12 / 227
第1部 第1章「白昼悪夢」
第5話『兄』⑷
しおりを挟む
「せっかくだから、お前には本当のことを話してやるよ」
兄は遥か上空からイツキを見下ろし、微笑んだ。
穏やかな笑みだったが、イツキの視点からは顔に影がかかっているように見えて不気味だった。今まで取るに足りない存在であったはずの兄が、知らぬ間に恐ろしい化け物へと変じてしまったように感じた。
「僕は殺意を抱いた相手に悪夢を見せてしまう病気に罹っているんだ。しかも、ただの悪夢じゃない。この悪夢を見た人は現実でも破滅してしまうのさ。恐ろしいだろう? ちょうどお前が今見ているこの光景も、僕が見せている"白昼悪夢"なんだよ」
(白昼悪夢って、何だ?)
イツキは心の中で疑問に思った。
兄はその声が聞こえているかのように、イツキの疑問に答えた。
「この病気の名前さ。昼間にしか作用しないから、僕がそう名付けたのさ。病気のことは母さんやお医者さんにも相談してみたんだけど、まともに取り合ってくれなかったよ。それどころか僕の気が狂ってしまったのだと決めつけて、大量の薬を処方してきた。最近は言わないよう気をつけているから、病気が治ったものだと思われているけどね」
(……)
兄の説明が終わる頃には、イツキは人間としての意識を失っていた。フラフラと飛び立ち、蚊の本能のままに兄から血を吸い取ろうと近づく。
しかしあまりにも動きが遅過ぎて、すぐに兄に「パチン」と両手に挟まれ、潰されてしまった。兄は手についたイツキを綺麗にティッシュで拭うと、躊躇なくゴミ箱へ捨てた。
「良かったね、イツキ。次の進路が決まったよ。お前は今からゴミだ」
ゴミ箱の中には人間の目には見えない虫や微生物達が住み着いていた。
イツキの亡骸は長い時間をかけて彼らに処理され、やがてこの世から完全に消え去った。
イツキの兄はテレビを消し、ソファから立ち上がった。
「……おやすみ、イツキ。永遠に」
ソファの後ろで倒れているイツキを冷たく見下ろし、自分の部屋に戻る。
そのままイツキは現実でも目を覚ますことなく、植物状態になった。一年以上経った今でも原因は解明されず、入院病棟のベッドで眠り続けている。
「ねぇ、イツキ。貴方は早く目を覚まして頂戴ね。このまま天国に行っちゃ嫌よ」
見舞いに来た母親がハンカチを手に涙ぐむ。
その隣で、兄はイツキを冷たく見下ろしていた。母がイツキに夢中なのをいいことに、薄ら笑いすら浮かべている。
イツキの兄以外、誰もその原因が兄が悪夢だとは……ましてや、兄の妄言が真実だとは思ってもいなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。待ってる」
青年は精神科の待合室の椅子に座っていた。母親の付き添いだった。
夫を亡くし、青年の弟が植物状態のまま目を覚さなくなったことで、母親は軽い鬱病になってしまった。日常生活に支障はないものの、本人の希望で月に一度カウンセリングを受けに来ている。
母親のカウンセリングが終わるまでの間、青年が待合室で本を読んでいると、ピンクのコートを着た女の子がトコトコと歩み寄ってきた。小学校高学年くらいの女の子で、ぱっちりとした瞳が可愛らしかった。
女の子は青年の隣に座り、彼が読んでいる本を横から覗き込んだ。
「その本、面白い?」
青年は本から顔を上げ、女の子に微笑みかけた。
「面白いよ。人間が色んなものに変身するんだ。爆弾、カメレオン、猫、蚊……他にもたくさん。最後には血が止まらなくなって、死んじゃうんだよ」
「死んじゃうの? 可哀想」
女の子は悲しそうに目を伏せる。
だが、青年は女の子の口角がわずかに上がっていることに気づいていた。青年と同じように、心の中では笑っているのだろう。
「私ね、よく人が死ぬ夢を見るの。知らないおばさんも、おじさんも、お姉さんも、同じクラスの子達も、お母さんも……みんな夢の中で死んじゃった」
女の子はニコッと屈託のない笑顔を見せ、青年に尋ねた。
「私の夢の中で何があったか、聞きたい? お兄さん」
「うん」
青年は読んでいた本を閉じ、女の子に微笑み返した。
「聞かせてくれるかな? 君が見た夢の話を」
青年には分かっていた。
彼女が、自分と同じ病に罹っている人間だということを。
(第2章「深夜悪夢」へ続く)
兄は遥か上空からイツキを見下ろし、微笑んだ。
穏やかな笑みだったが、イツキの視点からは顔に影がかかっているように見えて不気味だった。今まで取るに足りない存在であったはずの兄が、知らぬ間に恐ろしい化け物へと変じてしまったように感じた。
「僕は殺意を抱いた相手に悪夢を見せてしまう病気に罹っているんだ。しかも、ただの悪夢じゃない。この悪夢を見た人は現実でも破滅してしまうのさ。恐ろしいだろう? ちょうどお前が今見ているこの光景も、僕が見せている"白昼悪夢"なんだよ」
(白昼悪夢って、何だ?)
イツキは心の中で疑問に思った。
兄はその声が聞こえているかのように、イツキの疑問に答えた。
「この病気の名前さ。昼間にしか作用しないから、僕がそう名付けたのさ。病気のことは母さんやお医者さんにも相談してみたんだけど、まともに取り合ってくれなかったよ。それどころか僕の気が狂ってしまったのだと決めつけて、大量の薬を処方してきた。最近は言わないよう気をつけているから、病気が治ったものだと思われているけどね」
(……)
兄の説明が終わる頃には、イツキは人間としての意識を失っていた。フラフラと飛び立ち、蚊の本能のままに兄から血を吸い取ろうと近づく。
しかしあまりにも動きが遅過ぎて、すぐに兄に「パチン」と両手に挟まれ、潰されてしまった。兄は手についたイツキを綺麗にティッシュで拭うと、躊躇なくゴミ箱へ捨てた。
「良かったね、イツキ。次の進路が決まったよ。お前は今からゴミだ」
ゴミ箱の中には人間の目には見えない虫や微生物達が住み着いていた。
イツキの亡骸は長い時間をかけて彼らに処理され、やがてこの世から完全に消え去った。
イツキの兄はテレビを消し、ソファから立ち上がった。
「……おやすみ、イツキ。永遠に」
ソファの後ろで倒れているイツキを冷たく見下ろし、自分の部屋に戻る。
そのままイツキは現実でも目を覚ますことなく、植物状態になった。一年以上経った今でも原因は解明されず、入院病棟のベッドで眠り続けている。
「ねぇ、イツキ。貴方は早く目を覚まして頂戴ね。このまま天国に行っちゃ嫌よ」
見舞いに来た母親がハンカチを手に涙ぐむ。
その隣で、兄はイツキを冷たく見下ろしていた。母がイツキに夢中なのをいいことに、薄ら笑いすら浮かべている。
イツキの兄以外、誰もその原因が兄が悪夢だとは……ましてや、兄の妄言が真実だとは思ってもいなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。待ってる」
青年は精神科の待合室の椅子に座っていた。母親の付き添いだった。
夫を亡くし、青年の弟が植物状態のまま目を覚さなくなったことで、母親は軽い鬱病になってしまった。日常生活に支障はないものの、本人の希望で月に一度カウンセリングを受けに来ている。
母親のカウンセリングが終わるまでの間、青年が待合室で本を読んでいると、ピンクのコートを着た女の子がトコトコと歩み寄ってきた。小学校高学年くらいの女の子で、ぱっちりとした瞳が可愛らしかった。
女の子は青年の隣に座り、彼が読んでいる本を横から覗き込んだ。
「その本、面白い?」
青年は本から顔を上げ、女の子に微笑みかけた。
「面白いよ。人間が色んなものに変身するんだ。爆弾、カメレオン、猫、蚊……他にもたくさん。最後には血が止まらなくなって、死んじゃうんだよ」
「死んじゃうの? 可哀想」
女の子は悲しそうに目を伏せる。
だが、青年は女の子の口角がわずかに上がっていることに気づいていた。青年と同じように、心の中では笑っているのだろう。
「私ね、よく人が死ぬ夢を見るの。知らないおばさんも、おじさんも、お姉さんも、同じクラスの子達も、お母さんも……みんな夢の中で死んじゃった」
女の子はニコッと屈託のない笑顔を見せ、青年に尋ねた。
「私の夢の中で何があったか、聞きたい? お兄さん」
「うん」
青年は読んでいた本を閉じ、女の子に微笑み返した。
「聞かせてくれるかな? 君が見た夢の話を」
青年には分かっていた。
彼女が、自分と同じ病に罹っている人間だということを。
(第2章「深夜悪夢」へ続く)
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
熾ーおこりー
ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】
幕末一の剣客集団、新撰組。
疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。
組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。
志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー
※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です
【登場人物】(ネタバレを含みます)
原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派)
芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。
沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派)
山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派)
土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派)
近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。
井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。
新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある
平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派)
平間(水戸派)
野口(水戸派)
(画像・速水御舟「炎舞」部分)
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる