心の落とし物

緋色刹那

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夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』

第三話「映画館雨宿り」⑷

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 翌朝、夜通し降っていた雨がやんでいた。
 時刻は四時。映画館雨宿りがオールナイト上映を終える時間とぴったり合っていた。
 前日の雨も二時間でやみ、五分後に再び降り出している。由良には偶然の一致とは思えなかった。
「あの場所も〈心の落とし物〉が関係しているのかしら?」
 由良は朝食のブルーベリーパンをかじりながら、テレビで天気予報を確認した。
 今日は珍しく、一日曇りの予報だった。

「中林さん、急だけど午後のシフト任せてもいい?」
「いいですけど、何処かへお出かけですか?」
「ちょっと野暮用」
 由良は店を中林に任せ、再び映画館雨宿りを訪れることにした。雨が降っていない状態の映画館がどうなっているのか気になったのだ。
 映画館雨宿りへと通じる路地の両脇にある店は、今日は営業していた。由良は店員から雨宿りについて話を聞きたかったが、どちらの店も客の応対で忙しそうだった。
 諦めて路地を進む。やがて目の前に現れた光景に愕然とした。
「……回転扉がない」
 映画館雨宿りの顔と言ってもいい立派な回転扉が、一夜にして忽然と姿を消していた。代わりに、薄い鉄板で出来たドアが入口に取り付けられている。
 ドアだけではない。建物の外観も、レンガ造りの洋館から無骨なコンクリートの塊のような建物へと変わっていた。壁には日焼けした古い映画のポスター、ドアには営業時間が乱雑に書かれたメモ用紙が貼られている。
「……別の建物じゃないよね?」
 由良は疑い、周りを見回す。
 しかし映画館のドアの上には、日焼けして色あせた「映画館雨宿り」と書かれた看板が、確かに掲げられていた。
 中は無人らしく、入口のドアも開かない。由良はドアに貼られたメモから営業時間を確認した。
「毎週土曜日、午後二時から四時まで(雨天休館)……って、短っ!」
「仕方ないじゃろ。誰も人が来んのだから」
「うわっ?!」
 突如、背後から声をかけられ、由良は飛び上がった。
 振り返ると、映画館雨宿りの支配人にそっくりな老齢の男性が立っていた。若々しかった支配人とは反対に、シワや白髪が多く、腰が曲がっている。支配人の父親だと言われても、不思議はなかった。
「貴方は?」
「この映画館雨宿りの館長をしておる、軒崎じゃよ」
 館長は映画館の入口のドアを鍵で開け、由良を中へ招いた。

 館内の様子も、昨日とは全く異なっていた。
 一階は待合室になっており、ジャンプすれば手が届くほど天井が低く、LAMPの店内よりも狭い。照明は豪華なシャンデリアから切れかけの蛍光灯へと変わり、かなり薄暗かった。
 待合室の壁際にはヨレヨレにへたった革のソファが二脚、並んで置かれていたものの、座面にホコリが被っており、しばらく誰も座っていないらしいとうかがえた。
 映画館に入って左手にはチケット売り場と売店があったが、そちらもしばらく使っていないらしく、どちらも窓口にシャッターが下ろされていた。
「劇場はどちらに?」
「こっちじゃ」
 由良は館長の後を追い、入口右手にある階段を上った。階段の壁には大きな窓があり、待合室よりも明るかった。
 二階に上がってすぐに木の扉があり、その先に小さな劇場があった。パイプ椅子が等間隔に並べられ、壁には黄ばんだスクリーンが吊り下がっている。部屋の左右に窓があるため、劇場とは思えないほど明るかった。
「いつからここで営業されているんですか? 私、この町で育ったんですけど、こんなところに映画館があるなんて、全然知らなくて……」
「さて、いつじゃったか。三十年前じゃったか、四十年前じゃったか……まぁ、お前さんが知らんのも無理はない。ここ最近は雨漏りがひどくて、ほとんど営業しておらんかったからのぉ。たまに商店街の集まりで使う程度じゃよ」
 館長は映写機を調整しながら、懐かしそうに語った。
「映画館を作ると決めた時は、日本……いや、世界一立派な映画館を建てると夢見ておった。外装はレンガ造りの洋館で、入口は回転扉。吹き抜けのホールの天井にはシャンデリアが吊り下がり、壁は大理石で、床はペルシャ絨毯。劇場の椅子は最高級の座り心地のものを特注で作って、上映前にはせんべいやポップコーンの代わりに、高級洋菓子を売る。映画ごとに大道芸や手品を組み合わせ、スクリーンを飛び越えた演出をするなどという案もあったな。結局、金も人脈も足りんかったんで、実現はせんかったが。中古の物件を改修してなんとかオープンにこじつけたが、そろそろ潮時かもしれんのぉ。家からここまで来るだけで一苦労じゃし。せめて客が来てくれれば、営業を続ける気も起こるんじゃが」
 どうやら昨日由良が訪れた映画館雨宿りは、館長が思い描いていた理想の映画館が〈心の落とし物〉となって具現化したものだったらしい。
 由良は気休めではなく、心から思ったことを口にした。
「来ますよ。みんな洋燈商店街に映画館があるって知らないだけです。簡単な雨漏りなら、私でも直せますし」
「いいのかい? お嬢ちゃん」
「その代金と言ってはなんですが……」
 由良は表の壁に貼られていたある映画のポスターを思い浮かべ、尋ねた。
「扇華恋主演のジューンブライドっていう映画、観せてもらうことって出来ます?」

 数時間後。「野暮用」を終えた由良は小さな劇場でパイプ椅子に座り、後ろで映写機を操る館長と共に、扇の恋の始まりを見守っていた。
「この男、最低ですね」
「水無月涼馬じゃろ? 扇華恋が最初に結婚した、元旦那の」
「え? あの二人、ホントに夫婦になったんですか?」
 そこで思いもよらず、扇の来歴について詳しく知ったのだった。

『梅雨空しとしと、ラムネ色』第三話「映画館雨宿り」終わり
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