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第14.5話(第2部 第3.5話)「紫野ノ瑪の過去〈雷獣降る戦場〉」
壱
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一五××年、戦国時代。
並み居る武将がしのぎを削る中、とある武家ではしれつな争いが繰り広げていた。
「あーッ! 紫一郎様、水入れ過ぎでございます! これでは粥を通り越して、重湯ではないですか!」
家臣は釜を覗き、悲鳴を上げる。他の家臣も釜の中を見て「あちゃー」「やっちゃいましたね」と苦笑いした。
釜には茶碗一杯分の米に対し、通常の十倍以上の水が注がれていた。
「大げさな。水を足して、かさ増しさせただけですよ」
米の調理を担当していた青年、紫一郎はため息をつく。切長の目をした美男子で、足がスラッと長い。世が世なら、雑誌のモデルをしていたかもしれない。
「心配せずとも、私は重湯で結構。米粒はお前達が食べなさい」
「なりません! 東家当主にそのような粗末な食事を取らせるわけには……!」
おかずは梅干しと漬物くらいしかない。
家臣達はなんとかして米のかさを増やそうと、紫一郎を説得した。
「諦めて米を増やしましょう? ね?」
「それでは米を減らした意味がないではありませんか」
「では、そのへんに生えている野草を採って参ります! 粥だけよりも食べ応えがありますよ」
「私は芋を掘って参りましょう。まだ掘り残した分が残っているはずです」
「その間に、紫一郎様はみそ汁のご用意をお願いできますか? どうせ、私達には作らせてもらえないんでしょう?」
「……分かりました。準備しておきます」
家臣達は食材を探しに、炊事場を出て行く。
ひとり残された紫一郎は、みその入ったかめをジッと見つめた。彼の他に飯炊きはいない。家臣達が無理をして、紫一郎にいいものを食べさせようと指示するので、毎日自炊していた。
「みそ汁というのは、どこまで薄めたらみそ汁ではなくなるのでしょうか? 無駄な消費は避けたいのですが」
その日の夕食は野草と芋の粥と、うっすらみその香りがする、具なしの茶色いお湯だった。
「紫一郎様、さすがにみそを足した方が良いのでは?」
「みそは貴重なのです。節約せねば」
◯
紫一郎は貧しい下級武士、東家の嫡男として生を受けた。母は産後の肥立ちが悪く、紫一郎を産んですぐに死に、父も後を追うように戦で命を落とした。
幼くして東家の当主となり、不安しかなかったが、残った心優しい家臣達に支えられ、(貧しさ以外は)何不自由なく生きてきた。
「そういえば……先日の藍野家と桜下家の戦、藍野の圧勝だったそうですね。長期戦になるやもしれんと思っておりましたが、あんな早く決着がつくとは」
「さすがは鬼の子。いくら研鑽を積もうとも、人では敵いますまい」
「負けた桜下の若様は、親類の山桜家へ落ち延びたとか。これを好機と見て、山桜が攻めてこなければ良いが……」
山桜家は東家が仕えている茄子紺家と対立している。
今までは槍の名手である紫一郎に対抗できる手駒がいなかったから攻めてこなかったものの、彼以上の実力を持つ嵐真が加わったことで、状況は変わってしまった。いつ戦を吹っかけてきてもおかしくない。
「攻めてくる方が良いではないか。勝ったら、報酬が出るぞ」
「もし、負けたら?」
「こちらには紫一郎様がおるのだ! 負けはせん!」
「桜下の若殿は大太刀使いなのだろう? 槍を斬られたらどうする?」
「斬られる前に、儂がヤツの馬を射る!」
「お主、前の戦で思いっきり外しておらんかったか?」
「あの日は調子が悪かったのだ! 次は外さん!」
家臣達は夕飯を食べつつ、あーだこーだと議論を交わす。
紫一郎も報酬をもらえるのは嬉しい。武士は何かと物入りで借金はかさむばかりだし、たまには家臣とその家族に上等なものを食べさせてやりたい。
だが、嵐真に勝てる自信はなかった。紫一郎には嵐真のように大太刀を自在に振るえるほどの腕力も、蒼異のように戦場を縦横無尽に駆け抜ける俊敏さもない。本当に嵐真と戦うことになれば、今度こそ命を落とすかもしれない。
(……うらやましい。私にも彼らのような力があれば、皆の期待に応えられるのに)
◯
夕立がそのまま嵐に変わった。
雷雨はけたたましく降り注ぐ。一向にやむ気配がなく、紫一郎は眠れずにいた。
(困りましたね。一番に起きないと、朝餉を作れません。家臣達に先を起こされてしまいます)
その時、天井の隅から黒い何かがにゅっと現れた。部屋は真っ暗で何も見えないはずなのに、確かに何かが出てきたのだ。
紫一郎は金縛りにあったように、天井の隅から目が離せなくなった。
(……気のせい、ですよね? 庭の木の影が映ったか、イタチでも潜り込んできたんですよね? イタチなら、見失う前に外へ出さないと……いや、捕まえて明日の食事にしましょうか? イタチってどんな味がするんでしょう? やはり、鍋にするのが一番なのでしょうか?)
紫一郎の思い込みとは裏腹に、黒い何かはむくむくと大きくなる。人型くらいの大きさになった瞬間、紫一郎に向かって飛びかかってきた。
同時に、屋敷のそばへ雷が落ちる。飛びかかってきた何かが雷の光に照らされ、紫一郎の目にはっきりと見えた。
それは殺意に目を血走らせた、小柄な人間だった。手には小刀が握られ、刃を紫一郎ののど元へ向けている。口には笑みさえ浮かべていた。
「……なんだ、人間か」
恐れていた何かが、同じ人間だと分かった途端、紫一郎はかえって冷静になった。
雷光が消える前に足を振り上げ、相手を蹴り飛ばす。相手は「ぐぇッ」と潰れたカエルのような声を上げ、部屋の壁へ叩きつけられた。
並み居る武将がしのぎを削る中、とある武家ではしれつな争いが繰り広げていた。
「あーッ! 紫一郎様、水入れ過ぎでございます! これでは粥を通り越して、重湯ではないですか!」
家臣は釜を覗き、悲鳴を上げる。他の家臣も釜の中を見て「あちゃー」「やっちゃいましたね」と苦笑いした。
釜には茶碗一杯分の米に対し、通常の十倍以上の水が注がれていた。
「大げさな。水を足して、かさ増しさせただけですよ」
米の調理を担当していた青年、紫一郎はため息をつく。切長の目をした美男子で、足がスラッと長い。世が世なら、雑誌のモデルをしていたかもしれない。
「心配せずとも、私は重湯で結構。米粒はお前達が食べなさい」
「なりません! 東家当主にそのような粗末な食事を取らせるわけには……!」
おかずは梅干しと漬物くらいしかない。
家臣達はなんとかして米のかさを増やそうと、紫一郎を説得した。
「諦めて米を増やしましょう? ね?」
「それでは米を減らした意味がないではありませんか」
「では、そのへんに生えている野草を採って参ります! 粥だけよりも食べ応えがありますよ」
「私は芋を掘って参りましょう。まだ掘り残した分が残っているはずです」
「その間に、紫一郎様はみそ汁のご用意をお願いできますか? どうせ、私達には作らせてもらえないんでしょう?」
「……分かりました。準備しておきます」
家臣達は食材を探しに、炊事場を出て行く。
ひとり残された紫一郎は、みその入ったかめをジッと見つめた。彼の他に飯炊きはいない。家臣達が無理をして、紫一郎にいいものを食べさせようと指示するので、毎日自炊していた。
「みそ汁というのは、どこまで薄めたらみそ汁ではなくなるのでしょうか? 無駄な消費は避けたいのですが」
