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第1部 第1章「白昼悪夢」
第5話『兄』⑷
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「せっかくだから、お前には本当のことを話してやるよ」
兄は遥か上空からイツキを見下ろし、微笑んだ。
穏やかな笑みだったが、イツキの視点からは顔に影がかかっているように見えて不気味だった。今まで取るに足りない存在であったはずの兄が、知らぬ間に恐ろしい化け物へと変じてしまったように感じた。
「僕は殺意を抱いた相手に悪夢を見せてしまう病気に罹っているんだ。しかも、ただの悪夢じゃない。この悪夢を見た人は現実でも破滅してしまうのさ。恐ろしいだろう? ちょうどお前が今見ているこの光景も、僕が見せている"白昼悪夢"なんだよ」
(白昼悪夢って、何だ?)
イツキは心の中で疑問に思った。
兄はその声が聞こえているかのように、イツキの疑問に答えた。
「この病気の名前さ。昼間にしか作用しないから、僕がそう名付けたのさ。病気のことは母さんやお医者さんにも相談してみたんだけど、まともに取り合ってくれなかったよ。それどころか僕の気が狂ってしまったのだと決めつけて、大量の薬を処方してきた。最近は言わないよう気をつけているから、病気が治ったものだと思われているけどね」
(……)
兄の説明が終わる頃には、イツキは人間としての意識を失っていた。フラフラと飛び立ち、蚊の本能のままに兄から血を吸い取ろうと近づく。
しかしあまりにも動きが遅過ぎて、すぐに兄に「パチン」と両手に挟まれ、潰されてしまった。兄は手についたイツキを綺麗にティッシュで拭うと、躊躇なくゴミ箱へ捨てた。
「良かったね、イツキ。次の進路が決まったよ。お前は今からゴミだ」
ゴミ箱の中には人間の目には見えない虫や微生物達が住み着いていた。
イツキの亡骸は長い時間をかけて彼らに処理され、やがてこの世から完全に消え去った。
イツキの兄はテレビを消し、ソファから立ち上がった。
「……おやすみ、イツキ。永遠に」
ソファの後ろで倒れているイツキを冷たく見下ろし、自分の部屋に戻る。
そのままイツキは現実でも目を覚ますことなく、植物状態になった。一年以上経った今でも原因は解明されず、入院病棟のベッドで眠り続けている。
「ねぇ、イツキ。貴方は早く目を覚まして頂戴ね。このまま天国に行っちゃ嫌よ」
見舞いに来た母親がハンカチを手に涙ぐむ。
その隣で、兄はイツキを冷たく見下ろしていた。母がイツキに夢中なのをいいことに、薄ら笑いすら浮かべている。
イツキの兄以外、誰もその原因が兄が悪夢だとは……ましてや、兄の妄言が真実だとは思ってもいなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。待ってる」
青年は精神科の待合室の椅子に座っていた。母親の付き添いだった。
夫を亡くし、青年の弟が植物状態のまま目を覚さなくなったことで、母親は軽い鬱病になってしまった。日常生活に支障はないものの、本人の希望で月に一度カウンセリングを受けに来ている。
母親のカウンセリングが終わるまでの間、青年が待合室で本を読んでいると、ピンクのコートを着た女の子がトコトコと歩み寄ってきた。小学校高学年くらいの女の子で、ぱっちりとした瞳が可愛らしかった。
女の子は青年の隣に座り、彼が読んでいる本を横から覗き込んだ。
「その本、面白い?」
青年は本から顔を上げ、女の子に微笑みかけた。
「面白いよ。人間が色んなものに変身するんだ。爆弾、カメレオン、猫、蚊……他にもたくさん。最後には血が止まらなくなって、死んじゃうんだよ」
「死んじゃうの? 可哀想」
女の子は悲しそうに目を伏せる。
だが、青年は女の子の口角がわずかに上がっていることに気づいていた。青年と同じように、心の中では笑っているのだろう。
「私ね、よく人が死ぬ夢を見るの。知らないおばさんも、おじさんも、お姉さんも、同じクラスの子達も、お母さんも……みんな夢の中で死んじゃった」
女の子はニコッと屈託のない笑顔を見せ、青年に尋ねた。
「私の夢の中で何があったか、聞きたい? お兄さん」
「うん」
青年は読んでいた本を閉じ、女の子に微笑み返した。
「聞かせてくれるかな? 君が見た夢の話を」
青年には分かっていた。
彼女が、自分と同じ病に罹っている人間だということを。
(第2章「深夜悪夢」へ続く)
兄は遥か上空からイツキを見下ろし、微笑んだ。
穏やかな笑みだったが、イツキの視点からは顔に影がかかっているように見えて不気味だった。今まで取るに足りない存在であったはずの兄が、知らぬ間に恐ろしい化け物へと変じてしまったように感じた。
「僕は殺意を抱いた相手に悪夢を見せてしまう病気に罹っているんだ。しかも、ただの悪夢じゃない。この悪夢を見た人は現実でも破滅してしまうのさ。恐ろしいだろう? ちょうどお前が今見ているこの光景も、僕が見せている"白昼悪夢"なんだよ」
(白昼悪夢って、何だ?)
