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冬編①『雪色暗幕、幻燈夜』
第三話「南極ザッハトルテ」⑷
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「この、ホワイトザッハトルテを二つくださる? テイクアウトで」
「かしこまりました」
翌日の昼下がり、見慣れぬ二人組のご婦人方がLAMPに来店した。他のメニューには目も暮れず、白いザッハトルテを二つ頼む。
由良は今朝届いたばかりのショーケースからザッハトルテを取り出し、梱包した。
細かい温度管理にも対応出来る、新型のショーケースだ。また厨房が南極に変わったら面倒なので、思い切って購入した。地下の厨房からいちいち運ぶ手間が省けただけでなく、実際のケーキを目で見て選べるからか、普段よりも売り上げが伸びた。
「ほんと、あの二人って気まぐれよねぇ! ついこの前までは"甘いものは苦手だ"って言ってたのに、急に白いザッハトルテが食べたい、だなんて言い出して」
「そうねぇ。白いザッハトルテなんてハイカラなもの、お父さん達が知ってるなんて思わなかったわ。しかも、どのザッハトルテも気に入ってくれないし!」
「おかげで、日本中の白いザッハトルテを買い漁る羽目になっちゃったわねぇ。今日こそは、お目当ての味のザッハトルテだといいんだけど」
「それにしても、ザッハトルテを食べるようになってから、二人とも見違えるように元気になったわよね。あんなに後遺症に苦しんでたのに、不思議だわ」
ご婦人達はよほど仲が良いらしく、梱包を待っている間中、ずっと二人で楽しそうに話し込んでいた。
由良は彼女達の顔立ちが何処となく、北見と野際に似ている気がした。
「お待たせ致しました。またのお越しを、お待ちしております」
「はい、ありがとう」
ご婦人達はザッハトルテが入ったケーキ箱を手に、店を後にした。
あの二人が北見と野際の親族なのだとしたら、彼女達にザッハトルテを頼んだのは、現在の北見と野際なのかもしれない。
もし本当にそうだったら、あのご婦人達は再びLAMPにやって来るだろう。そして、お目当ての白いザッハトルテを買っていくだろう。
その時は、ザッハトルテの材料を生地に練り込んだ、温めても美味しい、「雪だるまパンケーキ〈紳士〉」をオススメしようと思った。由良が発案し、中林がデザインした新作のパンケーキで、名前の通り鼻の下にチョコペンで髭が描いてあった。
生地には洋酒を使っているが、洋酒抜きにも対応しているため、未成年や酒が苦手な客にも好評だった。
「こう毎日寒いのに、冷たいケーキばかり食べるのは体に良くないし。それに、六十年前に私と同い年か少し下くらいだとすると、結構なお年だろうからね」
由良はLAMPの白いザッハトルテを食べた北見と野際の反応を想像し、笑みをこぼした。
「ホワイトザッハトルテ、まだありますか?」
「ございますよ。少々お待ちください」
新たにLAMPを訪れた客がザッハトルテを注文する。
ちょうど、ショーケースに置いていた分はなくなっていたため、由良は地下の厨房へ在庫を取りに向かった。階段を下り、厨房の前に立った瞬間、厨房の扉の隙間から尋常でないほどに冷たい風が吹き込んできた。
言い知れぬ既視感に、扉を開けようとした由良の手が止まる。
「……まさかね。もう北見さんと野際さんの〈心の落とし物〉は解消したんだから、南極になってるわけないわよね」
由良は自分に何度も言い聞かせ、扉を開いた。
そこには真っ青な空と、真っ白な氷の大地が広がり、
「きゅっ?」
クリクリの大きな黒目を持つ真っ白なアザラシの子供が厨房の扉の前で腹這いになり、由良を見て小首を傾げていた。
「……寒」
由良はアザラシの子供を見下ろし、苦笑いした。
その後も、厨房は幾度となく南極化した。
再び来店したご婦人方の様子を見るに、北見と野際の未練は解消しており、そのことから厨房の変化と彼らは無関係だと考えられた。
結局、事態が解決しないうちは、ケーキの補充を他の従業員に任せることになった。調理は、厨房が元に戻っている隙を見て、行なった。
「一体、誰がうちの厨房を南極にしたがっているんでしょうね?」
「さぁね。他人の頭の中を覗けるわけでもないし、調べようがないわ。かと言って、お客様一人一人に"当店の厨房が南極になって欲しいと思われていますか?"なんて、聞くわけにもいかないし」
「厨房を南極に変えるなんて、よっぽど妄想が好きな方なんじゃないですか? 例えば、紅葉谷さんとか」
「あの人は寒いのが苦手だから、南極じゃなくて南の島に変えると思うわ」
