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第2部 第1章「ミッドナイトアパート」
第1話『セールスマンの契約』前編
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「どうです、この商品! 今ならお安くなっておりますよ~!」
「まぁ、どうしようかしら?」
セールスマンの謳い文句に、初老のご婦人は困り果てる。
セールスマンが玄関に居着いて、かれこれ一時間。玄関にはセールスマンが持ち込んだ大量の日用品が足の踏み場もなく広げられている。どれも高価に見せかけた、安物ばかりだ。
ご婦人は安物とは気づいていなかったが、急な出費に購入をためらっていた。
「いくら安いっておっしゃられても、フライパンもお鍋も間に合ってますし……」
「いいじゃないですか! 台所用品なんて、いくつあっても! こちらのカラフルフライパンなどは全十二色あるので、その日の気分によって色を変えられますよ!」
「でも……こんなに買ったら、主人に何と言われるか……」
すると、セールスマンはここぞとばかりに、ご婦人に耳打ちした。
「実は……今だけ限定一名様に限り、全ての商品を無料で体験出来るキャンペーンを行なっているんですよ。無論、お気に召されなければ、全て無償で弊社が引き取らせて頂きます」
「む、無料で?!」
途端に、ご婦人の目の色が変わる。
「いいんですか、そんな破格のサービス?!」
「構いません。弊社の商品の良さを知って頂くためなら、安いものですよ」
セールスマンは口角を吊り上げ、うさんくさく笑う。「無料」という甘言に取り憑かれたご婦人には、爽やかな笑顔に見えた。
「そ……そのキャンペーン、参加させて下さい!」
「ありがとうございますぅ。では、こちらの書類にサインを……」
セールスマンはキャンペーンへの同意書をご婦人に手渡し、サインを書かせた。
顔はうさんくさい笑みを保っていたが、内心は商談が上手く行ったことにほくそ笑んでいた。
(ヒヒッ、これで今日もノルマ達成だぜ)
徳井安久彦は粗悪品を高値で売りつける、悪徳セールスマンだった。
言葉巧みに商品を売りつけ、壊れたらまた新しい商品を買わせるか、修繕費用として法外な額を請求する。
先程のご婦人のように、「無料体験サービス」と称して転写式の書類を書かせ、重ねてある二枚目の「購入同意書」にサインさせることもある。サインがしてある以上、客はどんな理不尽な商談でも応じなくてはならず、言われるがままに金を払わされていた。
徳井はその手腕から社内売り上げ一位をキープし、巨万の富を得ていた。しかし、給料が手元に入った瞬間から、賭け事や風俗、高級時計や高級車などの購入で使い果たしてしまうため、いくら稼いでも足りなかった。
「もっとだ……もっと馬鹿な消費者どもに買わせて、金持ちになってやる!」
徳井は常に、「いかに上手く騙せば、より多く金を集められるか」と策を巡らせていた。他人を騙す罪悪感など、とうの昔に捨てた。
「ここか。次のカモがいるのは」
ご婦人と契約した翌日。徳井は住人が新しく入居したという「夢見荘」を訪問した。
引っ越してきたばかりは、何かと物入り……普段はセールスを断る客も、警戒が緩くなる。絶好のチャンスだった。
「403号室は会社員の父親と中学生の娘の二人暮らし、404号室は二十代の引きこもり男が一人で暮らしている。404号室の方は夜型だから、先に403号室の方に行くか。ガキ一人なら、簡単に騙せそうだ」
徳井は事前に調査した情報をスマホで確認すると、車を降りた。
時刻は午後六時過ぎ……じきに日が沈もうとしていた。
エントランスの入口から、403号室のインターホンを押す。目論見通り、先に帰宅していた中学生の娘がインターホンに出た。
『はい。どちら様でしょうか?』
子供らしい、あどけない声に徳井はほくそ笑む。
中学生とはいえ、所詮は子供。上手く言いくるめれば、いくらでも吹っかけられる。
「どうも、ご無沙汰しておりますぅ。◯◯社のものですが、ご契約の更新に参りましたので、サインかハンコを頂けますか?」
無論、403号室の住人と契約の更新をする約束などしていない。完全なでっち上げだ。
娘は徳井の言葉を信じ、困った様子で答えた。
『ごめんなさい。今、お父さんいないので、また後にしてくれますか?』
「いえいえ、お嬢さんのサインかハンコで結構ですよ! 早く契約を更新しないと、お父様がお困りになられるでしょうからね」
『……』
娘はしばらく考え、『分かりました』と承諾した。
『ちょっと待っててもらってもいいですか? 今、夕飯を作ってる最中なので』
「はい、お待ちしております」
インターホンが切れる。カメラにうさんくさい笑顔を向けていた徳井は、途端に顔を強張らせた。
外からアパートの中の様子は全く分からない。本当に娘が部屋で夕飯を作っている最中かもしれないし、あるいは警察か父親に相談しているのかもしれない。
