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第30話 葵姉様の婚約事情とお父様の話

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 葵姉様が用意したオーバーオールを着用したボクは、葵姉様のメッセージ通りに部屋の前へとやってきた。同時に軽くコンコンとノックをして呼びかける。 
「葵姉様、来ましたよ~」 
 ボクがそう言うとすぐに扉が開き、葵姉様が満面の笑顔で出迎えてくれる。相変わらずお母様にそっくりだ。 
「いらっしゃい、待ってたわ。雫ちゃんにも来てもらってるから入っちゃって」 
 葵姉様に誘われるがまま部屋に入っていく。葵姉様の部屋はきちんと整理されているけど、物が多いので少し手狭に見えてしまう。仕事の関係上、ボクたち一家の中では一番広い部屋をもらっているし、妖精郷の方にもいくつか部屋を持っている。それでもここまで物が多いのだから困ったものだと思う。しかも本人曰く、趣味用6割仕事用4割なのだとか。一回衣装専用の部屋を見せてもらったことがあるけど、どこかのアパレルショップの倉庫かと思うほど服が並んでいた。古いものから新しいものまで色々なものがあったので、あまり捨ててはいなさそうだ。この前なんか妖精郷の葵姉様の部屋から一台百万円の値段が付いていたアンティークなおもちゃが出てきた。さすがに驚いたし、状態も未使用かつパッケージに入ったままだったのでほしい人からしたら相当なお宝になっていることだろう。 
「それにしても雫ちゃんも来ていたんですね? 普段来るときは必ずボクに挨拶に来るから、家に来ているとは思いませんでした」 
「こっちには来ていなかったわよ? 本邸の部屋にいたから絵のモデルとして連れてきただけだから」 
「それは来てもらっているとはいいませんよね!?」 
 何でもないようにそう言った葵姉様にボクは思わずツッコミを入れてしまった。 
 
葵姉様はボクや弥生姉様と違ってお母様の最初の女子ということもあって、お母様の生き方を見て育ってしまったと宗親兄様が言っていた。後に生まれたボクたちとはかなり歳が離れているので価値観もだいぶ違うという問題もある。長男である宗親兄様と長女である葵姉様はお父様がまだ健在だったころの生まれなので、年齢で言えば千歳は軽く超えている。それに対してボクたちはといえば、お父様の残した精からの生まれなので、実際にお父様に会ったことはない。そんな事情もあるせいか葵姉様はやたらとボクたちに甘いのだ。 
 
「あら、でも暮葉ちゃんと一緒に居てもいいからって言ったら、『はい! 喜んで!!』って元気に尻尾を振りながら言っていたわよ?」 
「雫ちゃああああん……」 
 葵姉様のその言葉を聞いたボクは思わず頭を抱えてしまった。雫ちゃんはボクのことになるとコロッと騙されてしまうほど単純になるのだ。狗賓は犬っぽいというか狼っぽいと思っていたけど、たぶん雫ちゃんの場合は柴犬か何かなんじゃないかなと考えてしまう。 
「うふふ、あらあら。仲の良いこと。さて、それじゃあ中に入って頂戴」 
 頭を抱えているボクを楽しそうに見ながら、葵姉様はボクを部屋に招き入れた。中に入ると、ローテーブルの前に座りやたらとニコニコしている雫ちゃんが待ち構えていた。 
「お待ちしておりました! 葵様に攫われた時はどうしようかと思いましたけど、暮葉様にお会いできたので何も問題なしです!」 
 雫ちゃんが嬉しそうで何よりです。ボクは不満だけど仕方ないよね? しかし雫ちゃんの現金さにも困ったものだとボクは思った。 
「まぁ、その無防備さが雫ちゃんの良いところなのかもしれないけど。それはそうと、さっき葵姉様の婚約者という人が来ていましたけど、お会いしましたか?」 
 未だニコニコしている雫ちゃんのことはさておき、ボクは葵姉様に向かってさっき起きたことについて尋ねた。そもそも弥生姉様は知っているようだったけどボクは全く知らなかったのだから、話くらいは聞いておきたいのだ。 
「婚約者? 誰かいたかしら?」 
 ボクの言葉を聞いた葵姉様は顎に人差し指を当てて小首を傾げる。この動作をするということは、葵姉様の頭の中にはその記憶が全くないか、もしくはほとんど残っていないということである。なのでさらに具体的に聞くことにした。 
「井坂源一郎という人なんですけど、ご存じですか?」 
「あぁ、源君ね。でも昨年解消したと思ったのだけど、まだ挑戦しているのかしら」 
 井坂源一郎という名前を具体的に出すと、葵姉様は掌をポンと叩きそう答えた。しかしその口から出た言葉は『昨年解消した』というもの。これはいったいどういうことだろうか。 
「解消……ですか? 良い人そうな上に有能そうな男性でしたけど、また何で?」 
 ああいう人ならお母様も了承するとばかり思っていたので、お母様の言葉ならよく聞く葵姉様が自ら解消するとは思えなかった。まさかお母様からのNoということ? 
「お母様達は当然私にどうしたいか聞いてきたのだけど、源君って見た目は良いし有能なのだけど、面白みに欠けるのよね。彼自身はVtuberとしても活動しているけど、基本的に紳士だから視聴者の層もそういう人を求めてる子ばかりなのよ。そうしてそういう風に振る舞う源君を見て、『うん、なかったことにしよう』って思ってしまったの」 
 葵姉様は婚約解消の経緯をそう淡々と語った。そしてそこで語られた振る舞いというのが大きなポイントだった。なぜなら――。 
「見た目が良くて有能でさらに紳士、そこに面白みが加わった人って誰かわかるかしら?」 
 葵姉様はボクに向かってそう語りかけてきた。これならわかる。その答えは――。 
「宗親兄様」 
「えぇそう。兄妹と比べるのはどうかと思うのだけど、同じように振る舞うならどうしても宗親兄様に軍配が上がるわね。まぁ宗親兄様はお父様に影響されているから、なおさらなのかもしれないけど」 
 葵姉様は微笑みながらそう語った。だからこそボクは聞いてみた。 
「お父様ってどんな人だったの?」 
 
