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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第十一話「魔女の家」⑸
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懐かしい香りが鼻先をかすめた。
嗅ぎ間違えるはずがない。懐虫電燈のコーヒーの香りだ。由良の脳内に立ち込めていた分厚い雲が、スッと晴れる。
(おじいちゃん?)
香りは屋上と屋内をつなぐドアの向こうから漂っている。
由良はすがるように、ドアへ駆け寄った。
「待ちなさい!」
永遠野も匂いに気づいたらしい。険しい顔で、由良を追ってきた。
祖母は懐虫電燈で働いていた。彼女にとっても、懐かしい香りのはずだ。にもかかわらず、由良を香りの先へ行かせまいとしている。
(おばあちゃんは私に隠しごとをしている!)
由良は屋上を出ると、永遠野が追ってこられないよう、ドアの前にホウキを立てかけた。
永遠野がドアを拳で叩く。B10号もガリガリと引っ掻いている。
「待ちなさい、由良! その香りをたどってはダメ! あの男……渡来屋の罠よ! 貴方も散々邪魔されていたじゃない!」
「むしろ好都合です。永遠野さんが言っていることが本当か確かめてきます。貴方は信用できない」
由良はコーヒーの香りを頼りに、別のドアを開く。
永遠野はドアを叩き、呼びかけた。
「ベラドンナ! ベラドンナ! その子を追って! その子の居場所を、私に教えて!」
闇の中で、無数の何かが目を覚ます。
彼らは永遠野の命令に従い、館のあちこちへ散っていった。
由良はコーヒーの香りをたどり、部屋から部屋へ渡り歩いた。時にはキッチンの戸棚、クローゼット、床下収納からも香ったが、その先にも部屋があった。
いくつかの部屋を移動した頃、コーヒーの香りに混じり、獣の臭いがした。獣の臭いは徐々に強まり、コーヒーの香りをかき消してしまう。
「何なの、この臭いは」
足を止めたその時、カーテンの裏からB10号にそっくりな、黄緑色の目をした黒猫がスルリと現れた。
「ニャー」
「B10号? 永遠野さんと一緒に、屋上へ閉じ込めたはずじゃ……」
「見つけた」
黒猫に続き、永遠野もカーテンの裏から現れる。
由良はわずかにコーヒーの香りがする内窓へ飛び込むと、棚で窓をふさいだ。が、その先にもB10号にそっくりな黒猫はいた。
「ニャア」
「ったく、オマエは何匹いるんだよ」
少し遅れて、永遠野も姿を現す。
「この子達は私の目だもの。私が見たいものの数だけいるのよ」
「うわ、また出た」
「実の祖母をお化け扱いしないでくれる?」
由良はコーヒーの香りがする方へ逃げ、来た道を防ぐという作業を繰り返す。
だが、いくらやってもB10似の黒猫と永遠野が追いついてくる。もはや、魔法以外に説明しようのない速さだった。
「人間の速さじゃないでしょう。魔法が使えないっていうのは嘘だったんですか?」
「嘘じゃないわ。魔法がかかっているのは、家のほう。ドアと部屋が地続きになっていないの。つながっているのは、思い出」
「思い出?」
「この家にあるドアは全て、私の〈心の落とし物〉。思い出のドア達。私がつながると思えば、つながるのよ」
「そんな無茶苦茶な。だったら、B10号はどう説明するんです? 永遠野さんより先に、部屋へ入っているみたいですけど」
部屋を移る。
B10号似の黒猫が待ち構えている。遅れて、永遠野が現れる。
「言ったでしょう? この子達は私の目。私が見たいものの数だけ存在している、私の〈心の落とし物〉」
「猫も?!」
「悪いけど、全ての部屋にベラドンナを配置させてもらったわ。ベラドンナが貴方を見つけた瞬間、私も貴方の居場所を特定する。普段は街を監視させているんだけれどね。貴方だって、少なくとも十匹のベラドンナと会っているはずよ」
行く先々で出会った、黒猫。よく会うなぁとは思っていたが、まさか全て別の猫だったとは。
獣の臭いは増していく。コーヒーの香りも増しているはずだが、どうにも心許ない。
百以上のドアを開けたとき、ついに見覚えのあるドアに行き着いた。
懐虫電燈の入口と同じ、木製のドアだ。玉蟲匣とは違い、「OPEN」の立て札がかかっている。
ホコリっぽい、倉庫のような部屋だった。明かりは点いておらず、薄暗い。
物を退け、跨ぎ、ドアノブに手をかける。その手を、黒猫が引っ掻いた。
「シャーッ!」
「いつッ!」
振り返れば、無数の黒猫が部屋に集まっている。闇の中で黄緑色の瞳をらんらんとさせ、こちらを見ている。
直後、目の前に永遠野が現れる。永遠野は由良につかみかかると、ドアから引き離そうとした。
「離して!」
「嫌! あの男は〈心の落とし物〉を商品としか思っていない薄情者よ! そんな男のもとへなんか行かせるものですか!」
「くっ、否定できない」
由良の手がドアノブから剥がされる。
そのとき、ドアが勝手に開いた。心許なかったコーヒーの香りが強まり、獣の臭いを打ち消す。
ドアの向こうから手が伸び、由良の手をつかんだ。若い男の手だ。そのまま引っ張られ、ドアの向こうへ連れて行かれる。
背後で、永遠野の悲痛な叫びが響き渡った。
「連れて行かないで、蛍太郎! その子は私を探しにきてくれた、唯一の人間なのよ! 嗚呼、忌々しいドア! 壊したはずなのに、復活しているなんて!」
それ以上はドアが閉まり、聞こえなかった。
(第十二話へつづく)
嗅ぎ間違えるはずがない。懐虫電燈のコーヒーの香りだ。由良の脳内に立ち込めていた分厚い雲が、スッと晴れる。
(おじいちゃん?)