その日の夕食は野草と芋の粥と、うっすらみその香りがする、具なしの茶色いお湯だった。
「紫一郎様、さすがにみそを足した方が良いのでは?」
「みそは貴重なのです。節約せねば」
◯
紫一郎は貧しい下級武士、東家の嫡男として生を受けた。母は産後の肥立ちが悪く、紫一郎を産んですぐに死に、父も後を追うように戦で命を落とした。
幼くして東家の当主となり、不安しかなかったが、残った心優しい家臣達に支えられ、(貧しさ以外は)何不自由なく生きてきた。
「そういえば……先日の藍野家と桜下家の戦、藍野の圧勝だったそうですね。長期戦になるやもしれんと思っておりましたが、あんな早く決着がつくとは」
「さすがは鬼の子。いくら研鑽を積もうとも、人では敵いますまい」
「負けた桜下の若様は、親類の山桜家へ落ち延びたとか。これを好機と見て、山桜が攻めてこなければ良いが……」
山桜家は東家が仕えている茄子紺家と対立している。
今までは槍の名手である紫一郎に対抗できる手駒がいなかったから攻めてこなかったものの、彼以上の実力を持つ嵐真が加わったことで、状況は変わってしまった。いつ戦を吹っかけてきてもおかしくない。
「攻めてくる方が良いではないか。勝ったら、報酬が出るぞ」
「もし、負けたら?」
「こちらには紫一郎様がおるのだ! 負けはせん!」
「桜下の若殿は大太刀使いなのだろう? 槍を斬られたらどうする?」
「斬られる前に、儂がヤツの馬を射る!」
「お主、前の戦で思いっきり外しておらんかったか?」
「あの日は調子が悪かったのだ! 次は外さん!」
家臣達は夕飯を食べつつ、あーだこーだと議論を交わす。
紫一郎も報酬をもらえるのは嬉しい。武士は何かと物入りで借金はかさむばかりだし、たまには家臣とその家族に上等なものを食べさせてやりたい。
だが、嵐真に勝てる自信はなかった。紫一郎には嵐真のように大太刀を自在に振るえるほどの腕力も、蒼異のように戦場を縦横無尽に駆け抜ける俊敏さもない。本当に嵐真と戦うことになれば、今度こそ命を落とすかもしれない。
(……うらやましい。私にも彼らのような力があれば、皆の期待に応えられるのに)
◯
夕立がそのまま嵐に変わった。
雷雨はけたたましく降り注ぐ。一向にやむ気配がなく、紫一郎は眠れずにいた。
(困りましたね。一番に起きないと、朝餉を作れません。家臣達に先を起こされてしまいます)
その時、天井の隅から黒い何かがにゅっと現れた。部屋は真っ暗で何も見えないはずなのに、確かに何かが出てきたのだ。
紫一郎は金縛りにあったように、天井の隅から目が離せなくなった。
(……気のせい、ですよね? 庭の木の影が映ったか、イタチでも潜り込んできたんですよね? イタチなら、見失う前に外へ出さないと……いや、捕まえて明日の食事にしましょうか? イタチってどんな味がするんでしょう? やはり、鍋にするのが一番なのでしょうか?)
紫一郎の思い込みとは裏腹に、黒い何かはむくむくと大きくなる。人型くらいの大きさになった瞬間、紫一郎に向かって飛びかかってきた。
同時に、屋敷のそばへ雷が落ちる。飛びかかってきた何かが雷の光に照らされ、紫一郎の目にはっきりと見えた。
それは殺意に目を血走らせた、小柄な人間だった。手には小刀が握られ、刃を紫一郎ののど元へ向けている。口には笑みさえ浮かべていた。
「……なんだ、人間か」
恐れていた何かが、同じ人間だと分かった途端、紫一郎はかえって冷静になった。
雷光が消える前に足を振り上げ、相手を蹴り飛ばす。相手は「ぐぇッ」と潰れたカエルのような声を上げ、部屋の壁へ叩きつけられた。
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