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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
第七話「図書室」⑸
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「母さん!」
悲鳴が中庭中に反響する。サングラスをかけた若いスーツの男が、足をもつれさせながら池へ駆け寄った。
ガラスの向こうには「社長」を探していたスーツ達が集まっている。彼らに連れて行かれたはずのコレさんもいる。美麗似の女性が着ていた黒い着物のままだ。
男は煩わしげにサングラスを外し、水中へ目を凝らした。諦めきれず、池の中へ顔を突っ込む。
サングラスを外し、露わになった素顔に、由良は思わず息を呑んだ。
「……秀麗社長」
名を呼ばれ、男は顔を上げる。髪や顔についた雫がスーツへ垂れるのも構わず、呆然と由良を見つめた。
「なぜ、僕の名を知っている?」
「以前、本物の貴方とお会いしました。美麗漆器を存続させるためにも、先代を追い越すような商品を作りたいと意気込んでいらっしゃいましたよ」
秀麗の言葉に、男はひどく驚いていた。
「追い越す? 先代の模倣ではなく?」
「えぇ。最近だと、春の花のワンプレートが人気でしたね。仕切られたプレートごとに、菜の花や桜などの春の花のイラストが描かれているんです。実用的でデザイン性も高いって評判でしたよ。うちのお店でも使わせていただいていますし」
「店?」
「喫茶店です。洋燈町の」
「……そうか」
男はコレさんに目をやった。
「あの男のことも知っているか?」
「一応。あの人は、秀麗社長の〈探し人〉のコレさんです。いつもはもっとハイカラな格好なんですけど、訳あって美麗社長と服を入れ替えました。今、服が戻ってこないと分かって、頭を抱えています」
「あの男は僕と同種だとほざいていた。あれは苦し紛れのウソではなかったのか……」
男はコレさんに替えのスーツを渡すよう、部下に指示し、話を続けた。
「僕は……本物の僕は、どんな〈心の落とし物〉をアイツに探させているんだ?」
「美麗社長が社長だった頃の美麗漆器の商品とか、昔のオモチャとかですね。しょっちゅう日本や世界を回らされているみたいですよ」
「やはり、先代がいた頃に戻りたいのだな。僕も、周りの人間も。あの頃が一番、美麗漆器は輝いていた」
「どうでしょう? 先ほども申し上げましたが、本当の貴方は美麗社長を超えたいとおっしゃっていました。それはつまり、過去に戻りたいのではなく、未来へ進みたいという意味なのではないでしょうか? だからこそ、過去を探す役割はコレさんに任せているのでは?」
「……言われてみれば、そうか。僕達は本当に不要な〈探し人〉だったんだな」
男は未練街へ来るまでの経緯を、ポツポツと語った。
彼とスーツ達は美麗の死を惜しむ〈探し人〉の一派だった。彼らの主人は美麗漆器の社員や客で、美麗の死を受け入れられない気持ちが〈探し人〉を生み出した。
〈心の落とし物〉は、亡くなった美麗。死のイメージが強かったからか、喪服を着て現れた。
〈心の落とし物〉の美麗は、秀麗とスーツ達の主人が記憶していたとおりの彼女だった。美麗の記憶や知識までも受け継いでいた。
一方で、秀麗達が知らないことは〈心の落とし物〉の美麗も知らなかった。歴代の商品は覚えていても、新たなアイデアは生み出せなかった。また、思考や性格も若干異なっていた。本物の美麗は破天荒かつ自由奔放で、どんな無理難題や期待にも応える人だった。
〈心の落とし物〉の美麗は秀麗達に捕まるのを良しとせず、逃げ回った。秀麗達も彼女を追い続けた。
ところが、気がつくと未練街に立っていた。〈心の落とし物〉の美麗も来ていたので、「美麗社長を追いかけるのに夢中で、うっかり迷い込んだんだ」と思い込み、今まで疑問すら持たなかった。
「だが、そうではなかったんだな。本物の僕は先代を失った事実を受け入れた。前へ進むために、僕という〈探し人〉がいらなくなったんだ。貴方がそれを教えてくれた。こんな喜ばしいことはない」
秀麗は憑き物が落ちたように晴れやかに微笑むと、池へ足を踏み出した。水しぶきが上がり、一瞬にして彼の姿が消える。
他のスーツ達もひとり、またひとりと中庭へ入り、池の底へ沈んでいく。由良は後ろ髪を引かれつつも、池から離れ、中庭を出た。着物からスーツに着替えたコレさんが申し訳なさそうに立っていた。
「添野さん、お手数をおかけしました。本来であれば身内のワタクシが彼らを説得しなければなりませんでしたのに。しかも、服まで用意していただけるなんて」
「コレさんがご無事で良かったです。ところで、どうやってここが分かったんですか?」
コレさんはモジモジしながら答えた。
「実は、あの方々に『本物の社長はどこにいるのか』と脅されまして……先代の居場所は存じ上げませんでしたので、代わりに添野さんが受付へ行かれたと教えました」
「私の? なぜに?」
「先代が〈未練溜まり〉の断片を見つけられたら、服を返しに添野さんのもとへ行かれるかもしれませんでしょう? 受付から尾行されていたの、気づかれませんでした?」
「全然」
「……ワタクシを恨んでらっしゃる?」
由良はスーツの一団へ視線を向ける。彼らもまた、秀麗と同じ晴れやかな顔で笑っていた。
「いいえ。結果的には、あの人達のためになったんですから。それに、コレさんはすでに罰を受けていますしね」
