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冬編③『銀世界、幾星霜』
第五話「流しのギターガール」⑶
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由良は嵐のように去っていった中林の代わりに、織音に謝った。
「急なお願いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「気にしないで下さい。私もこんな素敵な喫茶店で演奏できて楽しかったです」
織音はサラダとスープが付いてくるミートパイセットと、ハチミツ入りのカモミールティーを注文した。
静かな店内に、調理の音が響く。料理が出来上がるまでの間、織音は兵隊のくるみ割り人形でクルミを割って遊んでいた。
「織音さんはいつからギターを?」
「小学生の高学年くらいからです。父親が趣味でギターをやっていて、私も自分で弾いてみたくなって買ってもらったんです。親の都合で引っ越しが多く、ギターだけが友達でした。中学・高校時代はバンドを組んでいた時期もありましたが、引っ越しで疎遠になり、いつのまにか脱退したことにされていました」
「それで、お一人で活動されているんですか?」
「……そうかもしれません」
織音は寂しげに微笑んだ。
「今までいろんな場所を巡ってきました。中には"ずっとここで暮らしたい"と思える町や、"ずっとここにいて欲しい"と言ってくれる人もいました。だけど……どんなに気に入っていても落ち着かないんです。昔から引っ越しが多かったせいか、"自分はよそ者だ"という意識が強いのかもしれません。それどころか、街の人にも"よそ者だ"と疎まれているような気がする。それで最後には誰にも別れを告げず、逃げるように去るのです」
「……」
由良は図らずも織音の半生を知り、気づいた。
昨日、彼女が洋燈町で生まれ育った由良を「羨ましい」と言ったのは、褒め言葉ではなく本心だったのだと。
(貴方も他人から羨まれるような故郷を見つければいいじゃないですか……と、口にするのは簡単だけど、それができないから困ってらっしゃるんだろうな)
「ごちそうさま。ミートパイ、美味しかったです」
「お口に合って良かったです。道中、お気をつけて」
「はい」
由良は夕食を終えた織音を見送りに、表へ出る。
すると、先ほどの演奏に間に合わなかった〈探し人〉達が集まっていた。彼らは織音が出てくるなり、彼女に懇願した。
「織音さん! やっと見つけた!」
「突然出て行ってしまわれたから探していたんですよ!」
「無事で良かった……」
「織音ねーちゃん、またあの曲歌いに来てよ! 母ちゃんも待ってるんだぜ!」
「私が死ぬまでに一度でいいから、戻ってきてもらえませんか?」
〈探し人〉達は年齢も性別も違えば、話す言葉のイントネーションも違う。おそらく、各地で織音が出会った人々だろう。
織音は彼らに気づかない。夜の歩道をゆっくり歩いていく。そんな織音を〈探し人〉達は必死に追いかけ、説得し続けていた。
「……信じてもらえるかは分からないけど、言うだけ言っておくか」
由良は「織音さん」と彼女を呼び止めた。
織音は振り返り、不思議そうに首を傾げた。
「忘れ物でもしていましたか?」
「いえ、最後にこれだけは言っておきたくて……」
由良は〈探し人〉達を一瞥し、伝えた。
「私、織音さんのこと"よそ者"だなんて思ってませんよ。この街にいる間は貴方も住人の一人なんですから。織音さんが立ち寄った他の街の方達も、きっと同じように考えていたはずです。中には貴方のことを心配して、探していらっしゃる方もいるかもしれない」
〈探し人〉達はうんうんと頷く。
彼らが見えない織音は、怪訝そうに由良を見た。
「まるで見てきたようにおっしゃるんですね。それとも、私が今まで会ってきた誰かとお知り合いなんですか?」
「いいえ? ただ、あれほどの演奏と歌声はそう何度も聴けるものではありませんから、貴方との再会を切望されている方もいらっしゃるのでは? と想像しただけです」
「本当に、想像?」
「えぇ。私も織音さんの演奏と歌声、また聴きたいです」
「……」
〈探し人〉達はまたも、うんうんと頷く。
織音は戸惑い、気恥ずかしそうにうつむいた。
「……それが事実なら、戻って謝らないと。私は自分勝手に姿をくらましただけだって」
織音は駅へ急ぐ。
彼女を追う〈探し人〉は半分に減っていた。織音が「戻る」と宣言したので、安心したのだろう。
残った〈探し人〉達は、律儀に織音の後をついて行く。
織音が本当に帰ってくるのか疑っているわけではない。「道中、鼻歌でもいいから、彼女の歌を聴けないだろうか」と期待して残っただけだ。
