90 / 314
夏編②『梅雨空しとしと、ラムネ色』
第三話「映画館雨宿り」⑴
しおりを挟む
春に紅葉谷と映画館へ行った帰り、由良は彼からこんな噂を聞かされた。
「添野さん、ご存知ですか? 洋燈商店街には、雨にしか営業していない映画館があるそうですよ。大手の映画館では観られない、貴重な映画を上映しているとか。運が良ければ、扇華恋のデビュー作が観られるかもしれませんね。あれは小規模の映画館数館でしか上映されていない、幻の映画ですから」
長年洋燈町に住んでいた由良も、そのような映画館の所在は知らなかった。噂すら聞いたことがない。
ただ、心当たりが無いこともなかった。
というのも、由良の亡くなった祖父は無類の映画好きで、週に何度か洋燈商店街内にある映画館を訪れることがあった。由良も時たま、連れて行ってもらっていたのだが、祖父が映画館を訪れるのは決まって、雨の日だった。
(雨の日はお客さんが少ないから、店を休みにして行っていたのかもしれない。でも、もしあの映画館が紅葉谷さんが言っている映画館なのだったとしたら……)
残念だったのは、その映画館が何処にあったのか、何という名前の映画館だったのか、一切覚えていないことだった。由良は「無理に思い出そうとしても埒があかない」と諦め、一旦保留にすることにした。
その後、由良は紅葉谷と映画について語らいながら、夕日が照らす町を並んで歩いていった。
ある梅雨の定休日、由良は洋燈商店街で買い出しをしていた。
由良が洋燈商店街に到着してすぐは、雨は小降りだった。しかし用事を済ませ、「さて帰るか」と商店街の入口へ戻ってきた頃には、強い雨と風が猛威を振るう嵐と化していた。
「ダダダダッ」と銃火器を思わせる重低音が、商店街一帯に鳴り響く。実際はただの雨粒だったが、そのあまりの勢いに
「アーケードに穴が空いたら、どうしよう?」
と由良は心配そうにアーケードを見上げていた。
「傘壊したくないし、何処かで時間でも潰すかな」
開いたばかりの傘を閉じ、来た道を戻る。
シャンデリアをモチーフとしたデザインで、白い生地に金色のシャンデリアが傘を一周するようにプリントされている。露先には涙形の透明なアクリル樹脂の飾りが吊り下げられていた。
美しいデザインではあるが、耐久性に関しては少々心許ない。由良は雨が小降りになるまで、商店街を散策することにした。
洋燈商店街はかなり広く、由良が訪れたことのない店も多い。由良は「絶好の開拓チャンスだ」と期待していたが、雨のせいか開いている店はほとんどなかった。
「何処にも行くアテがなかったら、玉蟲匣に居座らせてもらおう。鍵は持ってるし」
そう諦めかけた矢先、シャッターが閉まっている店と店の間に、見慣れぬ細い路地が伸びているのに気づいた。
天井がトタン屋根で覆われているせいか、由良は最初、両隣にある店のどちらかが保有しているガレージだと思った。
しかしよくよく目を凝らすと、突き当たりに「映画館雨宿り」の立派な看板が掲げられた、重厚な建物が見えた。トタン屋根や店の壁に阻まれているので建物全体は見えないが、入口にはホテルにあるような、立派な回転扉が設置されていた。
「こんなところに映画館があるなんて、知らなかった……」
由良は何かに引き寄せられるように路地を進み、両手で回転扉を押し、建物の中へ入った。扉は金属で出来ており、かなり重かった。
扉の向こうは、広大かつ豪華なホールが広がっていた。
無人で、誰もいない。その上、外の音が完全に遮断されているため、異様に静まり返っていた。
天井が高く、あちこちに宝石が散りばめられた本物のシャンデリアが吊り下げられている。正面には純金で出来た大きな階段が伸びており、遠目からでも分かるほどきらめいていた。
床には、複雑な模様が緻密に描かれた空色のペルシャ絨毯が隙間なく敷かれており、由良は雨で濡れた靴で踏み入るのを躊躇した。本物か偽物かは定かでないが、もし本物のペルシャ絨毯なのだとすれば、とんでもない値がつくはずだった。
「前に珠緒が言ってたっけ。本物のペルシャ絨毯は、ハンカチサイズでもウン万円以上するって。まぁ、物にもよるんでしょうけど」
由良はなるべく絨毯を汚さないよう、つま先立ちになり、壁伝いに進もうとした。
ところが、壁は壁でいかにも高そうな白い大理石が使われており、それに気づいた由良は反射的に手を引っ込めた。大理石にはアンモナイトや巻貝などの化石があちこちに残っていて、由良が触れようとした箇所にもホタテに似た化石が埋まっていた。
「……ここは宮殿か?」
あまりの絢爛さに、由良は呆気に取られた。
映画館雨宿りは由良が今まで訪れた映画館の中で、最も豪華な映画館だった。
「添野さん、ご存知ですか? 洋燈商店街には、雨にしか営業していない映画館があるそうですよ。大手の映画館では観られない、貴重な映画を上映しているとか。運が良ければ、扇華恋のデビュー作が観られるかもしれませんね。あれは小規模の映画館数館でしか上映されていない、幻の映画ですから」
長年洋燈町に住んでいた由良も、そのような映画館の所在は知らなかった。噂すら聞いたことがない。
ただ、心当たりが無いこともなかった。
というのも、由良の亡くなった祖父は無類の映画好きで、週に何度か洋燈商店街内にある映画館を訪れることがあった。由良も時たま、連れて行ってもらっていたのだが、祖父が映画館を訪れるのは決まって、雨の日だった。
(雨の日はお客さんが少ないから、店を休みにして行っていたのかもしれない。でも、もしあの映画館が紅葉谷さんが言っている映画館なのだったとしたら……)
