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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第十話「惑わしの水路」⑴
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オズに連れてこられたのは、回収場のはずれにある焼却炉だった。窓のないコンクリート造の小屋で、ドアには錠前がいくつもかかっている。
「ずいぶん厳重なのね」
「大人が入り込むと、やっかいなことになるから。表向きは焼却炉ってことにしてある」
「やっかいなことって?」
「行けば分かる」
オズはそれぞれの錠前に別々の鍵を差し込み、ドアを開く。
この場には、由良とオズとシャーリーの三人しかいない。他の子供達とはすでに、お別れを済ませてきた。
「お仕事、手伝ってくれてありがとう!」
「お姉さんのおかげで、いつもより映画が面白くなったよ!」
「フンッ、大人にしてはマシなほうだったな」
「また遊びに来てね!」
最初に会ったときとは打って変わり、温かく送り出してくれた。共に過ごした時間は短かったが、回収場行きの電車に乗せられたときの最悪だった気分は、完全に晴れた。
小屋の中はガランとしていた。地下に向かって、レンガ造の階段が伸びている。
上から覗くと、柵で入口をふさがれた水路があった。暗く、波打つ水音が静かに聞こえてくる。
「ここが隠し通路?」
オズはうなずいた。
「そう。この水路の先に、永遠野さんの家がある」
オズは階段を下り、柵の横に取り付けられたベルを鳴らした。
すると、柵の向こうから一艘のボートが音もなく現れた。闇の中で緑色の光が一つと二つ、不気味に浮かんで見える。
乗っていたのは、黒いローブを目深に被った船頭と、各所で見かけた黒猫だった。黒猫の目は緑色に怪しく光っている。闇の中で浮かび上がって見えた光のうち、一つはボートの先にかけられたカンテラの炎で、二つは黒猫の目だった。
船頭は水路の壁際に伸びた歩道へ降り、柵のドアを開けた。柵のドアにも鍵がかかっており、外からは入れないようになっている。
「お呼びでしょうか」
「あぁ。この人を永遠野様の家まで送り届けてやって欲しい」
船頭は由良を見上げる。その顔を見て、危うく悲鳴を上げかけた。
船頭は仮面舞踏会で身につけるような、怪しげな白塗りの仮面をつけていた。顔半分に、細かな桜の絵が描かれている。声は仮面でくぐもっているが、体つきからして女性だろう。
由良は声をひそめ、シャーリーにたずねた。
「あの人、何者なんです? 見るからに怪しんですけど」
「お仕事以外で魔女様のお家に行きたいときに連れて行ってくれる、船頭さんです。お仕事のときはもっと大きくて速い船を使えるんですけど、心果をエネルギーに使うので、お仕事以外では使っちゃいけないことになっているんですよ」
「あの猫は?」
「魔女様の使いのB9号ですね。水路の守り神なんです」
「Bってことは、他にもAとかCとかいるんですか?」
「いえ、Bというのはあの猫の名前です。本当はもっと長いらしいんですけど」
名前といえば、とシャーリーの目が輝いた。
「由良さんのあだ名、考えたんですよ! ソルシエールってどうですか? 語感が"添野"と似ていて、ピッタリだと思うんですけど」
「ソとエしか合ってないじゃないですか。フランス語っぽいですけど、どういう意味の単語なんです?」
シャーリーは「さぁ?」と首を傾げた。
「さぁって……」
「だって、誰も知らなかったんですもん。フランス映画で耳にしたので、フランス語なのは確かです」
「長いし、変な意味だったら嫌なので却下」
「えーっ! せっかく考えたのに!」
オズとシャーリーにも別れと感謝を告げ、由良は水路へ続く階段を下りた。
由良は柵のドアをくぐり、ボートに乗る。
シンプルな木造のボートだ。由良が腰を下ろすと、黒猫が足にすり寄ってきた。撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。
先に乗っていた船頭が「これを」と、自分が身につけているのと同じ仮面と、うっすら黄緑色に輝く黒い耳栓を渡してきた。
「どうぞ、お使いください。これから先、なにを目にしても、耳にしても、動じてはなりませんから。耳栓はワイヤレスイヤホンを兼ねておりますので、お互いに声が聞こえるはずです」
「メドゥーサとセイレーンが同居でも始めたんですか?」
「そんなところです」
試しに、仮面と耳栓を装着してみた。
ところが、仮面には一切穴がなく、何も見えない。呼吸もほとんどできず、息苦しかった。
耳栓も、妙に柔らかくて気持ち悪い。時折、うごめいているような感覚さえする。
(どうせ真っ暗だし、つけてもつけなくてもいっしょでしょ。必要になったら、つければいいや)
由良は耳栓を片耳だけはめ、もう片方はポケットへ仕舞った。仮面は服の下に隠す。
船頭は由良が仮面をつけていないことに気づいていたが、何も言わなかった。
「B9号君は何もつけなくて平気なんですか?」
