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第1部 第3章「蓄積悪夢」
第4話『後輩』⑶
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ツネトキは光ヶ丘と別れたその足で、土田を公園へ呼び出した。夜の公園は無人で、不気味に静まり返っている。
土田は自動販売機の前のベンチで待っていた。私服で、淡い色のパーカーとジャージを着ていた。
「ツネトキさん、こんばんは。相談って何ですか?」
「実は……」
ツネトキは光ヶ丘が抱えている事情を明かし、彼を断罪できなくなったと告げた。
土田は光ヶ丘の意外な秘密に驚いていたものの、断罪できなくなった件については納得がいかないようだった。
「ふざけないでください! 悲惨な身の上だろうがなんだろうが、あいつがやったことは悪なんですよ?」
「お、俺だって、あいつを許したわけじゃない! また同じようなことをやったら、今度こそ許さないとも忠告した! それに、今あいつが働けなくなったら、あいつの家族まで不幸になるんだぞ? 俺は何の罪もない、無関係な人間まで巻き込みたくないんだよ」
ツネトキは誰に対しても殺意を向けているわけではない。ちゃんと相手を選んでいる。
人の気持ちを踏みにじる者、人を物のように扱う者、己しか見えていない者、相手を見下す者など、「法的に粛正できない悪」をターゲットにしてきた。罪のない善人を一方的にいたぶるのはダメだ。そんなことをするのは悪人しかいない。
一方、土田は冷ややかに笑った。
「あの極悪人を生んだ母親と、同じ血を引く妹ですよ? 諸悪の根源じゃないですか。せいぜい稼ぎ手がいなくなって困ればいいんです。ツネトキさんだって、そのつもりだったんじゃないんですか?」
「っ! 違うッ! お前と一緒にするな!」
ツネトキはついカッとなり、叫んだ……殺意を込めて。
瞬間、土田の顔から一切の表情が消えた。何かに取り憑かれたかのように放心している。
「土田さん?」
ツネトキが異変に気づいた時には遅かった。
「……そうだ。私、今日は早く寝るつもりだったんです。明日、大事な約束があるので、早めに出社しなくちゃいけなくって」
「や、約束? そんなこと、さっきはひと言も言っていなかったじゃないか」
「忘れてたんです。おかしいなぁ……せっかく光ヶ丘を殺せる絶好のチャンスなのに、どうして忘れてたのかしら?」
「土田、お前まさか……」
ツネトキは青ざめる。ツネトキの想像通り、土田はツネトキの力によって、ありもしない悪夢を見ていた。
「じゃ、私帰りますね。お疲れ様でしたー」
「おい、待て!」
土田は立ち上がり、公園の出口に向かってスタスタと歩き出す。ツネトキは土田を追ったが、途中で見失ってしまった。
ツネトキは息を切らし、愕然とした。
一度始まった悪夢は止まらない。解除する方法も分からない。こんなケースは初めてだった。
「だ、だ、大丈夫だ。さっきはついイラッとしてしまったが、俺は彼女をそこまで憎んじゃいない。ちょっと痛い目を見る程度……死にはしないさ」
帰宅し、眠りにつくまで、ひたすら自分に言い聞かせる。
しかしいくら「大丈夫」と繰り返しても、ツネトキの心は落ち着かなかった。
翌朝、ツネトキは不安を抱えたまま出社した。
土田には今朝から何度も連絡しているが、一向に繋がらない。返信も来ない。
彼女のオフィスを覗いたが、「早めに出社しなくちゃいけない」と言っていたにもかかわらず、まだ来ていなかった。奇遇にも、いつもはツネトキより先に出社しているはずの光ヶ丘もまだだった。
「……まさか、光ヶ丘を殺しに行ったんじゃないだろうな?」
不安がいっそう高まる。光ヶ丘にも連絡してみたが、応答はなかった。
それぞれの同僚に二人の居場所を尋ねたものの、どちらの同僚もツネトキと同じく、二人と連絡がつかなくて困っていた。
何も手がかりがつかめないまま、始業時刻が刻一刻と近づいていた……その時。まばゆい朝日に照らされ、土田は落下した。
土田は自ら、ビルの屋上から飛び降りたらしい。
社内が騒然となる中、ツネトキは憔悴し、項垂れた。
「ごめん……ごめんよ、土田。俺はお前を殺すつもりなんてなかったんだ。本当だよ。光ヶ丘にひどい仕打ちを受けた君を、これ以上苦しめていいわけないじゃないか」
視界が歪む。
救急車の音が近づいてくる。
同僚達は窓の外に釘づけだ。ツネトキの仕業だと知ったら、しつこく攻め立てるのだろうか。
(誰か……誰か俺を、断罪してくれ!)
