悪夢症候群

緋色刹那

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第1部 第3章「蓄積悪夢」

第3話『撥ねたのは誰?』後編

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 突進する回数が増えるにつれ、久留間はだんだん作業が雑になってきた。動く影が男かどうかも確かめず、迷いなく突っ込む。
 決着がついたのは、男を追い回し始めて一時間ほど経った頃だった。
 今まで通り、動く影に向かって車を突進させたところ、それまで感じたことのない衝撃が久留間を襲った。
「うぉっ?! なんだ?」
 ライトに目をこらすと、車と壁の間に男が挟まっていた。うつむき、手足をダランと伸ばしたまま、ピクリとも動かない。
 出血は見られないものの、腹に車のバンパーがめり込んでいる。このまま放置すれば助からないだろう。
 突然の幕引きに、久留間は呆然とした。目の前で項垂れている男の死体を見ているうちに、徐々に現実を理解していった。やってしまったことよりも、男を仕留めた達成感の方が勝った。
「……やった」
 グッと小さく拳を握る。自然と笑みがこぼれてくる。
「ギャハハッ、やったぞ! ざまぁみろ!」
 久留間は外へ飛び出し、男の死体へ駆け寄った。
 男の長い前髪をつかみ、無理矢理顔を上げさせる。すぐにでもここから立ち去らなければならない。だがその前に、久留間をイラつかせた憎き男の死顔を目に焼きつけておきたかった。
 男は既に息をしておらず、されるがままだった。久留間は男の顔を目にした瞬間、頭の中が真っ白になった。
 
「……は?」
 久留間は愕然とした。
 うつむいていた時は分からなかったが、男は間違いなく久留間と同じ顔だった。何かとてつもなく恐ろしいものを見たような表情で、両目と口を大きく開き、固まっている。服もスーツではなく、久留間が今着ているのと同じ格好だった。
「あいててて……」
 ふいに、久留間の腹に激痛が走った。
 反射的に手で押さえる。すると、本来あるべき場所から腹が消えていた。
「あ?」
 妙に思い、視線を落とす。
 久留間の腹は、男の死体と同様にへこんでいた。触ると、血がかよっているか怪しいほど、固く冷たかった。
「え? は? なんで?」
 久留間は自分の身に何が起こっているのか理解できないまま、フラフラと地面に倒れた。
 意識が遠のき、目の前が暗くなっていく。
「だ、誰かぁー! 誰か救急車を呼んでくれぇー!」
 助けを呼ぶ久留間の声が、無人の路地に虚しく響く。
 意識が途切れる寸前、久留間は自分に言い聞かせるように叫んだ。
「そうか、分かった! これは夢だ! だからあの野郎が消えて、俺が増えたんだ! こんな訳の分からないことが現実で起きるはずがねぇ! 目が覚めりゃ、何もかも全部元に戻るんだよォ!」
 久留間はこの世界が夢だと信じたまま、息絶えた。
 その顔は車と壁の間に挟まっている男と同じ、両目と口を大きく開いた無様な表情だった。



 翌朝、久留間の遺体は地面に伏した状態で発見された。
 猛スピードでコンクリート塀へ突っ込み、その衝撃で腹部が何かによって圧迫され、一部の臓器が体内で破裂したらしい。他に外傷はなく、警察は事故死だと判断を下した。
 現場には久留間以外の死体はなく、車と塀の間からは何の痕跡も見つからなかった。
 現場検証が済むと、車はレッカーで運ばれていった。非常線の前に群がる野次馬達を横目に、久留間に追われていた男はニヤリと笑みを浮かべた。
「ハハッ、バカなやつ。自分が誰を追ってるかも確かめずに撥ねやがって。入れ替わりに気づいていれば、死なずに済んだかもしれないのに。ま、簡単な交通ルールも守れないバカには無理か」
 男はフラフラと現場を後にした。
 そして、もう久留間のことなど忘れたように笑みを消した。ブツブツと何やら物騒なことを呟きながら、すれ違う人々を殺気立った目で睨みつけていった。



(『蓄積悪夢』第4話へ続く)
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