由良はコレさんが着ているスーツを見る。
「あの服、気に入ってたんですよ」と、コレさんは惜しそうにため息をついた。
(第八話へ続く)
悲鳴が中庭中に反響する。サングラスをかけた若いスーツの男が、足をもつれさせながら池へ駆け寄った。
ガラスの向こうには「社長」を探していたスーツ達が集まっている。彼らに連れて行かれたはずのコレさんもいる。美麗似の女性が着ていた黒い着物のままだ。
男は煩わしげにサングラスを外し、水中へ目を凝らした。諦めきれず、池の中へ顔を突っ込む。
サングラスを外し、露わになった素顔に、由良は思わず息を呑んだ。
「……秀麗社長」
名を呼ばれ、男は顔を上げる。髪や顔についた雫がスーツへ垂れるのも構わず、呆然と由良を見つめた。
「なぜ、僕の名を知っている?」
「以前、本物の貴方とお会いしました。美麗漆器を存続させるためにも、先代を追い越すような商品を作りたいと意気込んでいらっしゃいましたよ」
秀麗の言葉に、男はひどく驚いていた。
「追い越す? 先代の模倣ではなく?」
「えぇ。最近だと、春の花のワンプレートが人気でしたね。仕切られたプレートごとに、菜の花や桜などの春の花のイラストが描かれているんです。実用的でデザイン性も高いって評判でしたよ。うちのお店でも使わせていただいていますし」
「店?」
「喫茶店です。洋燈町の」
「……そうか」
男はコレさんに目をやった。
「あの男のことも知っているか?」
「一応。あの人は、秀麗社長の〈探し人〉のコレさんです。いつもはもっとハイカラな格好なんですけど、訳あって美麗社長と服を入れ替えました。今、服が戻ってこないと分かって、頭を抱えています」
「あの男は僕と同種だとほざいていた。あれは苦し紛れのウソではなかったのか……」
男はコレさんに替えのスーツを渡すよう、部下に指示し、話を続けた。
「僕は……本物の僕は、どんな〈心の落とし物〉をアイツに探させているんだ?」
「美麗社長が社長だった頃の美麗漆器の商品とか、昔のオモチャとかですね。しょっちゅう日本や世界を回らされているみたいですよ」
「やはり、先代がいた頃に戻りたいのだな。僕も、周りの人間も。あの頃が一番、美麗漆器は輝いていた」
「どうでしょう? 先ほども申し上げましたが、本当の貴方は美麗社長を超えたいとおっしゃっていました。それはつまり、過去に戻りたいのではなく、未来へ進みたいという意味なのではないでしょうか? だからこそ、過去を探す役割はコレさんに任せているのでは?」
「……言われてみれば、そうか。僕達は本当に不要な〈探し人〉だったんだな」
男は未練街へ来るまでの経緯を、ポツポツと語った。
彼とスーツ達は美麗の死を惜しむ〈探し人〉の一派だった。彼らの主人は美麗漆器の社員や客で、美麗の死を受け入れられない気持ちが〈探し人〉を生み出した。
〈心の落とし物〉は、亡くなった美麗。死のイメージが強かったからか、喪服を着て現れた。
〈心の落とし物〉の美麗は、秀麗とスーツ達の主人が記憶していたとおりの彼女だった。美麗の記憶や知識までも受け継いでいた。
一方で、秀麗達が知らないことは〈心の落とし物〉の美麗も知らなかった。歴代の商品は覚えていても、新たなアイデアは生み出せなかった。また、思考や性格も若干異なっていた。本物の美麗は破天荒かつ自由奔放で、どんな無理難題や期待にも応える人だった。
〈心の落とし物〉の美麗は秀麗達に捕まるのを良しとせず、逃げ回った。秀麗達も彼女を追い続けた。
ところが、気がつくと未練街に立っていた。〈心の落とし物〉の美麗も来ていたので、「美麗社長を追いかけるのに夢中で、うっかり迷い込んだんだ」と思い込み、今まで疑問すら持たなかった。
「だが、そうではなかったんだな。本物の僕は先代を失った事実を受け入れた。前へ進むために、僕という〈探し人〉がいらなくなったんだ。貴方がそれを教えてくれた。こんな喜ばしいことはない」
秀麗は憑き物が落ちたように晴れやかに微笑むと、池へ足を踏み出した。水しぶきが上がり、一瞬にして彼の姿が消える。
他のスーツ達もひとり、またひとりと中庭へ入り、池の底へ沈んでいく。由良は後ろ髪を引かれつつも、池から離れ、中庭を出た。着物からスーツに着替えたコレさんが申し訳なさそうに立っていた。
「添野さん、お手数をおかけしました。本来であれば身内のワタクシが彼らを説得しなければなりませんでしたのに。しかも、服まで用意していただけるなんて」
「コレさんがご無事で良かったです。ところで、どうやってここが分かったんですか?」
コレさんはモジモジしながら答えた。
「実は、あの方々に『本物の社長はどこにいるのか』と脅されまして……先代の居場所は存じ上げませんでしたので、代わりに添野さんが受付へ行かれたと教えました」
「私の? なぜに?」
「先代が〈未練溜まり〉の断片を見つけられたら、服を返しに添野さんのもとへ行かれるかもしれませんでしょう? 受付から尾行されていたの、気づかれませんでした?」
「全然」
「……ワタクシを恨んでらっしゃる?」
由良はスーツの一団へ視線を向ける。彼らもまた、秀麗と同じ晴れやかな顔で笑っていた。
「いいえ。結果的には、あの人達のためになったんですから。それに、コレさんはすでに罰を受けていますしね」
由良はコレさんが着ているスーツを見る。
「あの服、気に入ってたんですよ」と、コレさんは惜しそうにため息をついた。
(第八話へ続く)
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