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冬編③『銀世界、幾星霜』
第五話「流しのギターガール」⑴
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積もっていた雪が溶け、街は徐々に春へと移り変わろうとしている。
由良は買い物がてら、日頃お世話になっている洋燈商店街の人達に試作品のブレンドコーヒーを配り歩いていた。春に発売する予定の桜のフレーバーコーヒーで、「香りがいい」とおおむね好評だ。
ひと通り回った頃、何処からかギターの音色が聞こえてきた。冬の定番曲をバラードにアレンジしている。
「今日、ライブのイベントなんてあったかしら?」
最後に立ち寄った言の葉の森の店員が教えてくれた。
「路上ミュージシャンじゃないですか? 平日でも、たまに演奏している方がいらっしゃいますよ」
「へぇ」
由良は耳を澄まし、音の出どころを探した。
人通りはほとんどない。時たま、地元の住人とすれ違うくらいだ。閑散とした商店街に響くギターの音色は、どこか物悲しげに聴こえた。
やがて、何年か前に閉店したレコード店の前に人だかりを見つけた。セミロングの髪を銀色に染めた若い女性が、店のシャッターの前でアコースティックギターを弾きながら歌っている。山の雪解け水のような澄んだ歌声で、由良は聴いているだけで心が洗われていくかのように感じた。
(それにしてもこの人達、一体どこから来たのかしら? 商店街の人達は誰も、ここで路上ライブをやっているって知らなかったのに)
ふと、由良は自分と同じように人だかりから外れ、遠巻きに眺めている渡来屋を見つけた。
「渡来屋さんも聴きに来たの?」
「ん? あぁ」
渡来屋は由良を一瞥し、女性へ視線を戻した。
「〈探し人〉の客達が"すごいミュージシャンが来る"ってウワサしていたんでね。どんな著名人の〈心の落とし物〉かと来てみれば、無名の流しだった。しかも、人間。あれじゃ、回収のしようがねぇ。とんだ無駄足だったぜ」
不満を口にしながらも、渡来屋はその場を動こうとはしない。話す時も小声だった。
「帰らないの?」
「途中で帰るなんて無粋だからな。最後まで聴いていく」
「あの人の演奏が気に入ったってこと?」
「まぁまぁだな」
「気に入ったのね」
「うるさい」
曲が終わり、集まった人々は惜しみない拍手を送る。由良も自分の拍手が女性の耳に届くよう、負けじと手を叩いた。
すると手を叩くごとに、観客が一人、また一人と、瞬時に消えた。拍手の音が一人分になった時には、由良だけがその場に取り残されていた。いつのまにか渡来屋もいなくなっていた。
女性は由良と目を合わせ、照れ臭そうに微笑んだ。
「聴いてくれてありがとう。こんなに大きな拍手をもらったのは、この町に来て初めてです」
「す、すみません。あんまり素敵な歌声だったので、つい」
女性は消えた観客達に気づいていなかった。先ほど集まっていたのは、全員〈探し人〉だったのだ。
一対一で演奏されていたと知り、由良は気恥ずかしくなった。
「差し入れに、ホットコーヒーはいかがですか? うちの店で出す予定の試作品なんですけど、良かったら」
「いただきます。ちょうど、喉が渇いていたんです」
「砂糖とミルクは?」
「どっちも入れてください」
由良はLAMPのロゴが入った紙コップにコーヒーを注ぎ、砂糖とミルクを加え、女性に差し出した。
女性は一旦ギターをケースに仕舞い、紙コップを受け取る。口の中をヤケドしないよう、慎重に飲み干した。
「美味しい。ほんのり桜の香りがしますね」
「桜フレーバーのコーヒーなんです。春の新作にしようと思いまして」
「存在するかは分からないけど、桜柄のカップに入っていたらもっと素敵でしょうね。マドラーも、持ち手が桜の花びらの形だったら、ぴったりだなぁ」
「それ、いいですね。似てる食器を持っているので、帰ったら試してみます」
「持ってるんだ……」
ふいに、女性は由良の発言を思い出したのか尋ねてきた。
「お店って、もしかして喫茶店ですか? この街の?」
「えぇ。LAMPと言います。大通りを挟んで、向かいにあるんですよ」
由良は大通りを指差し、LAMPの場所を教える。
しかし女性はLAMPよりも、LAMPを運営している由良の方が気になるらしく、いろいろ質問してきた。
「貴方は他所から引っ越して来られたんですか? それとも、この街が地元で?」
「地元です。生まれてから今までずっと、この洋燈町に住んでいます」
「羨ましい……私も、こんな素敵な街で生まれ育ちたかったです」
女性は嘆き、ため息をつく。
ケースからギターを取り出し、ポロロンとかき鳴らした。
「私、明日には洋燈町を発つんです。だから、その前に貴方のお店……LAMPへ寄ってもいいですか? 仕事が終わった後になるので、かなり遅くなるかとは思いますが」
「営業時間内であれば構いません。お待ちしております」
「良かった。安心しました」
由良は女性と別れ、再び歩き出した。
