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夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』
第三話「ターコイズブルーの恋情」⑴
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「プール、ですか?」
「えぇ。近くにありませんかね? 本当は町民プールに行く予定だったんですけど、とっくに閉鎖していたことを忘れていて……」
「もう、閉鎖した日に行ったじゃない。忘れる? 普通」
「ごめん、ごめん」
夏休みが始まり、水着を携えた客が増えてきた。
帰省や観光で立ち寄ったので土地勘に乏しい者も多く、その日もランチに訪れた子供連れの一家から「ここから一番近いプールはどこか」と尋ねられた。
由良はエプロンのポケットに畳んで入れていた地図を広げ、プールの場所を教えた。
「ここからだと、隣町のプールが一番近いですかね。洋燈町のプールよりも広くて、流れるプールやウォータースライダーなんかもありますよ」
「ウォータースライダー?!」
「行きたい、行きたい!」
子供達は魅惑的な横文字にはしゃぐ。
両親も「そこにしようか」と顔を見合わせた。
「ありがとうございます。助かりました」
「どういたしまして。ご注文はガパオライスセット、四つでしたね。少々お待ち下さい」
由良は足早に厨房へ戻る。
洋燈町民プールは由良も子供の頃にかよっていた。残念ながら、中学へ上がる前に閉鎖してしまい、今は廃墟になっている。
夏休みになるたびに行っていたので、閉鎖すると聞いた時は寂しかったが、閉鎖してからは一度も足を運んだことがなかった。
(昼から買い出しに行くお店、あの近くだったな……時間があったら、帰りに寄ろう)
「……暑い」
炎天下の中、ミナは廃墟になった洋燈町民プールのビーチベットに寝そべっていた。日差しはパラソルでさえぎられているものの、熱された空気が体にまとわりついて蒸し暑い。
涼みたいのは山々だったが、プールは雨水が溜まって緑に濁り、人の代わりにアメンボが水面を泳いでいた。かき氷を提供していた屋台は錆びて朽ち果て、骨組みだけになっている。
コンクリートのプールサイドは熱した鉄のように熱くなっている上、わずかな隙間から雑草が伸び、足の踏み場がない。雑草が青々と茂る一方で、かつては美しく咲き誇っていた青紫色の朝顔は、フェンスに絡まったまま枯れていた。
「ここ……こんなに荒れてたっけ?」
ミナは変わり果てたプールを見回し、首を傾げる。
誰かに尋ねようにも、ミナ以外に人は見当たらない。姿の見えないアブラゼミがけたたましく鳴いているだけだった。
「……つまんないの。カイリも誘えば良かった」
ミナは不満そうにため息をつき、目を閉じた。頭の中で在りし日のプールを思い浮かべる。
すると不思議なことに、いないはずの人々の声が聞こえてきた。バシャバシャとプールで泳ぐ音、屋台でホットスナックを揚げる音、スピーカーから流れる音楽まで聴こえてくる。けたたましかったセミの鳴き声はかき消され、次第に気にならなくなっていった。
「ミナ」
ふいに、肩を叩かれた。
ミナはまぶたを開き、顔を上げる。誘っていなかったはずの幼馴染の少年が目の前に立っていた。
「カイリ?」
「なにボーッとしてるんだよ。浮き輪、売店で借りてきたぞ」
カイリは青いハイビスカス柄の浮き輪をミナに差し出す。自分の分の青と白のボーダーの浮き輪も小脇に抱えていた。
ミナは夢でも見ているような感覚で、カイリから浮き輪を受け取った。
「あ、ありがとう」
「流石にビート板はいらないよな?」
「うん。いらない」
(……そうだ。私、カイリと一緒に来てたんだった。どうして一人で来たと思い込んでたんだろう?)