香りは屋上と屋内をつなぐドアの向こうから漂っている。
由良はすがるように、ドアへ駆け寄った。
「待ちなさい!」
永遠野も匂いに気づいたらしい。険しい顔で、由良を追ってきた。
祖母は懐虫電燈で働いていた。彼女にとっても、懐かしい香りのはずだ。にもかかわらず、由良を香りの先へ行かせまいとしている。
(おばあちゃんは私に隠しごとをしている!)
由良は屋上を出ると、永遠野が追ってこられないよう、ドアの前にホウキを立てかけた。
永遠野がドアを拳で叩く。B10号もガリガリと引っ掻いている。
「待ちなさい、由良! その香りをたどってはダメ! あの男……渡来屋の罠よ! 貴方も散々邪魔されていたじゃない!」
「むしろ好都合です。永遠野さんが言っていることが本当か確かめてきます。貴方は信用できない」
由良はコーヒーの香りを頼りに、別のドアを開く。
永遠野はドアを叩き、呼びかけた。
「ベラドンナ! ベラドンナ! その子を追って! その子の居場所を、私に教えて!」
闇の中で、無数の何かが目を覚ます。
彼らは永遠野の命令に従い、館のあちこちへ散っていった。
由良はコーヒーの香りをたどり、部屋から部屋へ渡り歩いた。時にはキッチンの戸棚、クローゼット、床下収納からも香ったが、その先にも部屋があった。
いくつかの部屋を移動した頃、コーヒーの香りに混じり、獣の臭いがした。獣の臭いは徐々に強まり、コーヒーの香りをかき消してしまう。
「何なの、この臭いは」
足を止めたその時、カーテンの裏からB10号にそっくりな、黄緑色の目をした黒猫がスルリと現れた。
「ニャー」
「B10号? 永遠野さんと一緒に、屋上へ閉じ込めたはずじゃ……」
「見つけた」
黒猫に続き、永遠野もカーテンの裏から現れる。
由良はわずかにコーヒーの香りがする内窓へ飛び込むと、棚で窓をふさいだ。が、その先にもB10号にそっくりな黒猫はいた。
「ニャア」
「ったく、オマエは何匹いるんだよ」
少し遅れて、永遠野も姿を現す。
「この子達は私の目だもの。私が見たいものの数だけいるのよ」
「うわ、また出た」
「実の祖母をお化け扱いしないでくれる?」
由良はコーヒーの香りがする方へ逃げ、来た道を防ぐという作業を繰り返す。
だが、いくらやってもB10似の黒猫と永遠野が追いついてくる。もはや、魔法以外に説明しようのない速さだった。
「人間の速さじゃないでしょう。魔法が使えないっていうのは嘘だったんですか?」
「嘘じゃないわ。魔法がかかっているのは、家のほう。ドアと部屋が地続きになっていないの。つながっているのは、思い出」
「思い出?」
「この家にあるドアは全て、私の〈心の落とし物〉。思い出のドア達。私がつながると思えば、つながるのよ」
「そんな無茶苦茶な。だったら、B10号はどう説明するんです? 永遠野さんより先に、部屋へ入っているみたいですけど」
部屋を移る。
B10号似の黒猫が待ち構えている。遅れて、永遠野が現れる。
「言ったでしょう? この子達は私の目。私が見たいものの数だけ存在している、私の〈心の落とし物〉」
「猫も?!」
「悪いけど、全ての部屋にベラドンナを配置させてもらったわ。ベラドンナが貴方を見つけた瞬間、私も貴方の居場所を特定する。普段は街を監視させているんだけれどね。貴方だって、少なくとも十匹のベラドンナと会っているはずよ」
行く先々で出会った、黒猫。よく会うなぁとは思っていたが、まさか全て別の猫だったとは。
獣の臭いは増していく。コーヒーの香りも増しているはずだが、どうにも心許ない。
百以上のドアを開けたとき、ついに見覚えのあるドアに行き着いた。
懐虫電燈の入口と同じ、木製のドアだ。玉蟲匣とは違い、「OPEN」の立て札がかかっている。
ホコリっぽい、倉庫のような部屋だった。明かりは点いておらず、薄暗い。
物を退け、跨ぎ、ドアノブに手をかける。その手を、黒猫が引っ掻いた。
「シャーッ!」
「いつッ!」
振り返れば、無数の黒猫が部屋に集まっている。闇の中で黄緑色の瞳をらんらんとさせ、こちらを見ている。
直後、目の前に永遠野が現れる。永遠野は由良につかみかかると、ドアから引き離そうとした。
「離して!」
「嫌! あの男は〈心の落とし物〉を商品としか思っていない薄情者よ! そんな男のもとへなんか行かせるものですか!」
「くっ、否定できない」
由良の手がドアノブから剥がされる。
そのとき、ドアが勝手に開いた。心許なかったコーヒーの香りが強まり、獣の臭いを打ち消す。
ドアの向こうから手が伸び、由良の手をつかんだ。若い男の手だ。そのまま引っ張られ、ドアの向こうへ連れて行かれる。
背後で、永遠野の悲痛な叫びが響き渡った。
「連れて行かないで、蛍太郎! その子は私を探しにきてくれた、唯一の人間なのよ! 嗚呼、忌々しいドア! 壊したはずなのに、復活しているなんて!」
それ以上はドアが閉まり、聞こえなかった。
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