悪夢症候群

緋色刹那

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第4部 第3章『天使神様と悪魔神様』

第4話『偽りの使徒』⑴

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 雨が降り始めた。
 土砂降りの中、あー子はトボトボと夜の街を歩く。涙は雨と共に流れ落ちた。
「オネーさん、ちょっと寄っていかない?」
「稼げるバイト、紹介してあげるからさぁ」
「雨宿りしていきなって。風邪引いちゃうよー」
 道中、怪しげな客引きに声をかけられたが、望月に拒絶されたショックで聞こえていなかった。
 しばらくして、「天使様と悪魔様」の本拠地である大聖堂にたどり着いた。金もツテもないあー子がいられそうな場所は、ここしか残っていなかった。
「お、邪魔します……」
 恐る恐る扉を開き、中へ足を踏み入れる。
 集会は終わっていたが、祭壇の前で女性が祈っていた。間宮が望月に紹介しようとした、信者の野々原だった。
「ノバラ様、ノバラ様。どうか、私の懺悔を聞いてください。そして一日も早く、私の悪夢を終わらせてください」
「ノバラ、様?」
 なんとなく聞き覚えのある名前ような気がした。それに、野々原の声も。
 野々原は薔薇のロザリオを握り、涙ながらに懺悔した。あー子も祭壇へ近づき、野々原の懺悔に耳を傾ける。
 野々原が語ったのは「罪」の話だった。
 今から十四年前、ある人とその大事な人を得体の知れない力でと。それ以前にも何度か力を使い、多くの人々を傷つけていたと。
 恐ろしいことに、どちらの記憶もつい最近までのだと。
「警察にも家族にも相手にされず、罪の意識から毎晩死ぬ悪夢まで見ます。どうか、ノバラ様のお力で私が犯した罪を明るみにし、罪を償わせてください」
 野々原は静かに涙を流す。
 あー子は不思議そうに首を傾げた。
(私……。このお姉さんのことも、お姉さんがしたことも)
 同時に、腹が立ってきた。バカ正直に懺悔する野々原と、立ち尽くすことしかできない自分に。
(どうして? どうして私がこんなにイライラするんだろう?)
 考えるうちに……思い出した。
「……そうだ。私はあー子じゃない。私は、だ」
 つぶらな瞳に殺意が宿った。



 間宮が「天使様と悪魔様」への潜入取材を始めてから、一週間余りが過ぎようとしている。
 一生分のスクープを世に送り出してきたが、未だノバラの写真は手に入れられていない。
 上司は
「いっそ居着いてしまえ。お前にとっても、最高の環境だろう?」
 と、冗談めかして言っていたが、このままでは現実になりかねなかった。
 「今夜こそは」と気合を入れ、夜の集会に参加した。
「本日"施し"を受ける者は前へ」
 いつものように信者の名が呼ばれる。今日も間宮は呼ばれなかった。
 代わりに、知った名前が呼ばれた。
「野々原夢雲むくもさん」
「ッ! はい!」
 野々原はハッと顔を上げ、立ち上がる。
 途端に、他の信者が残念そうにざわついた。
(野々原さん、ついに呼ばれたか。明日は荒れるな)
 間宮は翌朝の男連中を想像し、苦笑した。
 野々原は先に呼ばれた信者の横に並び、順番を待つ。
 時々、不安そうに振り返る。望みが叶うのが待ち遠しいような、叶うことを恐れているような……複雑な表情だった。
(そういえば、野々原さんが入信した理由を聞いたことがないな。誰が聞いても、頑なに答えてくれなかったらしいが……)
 その間、選ばれた他の信者達がノバラに悪夢を見せられ、散々な目に遭っていく。ステンドグラスの光で失明し、全身をハサミで貫かれ、白紙のラブレターを読んで号泣し、過去の黒歴史ごと存在を抹消された。
 ひとり、またひとりと大聖堂を去っていき、最後に野々原がひとり残った。
「では、最後の方」
「はい」
 野々原は祭壇の前に膝をつき、ロザリオを握る。
 懺悔と共に、見せて欲しい悪夢願いを口にした。
「ノバラ様、ノバラ様。どうか、私に罪を償う機会をお与えください。私は十四年前、不思議な力で人を殺めてしまいました。高校の同級生の子と、彼女の旦那さんをです」
 信者の間に動揺が走る。悲鳴すら聞こえた。
 間宮も驚きを隠せなかった。
(人を殺した? 野々原さんが?)
 殺人など、誠実で優しい野々原が最も手を出さなさそうな罪だ。むしろ、野々原こそ誰かに殺されそうな雰囲気がある。
 野々原は構わず、懺悔を続けた。
「彼女と話したのは数え切れるほどでしたが、あの子は私にとっては特別な存在でした。二人だけではありません。私は知らず知らずのうちに、大勢の人達を傷つけてしまっていたのです。しかしそのどちらの記憶も、つい最近まで忘れていました。こんな大事なこと、忘れるはずが……忘れていいはずがないのに」
 野々原は悔しそうに震えた。
「私はすぐに警察に自首しました。ですが、『証拠がないから』と追い返されてしまいました。無理もありません……私にも彼らを殺めたのか、分からなかったのですから」
 間宮も信者も怪訝な顔をする。
 自ら手をかけておいて、肝心なところは分からないまま……そんなことがありえるのだろうか?
「家族にも信じてもらえず、病院へ行くよう勧められました。罪の意識からか、毎晩死ぬ悪夢まで見ます。ノバラ様、どうか私に罪を償わせてください。お願いします」
 野々原は自らの罪を信じて疑わず、ノバラに懇願する。
 「ちょっと待ってくれ」と信者のひとりが立ち上がった。
「野々原さん、それは貴方の思い込みだ。方法が分からないのに、どうして自分が殺したと確信できるんです?」
「それは……私が二人を殺したいと、願ったから……」
 それを聞いて、他の信者も立ち上がる。
「ノバラ様じゃあるまいし、願うだけじゃ人は死にませんよ! 俺だって、嫌いな友人に何度も心の中で『死んでくれ』って願いましたけど、ピンピンしてますからね!」
 野々原は何か言おうとして、口をつぐんだ。他の信者達も彼女を励ましたが、野々原は申し訳なさそうに黙り込むばかりだった。
 しばらくして、沈黙を守っていた神父とシスターが怪訝そうに祭壇を見上げた。祭壇の裏から幕の中へ入る。間宮も二人の行動を見て、異変に気づいた。
(おかしい。なぜ、野々原さんは平気なんだ? いつもならとっくにおかしくなっているはずだが)
 ノバラは信者の願いを聞き終えると、問答無用で悪夢を見せる。願った本人が拒もうが、お構いなしだ。間宮の知る限り、ノバラが悪夢を見せなかったことは今まで一度もない。
 願った信者はおおよそ十秒以内には悪夢を見せられ、狂う。それを見て「あの信者は悪夢を見せられているのだな」と初めて気づくのだ。
 信者達は野々原を説得するのに夢中で、異変に気づいていない。野々原も祭壇をチラチラとは見るが、そこまで大ごとだとは思っていないようだった。
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