨てられ、混沌と化したこの森を管理できる妖精などいるものか、と。
しかし、来るからには無下にも扱えん。ひとまずこの辺の魔物の掃除でも……と、久方ぶりに洞窟を出てみれば、あのマンティコアよ。
大方他の大陸から泳いで来たのだろう。あ奴ほどの力を持った者が、この森に居続ければどうなるか。それは恐ろしい事になる。
故に、全力で排除しにかかった。
全力で潰し、逃げられ、追い、また潰す。
それを続け、ようやく殺せる。その段階まできて……高濃度の魔力反応。
マンティコアは、失った体力を取り戻すためにそちらに走り、我もまた、追った。
そこで出会ったのが……ちんくしゃであったな。
情けなく、小うるさく、脆い。そのくせ、身に宿す魔力だけは一級品以上と来ている。危なっかしくてしょうがない小娘だった。
オベロンに叩き返してやろうかとも思ったが……我に、茶をやるから一緒にいろなどと。かような殺し文句もそうはない。
久方ぶりに茶が飲めるとあっては、我も心中穏やかではおれぬものよ。
で、結局欲に負け、茶を嗜み、その力に驚愕し……
◆ ◆ ◆
『今に至る、とな』
「はい?」
『何でもないわ』
そう、ちんくしゃは今、この大陸を変えつつある。
誰もなしえなかった大義を、たった1人でこなしつつある。
それが、茶を飲みたいからというくだらぬ理由で行われているというのがいささか拍子抜けだが、古今東西、馬鹿には誰も勝てぬものよな。
(……なればこそ、あれの魔力を使えば……奴を滅する事もできよう)
もう少しで、封印が解ける。
邪獣よ。その時には、我が直々に手を下そう。
100年にも及ぶ因縁に、決着をつけようぞ。
我は、降りしきる雨の中に感じる邪獣の魔力を払い、茶を飲み干した。
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