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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
ある男の日記③
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由良は祖父の日記を開いた。
199×年 ×月×日
孫が生まれた。女の子だ。
名前は由良。元輝と暦美さんに頼まれ、私が名付けた。〈心の落とし物〉や人の想いを大切にできる子に育ってほしいと思い、「良いものごとの由来」をもじって、由良にした。
とても小さく、愛らしい。いつか美緑が帰ってきたときに見せられるよう、写真を何枚も撮った。ベラドンナがいたら、由良のいい遊び相手になってくれていただろう。
タマのところの孫もじきに生まれるそうだ。いずれは私とタマのように、二人も友になってくれると嬉しいのだが。
200×年 ×月××日
最近、体調が優れない。店を開けない日の方が多い。
一日の大半を屋根裏部屋の長椅子で寝て過ごしている。歳のせいとはいえ、不甲斐ない。未練ばかりが頭を駆け巡る。
世界をもっと旅したかった。行ったことのない国、場所、店。食べ物、人、生き物、自然、文化。行きたいところは増えるばかりで減りはしなかった。
持ち主が見つかっていない心の落とし物が、まだまだ沢山残っている。〈探し人〉に頼まれ、探している〈心の落とし物〉。屋根裏部屋に置いたままの〈心の落とし物〉。壊れていて返せていない〈心の落とし物〉。あれらをどうにかできるのは、私だけだというのに。
美緑の骨壷に隠した記念金貨が心配だ。誰にも見つからないといいが。いざというときのために、タマには話しておこうか?
由良は進路や懐虫電燈の今後について、元輝と暦美さんともめているらしい。今は懐虫電燈という"居場所"があるが、いつか私と懐虫電燈がなくなったら、由良の居場所は無くなってしまうのではないか?
いっそ、私も美緑の後を追って、〈未練溜まり〉へ行こうか? 美緑を見つけて、二人で余生を過ごすのもいいかもしれない。そして、彼女の最期を看取りたい。周りの人間は美緑のことを忘れつつある。元輝も、暦美さんも、タマも。私もいずれ、妻の存在を忘れてしまうのだろうか? 不安だ。
私には時間も体力もない。これらのいくつを叶えられるかは分からない。一つも達成できないやもしれぬ。こんなに後悔すると知っていたなら、時間も体力もあった若い頃に全て片付けていたのに。
後悔しかない。だが、もう戻れない。
200×年 8月××日
私の〈探し人〉を名乗る者が現れた。老い先短い私に代わり、未練を果たしてくれるらしい。
顔は、私の若い頃に似ている。髪と目は蛍の光をうつしたような、明るい黄緑色だ。黒いボーラーハット、黒い革手袋、黒い外套(裏地はベルベット地、深緑色の蛍柄)、黒いブーツと、全身黒ずくめ。敬愛する作家の一人、中原中也の格好に似ている。
〈探し人〉は私を「主人」と呼び、私の口調や所作を真似した。なんだか若い頃の自分にからかわれているように感じ、気恥ずかしかった。
「私を主人とは呼ばないでほしい。君は私の分身ではあるが、君は君なのだ。主従ではなく、最も理解ある友として、私の頼みを聞いてほしい。もし聞いてくれるのなら、報酬としてこの長椅子と屋根裏部屋をやろう。私が懐虫電燈で一番気に入っている場所だ」
私は彼に「渡来屋」というあだ名を与えた。海外を飛び回っていた貿易商の父の通り名だ。笑顔で、しかし密かに長椅子と部屋の値踏みを始めた彼に、商人の影を見たのかもしれない。
〈探し人〉は何度も「渡来屋」と唱え、ニヤッと笑った。
「では、俺はそのようにさせてもらおう。他ならぬ、主人殿の頼みだからな」
私は苦笑するしかなかった。
"俺"……昔、使っていた一人称だ。憎らしいほど不適な笑みにも覚えがある。彼に任せれば大丈夫だ。上手くやってくれる。若い頃の私になら、安心して任せられる。
200×年 ××月××日
最期に、由良をこの腕で抱きしめたかった。
由良は祖父の日記を閉じた。滲んだ涙をハンカチで拭う。
「店長。またおじいさんの日記を読まれていたんですか?」
バイトの少女が心配そうに声をかける。このあとのイベントのため、臨時で雇った高校生だ。
同じく、臨時で雇った男子高校生が「いい加減にしてくださいよ」と呆れた。
「何度読んだって内容は同じでしょう? それよか、そろそろ準備始めないと間に合わなくなりますよ?」
「そうね。やる気満々の君には、あの荷物を屋上まで運んでもらおうかしら?」
「げっ」
由良は日記をカバンに仕舞い、バックルームを後にした。
199×年 ×月×日
孫が生まれた。女の子だ。
名前は由良。元輝と暦美さんに頼まれ、私が名付けた。〈心の落とし物〉や人の想いを大切にできる子に育ってほしいと思い、「良いものごとの由来」をもじって、由良にした。
とても小さく、愛らしい。いつか美緑が帰ってきたときに見せられるよう、写真を何枚も撮った。ベラドンナがいたら、由良のいい遊び相手になってくれていただろう。
タマのところの孫もじきに生まれるそうだ。いずれは私とタマのように、二人も友になってくれると嬉しいのだが。
200×年 ×月××日
最近、体調が優れない。店を開けない日の方が多い。
一日の大半を屋根裏部屋の長椅子で寝て過ごしている。歳のせいとはいえ、不甲斐ない。未練ばかりが頭を駆け巡る。
世界をもっと旅したかった。行ったことのない国、場所、店。食べ物、人、生き物、自然、文化。行きたいところは増えるばかりで減りはしなかった。
持ち主が見つかっていない心の落とし物が、まだまだ沢山残っている。〈探し人〉に頼まれ、探している〈心の落とし物〉。屋根裏部屋に置いたままの〈心の落とし物〉。壊れていて返せていない〈心の落とし物〉。あれらをどうにかできるのは、私だけだというのに。
美緑の骨壷に隠した記念金貨が心配だ。誰にも見つからないといいが。いざというときのために、タマには話しておこうか?
由良は進路や懐虫電燈の今後について、元輝と暦美さんともめているらしい。今は懐虫電燈という"居場所"があるが、いつか私と懐虫電燈がなくなったら、由良の居場所は無くなってしまうのではないか?
いっそ、私も美緑の後を追って、〈未練溜まり〉へ行こうか? 美緑を見つけて、二人で余生を過ごすのもいいかもしれない。そして、彼女の最期を看取りたい。周りの人間は美緑のことを忘れつつある。元輝も、暦美さんも、タマも。私もいずれ、妻の存在を忘れてしまうのだろうか? 不安だ。
私には時間も体力もない。これらのいくつを叶えられるかは分からない。一つも達成できないやもしれぬ。こんなに後悔すると知っていたなら、時間も体力もあった若い頃に全て片付けていたのに。
後悔しかない。だが、もう戻れない。
200×年 8月××日
私の〈探し人〉を名乗る者が現れた。老い先短い私に代わり、未練を果たしてくれるらしい。
顔は、私の若い頃に似ている。髪と目は蛍の光をうつしたような、明るい黄緑色だ。黒いボーラーハット、黒い革手袋、黒い外套(裏地はベルベット地、深緑色の蛍柄)、黒いブーツと、全身黒ずくめ。敬愛する作家の一人、中原中也の格好に似ている。
〈探し人〉は私を「主人」と呼び、私の口調や所作を真似した。なんだか若い頃の自分にからかわれているように感じ、気恥ずかしかった。
「私を主人とは呼ばないでほしい。君は私の分身ではあるが、君は君なのだ。主従ではなく、最も理解ある友として、私の頼みを聞いてほしい。もし聞いてくれるのなら、報酬としてこの長椅子と屋根裏部屋をやろう。私が懐虫電燈で一番気に入っている場所だ」
私は彼に「渡来屋」というあだ名を与えた。海外を飛び回っていた貿易商の父の通り名だ。笑顔で、しかし密かに長椅子と部屋の値踏みを始めた彼に、商人の影を見たのかもしれない。
〈探し人〉は何度も「渡来屋」と唱え、ニヤッと笑った。
「では、俺はそのようにさせてもらおう。他ならぬ、主人殿の頼みだからな」
私は苦笑するしかなかった。
"俺"……昔、使っていた一人称だ。憎らしいほど不適な笑みにも覚えがある。彼に任せれば大丈夫だ。上手くやってくれる。若い頃の私になら、安心して任せられる。
200×年 ××月××日
最期に、由良をこの腕で抱きしめたかった。
由良は祖父の日記を閉じた。滲んだ涙をハンカチで拭う。
「店長。またおじいさんの日記を読まれていたんですか?」
バイトの少女が心配そうに声をかける。このあとのイベントのため、臨時で雇った高校生だ。
同じく、臨時で雇った男子高校生が「いい加減にしてくださいよ」と呆れた。
「何度読んだって内容は同じでしょう? それよか、そろそろ準備始めないと間に合わなくなりますよ?」
「そうね。やる気満々の君には、あの荷物を屋上まで運んでもらおうかしら?」
「げっ」
由良は日記をカバンに仕舞い、バックルームを後にした。
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