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第9話「彼岸華村、鬼伝説」
弐拾肆:続・不知火VS暗梨
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〈午後七時 森〉暗梨
「は……?」
暗梨は不知火の申し出に、目を見張った。
顔が見えないので、不知火が本気で言っているのかどうか分からないのがもどかしい。見えたとしても、彼の表情は全く変わっていないので、真意は読み取れなかっただろう。
「冗談でしょ? 人間の下になんか、つくわけないじゃない。私を従えられるのは饗呀様だけよ」
怒りを通り越し、呆れる。
しかし不知火は「本気だよ」と引き下がろうとはしなかった。
「君の能力は素晴らしい。限定的な発動とはいえ、転移能力を持っている異形は稀でね。いたとしても、大半は肉眼で捉えられることすら出来ない。術を使って転移することも可能ではあるが、膨大な霊力が必要とするため、かなり燃費が悪い。簡単に転移できる魔具もあることにはあるが、馬鹿みたいに高い。その点、君はさほど妖力を使っている様子がないから、続け様に能力を発動できる。私でなくとも、術者なら誰でも君を欲しがるだろうね」
「術者が、私を……?」
初耳だった。今まで術者に会ったことは数えるほどしかなく、饗呀からも「アイツらを見かけたら、殺される前に逃げろ」と忠告されていたため、ずっと避け続けてきた。
なのに不知火は、彼らが自分を必要としていると言う。また饗呀の言い分と食い違ってしまった。
何より饗呀以外の人物から、こんなにも褒められたのは初めてだった。彼岸華村にいた頃も皆から讃美されてはいたが、それは暗梨個人ではなく、華鬼橋家への讃美だった。嬉しさのあまり、つい頬がゆるむ。
暗梨の中で再度、饗呀への忠誠心が揺らいだ。
「ず、ずいぶん私を評価してくれているのね。でも、いくらおだてたって無駄よ。聞くところによれば、式神の報酬は術者の霊力、あるいは倒した異形の妖力だそうじゃない? だけど私は、人間の霊力にも異形の妖力にも興味ないのよ。最低限、生きられる分の力さえあればそれでいい。だからと言って、無報酬なんてゴメンよ? こんな私を、どう働かせるつもり?」
「そうだなぁ……」
不知火は暫し考え、答えた。
「何でも買える、魔法の黒いカードはどうだろうか? 術者協会から支給されたものなんだが、君になら預けてもいい。それで好きな物を買いたまえ。例えば……君が今着ているような洋服なんかを、ドッサリと」
「ど……ドッサリと?!」
途端に、暗梨の目の色が変わった。
何を隠そう、彼女は無類のゴスロリ好きであった。店で売っている品は高くて買えないため、妖力で見様見真似で作って着ていたが、やはり本物が欲しかった。
頭の中で、欲しかった衣装やそれに合わせて作られたアクセサリー、靴などがグルグルと回る。暗梨はそれら一着一着を着た自分を想像し、ニヤついた。
「そ……それは魅力的な提案ね。式神になるのも、悪くないかも」
「だろう?」
「でもね、」
暗梨は不知火が立っている方を見て、残念そうに手を伸ばした。
直後、不知火の足元に彼岸花が咲いた。
「なっ」
不知火は反射的にその場から飛び退こうとしたが、間に合わず、何処かへ転移させられた。
「……服だけがあっても、意味はないの。私は饗呀様のために着飾っているんだから」
暗梨は不知火と会話をしながら、彼の声が一番遠ざかる場所……すなわち、彼が立っている地面をずっと探していた。
目には見えずとも、感覚的に場所さえ分かれば、彼岸花を咲かせて転移させられる。五代がいれば彼女の目論見を暴けたが、残念なことに彼は今、蒼劔にかかりきりだった。
「急いで饗呀様に報告しないと。あの鬼が村に着いたら、計画が駄目になってしまう!」
暗梨は不知火の気配が消えたのを確認すると、水中で膝を曲げ、体を丸めた。
手探りで足首の位置を特定し、彼岸花を咲かせる。次の瞬間、暗梨は足首から下を水の球体の中に残し、転移した。
置き去りにされた足は、傷口から真っ赤な血をモヤのように流しながら、水の球体の中を静かに漂っていた。
・
〈午後七時十分 ???上空〉不知火
転移させられた直後、不知火は夜の空に投げ出されていた。地上は暗く、何も見えない。
下からの風圧で思うように身動きが取れない中、不知火はうつ伏せになり、右手を眼鏡に伸ばした。そして右手の親指と人差し指をレンズのフチに触れ、術を唱える。
「"暗視"並びに、"遠視"」
すると眼鏡のレンズが緑味を帯び、暗視スコープのように眼下の暗闇をクリアに映した。
不知火が落下すると思われる地点にあったのは、巨大な峡谷だった。削れた岩肌が剥き出しで、その間を急流が轟々と音を立てて流れている。
普通に落下しても即死は免れないが、さらにその峡谷には無数の異形が蠢いていた。一体一体の姿は確認できないが、不知火一人の力ではどうすることもできないほどの数だった。
不知火は自分が置かれた状況を把握し、「なるほど」と目を細めた。
「この高さから叩きつけられれば、普通の人間は死ぬ。万が一生き残ったとしても、峡谷を埋め尽くしている異形に殺される。落下する前に対処しようにも、空中では上手く身動きが取れず、持っている呪符や魔具を取り出すことすら、ままならない。なかなかいい反撃じゃないか」
不知火は感情のこもっていない声で褒めると、眼鏡のレンズから指を離し、首元からパーカーの裏へ手を突っ込んだ。
やがて中から取り出したのは、小さな金の錫杖がついたネックレスだった。
不知火は錫杖をしっかり握ると、力任せに引っ張り、鎖から外した。錫杖と鎖の間には金具がついており、鎖を引きちぎらずとも錫杖を外せるようになっていた。
「"縮小『解除』"」
不知火が術を解除すると、錫杖は一人でに大きくなり、本物の錫杖と同じ大きさに変わる。
それは不知火がかつて目白と名乗っていた頃に使っていた錫杖と、同じ物だった。
「もう使うことはないと思っていたんだがなぁ」
不知火はボヤきながら、左手の指先を噛み、血をにじませる。
その血で錫杖に「飛」と字を書くと、錫杖に意思が宿ったかのように、猛スピードで峡谷に向かった。錫杖をつかんでいる不知火も、一緒に峡谷へと落ちていく。
猛スピードで落下してくる不知火に、峡谷に蠢いていた異形達も気づき、騒ぎ出す。
中には長い手を伸ばし、不知火をつかもうとする者もいたが、それに捕まる前に、不知火は錫杖に跨り、上昇して避けた。
「しばらく使っていなかったから、調整が難しいな。たまに使って慣らさなくては」
頭上を飛び去っていく不知火に、異形達は不満そうに雄叫びを上げる。
不知火はその様子を上空から興味深そうに見下ろしていた。
「なるほど。ここが森の結界の境というわけか。彼岸華村の妖力に惹かれて集まったものの、中には入れず、溜まる一方になっている。このまま放置しておくと厄介だな」
そう言うと、不知火はパーカーのポケットから予備の手榴弾を数個取り出し、ピンを抜いてバラバラに峡谷へ放った。
手榴弾は異形達の群れの中へ紛れ、青い閃光を放って爆発する。
「ギャァァァ!」
「ピィィィィ!」
「悪ォォォ!」
手榴弾が爆ぜる音と、異形達の悲鳴が、峡谷に騒々しく響く。異形にしてみれば、地獄のような光景だった。
一方、不知火は爆発に巻き込まれぬよう、峡谷から距離を取りつつ、尚も手榴弾を投げ続けた。彼の興味は、既に峡谷の異形から暗梨へと戻っていた。
「それにしても、あの鬼の少女はどうやって私の足の位置を特定したのだろうか? 転移とは別に、何か特殊な能力を持っているのか? 私を転移させた後は、どのようにして水球から脱するつもりなのだったのだろう? 興味深い……実に興味深い。ますます欲しくなってきた」
次から次へと湧き出てくる疑問に、不知火は高揚する。
