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夏編①『夏の太陽、檸檬色』
第一話「ホンを探す男性」⑵
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一ヶ月後、あの男性によく似た中年の男性がLAMPを訪れた。額の汗をハンカチで拭い、顔を扇ぐ。
その手には「言の葉の森」と書かれた、若葉色の膨らんだ紙袋があった。
「こんにちは」
男性は由良を置いて消えたことなど全く覚えていないようで、にこやかに声をかけてきた。
由良も全く気にしていない様子で微笑み、会釈する。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
男性はカウンター席へと腰を下ろし、紙袋をカウンターの上に置いた。
物珍しそうに、店内を見回している。
「素敵なお店ですね。いつから営業されているんですか?」
「昨年オープンしました。もうじき、一年になります」
男性はアイスコーヒーと、バニラアイスが添えられたワッフルを頼んだ。
由良は作り置きしておいた品をダークブラウンの木のトレーへ載せ、男性の前に差し出した。ワッフルは冷蔵庫に入れておいたので、よく冷えている。
「お待たせしました」
「やぁ、これは美味しそうだ。この暑い中、歩いて来た甲斐があった」
男性は注文の品を見て、嬉しそうに顔をほころばせた。
アイスコーヒーをひと口飲み、銀色のフォークとナイフを手にする。由良から教わった手順通り、ワッフルを小さく切り分け、バニラアイスを少し載せて食べた。
すると、よりいっそう顔がほころび、満足そうに何度も頷いた。
「これは旨い。私がここに住んでいた頃にも、こんな美味しいものが食べられたら良かったんだが」
「以前、この街に住んでいらっしゃったんですか?」
男性はワッフルを切り分けながら「えぇ」と頷いた。
「かれこれ二十年以上前でしょうか? 当時は大学生で、この街のアパートに住んでいたんです。自他共に認める本の虫で、アパートの近くにある商店街の古本屋へ毎日のように足を運んでおりました」
「……では、」
由良は男性がカウンターの上に置いた紙袋に目をやり、尋ねた。
「そちらの本も、その古本屋さんで購入したものなのですか?」
「えっ。よく分かりましたね」
男性は驚き、目を丸くした。
「実は、この本は私が大学生だった頃……お店の方に取り置きしていただいていたものなのです」
そう言うと、男性は件の本との出会いから購入に至るまでを語り始めた。
それは男性の半生とも重なる、数奇で温かな過去の思い出だった。
「大学生だった当時、私は実家からの仕送りで生活していました。必要最低限の額のみ受け取っていたので、高価な古書を購入するほどの余裕はありませんでした。交通費を切り詰め、食費を切り詰め、ギリギリの生活をしてやっと一冊買えました。手持ちがない日は、一日中店に居座り、本棚を眺めて満足する日もありました」
男性は当時を懐かしみ、紙袋越しに本を撫でた。我が子を愛おしむような、優しい手つきだった。
「この本は持ち合わせがない日に見つけたものでした。店長さんと交渉し、定価の半額を支払って取り置きしてもらいました。日本では出回っていない古い洋書だったので、どうしても手に入れたかったのです。私は一刻も早く本を手に入れたくて、大学の授業そっちのけで必死に働きました。ですが、一週間も経たないうちに、親に学校へ行っていないことがバレてしまい、強制的に実家へと連れ戻されてしまいました」
自業自得ですよね、と男性は自嘲気味に苦笑した。
男性は笑っていたが、その代償は大きかった。
「私は大学をサボっていたことを理由に、実家の旅館を継がさせられました。逃げられないよう監視の目が光る中、一日中仕事に明け暮れていました。取り置きしてもらっていた本のことを思い出した頃には、お店は潰れていました」
「その失われたはずの本が、どうして今お手元にあるんですか?」
由良は薄々答えに勘づいていながら、確認のために尋ねた。
すると男性は腕を組み、「それが……」と不思議そうに首を傾げた。
「昨日、ふと頭に浮かんだんです。知の蔵は数年前に移転して、今は言の葉の森という名前の店になっている、と。私は半信半疑で言の葉の森を訪れ、取り置きしていた本の在り処を尋ねました。すると、店員さんは『お待ちしておりました』と言って、あの本を出してくれたのです。なんでも先代の店長から言伝られ、保管していたそうです。本の表紙を目にした瞬間、私は年甲斐もなく泣いてしまいましたよ」
男性は照れ臭そうに笑うと、切り分けたワッフルを口へ運んだ。
「……それは、良かったですね」