土田は病院へ搬送され、まもなく死亡が確認された。遺書はなく、靴も履いたままだったことから、警察は事故と自殺の両面で調べているらしい。
土田が飛び降りた時間、光ヶ丘は妹の手術に立ち会っていた。急に決まったせいで、誰にも連絡していなかったという。
手術は無事成功。ツネトキは光ヶ丘に泣きながら感謝された。
「先輩、ありがとうございます! 先輩がいなかったら、妹は手術できないところでした!」
「そうか。良かったな」
光ヶ丘は約束どおり、心を入れ替えた。
誰にでも優しく気さくに接し、嫌味も悪口も言わない。言っている者がいれば、注意する。自然と周りの雰囲気もよくなっていった。
特に恩人であるツネトキは約束に関係なく慕われ、よく二人で食事や飲みに行った。せめて土田の恨みを晴らしてやりたかったが、今の光ヶ丘には少しの殺意も湧いてこなかった。
むしろ光ヶ丘より、自分に殺意を抱いていた。
来る日も来る日も己を責め、憎悪する。そして土田の死を嘆き、後悔した。
「……俺は悪人だ。助けるべき人間を殺し、殺すべき人間を助けてしまった。なにもかも、どうでもいい」
(『蓄積悪夢』第5話へ続く)
土田は自動販売機の前のベンチで待っていた。私服で、淡い色のパーカーとジャージを着ていた。
「ツネトキさん、こんばんは。相談って何ですか?」
「実は……」
ツネトキは光ヶ丘が抱えている事情を明かし、彼を断罪できなくなったと告げた。
土田は光ヶ丘の意外な秘密に驚いていたものの、断罪できなくなった件については納得がいかないようだった。
「ふざけないでください! 悲惨な身の上だろうがなんだろうが、あいつがやったことは悪なんですよ?」
「お、俺だって、あいつを許したわけじゃない! また同じようなことをやったら、今度こそ許さないとも忠告した! それに、今あいつが働けなくなったら、あいつの家族まで不幸になるんだぞ? 俺は何の罪もない、無関係な人間まで巻き込みたくないんだよ」
ツネトキは誰に対しても殺意を向けているわけではない。ちゃんと相手を選んでいる。
人の気持ちを踏みにじる者、人を物のように扱う者、己しか見えていない者、相手を見下す者など、「法的に粛正できない悪」をターゲットにしてきた。罪のない善人を一方的にいたぶるのはダメだ。そんなことをするのは悪人しかいない。
一方、土田は冷ややかに笑った。
「あの極悪人を生んだ母親と、同じ血を引く妹ですよ? 諸悪の根源じゃないですか。せいぜい稼ぎ手がいなくなって困ればいいんです。ツネトキさんだって、そのつもりだったんじゃないんですか?」
「っ! 違うッ! お前と一緒にするな!」
ツネトキはついカッとなり、叫んだ……殺意を込めて。
瞬間、土田の顔から一切の表情が消えた。何かに取り憑かれたかのように放心している。
「土田さん?」
ツネトキが異変に気づいた時には遅かった。
「……そうだ。私、今日は早く寝るつもりだったんです。明日、大事な約束があるので、早めに出社しなくちゃいけなくって」
「や、約束? そんなこと、さっきはひと言も言っていなかったじゃないか」
「忘れてたんです。おかしいなぁ……せっかく光ヶ丘を殺せる絶好のチャンスなのに、どうして忘れてたのかしら?」
「土田、お前まさか……」
