心の落とし物

緋色刹那

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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

ある男の日記①

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 由良は祖父の日記を開いた。



 196×年 8月××日

 備品の買い付けのため、仕事終わりに美緑と蚤の市を訪れた。美緑が飼っている黒猫、ベラドンナも一緒だ。あのネコはいつも、美緑のあとを当然のようについて来る。なお、ベラドンナとはイタリア語で"美しい女性"という意味だが、美緑のベラドンナはオスである。
 蚤の市は毎日店が変わる。今日は出張バー、ジャズ演奏、星の写真屋、地元の製麺所がやっている流しそうめんの屋台などあった。大通りの真ん中を通過する路面電車から降りた客が、そのまま蚤の市へ流れ、商店街まで続く。朝まで静まりそうもない。
 蚤の市をまわっていた間、美緑は名残惜しげに人混みを眺めていた。
「この光景も、もうすぐ見られなくなってしまうんですね。残念です」
 「私もだ」と彼女に言った。
 先日、近年のモータリゼーションの進展により、路面電車の廃線および、大通りの完全車道化が決定した。
 路面電車保存会と役所が揉めているので、路面電車の廃線自体は延期になりそうだが、この影響で、今後の蚤の市は洋燈商店街で開催されることになった。開催頻度も、毎週末だか月一だかに減るらしい。そのうち蚤の市も、路面電車のようになくなってしまうかもしれない。
 美緑は路面電車の廃線と蚤の市の縮小により、仕事が手につかなくなるほど落ち込んでいた。
 彼女は洋燈町が大好きだった。通勤には路面電車を使い、蚤の市にも毎日のようにかよっている。
 路面電車の廃線を機に、洋燈町で物件を探すつもりらしいが、大好きな町に住める喜びよりも、思い入れのある宝物を同時に二つも(蚤の市は場所の移動と開催頻度の縮小だが)失ってしまうショックのほうが強いらしかった。
 私も、路面電車と蚤の市には世話になった。できることなら、この景色のまま留めて欲しかったとも思う。
 それに路面電車がなければ、私と美緑は出会わなかった。彼女を懐虫電燈で雇うこともなかったし、現在ほど懐虫電燈がにぎわうこともなかっただろう。
 私と美緑は、建設途中の懐虫電燈の前で出会った。路面電車に乗って、観光に来たらしい。手にはベラドンナを抱えていた。
 店の経営者として現場を監督していた私に、美緑は矢継ぎ早にたずねた。
「ここ、どんなお店になるんですか?」
「貴方はお店の人?」
「いつ開店するの?」
「従業員はまだ募集してる?」
 私は答えた。
 ここは純喫茶を建てる予定で、自分は経営者であること。開店は半年後。
 ひとりで十分なので、従業員は募集していない。忙しい時にだけ、友人(タマ)に手伝いに来てもらうつもりであること。
 すると、美緑は「ひとりじゃ無理ですよ!」とアルバイトを申し出た。洋燈商店街は昼夜問わずにぎわっており、どこの店も忙しいらしい。
「無償で手伝います!」
「今なら看板ネコもつけます!」
「ニャー」
 と強引に、懐虫電燈のアルバイトとして雇うことになった。
 あの時は「やっかいなことになったな」と思ったが、その後美緑の言うとおり、猫の手も借りたくなるほど毎日忙しくなった。
 美緑は社交的かつ働き者で、ずいぶん助けられた。商店街の住人とも顔見知りな上に、私しか気づかないと思っていた〈心の落とし物〉や〈探し人〉まで見える。
 本当に彼女と出会えて良かった。

 しばらく蚤の市をまわったところで、タマがやっている骨董の露店を見つけた。
 玉蟲匣で売れ残った在庫を、格安で売っている。骨董の持ち込み鑑定も盛況だった。
 美緑も熱心に、ショーケースに並んだ商品を眺めていた。
 中でも、ペリドットのアンティークブローチに興味津々で、ブローチの前から動こうとはしなかった。アルバイトの彼女が手を出すには、勇気がいる値段だ。
 私は「開店一周年の記念に」とブローチを購入し、美緑に贈った。想いを伝えるには、人が多すぎる。美緑は私の心中に気づかないまま、嬉しそうにブローチを身につけていた。
 最後に美麗が営業している食器屋で新しい食器を仕入れ、私達は帰路についた。街の明かりと美緑のブローチが、満天の星のように輝いていた。

 思えばあの頃が、洋燈町が輝いていた最後だったかもしれない。



 由良は祖父の日記を閉じた。


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