話を聞いたことで、由良は男性の身に何が起こったのか察した。
しかしそれ以上は何も語らず、穏やかに微笑むばかりに留めた。
その手には「言の葉の森」と書かれた、若葉色の膨らんだ紙袋があった。
「こんにちは」
男性は由良を置いて消えたことなど全く覚えていないようで、にこやかに声をかけてきた。
由良も全く気にしていない様子で微笑み、会釈する。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
男性はカウンター席へと腰を下ろし、紙袋をカウンターの上に置いた。
物珍しそうに、店内を見回している。
「素敵なお店ですね。いつから営業されているんですか?」
「昨年オープンしました。もうじき、一年になります」
男性はアイスコーヒーと、バニラアイスが添えられたワッフルを頼んだ。
由良は作り置きしておいた品をダークブラウンの木のトレーへ載せ、男性の前に差し出した。ワッフルは冷蔵庫に入れておいたので、よく冷えている。
「お待たせしました」
「やぁ、これは美味しそうだ。この暑い中、歩いて来た甲斐があった」
男性は注文の品を見て、嬉しそうに顔をほころばせた。
アイスコーヒーをひと口飲み、銀色のフォークとナイフを手にする。由良から教わった手順通り、ワッフルを小さく切り分け、バニラアイスを少し載せて食べた。
すると、よりいっそう顔がほころび、満足そうに何度も頷いた。
「これは旨い。私がここに住んでいた頃にも、こんな美味しいものが食べられたら良かったんだが」
「以前、この街に住んでいらっしゃったんですか?」
男性はワッフルを切り分けながら「えぇ」と頷いた。
「かれこれ二十年以上前でしょうか? 当時は大学生で、この街のアパートに住んでいたんです。自他共に認める本の虫で、アパートの近くにある商店街の古本屋へ毎日のように足を運んでおりました」
「……では、」
由良は男性がカウンターの上に置いた紙袋に目をやり、尋ねた。
「そちらの本も、その古本屋さんで購入したものなのですか?」
「えっ。よく分かりましたね」
男性は驚き、目を丸くした。
「実は、この本は私が大学生だった頃……お店の方に取り置きしていただいていたものなのです」
そう言うと、男性は件の本との出会いから購入に至るまでを語り始めた。
それは男性の半生とも重なる、数奇で温かな過去の思い出だった。
「大学生だった当時、私は実家からの仕送りで生活していました。必要最低限の額のみ受け取っていたので、高価な古書を購入するほどの余裕はありませんでした。交通費を切り詰め、食費を切り詰め、ギリギリの生活をしてやっと一冊買えました。手持ちがない日は、一日中店に居座り、本棚を眺めて満足する日もありました」
男性は当時を懐かしみ、紙袋越しに本を撫でた。我が子を愛おしむような、優しい手つきだった。
「この本は持ち合わせがない日に見つけたものでした。店長さんと交渉し、定価の半額を支払って取り置きしてもらいました。日本では出回っていない古い洋書だったので、どうしても手に入れたかったのです。私は一刻も早く本を手に入れたくて、大学の授業そっちのけで必死に働きました。ですが、一週間も経たないうちに、親に学校へ行っていないことがバレてしまい、強制的に実家へと連れ戻されてしまいました」
自業自得ですよね、と男性は自嘲気味に苦笑した。
男性は笑っていたが、その代償は大きかった。
「私は大学をサボっていたことを理由に、実家の旅館を継がさせられました。逃げられないよう監視の目が光る中、一日中仕事に明け暮れていました。取り置きしてもらっていた本のことを思い出した頃には、お店は潰れていました」
「その失われたはずの本が、どうして今お手元にあるんですか?」
由良は薄々答えに勘づいていながら、確認のために尋ねた。
すると男性は腕を組み、「それが……」と不思議そうに首を傾げた。
「昨日、ふと頭に浮かんだんです。知の蔵は数年前に移転して、今は言の葉の森という名前の店になっている、と。私は半信半疑で言の葉の森を訪れ、取り置きしていた本の在り処を尋ねました。すると、店員さんは『お待ちしておりました』と言って、あの本を出してくれたのです。なんでも先代の店長から言伝られ、保管していたそうです。本の表紙を目にした瞬間、私は年甲斐もなく泣いてしまいましたよ」
男性は照れ臭そうに笑うと、切り分けたワッフルを口へ運んだ。
「……それは、良かったですね」
話を聞いたことで、由良は男性の身に何が起こったのか察した。
しかしそれ以上は何も語らず、穏やかに微笑むばかりに留めた。
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