街の一角に咲いた濃いピンク色の梅が、ひと足早く春を報せていた。
(冬編③『銀世界、幾星霜』終わり)
(春編③に続く)
「急なお願いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「気にしないで下さい。私もこんな素敵な喫茶店で演奏できて楽しかったです」
織音はサラダとスープが付いてくるミートパイセットと、ハチミツ入りのカモミールティーを注文した。
静かな店内に、調理の音が響く。料理が出来上がるまでの間、織音は兵隊のくるみ割り人形でクルミを割って遊んでいた。
「織音さんはいつからギターを?」
「小学生の高学年くらいからです。父親が趣味でギターをやっていて、私も自分で弾いてみたくなって買ってもらったんです。親の都合で引っ越しが多く、ギターだけが友達でした。中学・高校時代はバンドを組んでいた時期もありましたが、引っ越しで疎遠になり、いつのまにか脱退したことにされていました」
「それで、お一人で活動されているんですか?」
「……そうかもしれません」
織音は寂しげに微笑んだ。
「今までいろんな場所を巡ってきました。中には"ずっとここで暮らしたい"と思える町や、"ずっとここにいて欲しい"と言ってくれる人もいました。だけど……どんなに気に入っていても落ち着かないんです。昔から引っ越しが多かったせいか、"自分はよそ者だ"という意識が強いのかもしれません。それどころか、街の人にも"よそ者だ"と疎まれているような気がする。それで最後には誰にも別れを告げず、逃げるように去るのです」
「……」
由良は図らずも織音の半生を知り、気づいた。
昨日、彼女が洋燈町で生まれ育った由良を「羨ましい」と言ったのは、褒め言葉ではなく本心だったのだと。
(貴方も他人から羨まれるような故郷を見つければいいじゃないですか……と、口にするのは簡単だけど、それができないから困ってらっしゃるんだろうな)
「ごちそうさま。ミートパイ、美味しかったです」
「お口に合って良かったです。道中、お気をつけて」
「はい」
由良は夕食を終えた織音を見送りに、表へ出る。
すると、先ほどの演奏に間に合わなかった〈探し人〉達が集まっていた。彼らは織音が出てくるなり、彼女に懇願した。
「織音さん! やっと見つけた!」
「突然出て行ってしまわれたから探していたんですよ!」
「無事で良かった……」
「織音ねーちゃん、またあの曲歌いに来てよ! 母ちゃんも待ってるんだぜ!」
「私が死ぬまでに一度でいいから、戻ってきてもらえませんか?」
〈探し人〉達は年齢も性別も違えば、話す言葉のイントネーションも違う。おそらく、各地で織音が出会った人々だろう。
織音は彼らに気づかない。夜の歩道をゆっくり歩いていく。そんな織音を〈探し人〉達は必死に追いかけ、説得し続けていた。
「……信じてもらえるかは分からないけど、言うだけ言っておくか」
由良は「織音さん」と彼女を呼び止めた。
織音は振り返り、不思議そうに首を傾げた。
「忘れ物でもしていましたか?」
「いえ、最後にこれだけは言っておきたくて……」
由良は〈探し人〉達を一瞥し、伝えた。
「私、織音さんのこと"よそ者"だなんて思ってませんよ。この街にいる間は貴方も住人の一人なんですから。織音さんが立ち寄った他の街の方達も、きっと同じように考えていたはずです。中には貴方のことを心配して、探していらっしゃる方もいるかもしれない」
〈探し人〉達はうんうんと頷く。
彼らが見えない織音は、怪訝そうに由良を見た。
「まるで見てきたようにおっしゃるんですね。それとも、私が今まで会ってきた誰かとお知り合いなんですか?」
「いいえ? ただ、あれほどの演奏と歌声はそう何度も聴けるものではありませんから、貴方との再会を切望されている方もいらっしゃるのでは? と想像しただけです」
「本当に、想像?」
「えぇ。私も織音さんの演奏と歌声、また聴きたいです」
「……」
〈探し人〉達はまたも、うんうんと頷く。
織音は戸惑い、気恥ずかしそうにうつむいた。
「……それが事実なら、戻って謝らないと。私は自分勝手に姿をくらましただけだって」
織音は駅へ急ぐ。
彼女を追う〈探し人〉は半分に減っていた。織音が「戻る」と宣言したので、安心したのだろう。
残った〈探し人〉達は、律儀に織音の後をついて行く。
織音が本当に帰ってくるのか疑っているわけではない。「道中、鼻歌でもいいから、彼女の歌を聴けないだろうか」と期待して残っただけだ。
街の一角に咲いた濃いピンク色の梅が、ひと足早く春を報せていた。
(冬編③『銀世界、幾星霜』終わり)
(春編③に続く)
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