残念だったのは、その映画館が何処にあったのか、何という名前の映画館だったのか、一切覚えていないことだった。由良は「無理に思い出そうとしても埒があかない」と諦め、一旦保留にすることにした。
その後、由良は紅葉谷と映画について語らいながら、夕日が照らす町を並んで歩いていった。
ある梅雨の定休日、由良は洋燈商店街で買い出しをしていた。
由良が洋燈商店街に到着してすぐは、雨は小降りだった。しかし用事を済ませ、「さて帰るか」と商店街の入口へ戻ってきた頃には、強い雨と風が猛威を振るう嵐と化していた。
「ダダダダッ」と銃火器を思わせる重低音が、商店街一帯に鳴り響く。実際はただの雨粒だったが、そのあまりの勢いに
「アーケードに穴が空いたら、どうしよう?」
と由良は心配そうにアーケードを見上げていた。
「傘壊したくないし、何処かで時間でも潰すかな」
開いたばかりの傘を閉じ、来た道を戻る。
シャンデリアをモチーフとしたデザインで、白い生地に金色のシャンデリアが傘を一周するようにプリントされている。露先には涙形の透明なアクリル樹脂の飾りが吊り下げられていた。
美しいデザインではあるが、耐久性に関しては少々心許ない。由良は雨が小降りになるまで、商店街を散策することにした。
洋燈商店街はかなり広く、由良が訪れたことのない店も多い。由良は「絶好の開拓チャンスだ」と期待していたが、雨のせいか開いている店はほとんどなかった。
「何処にも行くアテがなかったら、玉蟲匣に居座らせてもらおう。鍵は持ってるし」
そう諦めかけた矢先、シャッターが閉まっている店と店の間に、見慣れぬ細い路地が伸びているのに気づいた。
天井がトタン屋根で覆われているせいか、由良は最初、両隣にある店のどちらかが保有しているガレージだと思った。
しかしよくよく目を凝らすと、突き当たりに「映画館雨宿り」の立派な看板が掲げられた、重厚な建物が見えた。トタン屋根や店の壁に阻まれているので建物全体は見えないが、入口にはホテルにあるような、立派な回転扉が設置されていた。
「こんなところに映画館があるなんて、知らなかった……」
由良は何かに引き寄せられるように路地を進み、両手で回転扉を押し、建物の中へ入った。扉は金属で出来ており、かなり重かった。
扉の向こうは、広大かつ豪華なホールが広がっていた。
無人で、誰もいない。その上、外の音が完全に遮断されているため、異様に静まり返っていた。
天井が高く、あちこちに宝石が散りばめられた本物のシャンデリアが吊り下げられている。正面には純金で出来た大きな階段が伸びており、遠目からでも分かるほどきらめいていた。
床には、複雑な模様が緻密に描かれた空色のペルシャ絨毯が隙間なく敷かれており、由良は雨で濡れた靴で踏み入るのを躊躇した。本物か偽物かは定かでないが、もし本物のペルシャ絨毯なのだとすれば、とんでもない値がつくはずだった。
「前に珠緒が言ってたっけ。本物のペルシャ絨毯は、ハンカチサイズでもウン万円以上するって。まぁ、物にもよるんでしょうけど」
由良はなるべく絨毯を汚さないよう、つま先立ちになり、壁伝いに進もうとした。
ところが、壁は壁でいかにも高そうな白い大理石が使われており、それに気づいた由良は反射的に手を引っ込めた。大理石にはアンモナイトや巻貝などの化石があちこちに残っていて、由良が触れようとした箇所にもホタテに似た化石が埋まっていた。
「……ここは宮殿か?」
あまりの絢爛さに、由良は呆気に取られた。
映画館雨宿りは由良が今まで訪れた映画館の中で、最も豪華な映画館だった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
十年目の結婚記念日
あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。
特別なことはなにもしない。
だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。
妻と夫の愛する気持ち。
短編です。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
少年神官系勇者―異世界から帰還する―
mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。

【完結】「心に決めた人がいる」と旦那様は言った
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
「俺にはずっと心に決めた人がいる。俺が貴方を愛することはない。貴女はその人を迎え入れることさえ許してくれればそれで良いのです。」
そう言われて愛のない結婚をしたスーザン。
彼女にはかつて愛した人との思い出があった・・・
産業革命後のイギリスをモデルにした架空の国が舞台です。貴族制度など独自の設定があります。
----
初めて書いた小説で初めての投稿で沢山の方に読んでいただき驚いています。
終わり方が納得できない!という方が多かったのでエピローグを追加します。
お読みいただきありがとうございます。

金字塔の夏
阿波野治
ライト文芸
中学一年生のナツキは、一学期の終業式があった日の放課後、駅ビルの屋上から眺めた景色の中に一基のピラミッドを発見する。親友のチグサとともにピラミッドを見に行くことにしたが、様々な困難が二人の前に立ちはだかる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる