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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第十二話「懐虫電燈未練街店」⑹
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黒猫の最後の一匹が消える。永遠野は静かに、涙を流していた。
「お味はいかがでしたか?」
「……蛍太郎のコーヒーを入れたわね。懐かしい味だったわ。まさか、これ全部そうなの?」
「えぇ、実は」
永遠野は渡来屋が淹れたサイフォンの一つを手に取り、カップへ注ぐ。ひと口飲み、頷くと、残りをひと息に飲み干した。
「現実はただ悲しいだけの世界が広がっていると思っていた。けれど、違った。あの頃と変わらない、にぎやかな街……由良ちゃんのような若い人や、商店街の方達が頑張ってくれたのね」
「えぇ。それに、最近は洋燈商店街のようなレトロな場所や物が流行っているんです。当時を知る人はもちろん、まだ生まれてすらいなかった年代の人達まで、レトロなものを見ると懐かしく感じるそうです。いっときのブームかもしれませんが、昔のものを捨てるばかりの時代ではなくなったのは確かだと思います」
「行って、この目で確かめてみたいわ。由良ちゃんのお店にも寄りたいし」
「ぜひ」
ベラドンナが目を覚まし、永遠野の足へすり寄る。永遠野は驚き、ベラドンナを抱き上げた。
「ベラドンナ? お前、今までどこへ行っていたの?」
「ニャア」
ベラドンナは心地良さそうに撫でられた。
「あのぉ、今開いてます?」
「え?」
その時、入口のドアから学生の男女が顔を覗かせた。商店街で何度か遭遇した男子学生とそのカノジョだ。
彼らだけではない。大勢の〈探し人〉達が懐虫電燈の前に集まっている。ドアの先は商店街に戻っていた。
「いや、そもそも営業してないんで」
「えー! こんないい香り、我慢できないですよ!」
「お姉さん、これで会うの三回目でしょ? 顔見知りってことで、ひとつ頼むよー」
「ずるいぞ、少年! 私だって、コーヒーが飲みたい!」
まわりの〈探し人〉も「そうだそうだ!」と不満の声を上げる。皆、コーヒーの香りにつられて集まってきたらしい。
渡来屋は観念した様子で、肩をすくめた。
「入れてやれ。捨てるのももったいないしな。由良、ナナコ、手伝ってくれ」
「私もいるんだけど?」
永遠野が予備の懐虫電燈のエプロンを手にする。
渡来屋は「猫よりは使えるか」と、彼女も従業員に加えた。ドレスは動きづらく目立つため、裏で着替えさせる。軽装で戻ってきた永遠野は美緑にそっくりで、客の誰も永遠野だとは気づかなかった。
ドアの札を「OPEN」にひっくり返し、店を開ける。一瞬で満席になり、急きょ外に用意したテラス席もすぐに埋まった。店の前には長い長い行列ができた。
由良と渡来屋は調理、ナナコと永遠野はホール、ベラドンナは待っているお客の相手を担当そた。コーヒーとコーヒーゼリーを使ったメニューだけでなく、材料があれば何でも作って出した。持ち帰り用に、水筒も貸し出した。
永遠野が由良の作ったコーヒーゼリーを食べて現実を知ったように、渡来屋のコーヒーを飲んだ〈探し人〉も各々の主人の現在を目にした。
「田舎へ引っ越して、天体観測を続けているのか。良かった、趣味を辞めずに済んだんだな」
「仕事を辞めても、電車が好きなんだな。私も〈未練溜まり〉で仕事を頑張ろう」
「私達の主人、みんなぽっちゃりだね」
「うん。膝やっちゃってるね」
「今からサーカスに入るのは無理だね」
「私達は入れるように頑張ろう!」
「「おー!」」
自分達がいなくなった後の主人の記憶に触れ、安心する者。引き続き、主人が果たせなかった夢を叶えようとする者。そのまま消滅する者。
中には現実にショックを受け、慌てて路面電車へ走る〈探し人〉もいた。
「俺の主人、カノジョちゃんのこと忘れてるんだけど?!」
「私の主人もだよ! 早く戻って、思い出させなきゃ!」
「私でも成功したんだから、主人もきっとできるはず。帰って教えてあげないと」
「子供っぽい? くだらない? 大人の今なら叶えられるんだから、やってよ!」
