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秋編③『誰ソ彼刻の紫面楚歌(マジックアワー)』
第一話「味覚狩り」⑴
しおりを挟む秋雨前線の訪れと共に、残暑は過ぎ去りつつあった。昨日まではハンカチで汗をぬぐいながらアイスコーヒーを頼んでいた客が、今日は美味そうにホットココアを飲んでいる。
フードメニューも、アイスクリームより焼き菓子、冷やしたケーキより出来立てのパンケーキの方がよく売れた。
「……」
由良はLAMPの厨房に立ち、追加のパンケーキを黙々と作っていた。厨房にいるのは由良一人で、接客は他の店員に任せてある。
生地からプツプツと小さな泡が出たらひっくり返し、焼き上がるまでの時間を砂時計で測る。二つの豆電球を組み合わせたデザインの砂時計で、明かりを模した金色の砂がキラキラと輝きながら落下していった。
「……もういいかな」
由良は砂時計の砂が落ちきると同時に、こんがりと焼き上がったパンケーキを三枚、皿へ乗せた。生地に紫芋が練り込んであるので、鮮やかな紫色だ。間髪入れず、新しい生地をボールからお玉で掬い、フライパンへ注いだ。
新しい生地の片面が焼き上がるまでの間に、皿へ取り上げたパンケーキを盛りつける。甘く煮たサツマイモのペーストを生地と生地の間に挟み、細切りにした大学芋を上に飾る。ペーストは、隠し味にシナモンを振るう。紫と黄色のコントラストが美しい。
一緒に注文されたホットカフェオレと共に、お盆へ乗せた。
「紫芋のパンケーキとホットカフェオレ、上がりました」
「持って行きます」
茅田が頃合いを見て厨房に入り、お盆をテーブルへ運んでいく。お盆を持ち上げる前、チラッと由良の表情をうかがっていた。
由良は新しく焼いていた生地をひっくり返し、再び砂時計を逆さにする。砂はスーッと静かに音を立て、最初の電球へと帰っていく。まるで、一度過ぎた時が元に戻っていくようだった。
『僕も添野さんが好きです』
『貴方に〈探し人〉として救われてから、ずっと』
『添野さんも、僕と同じように思ってくださっていたんですね。嬉しいです』
『せっかくお互いの想いに気づけたんですから、これからも二人でたくさん思い出を作っていきましょうよ』
花火大会で言われた紅葉谷の言葉が、頭の中で響く。
由良は流れていく砂を見つめ、深く息を吐いた。
「……現実の時間も、こうやって簡単に戻るといいのにな」
由良はあれ以来、紅葉谷とまともに顔を合わせていない。普段通りに接したいと思ってはいても、体が言うことを聞いてくれなかった。
紅葉谷の方は由良と一度ちゃんと話したいと考えているようで、由良のシフトに狙いすましたように現れた。由良が厨房にこもりきりになったのは、彼と顔を合わせたくなかったからだった。
いっそ、紅葉谷に告白した記憶も想いも、全て〈未練溜まり〉へ捨ててしまおうかとも考えた。が、相談した渡来屋に止められた。
『人の想いを簡単に捨てようとするな。ゴミを捨てるのとは訳が違うんだぞ? お前があのヘニャヘニャに夢中になる気持ちは分からんが、全てを忘れた方がアイツを傷つけることになるんじゃないのか?』
『……』
『〈探し人〉にすらなっていないんだ、本当はアイツと想いが通じ合って嬉しいんだろう? なら、このままでいいじゃねぇか』
「いらっしゃいませ。三名様ですね? お好きな席へどうぞ」
どんぐりと木の実をくくりつけたドアチャイムが揺れ、音が鳴る。新しく客が来たらしい。
由良は作業の手を止め、客を振り返った。赤みがかった茶髪の人物がカウンター席へ座るのが見えた。
「もッ?!」
とっさにしゃがむ。
幸い、紅葉谷ではなかった。照明の具合で赤みがかって見えただけで、もっと暗めの髪色だ。そもそも三人とも女性だった。
由良はホッと胸をなで下ろし、立ち上がった。
(……見間違いなんて、らしくもない。やっぱりこのままじゃダメ。仕事にならないもの。どうにかしないと)
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