顔は無表情のままだったが、この時の彼の心をうっかり読んでしまった五代は、
『ヒェェェッ! コェェェッ!』
と再度、奇声を上げた。
「は……?」
暗梨は不知火の申し出に、目を見張った。
顔が見えないので、不知火が本気で言っているのかどうか分からないのがもどかしい。見えたとしても、彼の表情は全く変わっていないので、真意は読み取れなかっただろう。
「冗談でしょ? 人間の下になんか、つくわけないじゃない。私を従えられるのは饗呀様だけよ」
怒りを通り越し、呆れる。
しかし不知火は「本気だよ」と引き下がろうとはしなかった。
「君の能力は素晴らしい。限定的な発動とはいえ、転移能力を持っている異形は稀でね。いたとしても、大半は肉眼で捉えられることすら出来ない。術を使って転移することも可能ではあるが、膨大な霊力が必要とするため、かなり燃費が悪い。簡単に転移できる魔具もあることにはあるが、馬鹿みたいに高い。その点、君はさほど妖力を使っている様子がないから、続け様に能力を発動できる。私でなくとも、術者なら誰でも君を欲しがるだろうね」
「術者が、私を……?」
初耳だった。今まで術者に会ったことは数えるほどしかなく、饗呀からも「アイツらを見かけたら、殺される前に逃げろ」と忠告されていたため、ずっと避け続けてきた。
なのに不知火は、彼らが自分を必要としていると言う。また饗呀の言い分と食い違ってしまった。
何より饗呀以外の人物から、こんなにも褒められたのは初めてだった。彼岸華村にいた頃も皆から讃美されてはいたが、それは暗梨個人ではなく、華鬼橋家への讃美だった。嬉しさのあまり、つい頬がゆるむ。
暗梨の中で再度、饗呀への忠誠心が揺らいだ。
「ず、ずいぶん私を評価してくれているのね。でも、いくらおだてたって無駄よ。聞くところによれば、式神の報酬は術者の霊力、あるいは倒した異形の妖力だそうじゃない? だけど私は、人間の霊力にも異形の妖力にも興味ないのよ。最低限、生きられる分の力さえあればそれでいい。だからと言って、無報酬なんてゴメンよ? こんな私を、どう働かせるつもり?」
「そうだなぁ……」
不知火は暫し考え、答えた。
「何でも買える、魔法の黒いカードはどうだろうか? 術者協会から支給されたものなんだが、君になら預けてもいい。それで好きな物を買いたまえ。例えば……君が今着ているような洋服なんかを、ドッサリと」
「ど……ドッサリと?!」
途端に、暗梨の目の色が変わった。
何を隠そう、彼女は無類のゴスロリ好きであった。店で売っている品は高くて買えないため、妖力で見様見真似で作って着ていたが、やはり本物が欲しかった。
頭の中で、欲しかった衣装やそれに合わせて作られたアクセサリー、靴などがグルグルと回る。暗梨はそれら一着一着を着た自分を想像し、ニヤついた。
「そ……それは魅力的な提案ね。式神になるのも、悪くないかも」
「だろう?」
「でもね、」
暗梨は不知火が立っている方を見て、残念そうに手を伸ばした。
直後、不知火の足元に彼岸花が咲いた。
「なっ」
不知火は反射的にその場から飛び退こうとしたが、間に合わず、何処かへ転移させられた。
「……服だけがあっても、意味はないの。私は饗呀様のために着飾っているんだから」
暗梨は不知火と会話をしながら、彼の声が一番遠ざかる場所……すなわち、彼が立っている地面をずっと探していた。
目には見えずとも、感覚的に場所さえ分かれば、彼岸花を咲かせて転移させられる。五代がいれば彼女の目論見を暴けたが、残念なことに彼は今、蒼劔にかかりきりだった。
「急いで饗呀様に報告しないと。あの鬼が村に着いたら、計画が駄目になってしまう!」
暗梨は不知火の気配が消えたのを確認すると、水中で膝を曲げ、体を丸めた。
手探りで足首の位置を特定し、彼岸花を咲かせる。次の瞬間、暗梨は足首から下を水の球体の中に残し、転移した。
置き去りにされた足は、傷口から真っ赤な血をモヤのように流しながら、水の球体の中を静かに漂っていた。
