心の落とし物

緋色刹那

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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

第五話「花屋・Alraune(アルラウネ)」⑷

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 その時、「Alraune」の方からけたたましい鈴の音が近づいてきた。
「お客様ー! ご無事ですかー!」
「た、タナハシさん……」
 タナハシは両手にそれぞれスズランを持ち、激しく振りながら「立ち入り禁止」部屋へ駆け込んでくる。
 スズランの音色は、由良の足を操っていたラッパの音をかき消す。たちまち、由良の足は自由を取り戻した。
「んもう、こちらは立ち入り禁止だと申し上げたじゃないですか。ご覧のとおり、デンジャーなゾーンなんですから」
「や、私も入りたくて入ったわけでは……」
 ツタを支えに、階段へ降りる。
 安心したのもつかの間、入口のドアがひとりでに閉まっていくのが見えた。ドアで隠れていたが、床に転がっていた仏手柑が裏からドアを引っ張っていた。
「タナハシさん、ドア!」
「はい?」
 由良は慌てて声をかける。タナハシが振り返った時には、ドアは完全に閉まっていた。
 タナハシがスズランを鳴らしながらドアを押すが、ビクともしない。それもそのはず、仏手柑が裏からドアを押さえていた。
「あら、変ね。鍵はかかっていなかったのに」
「加勢します」
「ちょっと待って。押しても開かない時はね、引っ張ってみるといいのよ」
 こうやって、とタナハシは小柄な体格からは想像もつかないほどの怪力で、思い切りドアを引っ張った。ドアはあっさり開き、裏から押さえていた仏手柑は床へ倒れた。
「ミャッ!」
「……!」
 逃げた黒猫が「今がチャンス!」とばかりに、仏手柑へ飛びかかる。
 格闘の末、黒猫は仏手柑に勝利した。弱った仏手柑を得意げに咥え、由良に見せつける。
「フンスフンス」
「あぁ、うん……すごいすごい」
 由良は仏手柑ごと、黒猫を抱き上げる。頭の後ろを撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めた。
「猫って、仏手柑食べても大丈夫なのかしら?」
「その猫ちゃんは特別ですからね、咥える程度なら平気ですよ。うちの用心棒をやってもらっているんです」
「へぇ。お前、顔が広いのね」
「ニャウ」



 お詫びにと、店で待機させられていたナナコも合流し、植物園にあるガゼボでお茶を頂いた。「Alraune」で育てているハーブのお茶と、仏手柑の砂糖漬けが出された。
 仏手柑は黄色く熟れたものだが、果肉はほとんどなく、マーマレードのような味わいである。黒猫も薄めたハーブティーを美味そうに舐めていた。
「添野様が操られたトランペットの音は"エンジェルストランペット"という、黒いラッパのような形をした花の仕業です。あの音を耳にすると、足が勝手に動いてしまうんですよ。もっともスズランなど、別の音で邪魔してしまえば、すぐに戻りますが」
「実在するんですか?」
「えぇ。本物も危険な花で、幻覚作用や呼吸困難などを引き起こす毒性を持っております。ただし、花が黒いエンジェルストランペットはなく、ラッパのような音も発しません。アレを生み出した人間の未練が、あのような〈心の落とし物〉を生み出してしまったのです」
「あの部屋にある他の植物も、誰かの〈心の落とし物〉だったんですか?」
「おそらくは。危険なので隔離しておいたのですが、知らぬ間に仏手柑が部屋のドアを開けていたようですね。そこまでの知能があるとは思ってもみませんでした。今後は仏手柑の生育場所を検討しなくてはなりませんね」
「隔離するくらいなら、いっそ取り扱いをやめては?」
 タナハシは首を横に振った。
「……それはできません。どんなに危険な花でも、誰かの未練を癒せるなら取り扱い続ける。そういうでございますから」
「契約って、誰と?」
「魔女様とです。私の〈心の落とし物〉は『お店をやること』でした。私の主人が、漠然と『お店をやってみたい』と望んだからです。けれど、主人はあっさり夢を諦めてしまわれました。どうやったらお店を始められるか分からない、準備が面倒、それより趣味に没頭したい……と」
(分かる)
 と、由良は内心深く頷いた。自分の店を持ちたいと夢見る人は多いが、実際に行動するとなると難しい。
「〈未練溜まり〉へ送られ、仕事を探していた私に、魔女様は『花屋をやってほしい』と頼まれました。当時、未練街に花屋はなく、花を求める〈探し人〉の方々が大変困っていらしたのです。私はお店がやれるなら何でも良かったので、その場で承諾しました。今では転職だと思っています。万が一何かあっても、ここなら病院が近いですしね」
 由良は確かに、と頷く。タナハシの迅速な対応には、目を見張るものがあった。
「ちなみに、私達を閉じ込めた仏手柑はどうするんですか?」
「そうねぇ……紐を通して、飾りにしましょうか。マジックハンドとして使ってもいいですね」
 タナハシはニコニコと楽しそうに微笑んだ。



(第六話へつづく)

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