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夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』
第四話「傘売り」⑴
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友人から半年ぶりにかかってきた国際電話は、雑用の依頼だった。
「由良、雨漏り直すの得意だったよね? うちの店が雨漏りしてないか、見て来てくんない? 昨日からずっと雨なんでしょ? 今年は長梅雨だって聞いたから、心配なんだよねぇ」
「そんなに心配なら業者に頼むか、自分で見に行きなさいよ。珠緒」
「すぐには帰れないよー。今、地球の裏側らへんにいるんだもん。業者さんに頼んだら、お金かかるし。濡れたまま放置してカビだらけにしちゃったなんて、お祖父ちゃんに顔向け出来ないでしょ? あ、お祖父ちゃんっていうのは、私のお祖父ちゃんと由良のお祖父ちゃんのことね」
「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
祖父のことを引き合いに出されては、何も言えない。
結局、由良は渋々休日を返上し、珠緒が営んでいる骨董屋玉蟲匣へと向かったのだった。
玉蟲匣はかつて由良の祖父が営んでいた喫茶店、懐虫電燈を改装した建物である。モダンな二階建ての三角屋根の建物で、入口のドアと二階のベランダの間には、独特の字体で書かれた玉蟲匣の看板が掲げられていた。
懐虫電燈だった頃に使われていた調度品は、大半が既に売り払われてしまい、ほとんど現存していない。しかし内装や備え付けのカウンターは手つかずのままであるためか、改装後も懐虫電燈だった頃の面影が色濃く残されていた。
「ったく、私だって忙しいってのに」
由良は珠緒から預かっている鍵を使い、玉蟲匣のドアを開けた。鍵には珠緒が土産に購入したというタマムシの標本のキーホルダーがついており、翠色の表皮が鈍く虹色に輝いていた。
ドアを開けると、ホコリと古いもの特有の臭いが鼻をかすめた。部屋の至るところに骨董品やアンティーク家具が置かれている。かつてカウンター席に使われていた台は、レジカウンターとして再利用されていた。
珠緒なりにジャンル分けされているらしく、一階は日用雑貨、二階は玩具や古着の売り場になっている。高価なジュエリーアクセサリーや金食器などは地下室の金庫に保管されており、友人である由良でも目にする機会はほとんどなかった。
由良は安全のために入口のドアの鍵を内側から閉めると、天井や壁、窓の隙間など、雨漏りしやすい場所を確認していった。うっかり商品に体をぶつけないよう、細心の注意を払いながら部屋を移動する。
幸い、どの部屋も雨漏りしてはいなかった。そもそも店を改修した際に、外壁も修繕していたため、よほどの大雨でも降らない限り、雨漏りなどしないはずだった。
「雨漏りよか、掃除した方がいいんじゃないの? せっかくのお宝が台無しじゃない。空気も悪いし」
次第に由良は雨漏りよりも、店の有り様の方が気になってきた。
珠緒は一年のほとんどを海外での買い付けに費やす。その間、玉蟲匣は掃除も換気もされないまま、何ヶ月も放置されていた。
とはいえ、無闇に商品に触って壊してはしまってはマズい。結局、由良が掃除を出来たのは通路や机の下くらいで、換気も商品を雨風に晒さないよう、窓を少し開ける程度に留めた。
地下室、一階、二階と、掃除と換気を進め、全ての階での作業を終えた頃には、玉蟲匣を訪れた時よりも空気が澄んでいた。
「これで良し。商品の掃除は珠緒が帰って来たら、自分でやらせよう」
由良は掃除道具を地下室に戻すため、二階から階段へと出た。
すると、
「……階段が出来てる」
階段横の突き当たりに置いてあったはずの本棚が消え、さらに上階へと続く階段が出現していた。
「隠し部屋? それとも、誰かの〈心の落とし物〉?」
二階の上にも部屋があるなど、由良は今まで祖父からも珠緒からも聞いたことがない。
誰かの〈心の落とし物〉である可能性が高かったが、もし実在しているのなら、雨漏りしていないか確認する必要があった。
「……行ってみるか」