プールサイドへ出ると、町民プールはミナが知るかつての姿へと時を戻していた。見渡す限り、水着を着た客でごった返し、屋台の前には長蛇の列が出来ている。
ミナとカイリはペタペタと、素足でプールに向かった。コンクリートのプールサイドで足裏を火傷しないよう、カラフルな魚の絵のゴムシートで保護されている。一切の雑草も生えておらず、フェンスに絡まった青紫色の朝顔は美しく咲き誇っていた。
ミナはプールサイドに腰を下ろし、プールへ足先を浸す。プールの水は底が見えるほど澄んでおり、思わず飛び上がってしまうくらい冷たかった。
「冷たっ」
「当たり前だろ。暑いし、さっさと入った方がいいぞ」
一方、カイリは躊躇なくプールへ飛び込んだ。
彼が立てた水飛沫が、隣に腰かけていたミナのもとまで届いた。
「ちょっと! 水、かかったんだけど!」
「はっはっはっ。ごめん、わざと」
「このぅ……反撃してやる!」
「やめっ、冷たいって!」
ミナは洋燈町民プールが廃墟と化していたことも忘れ、カイリと水をかけ合って遊んだ。
「えぇ。近くにありませんかね? 本当は町民プールに行く予定だったんですけど、とっくに閉鎖していたことを忘れていて……」
「もう、閉鎖した日に行ったじゃない。忘れる? 普通」
「ごめん、ごめん」
夏休みが始まり、水着を携えた客が増えてきた。
帰省や観光で立ち寄ったので土地勘に乏しい者も多く、その日もランチに訪れた子供連れの一家から「ここから一番近いプールはどこか」と尋ねられた。
由良はエプロンのポケットに畳んで入れていた地図を広げ、プールの場所を教えた。
「ここからだと、隣町のプールが一番近いですかね。洋燈町のプールよりも広くて、流れるプールやウォータースライダーなんかもありますよ」
「ウォータースライダー?!」
「行きたい、行きたい!」
子供達は魅惑的な横文字にはしゃぐ。
両親も「そこにしようか」と顔を見合わせた。
「ありがとうございます。助かりました」
「どういたしまして。ご注文はガパオライスセット、四つでしたね。少々お待ち下さい」
由良は足早に厨房へ戻る。
洋燈町民プールは由良も子供の頃にかよっていた。残念ながら、中学へ上がる前に閉鎖してしまい、今は廃墟になっている。
夏休みになるたびに行っていたので、閉鎖すると聞いた時は寂しかったが、閉鎖してからは一度も足を運んだことがなかった。
(昼から買い出しに行くお店、あの近くだったな……時間があったら、帰りに寄ろう)
「……暑い」
炎天下の中、ミナは廃墟になった洋燈町民プールのビーチベットに寝そべっていた。日差しはパラソルでさえぎられているものの、熱された空気が体にまとわりついて蒸し暑い。
涼みたいのは山々だったが、プールは雨水が溜まって緑に濁り、人の代わりにアメンボが水面を泳いでいた。かき氷を提供していた屋台は錆びて朽ち果て、骨組みだけになっている。
コンクリートのプールサイドは熱した鉄のように熱くなっている上、わずかな隙間から雑草が伸び、足の踏み場がない。雑草が青々と茂る一方で、かつては美しく咲き誇っていた青紫色の朝顔は、フェンスに絡まったまま枯れていた。
「ここ……こんなに荒れてたっけ?」
ミナは変わり果てたプールを見回し、首を傾げる。
誰かに尋ねようにも、ミナ以外に人は見当たらない。姿の見えないアブラゼミがけたたましく鳴いているだけだった。
「……つまんないの。カイリも誘えば良かった」
ミナは不満そうにため息をつき、目を閉じた。頭の中で在りし日のプールを思い浮かべる。
すると不思議なことに、いないはずの人々の声が聞こえてきた。バシャバシャとプールで泳ぐ音、屋台でホットスナックを揚げる音、スピーカーから流れる音楽まで聴こえてくる。けたたましかったセミの鳴き声はかき消され、次第に気にならなくなっていった。
「ミナ」
ふいに、肩を叩かれた。
ミナはまぶたを開き、顔を上げる。誘っていなかったはずの幼馴染の少年が目の前に立っていた。
「カイリ?」
「なにボーッとしてるんだよ。浮き輪、売店で借りてきたぞ」
カイリは青いハイビスカス柄の浮き輪をミナに差し出す。自分の分の青と白のボーダーの浮き輪も小脇に抱えていた。
ミナは夢でも見ているような感覚で、カイリから浮き輪を受け取った。
「あ、ありがとう」
「流石にビート板はいらないよな?」
「うん。いらない」
(……そうだ。私、カイリと一緒に来てたんだった。どうして一人で来たと思い込んでたんだろう?)
プールサイドへ出ると、町民プールはミナが知るかつての姿へと時を戻していた。見渡す限り、水着を着た客でごった返し、屋台の前には長蛇の列が出来ている。
ミナとカイリはペタペタと、素足でプールに向かった。コンクリートのプールサイドで足裏を火傷しないよう、カラフルな魚の絵のゴムシートで保護されている。一切の雑草も生えておらず、フェンスに絡まった青紫色の朝顔は美しく咲き誇っていた。
ミナはプールサイドに腰を下ろし、プールへ足先を浸す。プールの水は底が見えるほど澄んでおり、思わず飛び上がってしまうくらい冷たかった。
「冷たっ」
「当たり前だろ。暑いし、さっさと入った方がいいぞ」
一方、カイリは躊躇なくプールへ飛び込んだ。
彼が立てた水飛沫が、隣に腰かけていたミナのもとまで届いた。
「ちょっと! 水、かかったんだけど!」
「はっはっはっ。ごめん、わざと」
「このぅ……反撃してやる!」
「やめっ、冷たいって!」
ミナは洋燈町民プールが廃墟と化していたことも忘れ、カイリと水をかけ合って遊んだ。
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