 それは何気ない質問だった。そして最初に返ってきた言葉は思いもよらないものだった。 
「お父様は元人間よ。この世界より上の、高位次元からやってきた科学者だったそうよ。でも科学者って言う割にはひょうきんで面白くて、何にでもチャレンジして楽しむ人だったわ」 
『お父様は元人間』これは予想もしなかった言葉だった。その上、この世界とは別の世界から来たというのだ。なんとファンタジーな答えなのだろうか。ボクたち妖種も大概だと思っていたけど、まさかその上を行く言葉が聞けるとは思いもしなかった。 
「そう、なんですね。それでお父様はなんでこの世界に?」 
 ボクの知らないお父様のこと、これから先も出会えるかわからないお父様のことを、ボクは尋ねた。 
「すでに作られた世界を調べて、独自の世界を作ることを目的にしていたらしいわ。まぁその試みは成功して、新たな世界を作り出すことには成功したみたいね。でも向こうで色々やっていてちょっとしたトラブルが起きたらしいわ。その結果が今の眠りに就いた状態のお父様ってわけ」 
 葵姉様はそう簡単にまとめて話してくれた。でもまだ聞きたいことはたくさんある。 
「トラブルですか? 眠りに就くほどってどういう……」 
「簡単に言うと、身体が得た新しい力に魂が耐えられず衰弱してしまったの。それで今、お父様は魂の再構築中ってわけ。でもそれには、お父様が残した技術を使って生まれた暮葉ちゃんの力が必要なの。まぁその話はまた今度ね? 今回作るバーチャル街も限定的にだけど、新しい世界を妖精郷に作り出して作っているのよ。それもお父様の技術ね。天照様たちでは新しい世界は作れないから。イザナギ様なら作れるみたいだけどね」 
 ボク自身もよく知らなかったバーチャル街計画の一端をここで知ることになるとは思わなかった。まさかそういう仕組みだったなんて……。 
「天照様は言っていたわ。きっと高天原もこうやって生まれたんだって。そしてこれは新しい次元へ、私たちを導いてくれるものだってね」 
「あーちゃんがそんなことを……」 
 ボクのよく知るあーちゃんはいつも明るく、そしてはた迷惑だったけど、そんな思慮深いことも考えることが出来るって今日初めて知ることが出来た。とっても失礼な言い方なのはわかってるけど、いつもやってることがやってることなので仕方ないと思う。 
「バーチャル街はいつ入れるようになりそうなんですか?」 
「もうすぐよ。すでに住民の第一弾募集は終わっていて、開かれると同時に住民が誕生するわ。もちろん私もデザイナーとして向こうにキャラクターを作ってあるから、服とかに困ることはないと思うわよ。というわけで、それも兼ねて二人には着てもらった服のままモデルをしてもらうからね。雫ちゃんにはいくつかやってもらってるけど、一通り終わったら新しい服に着替えてもらうつもりだから、よろしくね」 
 葵姉様はウィンクを一つすると、さっそくスケッチブックを手に取る。そんな葵姉様を見つつ、ボクはちらりと雫ちゃんの方を見る。 
「あ、暮葉様。モデルって、体勢とか色々きついんですけど、私は葵様に色々とやらされて慣れているんです。もしよかったらアドバイスするのでいくらでも聞いてくださいね!」 
「あはは、ありがとう。でもそんなにやっていたなんて知らなかったよ」 
 騙されて連れてこられた割には、葵姉様のお願いにはしっかり答えているようだった。 
「そうですね~。(まぁ今までは暮葉様のブロマイドを頂けていましたからねぇ。今回は何もない上に暮葉様に会えるからって……)」 
 雫ちゃんはそう答えると、何やらぶつぶつ小声で言い始めた。ちょっと聞き取れなかったので何を言っていたのかはわからなかったけど、雫ちゃんが強制されていないなら問題はないだろう。 
「さ、二人ともおいで。さっそくだけど、雫ちゃんと暮葉ちゃんは向かい合って抱きしめ合ってね。仲良しシーンも描きたいからお願いね」 
「はい!!」 
「えっ? あ、は~い」 
 何やら不穏な気配を雫ちゃんから感じつつ、ボクは葵姉様にそう返事をするのだった。 
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