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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第十一話「魔女の家」⑴
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柵の先には小さな泉があった。苔むした石造りの段差がすり鉢状に囲っている。地上に生い茂った木々が空をさえぎり、影を落としている。
桜世は段差の先を指差した。
「森を抜けた先に永遠野様のお宅があります。丘の上に一軒だけ家があるので、すぐに分かるはずですよ」
「ここまでありがとうございました。また桜が咲く季節に会えるといいですね」
「はい。では、他のお客様を待たせておりますので……」
桜世は由良との別れもそこそこに、ボートへ戻る。
「よく働きますね。オフシーズンなんですから休めばいいのに」
「何もしていないと体が鈍ってしまいますもの。休んでなんかいられませんわ」
「でも、ついさっきも洋燈町で働いていらっしゃったじゃないですか」
桜世はキョトンとした。
「ついさっき、ですか?」
「えぇ。正確には、四、五時間くらい前だと思いますけど……」
由良はトケイソウで正確な時間を見ようとした。
ところが、トケイソウは狂った方位磁石のように、ぐるぐると針を回していた。これでは現在の時刻が分からない。
由良は動揺した。
(……どうしよう。暗いから、まだ日の出まで時間はあるんだろうけど、急がなくちゃ)
「ごめんなさい、桜世さん。私もこれで失礼します」
「あの、お客様。その時計……」
桜世が何か言いかける。
それをさえぎるように、「ニャア」と黒猫が鳴いた。チリン、と鈴の音も聞こえる。B9号がいるボートではなく、石段の上から聞こえた。
顔を上げると、鈴付きの首輪をつけた黒猫がこちらを見下ろしていた。
B9号と同じ緑色の目の黒猫だ。「早く上がってこい」と言いたげに、タシタシと尻尾で地面を叩いている。見下ろされているせいか、妙な威厳があった。
「お……お猫様……!」
「B10号ですね。お客様を案内してくださるみたいです」
由良は苔で足を滑らせないよう、慎重に石段を上る。
その間、黒猫B10号は桜世を凝視していた。桜世は由良に伝えようとしたことをぐっと飲み込み、口をつぐんだ。
(やめておきましょう。B10号があんなに警戒するなんて普通じゃない。あの方は永遠野様にとって、よほど特別なお客様なんだわ)
石段を上った先は、暗い森の中だった。蛍のような黄緑色の光があちこちに飛んでいる。魔女の家の方角を示す目印や人工的に作られた道はない。
由良はB10号に導かれ、森を進む。黒いので姿はおぼろげで、首輪の鈴の音だけが頼りだった。
(この子がいなかったら、確実に迷っていたでしょうね。帰りも案内してもらわないと)
まもなく、森を抜けた。
日はまだ昇っていない。夏のように暑いというのに、ピンクや紫が混じった黄緑色のオーロラが夜空にたなびいている。カーテンレースのようにゆらゆら波打ちながら、地上をぼんやりと黄緑色に照らしていた。
森の外は農園だった。青りんごやマスカット、メロン、ライムなど、さまざまな光る果物……心果が実っている。今まで目にしてきた心果とは比べ物にならないほど、一つ一つが輝きを放っていた。
その奥……なだらかな傾斜の丘の頂上に、黄緑色のとんがり屋根の洋館が建っていた。
「ニャ」
B10号が「あの家を見ろ」とばかりに、由良を振り返る。おそらく、アレが魔女の家なのだろう。
(あそこに、魔女……永遠野さんがいる。おばあちゃんの居場所がやっと分かる)
由良は農園の小道を進む。自然と、歩幅が大きくなった。
桜世は段差の先を指差した。
「森を抜けた先に永遠野様のお宅があります。丘の上に一軒だけ家があるので、すぐに分かるはずですよ」
「ここまでありがとうございました。また桜が咲く季節に会えるといいですね」
「はい。では、他のお客様を待たせておりますので……」
桜世は由良との別れもそこそこに、ボートへ戻る。
「よく働きますね。オフシーズンなんですから休めばいいのに」
「何もしていないと体が鈍ってしまいますもの。休んでなんかいられませんわ」
「でも、ついさっきも洋燈町で働いていらっしゃったじゃないですか」
桜世はキョトンとした。
「ついさっき、ですか?」
「えぇ。正確には、四、五時間くらい前だと思いますけど……」
由良はトケイソウで正確な時間を見ようとした。
ところが、トケイソウは狂った方位磁石のように、ぐるぐると針を回していた。これでは現在の時刻が分からない。
由良は動揺した。
(……どうしよう。暗いから、まだ日の出まで時間はあるんだろうけど、急がなくちゃ)
「ごめんなさい、桜世さん。私もこれで失礼します」
「あの、お客様。その時計……」
桜世が何か言いかける。
それをさえぎるように、「ニャア」と黒猫が鳴いた。チリン、と鈴の音も聞こえる。B9号がいるボートではなく、石段の上から聞こえた。
顔を上げると、鈴付きの首輪をつけた黒猫がこちらを見下ろしていた。
B9号と同じ緑色の目の黒猫だ。「早く上がってこい」と言いたげに、タシタシと尻尾で地面を叩いている。見下ろされているせいか、妙な威厳があった。
「お……お猫様……!」
「B10号ですね。お客様を案内してくださるみたいです」
由良は苔で足を滑らせないよう、慎重に石段を上る。
その間、黒猫B10号は桜世を凝視していた。桜世は由良に伝えようとしたことをぐっと飲み込み、口をつぐんだ。
(やめておきましょう。B10号があんなに警戒するなんて普通じゃない。あの方は永遠野様にとって、よほど特別なお客様なんだわ)
石段を上った先は、暗い森の中だった。蛍のような黄緑色の光があちこちに飛んでいる。魔女の家の方角を示す目印や人工的に作られた道はない。
由良はB10号に導かれ、森を進む。黒いので姿はおぼろげで、首輪の鈴の音だけが頼りだった。
(この子がいなかったら、確実に迷っていたでしょうね。帰りも案内してもらわないと)
まもなく、森を抜けた。
日はまだ昇っていない。夏のように暑いというのに、ピンクや紫が混じった黄緑色のオーロラが夜空にたなびいている。カーテンレースのようにゆらゆら波打ちながら、地上をぼんやりと黄緑色に照らしていた。
森の外は農園だった。青りんごやマスカット、メロン、ライムなど、さまざまな光る果物……心果が実っている。今まで目にしてきた心果とは比べ物にならないほど、一つ一つが輝きを放っていた。
その奥……なだらかな傾斜の丘の頂上に、黄緑色のとんがり屋根の洋館が建っていた。
「ニャ」
B10号が「あの家を見ろ」とばかりに、由良を振り返る。おそらく、アレが魔女の家なのだろう。
(あそこに、魔女……永遠野さんがいる。おばあちゃんの居場所がやっと分かる)
由良は農園の小道を進む。自然と、歩幅が大きくなった。
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