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第4部 第3章『天使神様と悪魔神様』
第2話『塩、多い』前編
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「ハァ……」
潜入調査二日目。
「天使様と悪魔様」の寮で出た朝食は、意外にも和風だった。玄米、焼き魚、ひじきの煮物、玉子焼き、味噌汁、漬物……健康に配慮し、全体的に塩分は控えめだ。
(朝六時に起きて、軽く運動。三食きっちり食べられる上に、外出も自由。夜は集会の後、十時に就寝……か。このまま潜入していた方が、体は健康になりそうだな。いったい、いつになったら帰れるのやら)
昨夜の集会の後、間宮は足名と善田のことを上司にメールで報告した。
大人気アイドルとやり手経営者までもが「天使様と悪魔様」の信者だったというスクープに、上司も興奮を隠せない様子だった。
「良くやった! で、教祖の写真は? お前も悪夢を見せられたんだろう?」
間宮は「それが……」とバツが悪そうに答えた。
「俺の前には姿を現さなかったんですよ。他の信者には教祖が見えていたみたいでしたけど」
「おいおい、何のために高額の経費を注ぎ込んだと思っているんだ? いくら調査だからって、教祖が対応できないような悪夢を頼むんじゃない!」
「無茶な悪夢なんて頼んでないですよ。俺はただ、"夢を見てみたい"って言ったんです。それって、教祖がいつもやっていることじゃないですか」
「……確かになぁ」
上司も訝しむ。
間宮の体質上、悪夢を見られないのは仕方ない。ただ、なぜノバラまで姿を現さないのか疑問だった。
「他の悪夢を願った方が良かったんでしょうか? 今まで夢を見たことがないって言ったら、すっげー驚かれましたよ。神父とシスターも最初は余裕そうな態度でしたけど、俺が本当に夢を見ないと分かった途端、顔から笑みが消えましたからね。『貴方にはまだ信じる力が足りないようです』って保留にされましたよ」
「絶対権力者であるはずの教祖の力が通用しなかったんだ、追放されなかっただけマシだな。引き続き、調査を頼む。神父とシスターについては、こちらで調べておこう」
「お願いします」
……間宮は気づいていなかった。集会からずっと、ノバラが背後から手で目隠しし続けていることを。
普通の信者ならとっくに意識を失い、悪夢に囚われているはずだ。が、間宮には全く通用していなかった。
「おや、元気ないですね? 塩、いります?」
間宮が落ち込んでいると、向かいに座っていた信者の男が塩の瓶を差し出してきた。海外の高級岩塩を砕いたもので、他のテーブルにはない。
「それ、私物っすか?」
「はい! 許可は取ってあるので、安心して使っていいですよ!」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
間宮は借りた塩を焼き魚にかける。塩分が加わり、より美味しく感じた。米が進む。
「うん。美味いっす」
「口に合って良かった。昨日は善田さんが倒れられて大変でしたからねぇ、新人さんが落ち込まれていないか心配していたんですよ」
「ここではあぁいうこと、よくあるんですか?」
「日常茶飯事です。私はここへ来て一年になりますが、一人も亡くならなかった集会は数えられるほどしかありません。いずれも自業自得でしたが。もっとひどい死に様の人もいましたよ。踊りながら燃え死んだり、生きたまま全身をネズミに食われたり……おっと、食事中にする話ではありませんでしたね」
信者の男は周囲の責めるような視線に気付き、口をつぐむ。間宮はグロテスクなゾンビ映画を見ながら生の肉を食べられるタイプだったので、さほど気にはならなかった。
「話題を変えましょう。時に、貴方はトンカツに何をかけますかな?」
「? ソースですかね」
「では、寿司には?」
「しょうゆ」
「焼肉はどうでしょう?」
「タレ」
「豆腐は?」
「めんつゆ」
「スイーツは?」
「そのまま味わいます」
一般的な答えだと思ったが、信者の男は眉をひそめた。
「いけませんねぇ。いろんな調味料に頼りっぱなしではありませんか」
「では、貴方は何をかけるんです?」
信者の男は得意げに言い切った。
「もちろん、全て塩ですよ! 塩以外の調味料は邪道! 塩こそがグルメ! 塩以外の調味料に頼っているようでは、まだまだ素人ですね」
「はぁ」
(……なんでも塩をかけるほうがバカ舌じゃね?)