ウワサはさらに広まり、遠方からの客や商店街で飲食店を営んでいる同業者まで足を運んだ。ナナコが働いていたビアガーデンのマスターであるイムラとシトロン、見舞いの花を購入した花屋「Alraune」のタナハシ、オサムにコーヒーを差し入れしたくて来た手塚、〈心の落とし物〉回収場のオズとシャーリーは買い出しも兼ね、立ち寄ってくれた。
「こんばんは。お宅のコーヒーのおかげで、ウチは閑古鳥が鳴いておりますよ」
「すみません、店長」
イムラはコーヒーとフルーツサンド、シトロンはアイリッシュコーヒーを頼む。アイリッシュコーヒーを飲んだ途端、シトロンは叫んだ。
「何であんなアホのために、大好きな歌とピアノを黒歴史扱いせにゃならんのよ! マスター! 私、主人のとこに帰る! 今日限りで辞めさせてもらうわ!」
「そうですか。寂しくなりますね」
「店長は帰らないんですか?」
「私の主人は今の生活に満足されているそうなので、残ります。差し支えなければ、私にもコーヒーの淹れ方を教えてくれませんか?」
「むしろありがたい。教えるから、こっち来て手伝え」
その横でタナハシは頭を抱え、手塚は由良に水筒を差し出す。
「私の主人、まだお店に未練があるみたい。私が完全に消えていないせいだわ。だけど、急に仕事を辞めるわけにはいかないし……」
「後継を探すわ。もっとも、私は貴方にずっと勤めてもらいたいと思っているけどね」
「魔女様?! どうしてここに?!」
「バイトよ」
「コーヒー、あと水筒二本分もらえますか? 職員さんや他の患者さんにもおすそ分けしたいんです」
「かしこまりました。オサムさんと看護師さん達によろしくお伝えください」
オズとシャーリーは、カウンターで並んで作業している由良と渡来屋を見て驚いていた。
「ソルシエールさん! と、指名手配中の人?! 結局、グルだったんですか?!」
「帰るぞ、シャーリー。これだから大人は信用できないんだ」
「大丈夫よ。私もその人が作ったコーヒー、飲んだから。悔しいけど、美味しいの」
「ま、魔女様?!」
「しー。今はただのウェイトレスよ」
「……魔女様がそうおっしゃるなら、飲んでみようかな」
「コーヒーゼリーカフェオレ二つ。水筒にも入れてください。他の子供達にも飲んでもらいたいので」
コーヒーを飲んで、笑顔になる客。ワクワクしながら順番を待つ客。談笑する客。
彼らの笑顔を横目に、忙しなく働くうちに、永遠野は気づいた。
(初めてだわ。こうやって誰かのために働いて、その人達の笑顔を間近で見るのは。いい仕事ね……あれ?)
「……私、喫茶店で働いたことない」
(エピローグへつづく)
「お味はいかがでしたか?」
「……蛍太郎のコーヒーを入れたわね。懐かしい味だったわ。まさか、これ全部そうなの?」
「えぇ、実は」
永遠野は渡来屋が淹れたサイフォンの一つを手に取り、カップへ注ぐ。ひと口飲み、頷くと、残りをひと息に飲み干した。
「現実はただ悲しいだけの世界が広がっていると思っていた。けれど、違った。あの頃と変わらない、にぎやかな街……由良ちゃんのような若い人や、商店街の方達が頑張ってくれたのね」
「えぇ。それに、最近は洋燈商店街のようなレトロな場所や物が流行っているんです。当時を知る人はもちろん、まだ生まれてすらいなかった年代の人達まで、レトロなものを見ると懐かしく感じるそうです。いっときのブームかもしれませんが、昔のものを捨てるばかりの時代ではなくなったのは確かだと思います」
「行って、この目で確かめてみたいわ。由良ちゃんのお店にも寄りたいし」
「ぜひ」
ベラドンナが目を覚まし、永遠野の足へすり寄る。永遠野は驚き、ベラドンナを抱き上げた。
「ベラドンナ? お前、今までどこへ行っていたの?」
「ニャア」
ベラドンナは心地良さそうに撫でられた。
「あのぉ、今開いてます?」
「え?」
その時、入口のドアから学生の男女が顔を覗かせた。商店街で何度か遭遇した男子学生とそのカノジョだ。
彼らだけではない。大勢の〈探し人〉達が懐虫電燈の前に集まっている。ドアの先は商店街に戻っていた。
「いや、そもそも営業してないんで」
「えー! こんないい香り、我慢できないですよ!」
「お姉さん、これで会うの三回目でしょ? 顔見知りってことで、ひとつ頼むよー」
「ずるいぞ、少年! 私だって、コーヒーが飲みたい!」
まわりの〈探し人〉も「そうだそうだ!」と不満の声を上げる。皆、コーヒーの香りにつられて集まってきたらしい。
渡来屋は観念した様子で、肩をすくめた。
「入れてやれ。捨てるのももったいないしな。由良、ナナコ、手伝ってくれ」
「私もいるんだけど?」
