心の落とし物

緋色刹那

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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

第八話「ワスレナ診療所」⑶

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 白と黒の縦縞のカーテンが風で揺れる。
 由良が夏彦から目を離した一瞬のうちに、病室は葬儀場へと姿を変えていた。夏彦が横たわっていたベッドは棺に変わり、服も寝巻きから白装束に着替えている。
 ナナコは棺の前へ線香を手向け、手を合わせる。由良もナナコに倣い、焼香を済ませた。ナナコとは違い、私服なので罪悪感が湧いた。どこへ行っても浮いていたナナコの喪服は、今この瞬間のために着てきたのかもしれない。
 立ち去ったはずの夏彦達が喪服姿で戻ってくる。どうやって入ったのか、霊柩車で来た者達もいた。彼らはナナコに恭しく会釈すると、夏彦が入った棺を霊柩車へ乗せた。
「出棺です」
 クラクションが鳴り響き、子供時代の夏彦が茶碗を割る。
 霊柩車はゆっくりとカーテンの向こうへ走り去っていった。集まった夏彦達も霊柩車の後ろをついて行った。



 由良の目の前を雫が落ちた。見上げると天井が朽ち、板と板の隙間から水が滴っている。
 由良とナナコは夏彦達の病室に戻っていた。最初に来た時とは違い、廃墟のような有り様になっている。
 カーテンはビリビリに破れ、ベッドは錆びた骨組みだけ。窓ガラスは粉々の状態で床に散乱し、病院群の夜景がよく見える。ナナコが持参した花と花瓶だけが真新しく、鮮やかな色を保っていた。
 雨足は強まる一方だ。そこら中雨漏りだらけで、廊下まで濡れずに行けるルートはない。
 ナナコは大通りで購入した傘を開き、由良も中へ入るよう手招きした。由良はありがたく、ナナコの横に並んだ。
「行きましょう。いつまでもここにいたら、体が冷えてしまいます」
「貴方は夏彦さん達のように消えないんですね」
「えぇ。まだ仕事が残っていますから」
 揃って、病室を出る。夏彦のネームプレートは赤く錆び、字の痕跡すら見当たらない。
 廊下は朽ちておらず、来た時と同じだったが、窓に映っている景色は霧雨の高原に変化していた。雨の音が心地良くもあり、物悲しくもあった。
「記憶、思い出されたんですね」
「えぇ。夏彦さんの病室を目にした瞬間、全てを思い出しました。私の役目は、夏彦さんが今まで諦めてきた未練を叶えること」
「全て? そんな無茶な」
「内容はほとんど同じです。『彼女にもう一度会いたい』『彼女と話したい』『彼女に看取ってもらいたい』……私は夏彦さんを探していた"彼女"の〈探し人〉ではなく、夏彦さん生み出した、彼女そっくりの〈心の落とし物〉だったんです」
 夏彦はナナコのもとになった女性に恋をしていた。夏彦には見舞いに来てくれるような家族も友人もなく、話し相手の彼女だけが心の拠り所だった。
 だが、女性には婚約者がいた。街から離れたワスレナ診療所へわざわざ足を運んでいたのも、入院していた婚約者に会うためだった。彼女が診療所に来なくなったのは、婚約者が退院したからだった。
 夏彦は何も知らないまま、彼女へ想いを寄せ続けた。
『彼女にもう一度会いたい』
『会って、話をしたい』
 夏彦の未練は時代の流れと共に変化し、新たな〈探し人〉を生み出した。
 〈探し人〉の夏彦達は思い出の彼女を必死で探し回った。しかし誰も彼女を見つけられず、あえなく未練街へ落とされた。
 彼女を見つけられないまま、夏彦は老い、やがて病にふせった。夏彦は最後の願いを託すべく、ナナコを生み出した。
「以前、私は『夏彦さんは亡くなられた』と言いましたが、あれは間違いでした。危篤状態ではありますが、夏彦さんはまだ生きています。夏彦さんの最後の未練は『彼女に看取って欲しかった』でした。そして死後、お葬式に来て、弔って欲しいと。〈探し人〉とはいえ、余命いくばくもない体では私を探しに来ることすら叶わず、病院群へ入院しました。私は〈探し人〉の夏彦さんの代わりに、彼女の素性と〈探し人〉の夏彦さん達の居場所を調べ、未練街へ来たのです」
「そこまで調べて、どうして記憶を無くしていたんです?」
「本物の夏彦さんは認知症で、たびたび記憶が曖昧になってしまうんです。自分のことも、彼女のことも。その影響で、私まで記憶喪失のような状態になっていたんでしょうね」
「そこまで記憶が戻ったということは、"彼女"の名前も思い出せたんですか?」
 ナナコは「いいえ」と悲しげに目を伏せた。
「夏彦さんは彼女から名前を教わっていませんでした。彼女にとって、夏彦さんはただの暇つぶし相手だったからです。手紙を送ったのも、ただの気まぐれでしょう。だから、夏彦さんの名前は知っていたのに、彼女の名前は思い出せなかったんです」
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