背後からギターの音と歌声が聴こえてくる。振り返ると、女性の周りに先ほどと同じくらいの人だかりが一瞬でできていた。
「……あの人、本当に〈探し人〉に大人気なんだ」
由良は買い物がてら、日頃お世話になっている洋燈商店街の人達に試作品のブレンドコーヒーを配り歩いていた。春に発売する予定の桜のフレーバーコーヒーで、「香りがいい」とおおむね好評だ。
ひと通り回った頃、何処からかギターの音色が聞こえてきた。冬の定番曲をバラードにアレンジしている。
「今日、ライブのイベントなんてあったかしら?」
最後に立ち寄った言の葉の森の店員が教えてくれた。
「路上ミュージシャンじゃないですか? 平日でも、たまに演奏している方がいらっしゃいますよ」
「へぇ」
由良は耳を澄まし、音の出どころを探した。
人通りはほとんどない。時たま、地元の住人とすれ違うくらいだ。閑散とした商店街に響くギターの音色は、どこか物悲しげに聴こえた。
やがて、何年か前に閉店したレコード店の前に人だかりを見つけた。セミロングの髪を銀色に染めた若い女性が、店のシャッターの前でアコースティックギターを弾きながら歌っている。山の雪解け水のような澄んだ歌声で、由良は聴いているだけで心が洗われていくかのように感じた。
(それにしてもこの人達、一体どこから来たのかしら? 商店街の人達は誰も、ここで路上ライブをやっているって知らなかったのに)
ふと、由良は自分と同じように人だかりから外れ、遠巻きに眺めている渡来屋を見つけた。
「渡来屋さんも聴きに来たの?」
「ん? あぁ」
渡来屋は由良を一瞥し、女性へ視線を戻した。
「〈探し人〉の客達が"すごいミュージシャンが来る"ってウワサしていたんでね。どんな著名人の〈心の落とし物〉かと来てみれば、無名の流しだった。しかも、人間。あれじゃ、回収のしようがねぇ。とんだ無駄足だったぜ」
不満を口にしながらも、渡来屋はその場を動こうとはしない。話す時も小声だった。
「帰らないの?」
「途中で帰るなんて無粋だからな。最後まで聴いていく」
「あの人の演奏が気に入ったってこと?」
「まぁまぁだな」
「気に入ったのね」
「うるさい」
曲が終わり、集まった人々は惜しみない拍手を送る。由良も自分の拍手が女性の耳に届くよう、負けじと手を叩いた。
すると手を叩くごとに、観客が一人、また一人と、瞬時に消えた。拍手の音が一人分になった時には、由良だけがその場に取り残されていた。いつのまにか渡来屋もいなくなっていた。
女性は由良と目を合わせ、照れ臭そうに微笑んだ。
「聴いてくれてありがとう。こんなに大きな拍手をもらったのは、この町に来て初めてです」
「す、すみません。あんまり素敵な歌声だったので、つい」
女性は消えた観客達に気づいていなかった。先ほど集まっていたのは、全員〈探し人〉だったのだ。
一対一で演奏されていたと知り、由良は気恥ずかしくなった。
「差し入れに、ホットコーヒーはいかがですか? うちの店で出す予定の試作品なんですけど、良かったら」
「いただきます。ちょうど、喉が渇いていたんです」
「砂糖とミルクは?」
「どっちも入れてください」
由良はLAMPのロゴが入った紙コップにコーヒーを注ぎ、砂糖とミルクを加え、女性に差し出した。
女性は一旦ギターをケースに仕舞い、紙コップを受け取る。口の中をヤケドしないよう、慎重に飲み干した。
「美味しい。ほんのり桜の香りがしますね」
「桜フレーバーのコーヒーなんです。春の新作にしようと思いまして」
「存在するかは分からないけど、桜柄のカップに入っていたらもっと素敵でしょうね。マドラーも、持ち手が桜の花びらの形だったら、ぴったりだなぁ」
「それ、いいですね。似てる食器を持っているので、帰ったら試してみます」
「持ってるんだ……」
ふいに、女性は由良の発言を思い出したのか尋ねてきた。
「お店って、もしかして喫茶店ですか? この街の?」
「えぇ。LAMPと言います。大通りを挟んで、向かいにあるんですよ」
由良は大通りを指差し、LAMPの場所を教える。
しかし女性はLAMPよりも、LAMPを運営している由良の方が気になるらしく、いろいろ質問してきた。
「貴方は他所から引っ越して来られたんですか? それとも、この街が地元で?」
「地元です。生まれてから今までずっと、この洋燈町に住んでいます」
「羨ましい……私も、こんな素敵な街で生まれ育ちたかったです」
女性は嘆き、ため息をつく。
ケースからギターを取り出し、ポロロンとかき鳴らした。
「私、明日には洋燈町を発つんです。だから、その前に貴方のお店……LAMPへ寄ってもいいですか? 仕事が終わった後になるので、かなり遅くなるかとは思いますが」
「営業時間内であれば構いません。お待ちしております」
「良かった。安心しました」
由良は女性と別れ、再び歩き出した。
背後からギターの音と歌声が聴こえてくる。振り返ると、女性の周りに先ほどと同じくらいの人だかりが一瞬でできていた。
「……あの人、本当に〈探し人〉に大人気なんだ」
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