・
〈午後七時十分 ???上空〉不知火
転移させられた直後、不知火は夜の空に投げ出されていた。地上は暗く、何も見えない。
下からの風圧で思うように身動きが取れない中、不知火はうつ伏せになり、右手を眼鏡に伸ばした。そして右手の親指と人差し指をレンズのフチに触れ、術を唱える。
「"暗視"並びに、"遠視"」
すると眼鏡のレンズが緑味を帯び、暗視スコープのように眼下の暗闇をクリアに映した。
不知火が落下すると思われる地点にあったのは、巨大な峡谷だった。削れた岩肌が剥き出しで、その間を急流が轟々と音を立てて流れている。
普通に落下しても即死は免れないが、さらにその峡谷には無数の異形が蠢いていた。一体一体の姿は確認できないが、不知火一人の力ではどうすることもできないほどの数だった。
不知火は自分が置かれた状況を把握し、「なるほど」と目を細めた。
「この高さから叩きつけられれば、普通の人間は死ぬ。万が一生き残ったとしても、峡谷を埋め尽くしている異形に殺される。落下する前に対処しようにも、空中では上手く身動きが取れず、持っている呪符や魔具を取り出すことすら、ままならない。なかなかいい反撃じゃないか」
不知火は感情のこもっていない声で褒めると、眼鏡のレンズから指を離し、首元からパーカーの裏へ手を突っ込んだ。
やがて中から取り出したのは、小さな金の錫杖がついたネックレスだった。
不知火は錫杖をしっかり握ると、力任せに引っ張り、鎖から外した。錫杖と鎖の間には金具がついており、鎖を引きちぎらずとも錫杖を外せるようになっていた。
「"縮小『解除』"」
不知火が術を解除すると、錫杖は一人でに大きくなり、本物の錫杖と同じ大きさに変わる。
それは不知火がかつて目白と名乗っていた頃に使っていた錫杖と、同じ物だった。
「もう使うことはないと思っていたんだがなぁ」
不知火はボヤきながら、左手の指先を噛み、血をにじませる。
その血で錫杖に「飛」と字を書くと、錫杖に意思が宿ったかのように、猛スピードで峡谷に向かった。錫杖をつかんでいる不知火も、一緒に峡谷へと落ちていく。
猛スピードで落下してくる不知火に、峡谷に蠢いていた異形達も気づき、騒ぎ出す。
中には長い手を伸ばし、不知火をつかもうとする者もいたが、それに捕まる前に、不知火は錫杖に跨り、上昇して避けた。
「しばらく使っていなかったから、調整が難しいな。たまに使って慣らさなくては」
頭上を飛び去っていく不知火に、異形達は不満そうに雄叫びを上げる。
不知火はその様子を上空から興味深そうに見下ろしていた。
「なるほど。ここが森の結界の境というわけか。彼岸華村の妖力に惹かれて集まったものの、中には入れず、溜まる一方になっている。このまま放置しておくと厄介だな」
そう言うと、不知火はパーカーのポケットから予備の手榴弾を数個取り出し、ピンを抜いてバラバラに峡谷へ放った。
手榴弾は異形達の群れの中へ紛れ、青い閃光を放って爆発する。
「ギャァァァ!」
「ピィィィィ!」
「悪ォォォ!」
手榴弾が爆ぜる音と、異形達の悲鳴が、峡谷に騒々しく響く。異形にしてみれば、地獄のような光景だった。
一方、不知火は爆発に巻き込まれぬよう、峡谷から距離を取りつつ、尚も手榴弾を投げ続けた。彼の興味は、既に峡谷の異形から暗梨へと戻っていた。
「それにしても、あの鬼の少女はどうやって私の足の位置を特定したのだろうか? 転移とは別に、何か特殊な能力を持っているのか? 私を転移させた後は、どのようにして水球から脱するつもりなのだったのだろう? 興味深い……実に興味深い。ますます欲しくなってきた」
次から次へと湧き出てくる疑問に、不知火は高揚する。
顔は無表情のままだったが、この時の彼の心をうっかり読んでしまった五代は、
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