268 / 314
最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』
ある男の日記①
しおりを挟む
由良は祖父の日記を開いた。
196×年 8月××日
備品の買い付けのため、仕事終わりに美緑と蚤の市を訪れた。美緑が飼っている黒猫、ベラドンナも一緒だ。あのネコはいつも、美緑のあとを当然のようについて来る。なお、ベラドンナとはイタリア語で"美しい女性"という意味だが、美緑のベラドンナはオスである。
蚤の市は毎日店が変わる。今日は出張バー、ジャズ演奏、星の写真屋、地元の製麺所がやっている流しそうめんの屋台などあった。大通りの真ん中を通過する路面電車から降りた客が、そのまま蚤の市へ流れ、商店街まで続く。朝まで静まりそうもない。
蚤の市をまわっていた間、美緑は名残惜しげに人混みを眺めていた。
「この光景も、もうすぐ見られなくなってしまうんですね。残念です」
「私もだ」と彼女に言った。
先日、近年のモータリゼーションの進展により、路面電車の廃線および、大通りの完全車道化が決定した。
路面電車保存会と役所が揉めているので、路面電車の廃線自体は延期になりそうだが、この影響で、今後の蚤の市は洋燈商店街で開催されることになった。開催頻度も、毎週末だか月一だかに減るらしい。そのうち蚤の市も、路面電車のようになくなってしまうかもしれない。
美緑は路面電車の廃線と蚤の市の縮小により、仕事が手につかなくなるほど落ち込んでいた。
彼女は洋燈町が大好きだった。通勤には路面電車を使い、蚤の市にも毎日のようにかよっている。
路面電車の廃線を機に、洋燈町で物件を探すつもりらしいが、大好きな町に住める喜びよりも、思い入れのある宝物を同時に二つも(蚤の市は場所の移動と開催頻度の縮小だが)失ってしまうショックのほうが強いらしかった。
私も、路面電車と蚤の市には世話になった。できることなら、この景色のまま留めて欲しかったとも思う。
それに路面電車がなければ、私と美緑は出会わなかった。彼女を懐虫電燈で雇うこともなかったし、現在ほど懐虫電燈がにぎわうこともなかっただろう。
私と美緑は、建設途中の懐虫電燈の前で出会った。路面電車に乗って、観光に来たらしい。手にはベラドンナを抱えていた。
店の経営者として現場を監督していた私に、美緑は矢継ぎ早にたずねた。
「ここ、どんなお店になるんですか?」
「貴方はお店の人?」
「いつ開店するの?」
「従業員はまだ募集してる?」
私は答えた。
ここは純喫茶を建てる予定で、自分は経営者であること。開店は半年後。
ひとりで十分なので、従業員は募集していない。忙しい時にだけ、友人(タマ)に手伝いに来てもらうつもりであること。
すると、美緑は「ひとりじゃ無理ですよ!」とアルバイトを申し出た。洋燈商店街は昼夜問わずにぎわっており、どこの店も忙しいらしい。
「無償で手伝います!」
「今なら看板ネコもつけます!」
「ニャー」
と強引に、懐虫電燈のアルバイトとして雇うことになった。
あの時は「やっかいなことになったな」と思ったが、その後美緑の言うとおり、猫の手も借りたくなるほど毎日忙しくなった。
美緑は社交的かつ働き者で、ずいぶん助けられた。商店街の住人とも顔見知りな上に、私しか気づかないと思っていた〈心の落とし物〉や〈探し人〉まで見える。
本当に彼女と出会えて良かった。
しばらく蚤の市をまわったところで、タマがやっている骨董の露店を見つけた。
玉蟲匣で売れ残った在庫を、格安で売っている。骨董の持ち込み鑑定も盛況だった。
美緑も熱心に、ショーケースに並んだ商品を眺めていた。
中でも、ペリドットのアンティークブローチに興味津々で、ブローチの前から動こうとはしなかった。アルバイトの彼女が手を出すには、勇気がいる値段だ。
私は「開店一周年の記念に」とブローチを購入し、美緑に贈った。想いを伝えるには、人が多すぎる。美緑は私の心中に気づかないまま、嬉しそうにブローチを身につけていた。
最後に美麗が営業している食器屋で新しい食器を仕入れ、私達は帰路についた。街の明かりと美緑のブローチが、満天の星のように輝いていた。
思えばあの頃が、洋燈町が輝いていた最後だったかもしれない。
由良は祖父の日記を閉じた。
196×年 8月××日
備品の買い付けのため、仕事終わりに美緑と蚤の市を訪れた。美緑が飼っている黒猫、ベラドンナも一緒だ。あのネコはいつも、美緑のあとを当然のようについて来る。なお、ベラドンナとはイタリア語で"美しい女性"という意味だが、美緑のベラドンナはオスである。