由良は意を決して、ゆっくりと階段を上った。木製の階段で、踏み込むたびにミシッと音が鳴った。
不思議なことに、地下室や二階に通ずる他の階段とは違い、踏み台の表面には塵ひとつ積もっていなかった。
「由良、雨漏り直すの得意だったよね? うちの店が雨漏りしてないか、見て来てくんない? 昨日からずっと雨なんでしょ? 今年は長梅雨だって聞いたから、心配なんだよねぇ」
「そんなに心配なら業者に頼むか、自分で見に行きなさいよ。珠緒」
「すぐには帰れないよー。今、地球の裏側らへんにいるんだもん。業者さんに頼んだら、お金かかるし。濡れたまま放置してカビだらけにしちゃったなんて、お祖父ちゃんに顔向け出来ないでしょ? あ、お祖父ちゃんっていうのは、私のお祖父ちゃんと由良のお祖父ちゃんのことね」
「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
祖父のことを引き合いに出されては、何も言えない。
結局、由良は渋々休日を返上し、珠緒が営んでいる骨董屋玉蟲匣へと向かったのだった。
玉蟲匣はかつて由良の祖父が営んでいた喫茶店、懐虫電燈を改装した建物である。モダンな二階建ての三角屋根の建物で、入口のドアと二階のベランダの間には、独特の字体で書かれた玉蟲匣の看板が掲げられていた。
懐虫電燈だった頃に使われていた調度品は、大半が既に売り払われてしまい、ほとんど現存していない。しかし内装や備え付けのカウンターは手つかずのままであるためか、改装後も懐虫電燈だった頃の面影が色濃く残されていた。
「ったく、私だって忙しいってのに」
由良は珠緒から預かっている鍵を使い、玉蟲匣のドアを開けた。鍵には珠緒が土産に購入したというタマムシの標本のキーホルダーがついており、翠色の表皮が鈍く虹色に輝いていた。
ドアを開けると、ホコリと古いもの特有の臭いが鼻をかすめた。部屋の至るところに骨董品やアンティーク家具が置かれている。かつてカウンター席に使われていた台は、レジカウンターとして再利用されていた。
珠緒なりにジャンル分けされているらしく、一階は日用雑貨、二階は玩具や古着の売り場になっている。高価なジュエリーアクセサリーや金食器などは地下室の金庫に保管されており、友人である由良でも目にする機会はほとんどなかった。
由良は安全のために入口のドアの鍵を内側から閉めると、天井や壁、窓の隙間など、雨漏りしやすい場所を確認していった。うっかり商品に体をぶつけないよう、細心の注意を払いながら部屋を移動する。
幸い、どの部屋も雨漏りしてはいなかった。そもそも店を改修した際に、外壁も修繕していたため、よほどの大雨でも降らない限り、雨漏りなどしないはずだった。
「雨漏りよか、掃除した方がいいんじゃないの? せっかくのお宝が台無しじゃない。空気も悪いし」
次第に由良は雨漏りよりも、店の有り様の方が気になってきた。
珠緒は一年のほとんどを海外での買い付けに費やす。その間、玉蟲匣は掃除も換気もされないまま、何ヶ月も放置されていた。
とはいえ、無闇に商品に触って壊してはしまってはマズい。結局、由良が掃除を出来たのは通路や机の下くらいで、換気も商品を雨風に晒さないよう、窓を少し開ける程度に留めた。
地下室、一階、二階と、掃除と換気を進め、全ての階での作業を終えた頃には、玉蟲匣を訪れた時よりも空気が澄んでいた。
「これで良し。商品の掃除は珠緒が帰って来たら、自分でやらせよう」
由良は掃除道具を地下室に戻すため、二階から階段へと出た。
すると、
「……階段が出来てる」
階段横の突き当たりに置いてあったはずの本棚が消え、さらに上階へと続く階段が出現していた。
「隠し部屋? それとも、誰かの〈心の落とし物〉?」
二階の上にも部屋があるなど、由良は今まで祖父からも珠緒からも聞いたことがない。
誰かの〈心の落とし物〉である可能性が高かったが、もし実在しているのなら、雨漏りしていないか確認する必要があった。
「……行ってみるか」
由良は意を決して、ゆっくりと階段を上った。木製の階段で、踏み込むたびにミシッと音が鳴った。
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