心の落とし物

緋色刹那

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最終編『蛍火明滅、〈探し人〉のゆく先』

第三話「ナナシのナナコ」⑷

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 イムラのことを話すと、男はすんなり許してくれた。
「なんだ、イムラさんの知り合いか。屋上を通りたかったなら、ひと声かけてくれれば良かったのに」
「すみません。こんな夜更けですし、誰もいらっしゃらないと思ったもので」
「ここは昼も夜も関係ないんだ。なんていったって、〈探し人〉の街だからね。一日中お祭り騒ぎさ。睡眠の必要がないからって、寝ない〈探し人〉もいるくらいだよ」
 男は由良とナナコが通れるよう、ベランダを片付けてくれた。
 植栽をペントハウス側のすみへまとめ、代わりに三人分の椅子とテーブルをベランダへ置く。天体望遠鏡だけは元の位置から動かさず、そのままだった。片付いたベランダはゆったりくつろげるほど、広々としていた。
 由良は塀からベランダへ下りると、隣の屋上で動けなくなっているナナコへ両手を差し伸べた。
「ナナコさん、こちらへ」
「すみません。ご迷惑をおかけしてしまって」
 ナナコは由良へ身を預け、ベランダに下り立つ。黒猫も自力で塀からベランダへ下りた。
「良かったら、コーヒーでもどうかね? ミルクはないから、蛍糖ほたるとうしか用意できんが」
「蛍糖?」
「ぜひ、いただきます」
 首を傾げる由良の横で、ナナコはすんなり頷く。蛍糖について聞きたかったが、男はコーヒーを淹れにペントハウスへ引っ込んでしまった。
「ナナコさん、蛍糖ってなんですか?」
「心果由来の砂糖です。ライムライトでもドリンクやデザートに使っているんですよ」
 間もなく、男はアイスコーヒーが入った切子のグラスを三人分と、黄緑色に光る粉が入ったガラスの瓶をお盆に乗せて持ってきた。
「お待たせ。砂糖はお好みでどうぞ。黒猫君には何をやったらいいかな?」
「お水をお願いします」
 ナナコは蛍糖をグラスへ三杯入れ、ティースプーンで混ぜる。蛍糖は完全には混ざりきらず、黒い液体の中で輝いていた。その光景はまるで、夜闇を飛ぶ蛍達のようだった。
 ナナコはグラスを傾け、溶け残った蛍糖ごとアイスコーヒーを飲んだ。蛍糖はナナコの口の中で光を失い、消えた。
「綺麗ね」
「でしょう? 添野さんも、コーヒーがぬるくならないうちに飲まれた方がいいですよ」
「そうするわ」
 由良も蛍糖をほんの少し入れ、飲む。祖父が淹れたコーヒーに勝るとも劣らない、美味なコーヒーだった。
 一方、蛍糖は特別な味や違和感はなく、舌触りも溶け残った砂糖と何ら変わりなかった。現実にもあったら、ぜひLAMPのメニューに取り入れたいところだ。
(ゼラチンで固めたら、とっても綺麗なコーヒーゼリーになりそう)



 男も黒猫に水をやると、席についた。
 コーヒーに蛍糖をたっぷり入れ、飲む。時折、天体望遠鏡を覗いては落胆していた。
「何か見えるんですか?」
 男は首を横に振る。
 空は暗く、肉眼では星のひとつも見当たらない。今宵は新月ではないはずだが、月すらも見えなかった。
「何も見えないよ。ここ最近は特にね。二、三十年前は銀河星雲だのオーロラだのが、しょっちゅう見えたんだけどなぁ」
「それって、現実の洋燈商店街でも見えていたってことですか?」
「いや、今のは未練街の話。洋燈商店街では星や天体を観ていたよ」
 男の主人は、洋燈商店街でカメラ屋を営んでいた。
 昼に店を開け、夜は店の屋上で天体観測を楽しんだ。誰もが寝静まった夜に星を見るのは、何にも代え難い充実した時間だった。
 しかし次第に街は夜でも明るくなり、星は見えなくなっていった。月すらもまともに見えなくなった頃、男の主人は屋上での天体観測を諦めた。
 男は主人の代わりに天体観測を続けた。やがて主人は、より星が見える田舎へ引っ越し、男は〈未練溜まり〉へ落とされた。
「消える寸前のところで、永遠野……魔女に救われたんだ。今は未練街でカメラ屋と蛍糖屋をやってるよ」
「ぶっちゃけ、カメラと蛍糖どちらの方が売れてます?」
「量は圧倒的に蛍糖だが、お客さんの商品に対する熱量はカメラの方が強いね。何せ、カメラが〈心の落とし物〉だっていうお客さんも多いから。〈心の落とし物〉じゃなくても、ここでの思い出を写真で残したいっていうお客さんもいるね」



 由良が男と話している間、ナナコは黒猫と一緒に空を見上げていた。
「ナナコさん、何か思い出しました?」
 冗談のつもりだったが、ナナコはこくんと頷いた。
「私、よく夜空を見ていた気がするんです。いつも一人で、『隣にあの人がいてくれたら良かったのになぁ』って、後悔していたような……」
「あの人って?」
「さぁ……? そこまでしか思い出せません」
 結局、ナナコはそれが誰だったのか思い出せないまま、屋上を出発した。



(第四話へつづく)
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