悪夢症候群

緋色刹那

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第1部 第1章「白昼悪夢」

第4話『歩ける病気』前編

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 健一けんいちの息子は病人だった。
 完治できない重い病で、進学も就職も難しいらしい。健一が考える「普通の人間」のように、外に出て、働いて、自立するという、ごく当たり前の生活は出来なかった。
 しかしながら、息子は寝たきりではなかった。自由に歩けるし、勉強もよく出来た。
 体が弱く、運動は苦手だったが、
「男なんだから鍛えればなんとかなる」
 と健一は勝手に解釈し、息子を無理矢理外へ出そうともした。それでも息子は頑に外へ出るのを拒み、病院へ行く日以外は一日の大半を家の中で過ごした。
 プライドの高い健一にとって、息子は唯一にして最大の汚点だった。
 少しでも息子にまともになるやる気を出させようと、息子の弟を引き合いに出し、
「あいつは毎日頑張っているのに、お前は何もしていない」
 と、毎日罵倒した。
 いくら罵倒しても息子は変わらず、健一を無視し続けた。



 ある日、健一は会社で些細なミスを起こし、上司に叱責された。
「お前は相変わらず、高学歴の割に使えんなぁ! こんな簡単なミス、頭がいいならすぐ気づくだろうが!」
「……すみませんでした」
 健一は内心、はらわたが煮えくり返りそうにながらも謝った。
 上司は健一よりも学歴が低い。健一にとって、自分よりも低レベルの人間から叱られることは何よりの苦痛だった。
 翌日、休日なのでテレビでも見ようとリビングに行くと、先に息子がテレビを観ていた。一生行く予定がないであろう、海外の旅番組を観ている。
 健一は自分が稼いだ金で買ったテレビを無職の息子が使っていることと、昨日上司から叱責されたストレスから、リモコンでテレビの電源を切り、大声で口汚くわめき散らした。
「家に金を入れない無職が、俺様のテレビを使うんじゃない! 寝たきり老人じゃないんだから、働いて買え! 言っておくが、フリーターはダメだぞ! 俺様と同レベルか、それ以上の会社に就職しろ! ま、お前には無理だけどな!」
「……」
 息子は暗くなったテレビの画面を見たまま、黙って父親の話を聞いていた。
 やがて健一が怒鳴るのをやめると、おもむろに振り返った。健一が今まで見たことがないほど、冷たい目つきをしていた。
「父さんも僕と同じようになれば分かるよ」
 そう言い放ち、自分の部屋へと戻っていく。健一は気づかなかったが、語気に強い殺意が宿っていた。
「そんなことできるはずがないだろう? 頭までイカれたのか?」
 健一は「自分は嫌いな息子にもきちんと説教できるいい父親だ」と自分に感心しながら、テレビを点けた。
 ちょうど、正午になるところだった。



 健一は猛烈な腹痛で目が覚めた。
 時計は午後二時半を指している。テレビを観ている途中で、うっかり眠ってしまっていたらしい。
「いててて……何でこんなに痛いんだ?」
 痛みをこらえ、体を起こす。
 腹を見ると、白いトレーナーが真っ赤に染まっていた。
「な、なんだこれは?!」
 慌ててトレーナーをたくし上げる。
 割腹のいい健一の腹が、横に大きく切り裂かれていた。真っ赤な血が、ドクドクととめどなく流れ出ている。
 見れば、健一が座っている白いソファも、絨毯も、フローリングの床も、健一の腹から流れた血で赤黒く染まっていた。
「こ、こりゃいかん!」
 健一はクッションで傷口を押さえ、救急車を呼ぼうとスマホを取り出した。
 その時、ちょうど上司から電話がかかってきた。
「この忙しい時に……!」
 舌打ちしたい気持ちを抑え、電話に出た。
「困るよぉ、日野ひの君。君が提出した書類、全部間違ってたよ? 今日中に出してもらわないと困るから、早く会社に来て作り直してくれる?」
「ま、誠に申し上げにくいのですが、期限を伸ばしてはいただけないでしょうか? 今、立て込んでおりまして」
「立て込んでるって何? どうせ、しょうもない用事なんでしょ?」
「しょうもなくない! 腹から血が出ているんです!」
「……血ぃ?」
 上司は健一が本当に怪我をしているのか、疑っているようだった。
 健一は「本当です!」と必死で訴えた。
「目が覚めたら、こんなことになっていて……そうだ、写真! 写真撮って送りますよ!」
「はいはい、もう分かったから。君の腹の写真なんて見たくないし」
 上司は呆れた様子で返す。とりあえずは、健一の言うことを信じてくれる気になったらしい。
 その上で、こう尋ねてきた。
「で? いつ来れるの?」
「だから行けませんよ! こんな大怪我なのに!」
「でも、怪我をしてるのは腹なんでしょ? 手も足もなんともないんでしょ?」
「それは、まぁ……」
「だったら歩けるよね? 会社に来て、書類直せるよね?」
 健一は耳を疑った。
 こんな大怪我を負っているというのに、会社に来いというのか? どこまでも人をバカにするクズ上司め。
 心の中で憤った。曲がりなりにも、上司だ。逆らうわけにはいくまい。
「……分かりました。今から行きます」
「頼むよー。君がしくじったら、僕の出世に響くからさぁ」
 通話を終えると、健一はスマホをソファへ投げつけた。
 力んだせいで、腹が痛む。さらに腹から滝のように血があふれ出た。
「くそッ、救急箱は何処だ……?! もっと目につくところに置いておけよ!」
 健一は救急箱を探して、家中を駆け回った。「食事の最中に視界に入れたくないから隠しておけ」と妻に命じたのは健一本人だったが、すっかり忘れていた。
 なんとか救急箱を見つけ、傷口にガーゼを貼ると、最低限の身支度をして家を出た。
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