蚤の市は毎日店が変わる。今日は出張バー、ジャズ演奏、星の写真屋、地元の製麺所がやっている流しそうめんの屋台などあった。大通りの真ん中を通過する路面電車から降りた客が、そのまま蚤の市へ流れ、商店街まで続く。朝まで静まりそうもない。
蚤の市をまわっていた間、美緑は名残惜しげに人混みを眺めていた。
「この光景も、もうすぐ見られなくなってしまうんですね。残念です」
「私もだ」と彼女に言った。
先日、近年のモータリゼーションの進展により、路面電車の廃線および、大通りの完全車道化が決定した。
路面電車保存会と役所が揉めているので、路面電車の廃線自体は延期になりそうだが、この影響で、今後の蚤の市は洋燈商店街で開催されることになった。開催頻度も、毎週末だか月一だかに減るらしい。そのうち蚤の市も、路面電車のようになくなってしまうかもしれない。
美緑は路面電車の廃線と蚤の市の縮小により、仕事が手につかなくなるほど落ち込んでいた。
彼女は洋燈町が大好きだった。通勤には路面電車を使い、蚤の市にも毎日のようにかよっている。
路面電車の廃線を機に、洋燈町で物件を探すつもりらしいが、大好きな町に住める喜びよりも、思い入れのある宝物を同時に二つも(蚤の市は場所の移動と開催頻度の縮小だが)失ってしまうショックのほうが強いらしかった。
私も、路面電車と蚤の市には世話になった。できることなら、この景色のまま留めて欲しかったとも思う。
それに路面電車がなければ、私と美緑は出会わなかった。彼女を懐虫電燈で雇うこともなかったし、現在ほど懐虫電燈がにぎわうこともなかっただろう。
私と美緑は、建設途中の懐虫電燈の前で出会った。路面電車に乗って、観光に来たらしい。手にはベラドンナを抱えていた。
店の経営者として現場を監督していた私に、美緑は矢継ぎ早にたずねた。
「ここ、どんなお店になるんですか?」
「貴方はお店の人?」
「いつ開店するの?」
「従業員はまだ募集してる?」
私は答えた。
ここは純喫茶を建てる予定で、自分は経営者であること。開店は半年後。
ひとりで十分なので、従業員は募集していない。忙しい時にだけ、友人(タマ)に手伝いに来てもらうつもりであること。
すると、美緑は「ひとりじゃ無理ですよ!」とアルバイトを申し出た。洋燈商店街は昼夜問わずにぎわっており、どこの店も忙しいらしい。
「無償で手伝います!」
「今なら看板ネコもつけます!」
「ニャー」
と強引に、懐虫電燈のアルバイトとして雇うことになった。
あの時は「やっかいなことになったな」と思ったが、その後美緑の言うとおり、猫の手も借りたくなるほど毎日忙しくなった。
美緑は社交的かつ働き者で、ずいぶん助けられた。商店街の住人とも顔見知りな上に、私しか気づかないと思っていた〈心の落とし物〉や〈探し人〉まで見える。
本当に彼女と出会えて良かった。
しばらく蚤の市をまわったところで、タマがやっている骨董の露店を見つけた。
玉蟲匣で売れ残った在庫を、格安で売っている。骨董の持ち込み鑑定も盛況だった。
美緑も熱心に、ショーケースに並んだ商品を眺めていた。
中でも、ペリドットのアンティークブローチに興味津々で、ブローチの前から動こうとはしなかった。アルバイトの彼女が手を出すには、勇気がいる値段だ。
私は「開店一周年の記念に」とブローチを購入し、美緑に贈った。想いを伝えるには、人が多すぎる。美緑は私の心中に気づかないまま、嬉しそうにブローチを身につけていた。
最後に美麗が営業している食器屋で新しい食器を仕入れ、私達は帰路についた。街の明かりと美緑のブローチが、満天の星のように輝いていた。
思えばあの頃が、洋燈町が輝いていた最後だったかもしれない。
由良は祖父の日記を閉じた。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
社長の奴隷
星野しずく
恋愛
セクシー系の商品を販売するネットショップを経営する若手イケメン社長、茂手木寛成のもとで、大のイケメン好き藤巻美緒は仕事と称して、毎日エッチな人体実験をされていた。そんな二人だけの空間にある日、こちらもイケメン大学生である信楽誠之助がアルバイトとして入社する。ただでさえ異常な空間だった社内は、信楽が入ったことでさらに混乱を極めていくことに・・・。(途中、ごくごく軽いBL要素が入ります。念のため)
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる