心の落とし物

緋色刹那

文字の大きさ
上 下
162 / 314
春編③『緑涼やか、若竹の囁き』

第五話「密林書庫冒険活劇」⑵

しおりを挟む
 ジャングルと言っても、現実のそれとは似て非なるものだった。
 本棚の形をした木から枝が伸び、大量の本が実っている。ひらひらと優雅に舞う蝶は、よく見ると真ん中で折れた栞だった。店内を旋回していた鳥は本棚の木の枝に留まり、こちらを見下ろしている。
「……ずいぶん個性的なデザインの書庫ですね」
「いやぁ、面目ない。掃除は昔から苦手でして。しかし添野さんも人が悪い。この有り様を個性的だなんて、そんな意地悪言わないでくださいよ」
 どうも茅野倉が見えている書庫と、由良が見えている書庫とでは、様子が違うらしい。
 茅野倉は拗ねたように言った。
「すみません、そんなつもりではなかったのですが」
「分かっています。添野さんなりに気遣ってくださったのでしょう? 分かっていますとも」
 その時、店の入口のドアに取り付けられているベルが鳴った。客が来たのだ。
 落ち込んでいた茅野倉は、ハッと我に返った。
「お客様だ! 添野さん、一旦戻りましょう。幸い、鳥はこの部屋には入っていないようですし」
 茅野倉は書庫のドアを閉じようとする。
 由良は「ちょっと待ってください」とドアをつかんだ。
「茅野倉さんがアルバイトさんに頼んでいた本、私が探してきましょうか? 今日は一日お休みをもらっているので、暇なんです」
「えっ、いいんですか?」
 茅野倉は驚き、目を丸くする。
 由良も最初は関わるつもりはなかった。アルバイトの女性のことも、消えた本のことも、警察に任せた方がいいだろう、と。
 だが、実際に書庫を見てそうは言っていられなくなった。これはどう見ても、〈心の落とし物〉かそれに関連した何かだ。もしアルバイトの女性と本がここへ迷い込んだのだとしたら、他の人にはどうやっても見つけられないだろう。
 それに先日、同じように〈心の落とし物〉に閉じ込められた由良には他人事とは思えなかった。
「困った時はお互い様ですから。茅野倉さんは接客に専念していてください」
 由良は真意を隠し、微笑む。
 何も知らない茅野倉は「助かります」と安堵した様子で礼を言った。
「探しているのは、"ひとりぼっちのティギー"という海外の絵本です。表紙に、檻に入れられたホワイトタイガーの絵が描かれていますよ」
「承りました」
 由良は忘れないよう、タイトルと表紙の特徴をメモに書き記した。
「見つからなくても気に病まないでくださいね」
 茅野倉はそう言い残し、店内へと戻った。
 由良は彼の背中が見えなくなったのを確認し、ジャングルの書庫へと飛び込んだ。

 書庫は明らかに言の葉の森の広さを超えていた。あるいは、洋燈町よりも広いかもしれない。
 由良は目についた本を片っ端から確認した。木の実、花、雑草……ありとあらゆる植物が本で出来ており、気が遠くなる作業だった。道なき道を進むうちに、出口のドアは緑へ紛れ、気づけば見失っていた。
 時折、名も知らぬ鳥や動物達の鳴き声がけたたましく響き渡る。そのたびに、由良はハッと顔を上げた。ここが曲がりなりにもジャングルならば、どんな猛獣がいてもおかしくない。ゾウ、サイ、ゴリラ、ライオン……考えるだけでゾッとした。
「こういうジャングルで冒険する話、昔読んだなぁ。冒険家の主人公がジャングルへ迷い込んで、そこに住んでる部族に捕まるの」
 その時、近くの茂みからガサガサと音がした。何かがこちらへ近づいてきている。
 由良は姿勢を低くし、息を殺す。今すぐにでもここを立ち去りたかったが、森本だったら置いては行けない。
 やがて茂みから、大きなカゴを背負った渡来屋が現れた。
「あ、部族発見」
「誰が部族だ、コラ」



 渡来屋は茂みを抜けると、カゴを地面へ下ろした。中には大量の本が詰まっている。このジャングルで集めたものだろう。
 由良はカゴの本を見て、眉をひそめた。
「また泥棒?」
「泥棒じゃない、仕入れだ。本は〈心の落とし物〉になりやすい上に、需要が高いからな。あの本を読んでおけば良かった、買っておけば良かった、手放さなければ良かった、その逆も然り……故に、こうして〈未練溜まりみれんだまり〉が構成されるのだろう」
「〈未練溜まり〉?」
「忘れられた〈心の落とし物〉の溜まり場のことだ。お前も以前、落ちたことがあるだろう?」
「……」
 あれか、と由良は当時の恐怖を思い出した。
 由良は去年の夏、忘れられた〈心の落とし物〉によって、水溜りに引き込まれたことがある。その時は渡来屋に助けてもらって難を逃れたが、危うく〈心の落とし物〉と一緒にこの世から忘れ去られるところだったのだ。
「だから、早くここから出た方がいい。うろちょろしていると、また俺の手を借りることになるぞ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

ヒトコブラクダのDRK

チゲン
ライト文芸
 伝説のオアシスを探して旅をするヒトコブラクダの物語。  2018年改稿。  小説投稿サイト『小説家になろう』にて同時掲載中。

彼女と僕の、終わりを告げる物語

木風 麦
ライト文芸
 ずっと一緒にいると約束した人がいた。  だけどその人は治ることない病気にかかって死んでしまった。  「僕」はその人がいない生活が受け付けられずにいた。

男性向け(女声)シチュエーションボイス台本

しましまのしっぽ
恋愛
男性向け(女声)シチュエーションボイス台本です。 関西弁彼女の台本を標準語に変えたものもあります。ご了承ください ご自由にお使いください。 イラストはノーコピーライトガールさんからお借りしました

ありのままでいたいだけ

黒蜜きな粉
ライト文芸
祖母が亡くなった。 葬儀には出席しなかった。地元に近づくことすらしなかった。 祖母の三回忌になって、ようやく線香くらいあげてもいいかと思えるようになって実家に帰ってきた。 しかし、地元の空気は肌に合わないと再確認するだけだった。 どんなにわがままだと思われても、私は自分の人生は自分で決めて生きたい。

桜の華 ― *艶やかに舞う* ―

設樂理沙
ライト文芸
水野俊と滝谷桃は社内恋愛で結婚。順風満帆なふたりの結婚生活が 桃の学生時代の友人、淡井恵子の出現で脅かされることになる。 学生時代に恋人に手酷く振られるという経験をした恵子は、友だちの 幸せが妬ましく許せないのだった。恵子は分かっていなかった。 お天道様はちゃんと見てらっしゃる、ということを。人を不幸にして 自分だけが幸せになれるとでも? そう、そのような痛いことを 仕出かしていても、恵子は幸せになれると思っていたのだった。 異動でやってきた新井賢一に好意を持つ恵子……の気持ちは はたして―――彼に届くのだろうか? そしてそんな恵子の様子を密かに、見ている2つの目があった。 夫の俊の裏切りで激しく心を傷付けられた妻の桃が、 夫を許せる日は来るのだろうか? ――――――――――――――――――――――― 2024.6.1~2024.6.5 ぽわんとどんなstoryにしようか、イメージ(30000字くらい)。 執筆開始 2024.6.7~2024.10.5 78400字 番外編2つ ❦イラストは、AI生成画像自作

家賃一万円、庭付き、駐車場付き、付喪神付き?!

雪那 由多
ライト文芸
 恋人に振られて独立を決心!  尊敬する先輩から紹介された家は庭付き駐車場付きで家賃一万円!  庭は畑仕事もできるくらいに広くみかんや柿、林檎のなる果実園もある。  さらに言えばリフォームしたての古民家は新築同然のピッカピカ!  そんな至れり尽くせりの家の家賃が一万円なわけがない!  古めかしい残置物からの熱い視線、夜な夜なさざめく話し声。  見えてしまう特異体質の瞳で見たこの家の住人達に納得のこのお値段!  見知らぬ土地で友人も居ない新天地の家に置いて行かれた道具から生まれた付喪神達との共同生活が今スタート! **************************************************************** 第6回ほっこり・じんわり大賞で読者賞を頂きました! 沢山の方に読んでいただき、そして投票を頂きまして本当にありがとうございました! ****************************************************************

路地裏のアン

ねこしゃけ日和
ライト文芸
真広は双子の妹である真理恵と若い頃から母親の介護をしていた。 ある日、その母親の葬式で出会った子供を預かってほしいと電話がある。 半ば押しつけられた形で子供を迎えに行くと、その子にはねこの耳が生えていて……。

処理中です...