心の落とし物

緋色刹那

文字の大きさ
上 下
123 / 314
秋編②『金貨六枚分のきらめき』

第五話「最後の金貨の行方」⑷

しおりを挟む
「この曲……カフェテリア序曲だ」
 蓄音機から流れてきたのは、朝の喫茶店を思わせる軽快なクラシックだった。生前、祖父が好んでいた曲だ。
 由良にとっても馴染みの一曲で、よく店のレコードを借りては一人で聴いていた。当時、一階から漂ってくるコーヒーの香りを嗅ぎながら聴いていたせいか、聴いていると次第にコーヒーが飲みたくなってきた。
(……というか、本当にコーヒーの香りがしてない?)
 由良は鼻で匂いをたどり、振り返る。
 すると由良と渡来屋しかいなかった遊戯室が、大勢の客で賑わっていた。ある者は革張りの椅子に腰掛け、新聞片手にコーヒーを飲んでいる。またある者は、仲間達と共にビリヤードを楽しんでいる。カフェテリア序曲に合わせ、優雅に踊っている男女までいた。
 皆、昭和を思わせるレトロな装いの者ばかりで、この場に限っては渡来屋よりも由良の格好の方が浮いていた。それどころかホコリを被っていた家具までもが、購入したばかりの真新しい姿に戻っている。さながら、タイムスリップしたかのようだった。
「何をそんなに驚く? お前が持っているオルゴールと同じさ。こいつも大勢の人間共の〈心の落とし物〉を抱えているのだよ」
 渡来屋は慣れた手つきで、蓄音機のラッパをなでる。
 過去の姿に戻った蓄音機は由良が耳にしたことのない、滑らかな音色を奏でていた。
「この蓄音機はジュークボックスも兼ねていてな、硬貨を入れるとランダムで一曲聴けるんだ。わざわざレコードを借りに行かなくても聴ける、常連客しか知らない裏技さ」
「曲が流れたってことは、普通の硬貨の代わりに懐虫電燈の金貨が使えるってこと?」
「まぁな。ただし普通の硬貨と違って、聴ける曲は決まっている。金貨の持ち主が好きな曲とか、持ち主をイメージして選んだ曲とかな。今入れた金貨はお前の祖父の物だ。祖母のも聴くか?」
 渡来屋は曲の途中で、もう一方の金貨を入れようとする。
 しかし由良は首を振った。
「いい。おばあちゃんの好きな曲なら知っているもの。聴きたくなったら、倉庫のレコードをかけるわ」
「誰かに聞いたのか?」
「聞いたわけじゃないけど……おじいちゃんのお気に入りだったから」
 由良の祖父はカフェテリア序曲と同じくらい、「蛍の集会所」という曲をよく聴いていた。活気ある朝を思わせるカフェテリア序曲とは真逆の、静かな夜の川辺をイメージさせる曲だ。
 実際、由良の祖父は閉店時間間際の真夜中によくレコードをかけていた。蛍の集会所に耳を傾けている間の祖父は、懐かしそうな面持ちをしながら、どこか寂しげだった。祖父の顔を見ていた由良は、子供心に「寂しくなるなら聴かなきゃいいのに」と思った。
「記念硬貨のこと、教えて下さってどうもありがとう。貴方が教えてくれなかったら、毎日ここへ通う羽目になっていたわ」
「そりゃ良かった。毎日営業妨害されちゃ、たまったもんじゃねぇ。礼に、お前が持ってる記念硬貨かオルゴール、くれ」
「やなこった」
 由良はカフェテリア序曲に耳を傾けつつ、大勢の〈心の落とし物〉の客で賑わう遊戯室を眺める。客は一階と二階を行き来し、絶えず入れ替わる。
 稲村の家の女将によく似た着物の女性、由良が紅葉谷に買ってもらったオルゴールの持ち主だった日本人設計士、作務衣の胸元に「漆原」と書いた名札を縫いつけている若い青年、玉堂が描いた絵の中にいた中性的な顔立ちの黒髪の美青年……見覚えのある顔ぶれだったが、気づいた時には、別人に変わっていた。
(……みんな、懐虫電燈が大好きだったのね)
 その「みんな」にはもちろん、由良も入っていた。

 蓄音機が静かになってまもなく、中林がバスケットを手に戻ってきた。
「由良さん! やっぱり、私もお供します! こんな寒いところで一人ぼっちは寂しいですもんね!」
「ごめん、中林さん。諸々もう済んだから帰っていいよ」
「えー! せっかく茅田ちゃんにサンドイッチ作ってもらったのにー。たまごサンドときなこクリームの」
「それは食べる」
 商品に匂いがつかないよう、ベランダに出る。アーケードの屋根の隙間から西日が差し込み、眩しかった。室内からでは遮光カーテンでさえぎられていて気づかなかった。
 休憩用か喫煙用か、おあつらえ向きにプラスチック製のベンチが一脚置いてある。由良と中林はそこに腰掛け、遅めのおやつ……もとい、早めの夕食を取ることにした。
「眠気覚ましにコーヒーも持ってきましたよ。ミルクと砂糖は入りますか?」
「えぇ。貴方もいる?」
 由良はベランダへ出ようとしない渡来屋を振り返り、尋ねる。中林は自分に尋ねられたと思ったのか「もっちろんですよ!」と即答していた。
 渡来屋は中林が持っている水筒の中のコーヒーをジッと物欲しそうに見ていたが、「今はいい」と首を振った。
「いずれお前の店を訪れたら、その時に頂くとしよう。俺は帰る……戸締まりはしっかりしておけよ」
 コートのすそをひるがえし、遊戯室を出て行く。ブーツの靴音を響かせながら階段を上り、屋根裏部屋へと戻って行った。
「由良さん、どうかしたんですか? 部屋に何かいるんですか?」
 中林はコーヒーを注いだマグカップを手に、不思議そうに尋ねてくる。白金のススキ柄のマグカップで、白磁と黒磁の色違いだった。
 「ううん、何も」と由良はマグカップを受け取り、口をつけた。苦味を抑えたブレンドコーヒーはミルクと砂糖を入れたことで、より飲みやすくなっていた。
「久しぶりに、蓄音機でレコード聴きたいなと思って。ほら、あそこに置いてあるやつ」
「えっ! あの蓄音機、動くんですか?!」
「さぁ? 本物の方は子供の時以来、動かしてないから分かんないや」
 秋の空は西日に照らされ、真っ赤に燃えていた。

(秋編②『金貨六枚分のきらめき』終わり)
(冬編②へ続く)
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

処理中です...