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第1部 第1章「白昼悪夢」
第5話『兄』⑴
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イツキの兄は病人だった。それも、治る見込みのない「不治の病」に罹っていた。
病に罹って間もなく、兄は通っていた高校を中退した。イツキよりもずっと優秀で、両親や学校の教師は退学に反対したが、「こんな状態の僕が残っても迷惑になるから」と断った。以来、兄は「療養」を理由に、一日中自室に塞ぎ込んでいる。
当時、イツキは小学生だった。母親から兄の病について再三、説明を受け「優しくしてあげてね」と頼まれた。
しかし自分のことにしか興味のないイツキはそのことを覚えておらず、改めて兄の病について知ろうともしなかった。そのせいか、自宅で療養中の兄を「ニート」と決めつけ、見下すようになった。
初めてイツキが兄を罵倒したのは、中学生の時だった。
思春期に入り、何かとイライラするようになったイツキにとって、自宅でのんびりと過ごしている兄がうとましかった。ある日、学校から帰宅したイツキはリビングでテレビを見ていた兄にイラつき、突発的に言い放った。
「ぐうたらすんな。働け」
直後、兄の顔から一切の表情が消えた。テレビの画面からイツキへ視線を移し、冷たく睨みつける。
鈍感なイツキは兄に睨まれているとも知らず、「今日の夕飯何かなー」と、悠々と自室へ帰って行った。兄への罪悪感など微塵もわかず、むしろ胸の内に溜まっていたイライラを吐き出したことで、清々しい気分にさえなっていた。
それ以来、イツキは何かと兄に心ない言葉を浴びせては、優越感に浸るようになった。
何をしても勝てなかった兄が自分の言葉を聞いて黙り込む様を見ると、兄より自分の方が優れているような気がした。
やがてイツキは県内で名の知れた高校へ進学した。
高校に進学してからというものの、イツキは大して勉強することなく成績が勝手に上がった。中学までは赤点スレスレだった定期試験では、クラストップを何度も勝ち取った。
クラスではリーダー的立ち位置になり、クラスメイトはもちろん、教師からも一目置かれる存在になった。誰もがイツキに注目し、羨望の眼差しを向けてくる。注目されない瞬間はなかった。部活はバレー部に所属し、チームになくてはならないエース選手へと成長した。
自分でも予想外の成長に、イツキは笑いが止まらなかった。プロのバレー選手になるか、名門大学に進学するか、本気で悩んだ。
「ハハッ、すっげー! 眠ってた才能が開花したってかんじぃ? 俺、マジ天才!」
だが妙なことに、担任からは「お前は就職した方がいい」と勧められていた。スポーツ選手としてではなく、普通の会社員としてだ。
「こいつはきっと、俺に嫉妬してるんだな。俺の才能を殺したくて、就職なんてつまんない進路を押しつけようとしてるんだ! 俺は賢いから騙されないぞ!」
イツキは担任を無視し、夢を追い求め続けた。自分は何の努力をせずとも成功者になれるのだと、根拠のない自信を持っていた。
最近では、兄を罵倒しなくてもイライラしなくなっていた。
イツキが家から帰ると、兄がリビングでテレビを見ていた。
こうして実際に兄の姿を目にしても、イツキは全く劣等感を感じなかった。充実した高校生活を送っていた彼にとって、兄はもはや競う相手ですらなかった。
「あー、すっげぇ悩むー! スポーツ推薦で大学入るか、勉強してトー大入るか、まぢ悩むわー!」
わざとらしく大声を上げ、兄にも聞こえるように喋る。
兄はイツキに反応せず、テレビを見続けている。テレビの画面は、兄の背中で隠れて見えない。
イツキは自分に無関心な兄にムッとしながらも、大きなひとりごとを続けた。
「オレまじ天才かもー! この前のテストだって全然勉強してねぇのに、学年一位取ったんだぜ?! 宿題は教科書丸写しだし、授業の内容なんて、ほとんど覚えてねーのにさ! やっぱオレって、本番には強いんだよなぁ!」
ふいに兄がイツキを振り返った。哀れむような眼差しで、イツキを見ている。