後に、厨房を南極に変えた犯人は判明するのだが、それはまた別のお話で……。
『雪色暗幕、幻燈夜』第三話「南極ザッハトルテ」終わり
「かしこまりました」
翌日の昼下がり、見慣れぬ二人組のご婦人方がLAMPに来店した。他のメニューには目も暮れず、白いザッハトルテを二つ頼む。
由良は今朝届いたばかりのショーケースからザッハトルテを取り出し、梱包した。
細かい温度管理にも対応出来る、新型のショーケースだ。また厨房が南極に変わったら面倒なので、思い切って購入した。地下の厨房からいちいち運ぶ手間が省けただけでなく、実際のケーキを目で見て選べるからか、普段よりも売り上げが伸びた。
「ほんと、あの二人って気まぐれよねぇ! ついこの前までは"甘いものは苦手だ"って言ってたのに、急に白いザッハトルテが食べたい、だなんて言い出して」
「そうねぇ。白いザッハトルテなんてハイカラなもの、お父さん達が知ってるなんて思わなかったわ。しかも、どのザッハトルテも気に入ってくれないし!」
「おかげで、日本中の白いザッハトルテを買い漁る羽目になっちゃったわねぇ。今日こそは、お目当ての味のザッハトルテだといいんだけど」
「それにしても、ザッハトルテを食べるようになってから、二人とも見違えるように元気になったわよね。あんなに後遺症に苦しんでたのに、不思議だわ」
ご婦人達はよほど仲が良いらしく、梱包を待っている間中、ずっと二人で楽しそうに話し込んでいた。
由良は彼女達の顔立ちが何処となく、北見と野際に似ている気がした。
「お待たせ致しました。またのお越しを、お待ちしております」
「はい、ありがとう」
ご婦人達はザッハトルテが入ったケーキ箱を手に、店を後にした。
あの二人が北見と野際の親族なのだとしたら、彼女達にザッハトルテを頼んだのは、現在の北見と野際なのかもしれない。
もし本当にそうだったら、あのご婦人達は再びLAMPにやって来るだろう。そして、お目当ての白いザッハトルテを買っていくだろう。
その時は、ザッハトルテの材料を生地に練り込んだ、温めても美味しい、「雪だるまパンケーキ〈紳士〉」をオススメしようと思った。由良が発案し、中林がデザインした新作のパンケーキで、名前の通り鼻の下にチョコペンで髭が描いてあった。
生地には洋酒を使っているが、洋酒抜きにも対応しているため、未成年や酒が苦手な客にも好評だった。
「こう毎日寒いのに、冷たいケーキばかり食べるのは体に良くないし。それに、六十年前に私と同い年か少し下くらいだとすると、結構なお年だろうからね」
由良はLAMPの白いザッハトルテを食べた北見と野際の反応を想像し、笑みをこぼした。
「ホワイトザッハトルテ、まだありますか?」
「ございますよ。少々お待ちください」
新たにLAMPを訪れた客がザッハトルテを注文する。
ちょうど、ショーケースに置いていた分はなくなっていたため、由良は地下の厨房へ在庫を取りに向かった。階段を下り、厨房の前に立った瞬間、厨房の扉の隙間から尋常でないほどに冷たい風が吹き込んできた。
言い知れぬ既視感に、扉を開けようとした由良の手が止まる。
「……まさかね。もう北見さんと野際さんの〈心の落とし物〉は解消したんだから、南極になってるわけないわよね」
由良は自分に何度も言い聞かせ、扉を開いた。
そこには真っ青な空と、真っ白な氷の大地が広がり、
「きゅっ?」
クリクリの大きな黒目を持つ真っ白なアザラシの子供が厨房の扉の前で腹這いになり、由良を見て小首を傾げていた。
「……寒」
由良はアザラシの子供を見下ろし、苦笑いした。
その後も、厨房は幾度となく南極化した。
再び来店したご婦人方の様子を見るに、北見と野際の未練は解消しており、そのことから厨房の変化と彼らは無関係だと考えられた。
結局、事態が解決しないうちは、ケーキの補充を他の従業員に任せることになった。調理は、厨房が元に戻っている隙を見て、行なった。
「一体、誰がうちの厨房を南極にしたがっているんでしょうね?」
「さぁね。他人の頭の中を覗けるわけでもないし、調べようがないわ。かと言って、お客様一人一人に"当店の厨房が南極になって欲しいと思われていますか?"なんて、聞くわけにもいかないし」
「厨房を南極に変えるなんて、よっぽど妄想が好きな方なんじゃないですか? 例えば、紅葉谷さんとか」
「あの人は寒いのが苦手だから、南極じゃなくて南の島に変えると思うわ」
後に、厨房を南極に変えた犯人は判明するのだが、それはまた別のお話で……。
『雪色暗幕、幻燈夜』第三話「南極ザッハトルテ」終わり
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