思わず、男の味覚を疑う。食に無頓着な間宮ですら、彼の感覚が異常だと分かっていた。
「あんた、グルメ評論家かなにかか?」
「申し遅れました。私、塩料理研究家の大塩塩八郎と申します」
「平八郎?」
「塩八郎です。何回かテレビやラジオに出演したことがあるのですが、ご存知ありませんか?」
「すみませんね。あまり(オカルト系以外の番組に)興味ないもので」
「いえいえ。私は知る人ぞ知る料理研究家ですからね、ご存知ないのも無理はありませんよ」
大塩は「極端」な料理研究家として有名だった。
塩以外の調味料を否定し、塩のみの味付けにこだわる……彼の料理を食べた出演者は皆、一様に首を傾げた。今までテレビやラジオに呼ばれていたのは、純粋に料理を披露してもらうためではなく、極端な料理を作る面白パフォーマンスをしてもらうためだった。
「そんなに好きってことは、塩にまつわる悪夢を見せてもらうつもりなんですか?」
「もちろん!」
大塩は塩の結晶のように、キラキラと目を輝かせた。
「私はね! 塩以外の調味料を廃絶し、全人類を塩派にしたいと考えているのですよ!」
「え゛」
間宮はうっかり塩の塊を口にしてしまったように、顔が引きつった。
ノバラが見せた悪夢は現実になる。間宮は夢を見ない体質なので塩派にはならないだろうが、塩以外の調味料が消えてしまうのは許せなかった。
「冗談じゃない! 俺は嫌ですよ!」
「分かっています」
大塩は寂しげに頷いた。
「私が見るのはあくまで悪夢……現実ではありません。少しの間、叶うはずのない夢を見せてもらうだけです」
「しかし、ノバラ……様が見せた悪夢は、現実になるのでは?」
「……その時は、諦めて塩派になってください」
間宮は心の底から願った。
(このオッサンだけは、一生"施し"を受けないでくれ)
潜入調査二日目。
「天使様と悪魔様」の寮で出た朝食は、意外にも和風だった。玄米、焼き魚、ひじきの煮物、玉子焼き、味噌汁、漬物……健康に配慮し、全体的に塩分は控えめだ。
(朝六時に起きて、軽く運動。三食きっちり食べられる上に、外出も自由。夜は集会の後、十時に就寝……か。このまま潜入していた方が、体は健康になりそうだな。いったい、いつになったら帰れるのやら)
昨夜の集会の後、間宮は足名と善田のことを上司にメールで報告した。
大人気アイドルとやり手経営者までもが「天使様と悪魔様」の信者だったというスクープに、上司も興奮を隠せない様子だった。
「良くやった! で、教祖の写真は? お前も悪夢を見せられたんだろう?」
間宮は「それが……」とバツが悪そうに答えた。
「俺の前には姿を現さなかったんですよ。他の信者には教祖が見えていたみたいでしたけど」
「おいおい、何のために高額の経費を注ぎ込んだと思っているんだ? いくら調査だからって、教祖が対応できないような悪夢を頼むんじゃない!」
「無茶な悪夢なんて頼んでないですよ。俺はただ、"夢を見てみたい"って言ったんです。それって、教祖がいつもやっていることじゃないですか」
「……確かになぁ」
上司も訝しむ。
間宮の体質上、悪夢を見られないのは仕方ない。ただ、なぜノバラまで姿を現さないのか疑問だった。
「他の悪夢を願った方が良かったんでしょうか? 今まで夢を見たことがないって言ったら、すっげー驚かれましたよ。神父とシスターも最初は余裕そうな態度でしたけど、俺が本当に夢を見ないと分かった途端、顔から笑みが消えましたからね。『貴方にはまだ信じる力が足りないようです』って保留にされましたよ」
「絶対権力者であるはずの教祖の力が通用しなかったんだ、追放されなかっただけマシだな。引き続き、調査を頼む。神父とシスターについては、こちらで調べておこう」
「お願いします」
……間宮は気づいていなかった。集会からずっと、ノバラが背後から手で目隠しし続けていることを。
普通の信者ならとっくに意識を失い、悪夢に囚われているはずだ。が、間宮には全く通用していなかった。
