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夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』
第三話「ターコイズブルーの恋情」⑶
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その後、ミナとカイリは閉場間際まで、のんびり浮き輪に乗って漂ったり五十メートルプールを泳いで競争したりした。
日が傾き、客が少なくなってくると「そろそろ帰ろうか」とどちらともなく更衣室へ向かった。
「覗かないでよ」
「誰も覗かねぇよ」
服に着替え、受付がある玄関ホールへ出る。
カイリは先に着替え終わり、掲示板を見ていた。
「お待たせ。何見てるの?」
カイリは神妙な面持ちで、一枚の貼り紙を指差した。
「ここ、来月に閉鎖するんだってさ」
「え」
ミナもカイリの隣に並び、貼り紙を見る。
カイリの言う通り、「洋燈町民プール閉鎖のお知らせ」と貼り紙がしてあった。
「ここが無くなったら、何処のプールに行けばいいんだよ?」
「隣町のプール、遠いもんね」
「……寂しくなるな」
「うん」
隣町のプールへは自転車で一時間以上かかる。直通のバスや電車もない。
町民プールが無くなったら、気軽にカイリをプールへ誘えなくなってしまう。今日のような一日を送れる機会は、残り少ないのかもしれない。無くなって欲しくはなかったが、子供のミナにはどうすることも出来なかった。
二人は受付のおばさんに「さようなら」と会釈し、玄関ホールを後にした。
カイリは両開きの重いガラス戸を開き、外へ出る。ミナが出るまで、支えて待ってくれていた。
ミナはカイリの手を煩わせないよう、足早に扉をくぐろうとした。
が、足を踏み出した瞬間、妙な胸騒ぎした。
(……何でだろう? このまま何も言わずにカイリと別れたらダメな気がする)
「ミナ?」
急に立ち止まったミナを、カイリは心配そうに見つめる。
整った顔が小麦色に焼けている。夕日に照らされ、より一層魅力的に見えた。
見慣れているはずの面差しに、ミナは無意識に見惚れていた。
「あ、あの……」
すぐに正気に戻ったものの、一瞬でもカイリに見惚れていた自分に戸惑った。
ただひと言、「プールが閉鎖する日も、二人で行こうね」と口にすればいいだけなのに、上手く言葉に出来ない。いつものミナなら、挨拶するのと同じくらい簡単なことだった。
(言わなきゃ……最後の日も一緒に来ようって。いつも帰り際に言ってるじゃん。なのに、何で今日に限って、こんなに緊張してるんだろ? デートに誘うわけでもあるまいし……)
顔が熱い。耳まで熱が伝わっているのが分かる。
「どうした? 忘れ物でもしたか?」
カイリはミナが立ち止まったまま黙り込んでいるので、「どうしたものか」と戸惑っている。
成長期か、去年まではミナと同じくらいの身長だったのに、今年とうとう抜かされた。今では頭ひとつ分、カイリの方が背が高い。これからもっと伸びるだろう。
加えて、特に運動に力を入れているわけでもないのに、程よく筋肉がついてきた。昔はどんな体力勝負でもミナが圧勝していたが、今はいかなるハンデがあっても勝てる気がしなかった。
……緊張すればするほど、余計なことが気になって仕方がない。冷静さを取り戻すどころか、徐々に心臓の高鳴りが早まっていった。
結局、ミナは諦めた。
「そ、そう! 忘れ物! 更衣室にゴーグル置いてきちゃってさぁ! 先に帰ってて!」
「あ、おい!」
カイリの制止を振り切り、女子更衣室へ駆け込む。そのまま屋外プールまで走った。
ゴーグルを忘れたなんて、嘘だ。今日はもうこれ以上、カイリと顔を合わせたくなかった。カイリが帰ったのを確認したら、ミナも帰るつもりだった。
「ハァハァハァ……」
屋外へ出ると、プールは廃墟に戻っていた。まばらに残っていた客もいない。
変わり果てたプールを前に、ミナは呆然と立ち尽くす。次第に、自分が本当は何処にいるのか思い出してきた。
「……そっか。私、カイリを誘えなかったんだ。それで仕方なく、浜内と行って……そしたら、カイリもウミカと二人で来てて……見て見ないフリをしようとしたけど、気づいたらカイリと目が合ってて……それで、それで……」
カイリと別れた後の記憶が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。彼女にとっては未来の出来事だったが、本物のミナにとっては過去の出来事だった。
ミナは全てを思い出すと、今しがた犯した失態を恥じた。
「……私、何やってるんだろ。カイリを誘わなくちゃいけなかったのに、全然勇気が出なかった。泣きたいくらい後悔してるくせに……情けないな」
