心の落とし物

緋色刹那

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夏編③『水平線の彼方、青色蜃気楼』

第一話「人魚楼」⑶

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 人魚楼を出ると、こちらに向かってアーケードを歩いていた金魚楼の店主と鉢合わせになった。由良が記憶していたとおりの、小柄な老人だ。
 金魚楼の店主は腰をかがめ、ゆっくりと歩いている。偶然か、人魚楼の男と同じ金魚柄の手拭いを頭に巻いていた。服装も青海波の模様が描かれた青い甚平と下駄と、一致している。
 金魚楼の店主が歩を進めるたびに、カランコロンと小気味良い音が商店街に響いた。
「お客さんかい? すまんね、出掛けてたもんで」
「いえ、私も今来たところです」
 金魚楼の主人は重いガラス戸を開き、由良を店の中へ招き入れる。由良が知人の孫だとは気づいていなかった。
 店内は昔来た時と同じ、コンクリート剥き出しの無骨な内装に戻っていた。人魚楼とは違い、壁に巨大な水槽も埋め込まれていない。
 いくつもの水槽が床や棚の上に所狭しと並べられ、金魚の種類ごとに棲み分けされている。そこかしこから、「ボコボコ」「ブクブク」と酸素ポンプが空気を送っている音が聞こえた。
 金魚達は黒くてまん丸な目玉をぎょろつかせ、客である由良を見つめている。由良と目が合うと、仕切りにパクパクと口を動かした。その仕草が、何処となく人魚楼の人魚達の反応と似ている気がした。
「で、どんな金魚をお探しで?」
「お店に飾る金魚を探しているんです。一匹だと寂しいので、一つの水槽で何匹か飼おうかと。私以外の従業員は金魚を育てた経験がないので、初心者でもお世話しやすい金魚がいいのですが」
「店って、何の?」
「喫茶店です。そこの大通りを挟んで向かいにある、LAMPっていうお店なんですけど」
「らんぷ? はて、何処かで聞いたことがあるような……」
 金魚楼の主人はシワシワの顔をさらにシワシワにさせ、考え込んだ。
 やがて思い出し、「あぁー」と声を上げた。
「あんた、添野さんとこのお孫さんかぁ。どうりで若い頃のあの人に似てると思った」
「はい。ご無沙汰しております」
「早う言ってくれれば良かったのに。昔、こーんな小さい頃に添野さんと来てたなぁ。覚えとる?」
 金魚楼の主人は床に置いてある水槽と同じ高さに、手をやる。金魚すくいの屋台で見かけるような、底の浅い水槽だった。
「……いや、さすがにそこまで低くはないですよ」
「そうだったか? じゃあこんなもんか?」
「さっきより低くなってません?」



 金魚楼の主人は由良が知人の孫だと分かって警戒を解いたのか、金魚が泳いでいる水槽を見せながら饒舌に語り出した。
「初心者向けの金魚となると、このあたりが無難だろう。ケンカにならんよう、同じ種類か気性の合う種類どうしで飼った方がいい。例えば、こっちの水槽にいる和金、コメット、朱文金は元気、向こうの水槽にいる琉金、キャリコ琉金はおっとりした性格だな。そのあたりにある水槽の更紗和金、丹頂、東錦、ブリストル朱文金は同じ種類同士でしか飼えん。そこの棚にいるらんちゅうと蝶尾とピンポンパールは初心者にはちと難しいから、世話に慣れてからの方が良いだろう。出目金はそもそも混泳に向いておらん。うっかり他の金魚とぶつかって、目玉が取れるかもしれんからな」
「……なるほど」
 由良は言われたことをメモしていくうちに、「この話、人魚楼でも聞いたな」と既視感を抱いた。
 あの店で売っていたのは人魚だったが、金魚楼の主人が話した金魚の生態とよく似ていた。
(偶然、よね?)
 考え過ぎだと思いつつも、店主に尋ねてみた。
「つかぬことをお伺いしますが、金魚にも人間のように心があると思いますか?」
「そりゃあ、生き物なんだからあるだろう。この前、孫が遊びに来て絵本を朗読しておったら、水槽のキワまで集まって聞いとったぞ」
「ちなみにその絵本のタイトルは?」
 店主は「確か……」と眉根を寄せて記憶をたどり、答えた。
「人魚姫、だったか? 茅野倉さんの店で買ってもらったらしい。気に入って、毎日読んでおるよ。絵が凝っておってな、金魚達にも見せておったわ」
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