永遠野が予備の懐虫電燈のエプロンを手にする。
渡来屋は「猫よりは使えるか」と、彼女も従業員に加えた。ドレスは動きづらく目立つため、裏で着替えさせる。軽装で戻ってきた永遠野は美緑にそっくりで、客の誰も永遠野だとは気づかなかった。
ドアの札を「OPEN」にひっくり返し、店を開ける。一瞬で満席になり、急きょ外に用意したテラス席もすぐに埋まった。店の前には長い長い行列ができた。
由良と渡来屋は調理、ナナコと永遠野はホール、ベラドンナは待っているお客の相手を担当そた。コーヒーとコーヒーゼリーを使ったメニューだけでなく、材料があれば何でも作って出した。持ち帰り用に、水筒も貸し出した。
永遠野が由良の作ったコーヒーゼリーを食べて現実を知ったように、渡来屋のコーヒーを飲んだ〈探し人〉も各々の主人の現在を目にした。
「田舎へ引っ越して、天体観測を続けているのか。良かった、趣味を辞めずに済んだんだな」
「仕事を辞めても、電車が好きなんだな。私も〈未練溜まり〉で仕事を頑張ろう」
「私達の主人、みんなぽっちゃりだね」
「うん。膝やっちゃってるね」
「今からサーカスに入るのは無理だね」
「私達は入れるように頑張ろう!」
「「おー!」」
自分達がいなくなった後の主人の記憶に触れ、安心する者。引き続き、主人が果たせなかった夢を叶えようとする者。そのまま消滅する者。
中には現実にショックを受け、慌てて路面電車へ走る〈探し人〉もいた。
「俺の主人、カノジョちゃんのこと忘れてるんだけど?!」
「私の主人もだよ! 早く戻って、思い出させなきゃ!」
「私でも成功したんだから、主人もきっとできるはず。帰って教えてあげないと」
「子供っぽい? くだらない? 大人の今なら叶えられるんだから、やってよ!」
ウワサはさらに広まり、遠方からの客や商店街で飲食店を営んでいる同業者まで足を運んだ。ナナコが働いていたビアガーデンのマスターであるイムラとシトロン、見舞いの花を購入した花屋「Alraune」のタナハシ、オサムにコーヒーを差し入れしたくて来た手塚、〈心の落とし物〉回収場のオズとシャーリーは買い出しも兼ね、立ち寄ってくれた。
「こんばんは。お宅のコーヒーのおかげで、ウチは閑古鳥が鳴いておりますよ」
「すみません、店長」
イムラはコーヒーとフルーツサンド、シトロンはアイリッシュコーヒーを頼む。アイリッシュコーヒーを飲んだ途端、シトロンは叫んだ。
「何であんなアホのために、大好きな歌とピアノを黒歴史扱いせにゃならんのよ! マスター! 私、主人のとこに帰る! 今日限りで辞めさせてもらうわ!」
「そうですか。寂しくなりますね」
「店長は帰らないんですか?」
「私の主人は今の生活に満足されているそうなので、残ります。差し支えなければ、私にもコーヒーの淹れ方を教えてくれませんか?」
「むしろありがたい。教えるから、こっち来て手伝え」
その横でタナハシは頭を抱え、手塚は由良に水筒を差し出す。
「私の主人、まだお店に未練があるみたい。私が完全に消えていないせいだわ。だけど、急に仕事を辞めるわけにはいかないし……」
「後継を探すわ。もっとも、私は貴方にずっと勤めてもらいたいと思っているけどね」
「魔女様?! どうしてここに?!」
「バイトよ」
「コーヒー、あと水筒二本分もらえますか? 職員さんや他の患者さんにもおすそ分けしたいんです」
「かしこまりました。オサムさんと看護師さん達によろしくお伝えください」
オズとシャーリーは、カウンターで並んで作業している由良と渡来屋を見て驚いていた。
「ソルシエールさん! と、指名手配中の人?! 結局、グルだったんですか?!」
「帰るぞ、シャーリー。これだから大人は信用できないんだ」
「大丈夫よ。私もその人が作ったコーヒー、飲んだから。悔しいけど、美味しいの」
「ま、魔女様?!」
「しー。今はただのウェイトレスよ」
「……魔女様がそうおっしゃるなら、飲んでみようかな」
「コーヒーゼリーカフェオレ二つ。水筒にも入れてください。他の子供達にも飲んでもらいたいので」
コーヒーを飲んで、笑顔になる客。ワクワクしながら順番を待つ客。談笑する客。
彼らの笑顔を横目に、忙しなく働くうちに、永遠野は気づいた。
(初めてだわ。こうやって誰かのために働いて、その人達の笑顔を間近で見るのは。いい仕事ね……あれ?)
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