かろうじて原形を留めている、ピンクの象のすべり台の階段に腰掛け、うずくまる。昼間騒がしかったアブラゼミは鳴りを潜め、入れ替わりにヒグラシが寂しげに鳴いていた。
じきに、日が沈む。夕方の風はぬるかった。
日が傾き、客が少なくなってくると「そろそろ帰ろうか」とどちらともなく更衣室へ向かった。
「覗かないでよ」
「誰も覗かねぇよ」
服に着替え、受付がある玄関ホールへ出る。
カイリは先に着替え終わり、掲示板を見ていた。
「お待たせ。何見てるの?」
カイリは神妙な面持ちで、一枚の貼り紙を指差した。
「ここ、来月に閉鎖するんだってさ」
「え」
ミナもカイリの隣に並び、貼り紙を見る。
カイリの言う通り、「洋燈町民プール閉鎖のお知らせ」と貼り紙がしてあった。
「ここが無くなったら、何処のプールに行けばいいんだよ?」
「隣町のプール、遠いもんね」
「……寂しくなるな」
「うん」
隣町のプールへは自転車で一時間以上かかる。直通のバスや電車もない。
町民プールが無くなったら、気軽にカイリをプールへ誘えなくなってしまう。今日のような一日を送れる機会は、残り少ないのかもしれない。無くなって欲しくはなかったが、子供のミナにはどうすることも出来なかった。
二人は受付のおばさんに「さようなら」と会釈し、玄関ホールを後にした。
カイリは両開きの重いガラス戸を開き、外へ出る。ミナが出るまで、支えて待ってくれていた。
ミナはカイリの手を煩わせないよう、足早に扉をくぐろうとした。
が、足を踏み出した瞬間、妙な胸騒ぎした。
(……何でだろう? このまま何も言わずにカイリと別れたらダメな気がする)
「ミナ?」
急に立ち止まったミナを、カイリは心配そうに見つめる。
整った顔が小麦色に焼けている。夕日に照らされ、より一層魅力的に見えた。
見慣れているはずの面差しに、ミナは無意識に見惚れていた。
「あ、あの……」
すぐに正気に戻ったものの、一瞬でもカイリに見惚れていた自分に戸惑った。
ただひと言、「プールが閉鎖する日も、二人で行こうね」と口にすればいいだけなのに、上手く言葉に出来ない。いつものミナなら、挨拶するのと同じくらい簡単なことだった。
(言わなきゃ……最後の日も一緒に来ようって。いつも帰り際に言ってるじゃん。なのに、何で今日に限って、こんなに緊張してるんだろ? デートに誘うわけでもあるまいし……)
顔が熱い。耳まで熱が伝わっているのが分かる。
「どうした? 忘れ物でもしたか?」
カイリはミナが立ち止まったまま黙り込んでいるので、「どうしたものか」と戸惑っている。
成長期か、去年まではミナと同じくらいの身長だったのに、今年とうとう抜かされた。今では頭ひとつ分、カイリの方が背が高い。これからもっと伸びるだろう。
加えて、特に運動に力を入れているわけでもないのに、程よく筋肉がついてきた。昔はどんな体力勝負でもミナが圧勝していたが、今はいかなるハンデがあっても勝てる気がしなかった。
……緊張すればするほど、余計なことが気になって仕方がない。冷静さを取り戻すどころか、徐々に心臓の高鳴りが早まっていった。
結局、ミナは諦めた。
「そ、そう! 忘れ物! 更衣室にゴーグル置いてきちゃってさぁ! 先に帰ってて!」
「あ、おい!」
カイリの制止を振り切り、女子更衣室へ駆け込む。そのまま屋外プールまで走った。
ゴーグルを忘れたなんて、嘘だ。今日はもうこれ以上、カイリと顔を合わせたくなかった。カイリが帰ったのを確認したら、ミナも帰るつもりだった。
「ハァハァハァ……」
屋外へ出ると、プールは廃墟に戻っていた。まばらに残っていた客もいない。
変わり果てたプールを前に、ミナは呆然と立ち尽くす。次第に、自分が本当は何処にいるのか思い出してきた。
「……そっか。私、カイリを誘えなかったんだ。それで仕方なく、浜内と行って……そしたら、カイリもウミカと二人で来てて……見て見ないフリをしようとしたけど、気づいたらカイリと目が合ってて……それで、それで……」
カイリと別れた後の記憶が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。彼女にとっては未来の出来事だったが、本物のミナにとっては過去の出来事だった。
ミナは全てを思い出すと、今しがた犯した失態を恥じた。
「……私、何やってるんだろ。カイリを誘わなくちゃいけなかったのに、全然勇気が出なかった。泣きたいくらい後悔してるくせに……情けないな」
かろうじて原形を留めている、ピンクの象のすべり台の階段に腰掛け、うずくまる。昼間騒がしかったアブラゼミは鳴りを潜め、入れ替わりにヒグラシが寂しげに鳴いていた。
じきに、日が沈む。夕方の風はぬるかった。
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