兄は重くため息をつき、言った。
「可哀想に。自分が長い夢を見ていることに、まだ気づかないのか?」
病に罹って間もなく、兄は通っていた高校を中退した。イツキよりもずっと優秀で、両親や学校の教師は退学に反対したが、「こんな状態の僕が残っても迷惑になるから」と断った。以来、兄は「療養」を理由に、一日中自室に塞ぎ込んでいる。
当時、イツキは小学生だった。母親から兄の病について再三、説明を受け「優しくしてあげてね」と頼まれた。
しかし自分のことにしか興味のないイツキはそのことを覚えておらず、改めて兄の病について知ろうともしなかった。そのせいか、自宅で療養中の兄を「ニート」と決めつけ、見下すようになった。
初めてイツキが兄を罵倒したのは、中学生の時だった。
思春期に入り、何かとイライラするようになったイツキにとって、自宅でのんびりと過ごしている兄がうとましかった。ある日、学校から帰宅したイツキはリビングでテレビを見ていた兄にイラつき、突発的に言い放った。
「ぐうたらすんな。働け」
直後、兄の顔から一切の表情が消えた。テレビの画面からイツキへ視線を移し、冷たく睨みつける。
鈍感なイツキは兄に睨まれているとも知らず、「今日の夕飯何かなー」と、悠々と自室へ帰って行った。兄への罪悪感など微塵もわかず、むしろ胸の内に溜まっていたイライラを吐き出したことで、清々しい気分にさえなっていた。
それ以来、イツキは何かと兄に心ない言葉を浴びせては、優越感に浸るようになった。
何をしても勝てなかった兄が自分の言葉を聞いて黙り込む様を見ると、兄より自分の方が優れているような気がした。
やがてイツキは県内で名の知れた高校へ進学した。
高校に進学してからというものの、イツキは大して勉強することなく成績が勝手に上がった。中学までは赤点スレスレだった定期試験では、クラストップを何度も勝ち取った。
クラスではリーダー的立ち位置になり、クラスメイトはもちろん、教師からも一目置かれる存在になった。誰もがイツキに注目し、羨望の眼差しを向けてくる。注目されない瞬間はなかった。部活はバレー部に所属し、チームになくてはならないエース選手へと成長した。
自分でも予想外の成長に、イツキは笑いが止まらなかった。プロのバレー選手になるか、名門大学に進学するか、本気で悩んだ。
「ハハッ、すっげー! 眠ってた才能が開花したってかんじぃ? 俺、マジ天才!」
だが妙なことに、担任からは「お前は就職した方がいい」と勧められていた。スポーツ選手としてではなく、普通の会社員としてだ。
「こいつはきっと、俺に嫉妬してるんだな。俺の才能を殺したくて、就職なんてつまんない進路を押しつけようとしてるんだ! 俺は賢いから騙されないぞ!」
イツキは担任を無視し、夢を追い求め続けた。自分は何の努力をせずとも成功者になれるのだと、根拠のない自信を持っていた。
最近では、兄を罵倒しなくてもイライラしなくなっていた。
イツキが家から帰ると、兄がリビングでテレビを見ていた。
こうして実際に兄の姿を目にしても、イツキは全く劣等感を感じなかった。充実した高校生活を送っていた彼にとって、兄はもはや競う相手ですらなかった。
「あー、すっげぇ悩むー! スポーツ推薦で大学入るか、勉強してトー大入るか、まぢ悩むわー!」
わざとらしく大声を上げ、兄にも聞こえるように喋る。
兄はイツキに反応せず、テレビを見続けている。テレビの画面は、兄の背中で隠れて見えない。
イツキは自分に無関心な兄にムッとしながらも、大きなひとりごとを続けた。
「オレまじ天才かもー! この前のテストだって全然勉強してねぇのに、学年一位取ったんだぜ?! 宿題は教科書丸写しだし、授業の内容なんて、ほとんど覚えてねーのにさ! やっぱオレって、本番には強いんだよなぁ!」
ふいに兄がイツキを振り返った。哀れむような眼差しで、イツキを見ている。
兄は重くため息をつき、言った。
「可哀想に。自分が長い夢を見ていることに、まだ気づかないのか?」
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