「……一旦、車に戻るか」
徳井はいつでも逃げられるよう、路上に停めていた車の中で娘が出てくるのを待った。
「まぁ、どうしようかしら?」
セールスマンの謳い文句に、初老のご婦人は困り果てる。
セールスマンが玄関に居着いて、かれこれ一時間。玄関にはセールスマンが持ち込んだ大量の日用品が足の踏み場もなく広げられている。どれも高価に見せかけた、安物ばかりだ。
ご婦人は安物とは気づいていなかったが、急な出費に購入をためらっていた。
「いくら安いっておっしゃられても、フライパンもお鍋も間に合ってますし……」
「いいじゃないですか! 台所用品なんて、いくつあっても! こちらのカラフルフライパンなどは全十二色あるので、その日の気分によって色を変えられますよ!」
「でも……こんなに買ったら、主人に何と言われるか……」
すると、セールスマンはここぞとばかりに、ご婦人に耳打ちした。
「実は……今だけ限定一名様に限り、全ての商品を無料で体験出来るキャンペーンを行なっているんですよ。無論、お気に召されなければ、全て無償で弊社が引き取らせて頂きます」
「む、無料で?!」
途端に、ご婦人の目の色が変わる。
「いいんですか、そんな破格のサービス?!」
「構いません。弊社の商品の良さを知って頂くためなら、安いものですよ」
セールスマンは口角を吊り上げ、うさんくさく笑う。「無料」という甘言に取り憑かれたご婦人には、爽やかな笑顔に見えた。
「そ……そのキャンペーン、参加させて下さい!」
「ありがとうございますぅ。では、こちらの書類にサインを……」
セールスマンはキャンペーンへの同意書をご婦人に手渡し、サインを書かせた。
顔はうさんくさい笑みを保っていたが、内心は商談が上手く行ったことにほくそ笑んでいた。
(ヒヒッ、これで今日もノルマ達成だぜ)
徳井安久彦は粗悪品を高値で売りつける、悪徳セールスマンだった。
言葉巧みに商品を売りつけ、壊れたらまた新しい商品を買わせるか、修繕費用として法外な額を請求する。
先程のご婦人のように、「無料体験サービス」と称して転写式の書類を書かせ、重ねてある二枚目の「購入同意書」にサインさせることもある。サインがしてある以上、客はどんな理不尽な商談でも応じなくてはならず、言われるがままに金を払わされていた。
徳井はその手腕から社内売り上げ一位をキープし、巨万の富を得ていた。しかし、給料が手元に入った瞬間から、賭け事や風俗、高級時計や高級車などの購入で使い果たしてしまうため、いくら稼いでも足りなかった。
「もっとだ……もっと馬鹿な消費者どもに買わせて、金持ちになってやる!」
徳井は常に、「いかに上手く騙せば、より多く金を集められるか」と策を巡らせていた。他人を騙す罪悪感など、とうの昔に捨てた。
「ここか。次のカモがいるのは」
ご婦人と契約した翌日。徳井は住人が新しく入居したという「夢見荘」を訪問した。
引っ越してきたばかりは、何かと物入り……普段はセールスを断る客も、警戒が緩くなる。絶好のチャンスだった。
「403号室は会社員の父親と中学生の娘の二人暮らし、404号室は二十代の引きこもり男が一人で暮らしている。404号室の方は夜型だから、先に403号室の方に行くか。ガキ一人なら、簡単に騙せそうだ」
徳井は事前に調査した情報をスマホで確認すると、車を降りた。
時刻は午後六時過ぎ……じきに日が沈もうとしていた。
エントランスの入口から、403号室のインターホンを押す。目論見通り、先に帰宅していた中学生の娘がインターホンに出た。
『はい。どちら様でしょうか?』
子供らしい、あどけない声に徳井はほくそ笑む。
中学生とはいえ、所詮は子供。上手く言いくるめれば、いくらでも吹っかけられる。
「どうも、ご無沙汰しておりますぅ。◯◯社のものですが、ご契約の更新に参りましたので、サインかハンコを頂けますか?」
無論、403号室の住人と契約の更新をする約束などしていない。完全なでっち上げだ。
娘は徳井の言葉を信じ、困った様子で答えた。
『ごめんなさい。今、お父さんいないので、また後にしてくれますか?』
「いえいえ、お嬢さんのサインかハンコで結構ですよ! 早く契約を更新しないと、お父様がお困りになられるでしょうからね」
『……』
娘はしばらく考え、『分かりました』と承諾した。
『ちょっと待っててもらってもいいですか? 今、夕飯を作ってる最中なので』
「はい、お待ちしております」
インターホンが切れる。カメラにうさんくさい笑顔を向けていた徳井は、途端に顔を強張らせた。
外からアパートの中の様子は全く分からない。本当に娘が部屋で夕飯を作っている最中かもしれないし、あるいは警察か父親に相談しているのかもしれない。
「……一旦、車に戻るか」
徳井はいつでも逃げられるよう、路上に停めていた車の中で娘が出てくるのを待った。
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