ツネトキは青ざめる。ツネトキの想像通り、土田はツネトキの力によって、ありもしない悪夢を見ていた。
「じゃ、私帰りますね。お疲れ様でしたー」
「おい、待て!」
土田は立ち上がり、公園の出口に向かってスタスタと歩き出す。ツネトキは土田を追ったが、途中で見失ってしまった。
ツネトキは息を切らし、愕然とした。
一度始まった悪夢は止まらない。解除する方法も分からない。こんなケースは初めてだった。
「だ、だ、大丈夫だ。さっきはついイラッとしてしまったが、俺は彼女をそこまで憎んじゃいない。ちょっと痛い目を見る程度……死にはしないさ」
帰宅し、眠りにつくまで、ひたすら自分に言い聞かせる。
しかしいくら「大丈夫」と繰り返しても、ツネトキの心は落ち着かなかった。
翌朝、ツネトキは不安を抱えたまま出社した。
土田には今朝から何度も連絡しているが、一向に繋がらない。返信も来ない。
彼女のオフィスを覗いたが、「早めに出社しなくちゃいけない」と言っていたにもかかわらず、まだ来ていなかった。奇遇にも、いつもはツネトキより先に出社しているはずの光ヶ丘もまだだった。
「……まさか、光ヶ丘を殺しに行ったんじゃないだろうな?」
不安がいっそう高まる。光ヶ丘にも連絡してみたが、応答はなかった。
それぞれの同僚に二人の居場所を尋ねたものの、どちらの同僚もツネトキと同じく、二人と連絡がつかなくて困っていた。
何も手がかりがつかめないまま、始業時刻が刻一刻と近づいていた……その時。まばゆい朝日に照らされ、土田は落下した。
土田は自ら、ビルの屋上から飛び降りたらしい。
社内が騒然となる中、ツネトキは憔悴し、項垂れた。
「ごめん……ごめんよ、土田。俺はお前を殺すつもりなんてなかったんだ。本当だよ。光ヶ丘にひどい仕打ちを受けた君を、これ以上苦しめていいわけないじゃないか」
視界が歪む。
救急車の音が近づいてくる。
同僚達は窓の外に釘づけだ。ツネトキの仕業だと知ったら、しつこく攻め立てるのだろうか。
(誰か……誰か俺を、断罪してくれ!)
土田は病院へ搬送され、まもなく死亡が確認された。遺書はなく、靴も履いたままだったことから、警察は事故と自殺の両面で調べているらしい。
土田が飛び降りた時間、光ヶ丘は妹の手術に立ち会っていた。急に決まったせいで、誰にも連絡していなかったという。
手術は無事成功。ツネトキは光ヶ丘に泣きながら感謝された。
「先輩、ありがとうございます! 先輩がいなかったら、妹は手術できないところでした!」
「そうか。良かったな」
光ヶ丘は約束どおり、心を入れ替えた。
誰にでも優しく気さくに接し、嫌味も悪口も言わない。言っている者がいれば、注意する。自然と周りの雰囲気もよくなっていった。
特に恩人であるツネトキは約束に関係なく慕われ、よく二人で食事や飲みに行った。せめて土田の恨みを晴らしてやりたかったが、今の光ヶ丘には少しの殺意も湧いてこなかった。
むしろ光ヶ丘より、自分に殺意を抱いていた。
来る日も来る日も己を責め、憎悪する。そして土田の死を嘆き、後悔した。
「……俺は悪人だ。助けるべき人間を殺し、殺すべき人間を助けてしまった。なにもかも、どうでもいい」
(『蓄積悪夢』第5話へ続く)
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