イツキは心の中で疑問に思った。
兄はその声が聞こえているかのように、イツキの疑問に答えた。
「この病気の名前さ。昼間にしか作用しないから、僕がそう名付けたのさ。病気のことは母さんやお医者さんにも相談してみたんだけど、まともに取り合ってくれなかったよ。それどころか僕の気が狂ってしまったのだと決めつけて、大量の薬を処方してきた。最近は言わないよう気をつけているから、病気が治ったものだと思われているけどね」
(……)
兄の説明が終わる頃には、イツキは人間としての意識を失っていた。フラフラと飛び立ち、蚊の本能のままに兄から血を吸い取ろうと近づく。
しかしあまりにも動きが遅過ぎて、すぐに兄に「パチン」と両手に挟まれ、潰されてしまった。兄は手についたイツキを綺麗にティッシュで拭うと、躊躇なくゴミ箱へ捨てた。
「良かったね、イツキ。次の進路が決まったよ。お前は今からゴミだ」
ゴミ箱の中には人間の目には見えない虫や微生物達が住み着いていた。
イツキの亡骸は長い時間をかけて彼らに処理され、やがてこの世から完全に消え去った。
イツキの兄はテレビを消し、ソファから立ち上がった。
「……おやすみ、イツキ。永遠に」
ソファの後ろで倒れているイツキを冷たく見下ろし、自分の部屋に戻る。
そのままイツキは現実でも目を覚ますことなく、植物状態になった。一年以上経った今でも原因は解明されず、入院病棟のベッドで眠り続けている。
「ねぇ、イツキ。貴方は早く目を覚まして頂戴ね。このまま天国に行っちゃ嫌よ」
見舞いに来た母親がハンカチを手に涙ぐむ。
その隣で、兄はイツキを冷たく見下ろしていた。母がイツキに夢中なのをいいことに、薄ら笑いすら浮かべている。
イツキの兄以外、誰もその原因が兄が悪夢だとは……ましてや、兄の妄言が真実だとは思ってもいなかった。
「じゃあ、行ってくるわね」
「うん。待ってる」
青年は精神科の待合室の椅子に座っていた。母親の付き添いだった。
夫を亡くし、青年の弟が植物状態のまま目を覚さなくなったことで、母親は軽い鬱病になってしまった。日常生活に支障はないものの、本人の希望で月に一度カウンセリングを受けに来ている。
母親のカウンセリングが終わるまでの間、青年が待合室で本を読んでいると、ピンクのコートを着た女の子がトコトコと歩み寄ってきた。小学校高学年くらいの女の子で、ぱっちりとした瞳が可愛らしかった。
女の子は青年の隣に座り、彼が読んでいる本を横から覗き込んだ。
「その本、面白い?」
青年は本から顔を上げ、女の子に微笑みかけた。
「面白いよ。人間が色んなものに変身するんだ。爆弾、カメレオン、猫、蚊……他にもたくさん。最後には血が止まらなくなって、死んじゃうんだよ」
「死んじゃうの? 可哀想」
女の子は悲しそうに目を伏せる。
だが、青年は女の子の口角がわずかに上がっていることに気づいていた。青年と同じように、心の中では笑っているのだろう。
「私ね、よく人が死ぬ夢を見るの。知らないおばさんも、おじさんも、お姉さんも、同じクラスの子達も、お母さんも……みんな夢の中で死んじゃった」
女の子はニコッと屈託のない笑顔を見せ、青年に尋ねた。
「私の夢の中で何があったか、聞きたい? お兄さん」
「うん」
青年は読んでいた本を閉じ、女の子に微笑み返した。
「聞かせてくれるかな? 君が見た夢の話を」
青年には分かっていた。
彼女が、自分と同じ病に罹っている人間だということを。
(第2章「深夜悪夢」へ続く)
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