「彼は昔から未練街に住んでいるので、耐性があるんです。そもそも、猫ですし。〈心の落とし物〉なのか〈探し人〉なのかは分かりませんけど」
黒猫は得意げに、フンスと鼻を鳴らした。
「ずいぶん厳重なのね」
「大人が入り込むと、やっかいなことになるから。表向きは焼却炉ってことにしてある」
「やっかいなことって?」
「行けば分かる」
オズはそれぞれの錠前に別々の鍵を差し込み、ドアを開く。
この場には、由良とオズとシャーリーの三人しかいない。他の子供達とはすでに、お別れを済ませてきた。
「お仕事、手伝ってくれてありがとう!」
「お姉さんのおかげで、いつもより映画が面白くなったよ!」
「フンッ、大人にしてはマシなほうだったな」
「また遊びに来てね!」
最初に会ったときとは打って変わり、温かく送り出してくれた。共に過ごした時間は短かったが、回収場行きの電車に乗せられたときの最悪だった気分は、完全に晴れた。
小屋の中はガランとしていた。地下に向かって、レンガ造の階段が伸びている。
上から覗くと、柵で入口をふさがれた水路があった。暗く、波打つ水音が静かに聞こえてくる。
「ここが隠し通路?」
オズはうなずいた。
「そう。この水路の先に、永遠野さんの家がある」
オズは階段を下り、柵の横に取り付けられたベルを鳴らした。
すると、柵の向こうから一艘のボートが音もなく現れた。闇の中で緑色の光が一つと二つ、不気味に浮かんで見える。
乗っていたのは、黒いローブを目深に被った船頭と、各所で見かけた黒猫だった。黒猫の目は緑色に怪しく光っている。闇の中で浮かび上がって見えた光のうち、一つはボートの先にかけられたカンテラの炎で、二つは黒猫の目だった。
船頭は水路の壁際に伸びた歩道へ降り、柵のドアを開けた。柵のドアにも鍵がかかっており、外からは入れないようになっている。
「お呼びでしょうか」
「あぁ。この人を永遠野様の家まで送り届けてやって欲しい」
船頭は由良を見上げる。その顔を見て、危うく悲鳴を上げかけた。
船頭は仮面舞踏会で身につけるような、怪しげな白塗りの仮面をつけていた。顔半分に、細かな桜の絵が描かれている。声は仮面でくぐもっているが、体つきからして女性だろう。
由良は声をひそめ、シャーリーにたずねた。
「あの人、何者なんです? 見るからに怪しんですけど」
「お仕事以外で魔女様のお家に行きたいときに連れて行ってくれる、船頭さんです。お仕事のときはもっと大きくて速い船を使えるんですけど、心果をエネルギーに使うので、お仕事以外では使っちゃいけないことになっているんですよ」
「あの猫は?」
「魔女様の使いのB9号ですね。水路の守り神なんです」
「Bってことは、他にもAとかCとかいるんですか?」
「いえ、Bというのはあの猫の名前です。本当はもっと長いらしいんですけど」
名前といえば、とシャーリーの目が輝いた。
「由良さんのあだ名、考えたんですよ! ソルシエールってどうですか? 語感が"添野"と似ていて、ピッタリだと思うんですけど」
「ソとエしか合ってないじゃないですか。フランス語っぽいですけど、どういう意味の単語なんです?」
シャーリーは「さぁ?」と首を傾げた。
「さぁって……」
「だって、誰も知らなかったんですもん。フランス映画で耳にしたので、フランス語なのは確かです」
「長いし、変な意味だったら嫌なので却下」
「えーっ! せっかく考えたのに!」
オズとシャーリーにも別れと感謝を告げ、由良は水路へ続く階段を下りた。
由良は柵のドアをくぐり、ボートに乗る。
シンプルな木造のボートだ。由良が腰を下ろすと、黒猫が足にすり寄ってきた。撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。
先に乗っていた船頭が「これを」と、自分が身につけているのと同じ仮面と、うっすら黄緑色に輝く黒い耳栓を渡してきた。
「どうぞ、お使いください。これから先、なにを目にしても、耳にしても、動じてはなりませんから。耳栓はワイヤレスイヤホンを兼ねておりますので、お互いに声が聞こえるはずです」
「メドゥーサとセイレーンが同居でも始めたんですか?」
「そんなところです」
試しに、仮面と耳栓を装着してみた。
ところが、仮面には一切穴がなく、何も見えない。呼吸もほとんどできず、息苦しかった。
耳栓も、妙に柔らかくて気持ち悪い。時折、うごめいているような感覚さえする。
(どうせ真っ暗だし、つけてもつけなくてもいっしょでしょ。必要になったら、つければいいや)
由良は耳栓を片耳だけはめ、もう片方はポケットへ仕舞った。仮面は服の下に隠す。
船頭は由良が仮面をつけていないことに気づいていたが、何も言わなかった。
「B9号君は何もつけなくて平気なんですか?」
「彼は昔から未練街に住んでいるので、耐性があるんです。そもそも、猫ですし。〈心の落とし物〉なのか〈探し人〉なのかは分かりませんけど」
黒猫は得意げに、フンスと鼻を鳴らした。
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