「おや、元気ないですね? 塩、いります?」
間宮が落ち込んでいると、向かいに座っていた信者の男が塩の瓶を差し出してきた。海外の高級岩塩を砕いたもので、他のテーブルにはない。
「それ、私物っすか?」
「はい! 許可は取ってあるので、安心して使っていいですよ!」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
間宮は借りた塩を焼き魚にかける。塩分が加わり、より美味しく感じた。米が進む。
「うん。美味いっす」
「口に合って良かった。昨日は善田さんが倒れられて大変でしたからねぇ、新人さんが落ち込まれていないか心配していたんですよ」
「ここではあぁいうこと、よくあるんですか?」
「日常茶飯事です。私はここへ来て一年になりますが、一人も亡くならなかった集会は数えられるほどしかありません。いずれも自業自得でしたが。もっとひどい死に様の人もいましたよ。踊りながら燃え死んだり、生きたまま全身をネズミに食われたり……おっと、食事中にする話ではありませんでしたね」
信者の男は周囲の責めるような視線に気付き、口をつぐむ。間宮はグロテスクなゾンビ映画を見ながら生の肉を食べられるタイプだったので、さほど気にはならなかった。
「話題を変えましょう。時に、貴方はトンカツに何をかけますかな?」
「? ソースですかね」
「では、寿司には?」
「しょうゆ」
「焼肉はどうでしょう?」
「タレ」
「豆腐は?」
「めんつゆ」
「スイーツは?」
「そのまま味わいます」
一般的な答えだと思ったが、信者の男は眉をひそめた。
「いけませんねぇ。いろんな調味料に頼りっぱなしではありませんか」
「では、貴方は何をかけるんです?」
信者の男は得意げに言い切った。
「もちろん、全て塩ですよ! 塩以外の調味料は邪道! 塩こそがグルメ! 塩以外の調味料に頼っているようでは、まだまだ素人ですね」
「はぁ」
(……なんでも塩をかけるほうがバカ舌じゃね?)
思わず、男の味覚を疑う。食に無頓着な間宮ですら、彼の感覚が異常だと分かっていた。
「あんた、グルメ評論家かなにかか?」
「申し遅れました。私、塩料理研究家の大塩塩八郎と申します」
「平八郎?」
「塩八郎です。何回かテレビやラジオに出演したことがあるのですが、ご存知ありませんか?」
「すみませんね。あまり(オカルト系以外の番組に)興味ないもので」
「いえいえ。私は知る人ぞ知る料理研究家ですからね、ご存知ないのも無理はありませんよ」
大塩は「極端」な料理研究家として有名だった。
塩以外の調味料を否定し、塩のみの味付けにこだわる……彼の料理を食べた出演者は皆、一様に首を傾げた。今までテレビやラジオに呼ばれていたのは、純粋に料理を披露してもらうためではなく、極端な料理を作る面白パフォーマンスをしてもらうためだった。
「そんなに好きってことは、塩にまつわる悪夢を見せてもらうつもりなんですか?」
「もちろん!」
大塩は塩の結晶のように、キラキラと目を輝かせた。
「私はね! 塩以外の調味料を廃絶し、全人類を塩派にしたいと考えているのですよ!」
「え゛」
間宮はうっかり塩の塊を口にしてしまったように、顔が引きつった。
ノバラが見せた悪夢は現実になる。間宮は夢を見ない体質なので塩派にはならないだろうが、塩以外の調味料が消えてしまうのは許せなかった。
「冗談じゃない! 俺は嫌ですよ!」
「分かっています」
大塩は寂しげに頷いた。
「私が見るのはあくまで悪夢……現実ではありません。少しの間、叶うはずのない夢を見せてもらうだけです」
「しかし、ノバラ……様が見せた悪夢は、現実になるのでは?」
「……その時は、諦めて塩派になってください」
間宮は心の底から願った。
(このオッサンだけは、一生"施し"を受けないでくれ)
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